108 挨拶
「……今回は4組のカップルが誕生しました! 本当におめでとうございます!」
司会者の声が場内に響き渡ると、割れんばかりの拍手がそれに続いた。
カップル成立した4組の中に、ゲンもその名を連ねていた。相手はもちろん「せいゆう」だ。
フリータイム中のゲンは、「せいゆう」と結婚したい一心で、とにかく押して押して押してまくった。ひたすら褒めて褒めて褒め続けた。ユウもかなり嬉しそうだった。
2人の会話に割り込んでくる男性がいないか、ずっと不安だった。誰が来たとしても、ゲンのほうが若さや容姿で劣っており、分が悪いことはわかっていた。この状態からでも簡単に逆転されてしまう可能性もあった。だが、杞憂に終わった。邪魔をする者は誰もおらず、ずっと2人で話をすることができた。
そして、ついに「せいゆう」の心を射止め、カップルになることができた。ゲンにとって、4X年の人生で初めて春が来た瞬間だった。
なお、他の3組とは、以下のカップルを指す。
○○県出身の1番ヒナコと、同じく○○県出身の6番サトシ。
アニメが好きな9番ミユキと、絵を描くのが得意な7番ケント。
外国語が堪能な4番エリと、食べ歩きが趣味の8番トモカズ。
ヒナコの母校の校歌を歌ったサトシと、同県出身の俳優のモノマネをしたトモユキ。2人の男性がヒナコを巡って争っていたが、軍配はサトシに上がったようだ。同じ県の出身ということで、ゲンもヒナコを狙おうかと当初は考えていた。あのままヒナコを狙っていたら、おそらく争奪戦で敗れていただろう。
アピールタイムにケントがミユキ好みの絵を描いたことがきっかけで、2人はそのままお互いをパートナーに選んだようだ。アニメに関する知識ならゲンも負けていないが、悲しいかな、絵の腕前は画伯だ。一時期はミユキを狙おうという気持ちもあったが、どうあがいてもケントには歯が立たなかっただろう。
トモカズは海外での食べ歩きに、エリは動画の投稿に、それぞれ興味があったという。アピールタイムでお互いの特技を知って好意を抱き、フリータイムで急接近したようだ。なお、エリは平均身長以上の男性を希望していたが、トモカズがその条件を満たしていたことも要因の一つとして挙げられるだろう。
一方、手品を使って熱烈なアピールしたヒロキの想いは、ナナには届かなかった。元芸人のマサオもナナに興味があったらしく、フリータイムでは激しい争奪戦になっていた。それなりに話が盛り上がっていたようだが、ナナはどちらも選ばなかった。ナナの好みではなかったのかもしれない。
また、サキを巡って火花を散らしていたカイとショウタは、共倒れになった。フリータイム中に2人とも徐々にヒートアップしていき、最終的には一触即発の険悪なムードが漂っていた。一歩間違えば乱闘になっていたかもしれない。そんな2人に嫌気が差したのか、サキはどちらも拒絶していた。
「僕たちはどうしましょうか……?」
ゲンが尋ねたのは、もちろん入籍の件だ。今日中に独身を卒業できるかどうかで、ゲンの運命が決まる。もしできなければ、日付が変わった瞬間にミヒリトの呪いで命を落とす。
当日の入籍率が高いという触れ込みは、嘘ではなかったようだ。他のカップルのうち、既にエリとトモカズは夫婦になっていた。ヒナコとサトシは窓口で婚姻印を選んでいる状態で、婚姻成立は時間の問題だろう。ミユキとケントは新生活の準備を進め、終わり次第籍を入れる予定だという。
フリータイム中の会話で、入籍を希望する時期について、具体的に話をしたわけではない。だが、ユウからはかなり前向きな発言が飛び出しており、即時入籍も十分可能であるように思えた。
「……まずは父に会って下さい。父の許しが出たら、すぐに入籍しましょう」
「え……?」
「父は、私の選んだ男性が結婚相手にふさわしいかどうか、自分が見極めると言って聞かないんです。うちでは父の言うことは絶対で、誰も逆らえません。だから、まずは父に会って下さい」
「そうなんですか……」
ユウの言葉に、ゲンは表情を曇らせた。会いに行こうにも、今はもう夕方だ。こんな時間に訪ねて行けば、追い返されてもおかしくはない。それに、ユウの父親がどこに住んでいるのかも知らない。もし遠方なら、まず明日以降の訪問になる。今日中に結婚しなければならないゲンにとって、死刑宣告にも等しい内容だった。
「ゲンさんさえよろしければ、今から行きませんか? 私の家、すぐ近くなんです。歩いて10分くらいでしょうか。私が今日このパーティーに参加することは父も知っていて、お相手が見つかればすぐに連れて来いと言われているんです」
「……わかりました。行きましょう」
ゲンは二つ返事で答えた。心の準備も何もできていないが、他の選択肢などあるはずがなかった。
ゲンは行かなければならない。そして、ユウの父親に認められなければならない。そのお眼鏡に適わなければ、ゲンに明日はない。
