10 最初の町
「マーケスの町? そんな町あったか? 記憶にねーな」
立て札を見ながら、ゲンは首をかしげた。マーケスの町と書かれている。その名を持つ町は、ゲンの知る限りどの作品にも出てこない。
「しかし、どー見ても寄せ集め感半端ねーよな。いろんな作品から素材を持ってきて、適当につなぎ合わせてるだけのよーな希ガス」
寄せ集め。まさにその言葉がぴったりだ。通りに並ぶ家々も、往来する人々も、さまざまな作品から寄せ集められたかのごとく、多種多様だった。
土で作った家、木造の家、石でできた家、レンガ造りの家、鉄筋コンクリートの家、移動式のテントのような家など、多くの家が建ち並んでいる。通常ではまず目にすることのないそのちぐはぐさが、逆に新鮮に映る。
肌の色も髪の色も違う人々が、和装、洋装、正装、民族衣装、制服、軍服など、思い思いの衣装を身にまとっている。言語だけは全員共通で、通行人たちの会話はすべて聞き取れた。主人公たちが理解できない異国語を話す者は、ゲンの小説には全く出てこない。
「この町にも霧がかかっているわね」
ミトが町の奥を指差す。濃い霧が立ち込めていて、その奥に何があるかは全く見えない。
「さっきと同じじゃねーか。今回もフラグを立てりゃ霧は消えるはずだ。何か起こるかもしれねーし、とりあえず町のこっち側を探索してみるしかねーな」
ゲンたちは歩き出した。
「おっ、あそこにあるの、本屋じゃねーか?」
見開きの本を模したような看板が掲げられた建物がある。ゲンが住む世界のコンビニエンスストアによく似た建物だ。近づくと、看板にマーケスブックセンターと書かれてあるのが見えた。
「ちょっと寄ってみっか……。オマエら、多少は金持ってんだろ?」
ゲンの問いかけに、3人は小さく頷いた。
「この風景、なんかすげーなついな……」
店に入るなりゲンが呟く。出入口の自動ドア、その脇にある防犯ゲート、明るい店内に流れる軽快な音楽、見やすく陳列された数多くの書籍、あちこちで立ち読みに興じている客。一瞬、ゲンはまるで自分が元いた世界の本屋に入ったかのような錯覚に陥った。
「あら、かわいい服ね」
ミトは積まれていた雑誌を手に取ると、パラパラとページを繰り始めた。ファッション関係の雑誌だ。掲載されたモデルの衣装や髪型を食い入るように見つめている。
ミトは戦いに次ぐ戦いの連続で、おしゃれを楽しむ暇など全くなかった。年頃の少女が好むようなかわいらしい服を着なくなって久しい。戦いの邪魔になるからと、長い髪もバッサリと切った。ミトが夢中になって読むのも無理はない。
「ほう、余の探し求めていた書物はここにあったか……」
忠二が何かを見つけて棚に駆け寄った。薄笑いを浮かべながら、黒い表紙の分厚い本を読み始めた。古今東西の悪魔について詳細に解説した本だ。
「フッ、全身に雷をまとった悪魔とは面白い……。一度手合わせ願いたいものだ……」
「フン、腕が8本か……。多ければいいというわけではないことを教えてやらねばな……」
「ほう、余の他にも魔界の貴公子と称される者がいたか……。目障りだな……」
忠二は痛すぎる呟きを連発しながら、嬉しそうにページをめくっている。
「ユーシアは何か読まねーのか?」
本に興味を示さないユーシアに、ゲンが声をかけた。武器の図鑑を手に取ってパラパラとページをめくった以外は、ずっとゲンの後ろを歩いているだけだ。
「俺が本を嫌いなのは知ってるだろ? 俺は体を動かすほうがいいんだ」
ユーシアが目指す勇者には魔法の素養も求められるため、魔法職でもある程度の経験を積む必要がある。原作では魔法書を読むことで魔法を覚えていく設定だが、それがユーシアには苦痛で、転職を躊躇する理由にもなっている。
