111 完敗
「ケイム……!」
突如として現れた創造主に、ゲンは驚きを隠せなかった。まさか降りて来るとは思わなかった。
ケイムはマスタールームにいると聞いている。そこに行くためには、世界各地に点在する宝珠をすべて集めるしかないという。全部で18個あり、所持しているのはいずれ劣らぬ強敵たちだ。その道のりは果てしなく遠く、そして険しい。いくつもの奇跡と偶然が重ならない限り、辿り着くことはできないだろう。だからこそ、ケイムは決して姿を現さないと思っていた。
「僕としたことが、カッとなってつい出てきちゃったよ。でも、クズにクズと言われたんだから、ムカついて当然だよね?」
ケイムは馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
「ふざけんじゃねー! どー考えてもオマエのほーがクズだろーが! どれもこれも嫌がらせみてーなイベントばっかじゃねーか!」
「でも、その嫌がらせを考えたのは君だよね? 僕はただ、君が考えたストーリーとか設定とかを組み合わせて、ほんのちょっと手を加えただけだよ? 元々は君が考えた内容なんだから、僕に文句を言われても困るよ」
「ほんのちょっと手を加えただけとか、嘘松だろーが! だったらユウを消す必要ねーじゃねーか!」
ゲンは怒りをぶちまけた。原作のストーリーでは、主人公の結婚相手はもちろん消えない。ちょっと手を加えた程度で、ユウが消えるはずはなかった。
「君も作者ならわかると思うけど、物語には起伏が必要で、その振れ幅が大きいほど魅力的なお話になるんだよね。だから、ユウを消したんだよ。君は幸せの絶頂から一気に不幸のどん底に落ちたから、ものすごい落差が生まれて、かなり面白いシナリオになったと思うよ」
「ふざけんじゃねー! おもしれーわけねーだろ! そーゆーのいーから、さっさとユウを返せ!」
「だったら力づくで取り返すしかないと思うけど、君にできるのかな? もう世界樹の実は吐き出しちゃってるし、武器も持ってないし、君には無理だよね?」
「ぐぬぬ……」
ゲンは歯ぎしりをして悔しがるしかなかった。ケイムの指摘どおり、今のゲンは完全に無力だった。攻撃手段も戦闘能力も一切持ち合わせていなかった。
「……じゃ、始めようか。ここだと他の人を巻き込みかねないから、ちょっと場所を変えるね」
ケイムがパチンと指を鳴らすと、一瞬で周囲の景色が変わった。抜けるような青空と、見渡す限りの草原が目に映る。深夜から一気に昼間に変わっていた。星の裏側に瞬間移動させられたのだとすぐにわかった。
「君に1分だけ時間をあげるよ。吐き出した世界樹の実も、砕け散った聖剣シャントブーリアも、一時的に復活させてあげるね。さあ、好きなだけ僕を攻撃してくれていいからね」
ケイムが再度指を鳴らすと、ゲンの体に力がみなぎり、眩い輝きを放つ剣が手の中に現れた。次の瞬間、ゲンは躊躇なく地面を蹴り、ケイムに向かっていった。
「ちくしょー……! やっぱ効かねーのかよ……! 作者のオレでも勝てねーのかよ……!」
ゲンは悔しそうに吐き捨てた。
魔剣ジョヒアの脅威から世界を救った聖剣が、何度もケイムの体を貫いた。思いつく限りの多種多彩な剣技が、次々とケイムに炸裂した。命中した音も手ごたえも、確かに感じられた。だが、ケイムには全く効いていないようだ。傷一つつかず、ダメージも一切受けていないように見えた。
「無駄だよ。どんな攻撃も僕には効かないんだよ。当たっても攻撃の効果が発生しないという設定になってるからね。だから、君は絶対に僕には勝てないよ」
ゲンの怒涛の攻撃をよけることも防ぐこともなく、ケイムはただじっと食らい続けていた。ずっと腕を組み、余裕の表情を浮かべていた。どれだけ斬られても刺されても傷つかないその光景は、異様以外の何物でもなかった。
あのときと全く同じだった。かつて旅の途中で一度だけケイムが出現し、仲間たちが戦いを挑んだことがある。やはり攻撃が寸毫も効かなかった。棒立ち状態のケイムに面白いように命中していたが、その効果が一切発生しなかった。剣で斬ろうと刺そうと拳で殴ろうと、ケイムをいささかも負傷させることはできなかった。
だが、それは作者以外が攻撃したからだろうと高を括っていた。生みの親である自分が攻撃すれば大丈夫だろうという、根拠のない自信があった。しかし、ゲンの攻撃は全く通用しなかった。自分の考えが浅はかだったことを思い知らされた。
「……はい、時間切れだよ。やっぱり僕には勝てなかったね」
上空に瞬間移動したケイムがそう言って指を鳴らすと、ゲンの全身にみなぎっていた力が一瞬で失われた。手にしていた聖剣シャントブーリアも、たちどころに消滅した。
「もし僕に勝てるとしたら、ハルトたちしかいないんだよ。僕は原作でハルトたちに倒されることになってるけど、その設定だけはどうやっても消したり変えたりできなかったんだよね。だから、あいつらはこの世界に呼んでないんだよ。今の僕なら絶対に負けない自信はあるんだけど、原作みたいに万が一のことが起きたら嫌だからね」
ケイムはニヤリと笑った。
原作の二の舞になることを恐れて、ケイムは主人公であるハルトたち4人をこの世界に呼んでいないという。たとえ天敵であっても、遭遇しなければ倒される心配はないのだ。
「じゃ、今度は僕の番だね」
突然、ゲンは左頬に強い痛みと衝撃を感じた。まるで岳父に殴られたときのような、強烈な一撃だった。たまらずその場にうずくまった。
