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かきかけ~作者と愉快な主人公たち~  作者: 蓮井 ゲン
第三章 さらなる旅路
100/140

100 無力

いつもありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 ゲンは完二の家へと急いでいた。人通りのまばらな道を、ひたすら走っていた。

 既に日は落ち、夜の帳が下りていた。晴れ渡った空に無数の星が瞬き、月が地上を明るく照らしていた。街灯に付けられた時計は8時過ぎを示している。支払期限にはまだ余裕があるが、10億という大金を持ち歩く緊張感から早く解放されたかった。



 気がつくと、ゲンは小切手を握りしめて金田邸の前に立っていた。小切手の額面は、娘を笑わせた報酬としてゲンが望んだ金額、すなわち10億だった。

 だが、ゲンは何も覚えていない。どうやってこの小切手を手に入れたのか、全く思い当たらない。金田の家に入ったところまでは確かに覚えている。だが、そこから先の記憶がない。



 娘を笑わせた後、ゲンは別室に案内され、そこで金田と対面した。金田はゲンと大差ない年齢と背格好で、高そうなスーツに身を包んでいた。大きな石の付いた指輪をはめ、葉巻を燻らせていた。

 金田は大変饒舌で、ゲンは延々と長話に付き合わされる羽目になった。その大半は自慢話、残りは妻や娘への愚痴で構成されていた。どれもゲンには縁のない話ばかりだ。金田が持つ小切手を物欲しそうに見つめながら、適当に相槌を打つことしかできなかった。

 

 唯一興味が湧いたのは、娘を笑わせられなかった者の行く末だ。家の地下に広がる工場に連れて行かれ、強制労働させられるという。連れて行かれた者は、ノルマを達成するまで外に出ることはできない。なお、娘を笑わせた報酬として希望した金品と同額がノルマとなる。欲張った者ほどノルマが増える仕組みだ。もしゲンが失敗していたら、10億ダイム分働かなければならなかっただろう。 

 金田は地下工場で働かせる労働者を集めるために、娘を笑わせてほしいという偽の依頼をでっち上げたという。破格の報酬に釣られて多くの挑戦者がやって来たが、すべて高い壁に跳ね返された。見ざる聞かざるに徹する娘の前に、誰もが涙を呑んだ。ただ一人、ゲンを除いては。


 ゲンは数時間に渡って金田の長話を聞かされた後、ようやく解放された。報酬である10億の小切手を受け取った後、追い出されるように屋敷を後にした。その際、ゲンは中で見聞きしたすべての記憶を消されていた。情報漏洩を防ぐためかもしれない。

 気がつけば大金を握り締めていたゲンは、すぐに駆け出した。訝しんでいる場合ではない。理由や過程はどうあれ、念願の10億が手に入ったのだ。これを完二に届けるしかなかった。




「……!?」

 突然、ゲンは視線を感じて立ち止まった。街路樹の陰から男が姿を現したのはその直後だ。タキシードとシルクハット姿のその男には、見覚えがあった。

「此れは此れは、文豪ぢやあない方の作者ぢやあないか。また君に會へるとは、なんと云ふ僥倖だらうか」

「怪盗乱麻じゃねーか! オマエは龍之介に追われてたんじゃねーのか!?」

 ゲンが驚きの声を上げる。怪盗乱麻は龍之介に追われ、逃げていたはずだ。あの龍之介が、そう簡単に獲物を見失うとは思えなかった。

「羅生門くんなら、今も僕の替え玉を追ひかけてゐるんぢやあないだらうか。僕の替え玉は世界中に何人も居る。途中で入れ替わつたが、羅生門くんは氣がつかなかつたやうだ」

 怪盗乱麻はしたり顔で答えた。


「どーしてここに帰ってきた!? オレにまだ何か用があんのか!?」

「決まつてゐるぢやあないか。僕はもつと金が欲しいのだ。君から頂戴した壱拾億は有難く使はせて貰ふ積りだが、あれぢやあまだまだ足りない。だから、また君の金を戴きに來たのだ。君なら屹度また大金を持ち歩くんぢやあないかと思つてゐた。僕の考へは間違つてゐなかつたやうだ」

 怪盗乱麻はゲンを指差すと、小馬鹿にしたように笑った。

「君は本當に間拔けな男だ。そんな大金を持つて通りを歩くんぢやあないと、僕は嘗て君に忠告したぢやあないか。其れに從はないと云ふ事は、其の金を僕に呉れると云ふ事なのだらう? 其れでは有難く頂戴しようぢやあないか」

「ふざけんじゃねー! この金はオマエにゃ渡さねーぞ!!」

 ゲンはポケットからナイフを取り出し、油断なく身構えた。金田の家を出てすぐ、護身用に購入したのだ。完二から恵んでもらった金がまだ若干残っていたため、資金には困らなかった。