一体どんな基準で判断されるのだろうか。外見や雰囲気を重視されるのなら、だめかもしれない。年収や肩書を求められるのなら、無理かもしれない。人柄や性格で決められるのなら、厳しいかもしれない。趣味や嗜好で選ばれるのなら、難しいかもしれない。
だが、失敗は決して許されない。絶対に成功させなければならないというプレッシャーに、ゲンは押し潰されそうだった。
「……おまえか、娘を嫁にしたいというのは? わしは瀬井健。優雨の父だ」
ユウが玄関の扉を開けると、そこには作務衣を来た禿頭の老爺が立っていた。70歳は超えているだろう。腕を組み、睨むような視線をゲンに投げつけている。小柄ではあるが、かなりの威圧感を醸し出していた。
「……は、はじめまして。蓮井ゲンと申します」
いきなりの遭遇に面食らいながらも、ゲンは頭を下げた。
「ゲンさんとは今日の婚活パーティーで知り合ったの。本当に、すごくいい人なのよ」
「ほう、そうか。どこで相手を見つけようと、おまえの勝手だ。だが、わしが認めた男でなければ、結婚は許さん」
ユウの父は、ゲンの体を上から下まで、穴が開きそうなほどジロジロと見つめてくる。
「……おまえはなかなかいい図体をしているようだが、何かやっていたのか?」
「いえ、全然。この体は、ただ太っているだけです。昔から食べるのが大好きで、体重を気にせずひたすら食べていたらこうなりました……」
ゲンは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「ほう、そうか。おまえのことはよくわかった。では、早速始めるとするか。優雨、その男を離れに連れてこい」
険しい表情のまま、健は顎で指示を出した。
ユウによると、父の健は元プロボクサーだという。大きなタイトルこそ取っていないが、地道に勝ち星を重ね、悪くない通算成績を残している。現役引退後は自宅の離れをジムに改装し、後進の育成や指導に力を注いできた。
一人娘であるユウの結婚相手に対して、健には強いこだわりがあった。挨拶に来た際に必ず自分と戦わせ、気に入らなければ頑として結婚を許さなかった。ユウが今まで結婚できなかった最大の理由が、まさに父の存在だった。何度か交際相手を連れてきたことはあるが、健に認められた者は誰もいなかった。
「オワタ……。完全にオワタ……」
ユウから事実を聞かされ、ゲンの心中は穏やかではなかった。彼女との結婚を許してもらうためには、健と戦わなければならない。そして、おそらく勝つことを求められるだろう。
もはやゲンの命運は尽きたも同然だった。高齢とはいえ、相手は元プロだ。どうあがこうと、勝てるはずがない。ハンデをつけて戦ったとしても、勝てる自信がなかった。
だが、それでもゲンは戦うしかなかった。奇跡が起きることを祈るしかなかった。
「……逃げずによくリングに上がってきたな。その度胸だけは褒めてやろう」
ユウの父が口の端をわずかに上げる。
健は現役時代を彷彿とさせる姿になっていた。上半身は裸で、派手な刺繍の付いた赤いトランクスを履き、手には赤いグローブを嵌めている。年齢を感じさせない引き締まった上半身が、今でも日々のトレーニングを怠っていないことを物語っていた。ゲンとの体重差は40キロ近いと思われるが、健は全く気にしていない様子だった。
「お、お手柔らかにお願いします……」
ゲンの声は震えていた。声だけでなく、足もかすかに震えていた。
ゲンも着替えていた。青いランニングシャツとトランクス、グローブ。そして、ヘッドギアやマウスピースも着用している。見え方に多少の不安はあるが、安全のために眼鏡は外している。
「最初に言っておく。わしに勝てとは言わん。ずぶの素人のおまえがわしに勝てんことなど、百も承知だ。おまえが負けたからといって、娘との結婚を許さんというわけではない」
「え……?」
「要するに、おまえがどう負けるかだ。負け方にもいろいろある。たった一撃食らっただけで降参するのと、何度倒されても諦めずに向かってくるのとでは、同じ負けでも全然違う。わしがどちらを評価するかは言うまでもなかろう? つまり、そういうことだ」
「なるほど……」
ゲンは健の真意を理解した。健に勝てるか勝てないかではなく、どんな負け方をするかでゲンの人となりを見極めようとしているようだ。情けない戦い方をしようものなら、確実にNGを出されるだろう。
「ルールは1R3分のフリーノックダウン制だ。手加減はしてやるが、おまえが降参するか、立てなくなるまで続ける。苦しくなったらいつでも降参するがいい」
「……わかりました」
「では、始めるぞ。おい、優雨! ゴングを!」
「はい……!」
直後に鳴り響くゴングの音。ゲンの運命を賭けた戦いの幕が、切って落とされた。