「どうしたのかな? もう終わり? さっきのは健のパンチと同じくらいの強さだったはずだよ? たった一撃で立てなくなるなんて、やっぱり君はクズなんだね」
「誰がクズだ、ちくしょー……!」
ケイムの挑発に、ゲンは痛みをこらえて立ち上がった。腹を強く殴られたような感覚に襲われたのはその直後だった。苦悶の表情を浮かべ、腹を押さえてしゃがみ込んだ。激しい痛みで立ち上がることができなかった。
何がどうなっているのか、全くわからなかった。ただ、ケイムの仕業ということだけは確かだ。宙に浮いたまま、全く動くことなく攻撃してきたのだろうか。
「……貴様を倒すのはこの俺だ! 俺以外に負けることは、断じて許さん!」
どこからともなく聞こえてきたのは、野性味あふれる男性の声だった。
「この声は篠原斗馬……! 相変わらずいー声してんじゃねーか!」
ゲンの体は即座に反応した。痛みを感じなくなり、勢いよく立ち上がる。
ユウが声真似をしているのだと思った。ユウが戻ってきてくれたのだと思った。だが、周囲を見回しても誰もいない。一面に広がる草原には、隠れるような場所は皆無だ。
「ぐぇっ……!」
再び頬に衝撃を受け、ゲンは倒れた。
「ねぇ~、早く立ち上がらないと、あたし、キミのこと嫌いになっちゃうぞ~?」
再度聞こえてきたのは、活発そうな若い女性の声だった。
「今度は倉橋舞美かよ……! なかなかいーキャスティングじゃねーか……!」
叫びながらゲンは立ち上がった。再び周囲を見回すが、やはり妻の姿はない。
「うぉぉぉぉっ……!」
蹴られたような打撃を尻に受け、ゲンは膝から崩れ落ちた。痛みに悶絶する。
「まぁ、一体どうしたんざますか!? 大丈夫ざますか!?」
「この声は友井ジェニーざます! 心配いらねーざます!」
声に反応して、ゲンは素早く立ち上がった。
「お前は何をやっている? さっさと立て。休んでいる暇はないぞ」
「バカモン! 修行が足りん! 来い! わしが稽古をつけてやる!」
「キャハハハハ。やだ~、おまえ弱すぎ~。マジありえな~い」
「ちょっとあんた、しっかりおし! 情けないったらありゃしないね!」
「今年の干支とかけて、あなたと解く。その心は、どちらもたつでしょう!」
「あなたはここで倒れるような人じゃないわ! だから、負けないで!」
不可視の攻撃を受け、ゲンは何度も倒れた。そこに叱咤激励の声が降り注ぐ。そのたびに利き声優が発動し、ゲンは何度でも立ち上がった。
まさに義父との一戦を彷彿とさせる光景だった。唯一違うのは、ユウの姿が見えないことだ。どこにもいないのに、ただ声真似だけが聞こえてきた。
「……やっぱり君の利き声優はすごいね。全部合ってるよ。でも、誰が声真似をやってるのかまではわからなかったみたいだね。さっきのは全部僕がやってたんだよ。……我は全知全能だ。このくらいは造作もない」
ケイムの言葉は、途中から全く別の声色に変わっていた。
「ユウじゃなかったのかよ! ふざけんじゃねーぞ!」
ゲンは悔しそうに叫んだ。ユウが声真似をしているのだとずっと思っていた。あの声真似はユウにしかできないと思い込んでいた。
前回もケイムの声真似に騙されたことを思い出した。仲間たちのパーティーが全滅し、その死に際の台詞だという声を真似され、ゲンたちは大きく動揺した。内容こそ嘘だったが、その声色や口調は仲間のそれと全く同じだった。
「君はやっぱりクズだね。ユウのことをただの声真似要員としか見ていないことがよくわかったよ。君は声真似ができるなら誰でもいいんだね。それなら別にユウじゃなくてもいいよね? もしユウに声真似という特技がなかったら、君はきっと結婚相手に選んでないよね? 他の誰かが声真似をやってたら、君はたぶんその女性を選んでたよね?」
「ぐぬぬ……」
ゲンは反論できなかった。ケイムに痛いところを突かれていた。自分はユウではなく、「せいゆう」に惹かれていただけかもしれない。声真似を聞くまで、ユウのことは全く眼中になかった。
もしユウが声真似を披露していなかったとしたら、自分はユウを選んでいただろうか。もし他の女性が声真似を披露していたとしても、自分はユウを狙っていただろうか。おそらく答えはノーだろう。
「君みたいなクズにクズと言われたから、僕は君を殺しに――」
ケイムの声を遮ったのは、何かが軋むようなミシミシという音だった。空から聞こえてくるようだ。見上げると、空に不気味な黒い点がいくつも現れていた。
「……おっと、もう限界みたいだから、そろそろ帰らないとね」
「なんだ!? どーゆーことだ!?」
「僕はゲームマスターだから、本当はこの世界に降りてきたらダメなんだよね。僕がいると世界が不安定になって、バグとかエラーとかいろんな不具合が起きちゃうんだ。これはその前触れだよ。これ以上ここにいるのはマズいから、僕はもう帰るね」
そう言い残して、ケイムは消えた。それと同時に、軋むような音がやみ、空の黒点も消滅した。
「逃げんじゃねー! まだ話は終わってねーぞ!」
「話の続きならマスタールームで聞いてあげるよ。君みたいなクズには絶対に無理だと思うけど、宝珠を全部集めて、ここまで来てね」
ケイムの満面の笑みが空に映し出された。
「じゃ、君を仲間たちのところに転送してあげるよ。これからもみんなで力を合わせてがんばってね」
次の瞬間、ゲンの足元に魔法陣が現れた。