「止めておき給へ。君ぢやあ僕に勝てない。無駄な抵抗はしない方が好い」

「うるせー! オレの前から消えやがれ!」

 ゲンはナイフの刃を一気に伸ばした。切っ先が一瞬で怪盗乱麻に届く。だが、届いただけで当たることはなかった。怪盗乱麻は軽やかな動きで身をかわしていた。

 ゲンはなおも攻めるが、やはり当たることはなかった。ゲンの攻撃速度を上回る速さで、怪盗乱麻は動いていた。


「成る程。只の馬の骨かと思つてゐたが、君も中々やるぢやあないか。でも、其の程度ぢやあ駄目だ。僕には勝てない!」

 言い終わったと同時に、怪盗乱麻の姿が消えた。次の瞬間、ゲンは前に大きく跳んでいた。背後に人の気配を感じた。何かが空を切る音もかすかに聞こえた。

 振り向きながら着地する。怪盗乱麻が向かってきているのが見えた。その手で何かが光っている。短剣を握っているのだとすぐにわかった。


 怪盗乱麻の剣戟を、ゲンはナイフで受け止めた。続く攻撃も受け流す。すかさず反撃を試みたが、怪盗乱麻に迎撃された。

 そこから、両者は激しい鍔迫り合いに突入した。お互いに一歩も引かず、何度も何度も刃をぶつけ合う。

 怪盗乱麻は想像以上に手強かった。その攻撃は速く、一撃一撃が短剣とは思えないほど重かった。剣の腕はゲンと互角か、あるいはそれ以上かもしれない。昼間は龍之介と激しい殴り合いを演じていた。肉弾戦しかできないわけではないようだ。



「僕は君を見くびつてゐたやうだ。慥かに君は強い。だが……、僕はもつと強い!」

 次の瞬間、怪盗乱麻の体から眩い光が放たれた。その光に両目を射抜かれ、ゲンは視界を奪われた。ほんの一瞬、動きが止まる。

「うっ……!」

 腹に激痛が走り、思わずナイフを取り落とす。攻撃を受けたのだとすぐにわかった。だが、刺されたわけではなさそうだ。打撃だ。おそらく殴られたのだろう。

 

 ゲンは喉の奥から気持ち悪いものが込み上げてくるのを感じ、激しく咳き込んだ。と同時に、視界が戻る。その直後、口から何かが転がり落ちたのが見えた。紫色をした球体だ。それが何なのか、ゲンにはすぐにわかった。

「ちくしょー、世界樹の実が……!」

 足元に転がる実を呆然と見つめながら、ゲンは悔しそうに唇を噛んだ。


 世界樹の実。食べた者にさまざまな能力をランダムに付与する木の実だ。ゲンもこの実を食べたことによって、圧倒的な剣術と剣技、それを扱うに見合うだけの身体能力を手に入れた。そのおかげで、帝国での激闘をくぐり抜け、皇帝ジュリアスを倒せたことは記憶に新しい。

 食べた実が消化されることはなく、体内にとどまり能力を供給し続ける。つまり、吐き出せば力は失われてしまうのだ。さらに、実を食べられるのは一人一個、一回限定という制限もある。ゲンはもう世界樹の実を食べることはできない。新たな能力を得ることもできず、完全に無力化されてしまった。これではもう戦うことはできない。


 ゲンが失ったものはあまりにも大きかった。その一方で、もし得られたものがあるとすれば、支配からの解放だけだろう。近い将来、もし魔王が復活したとしても、心を支配されてその手下にされる心配はなくなったという一点に尽きる。

 世界樹の実に宿っているのは、かつて神々に戦いを挑んで散った魔王デスドロアの力の一部だ。魔王は復活を目論んでいる。力を欲する人間たちは争うように実を食べ、潜在的に魔王に支配される。そして、デスドロアが甦ったと同時に、一斉に心を操られて傀儡と化すのだ。だが、実を吐き出したことにより、ゲンはその対象から外れた。仲間たちと敵対することはなくなった。それが不幸中の幸いと言えるだろう。



「此れでわかつただらう? 君ぢやあ僕には勝てないと云ふ事が」

 怪盗乱麻はゲンに短剣を突き付け、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。手には小切手が握られていた。その色や模様は、さっきまでゲンのポケットに入っていたものと一致する。先ほどの攻撃に乗じて奪ったのだろうか。

「安心し給へ。僕は殺しには興味がない。金も手に入つた。其のまま大人しくして呉れれば、此れ以上君に危害は加へない」

「ちくしょー……」 

 ゲンは悔しそうに両手を上げた。降伏するしかなかった。戦闘能力を失った今、怪盗乱麻に対抗する術は残されていなかった。


「其れぢやあ、僕は此れで――」

 突然、怪盗乱麻は宙に浮いた。それと入れ替わるように地上に降り立ったのは、スーツがはち切れそうなほど筋骨隆々とした男だった。龍之介だ。

「……俺の目を欺きたいのなら、もっとまともな偽物を用意しろ。お前とは動きが違いすぎる。あれでは時間稼ぎにもならない」

 上空に浮かぶ宿敵を指差しながら、龍之介が言う。怪盗乱麻が実行したという替え玉作戦も、龍之介には通用しなかったようだ。

「流石は羅生門くん。矢張り替え玉ぢやあ駄目だつたか。其れならば、僕も全力で逃げるしかないやうだ。さあ、捕まへてみ給へ!」

 言い終わるが早いか、怪盗乱麻は身を翻して飛んで行った。その姿がどんどん小さくなっていく。


「龍之介! あの金を取り返してくれ! オナシャス!」

 ゲンは泣きそうな声で叫んだ。

「言われなくてもそのつもりだ。奴は必ず俺がこの手で捕まえる。待っていてくれ」

 龍之介の体が宙に浮いたかと思うと、怪盗乱麻を猛スピードで追いかけ始めた。あっという間に小さな点になり、やがて消えた。

 刑事の姿が見えなくなっても、ゲンは呆然と空を見つめて続けていた。

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