「……しかし、どこ探してもねーな。どこにあるんだ?」
「Hなやつか? さっき前を通った時にチラチラ横目で見てただろ。別に遠慮しなくていいんだぞ?」
「んなわけねーだろ。オレが探してんのは地図だ、地図。この世界がどーゆー形をしてんのか、どこにどんな町があんのか、何かわかるかもしれねーと思ってな」
「地図か、そういえばどこにもなかったな」
「地図なんてものはこの世界にはありませんぞ」
近くで雑誌を読んでいた初老の男性が話しかけてきた。黒い髪には白い毛が混じり、貫頭衣のような灰色の服を着ている。
男性によると、この世界にはまだ謎に包まれている場所が多いという。あちこちに立ち込める濃い霧の影響もあり、全貌は明らかにされていない。世界の果てを調べに行った者は誰一人として帰ってきておらず、それが世界地図の完成をさらに困難にしているようだ。
「そーか、地図はねーのか。そりゃ残念だ――、おっ」
ゲンの視線の先には、たくさんの文庫本が並んでいた。
「こっちの世界にもラノベってあるんだな」
そこにあったのはライトノベルだ。『戦士3人と旅をしている魔法使いのあたしがパーティーの前衛を任されている件』『神様、あと何回転生したら僕はあの子のパンティになれますか?』『敵をワンパンしたくて攻撃力に全振りしたけど後悔しかない』『追放してくれてありがとう。今はハーレムパーティーで楽しくやっています』『異世界に転生したら強くなりすぎたので舐めプしてみた』『無双夢想~ぼくのかんがえたさいきょうのゆうしゃ~』など、インパクトのあるタイトルが並んでいる。かわいらしいヒロインらしき少女のイラストが表紙を飾っている作品も多い。
ゲンはライトノベル以外の小説は読まない。向かいの棚には推理小説や歴史小説、恋愛小説などが並んでいるが、見向きもしない。そのせいか、ゲンの書く小説もライトノベルに偏っていた。
「ん? ガクシア・シーガン? これってオマエの……?」
ライトノベルを物色していたゲンは、隣の棚に見覚えのある名前を発見した。
「兄貴の小説だな。俺は読んだことないが、なかなか面白いらしいぞ」
そこに並んでいたのは、『古代文明の遺産龍~パブリエ・パブリア~』という本だ。1巻から5巻まである。著者はガクシア・シーガン。ユーシアの実兄だ。
ユーシアは4人兄弟の次男だ。上から順に、ガクシア、ユーシア、ケンジア、ニンジア。それぞれの名は、冒険者の最上級職である学者、勇者、賢者、忍者にちなむ。
ガクシアもかつては冒険者で、学者を目指して旅をしていたが、戦闘での大ケガが原因で引退した。その後、冒険で得た豊富な知識と経験を活かして小説の執筆に取り組み、この本がデビュー作だという。全5巻。数々の賞を受けていることが、本の帯に記されている。
「……やべーな、これ。めちゃくちゃおもしれーじゃねーか」
ガクシア自身がモデルだと思われる考古学者が、仲間とともに世界中の古代遺跡に隠された謎に挑むという王道ストーリーだ。高い文章力もさることながら、人物や風景、心情の描写も巧みで、ゲンはすぐに引き込まれた。学者志願だっただけあって、膨大な知識に裏打ちされたモンスターやアイテムの解説も詳細かつ正確だ。ここまでの作品は、ゲンにはどうあがいても書けそうにない。
「ひらめいたぜ。この本を全巻買えば、オレもワナビを卒業できるじゃねーか。オレの世界に持って帰って、オレの名前で発表するだけの簡単なお仕事だ」
「いや、それはさすがにまずいだろ……。俺の兄貴の小説だぞ?」
「オレの世界じゃ誰もこの本を知らねーんだ。絶対にバレねーから問題ねーよ。それに、オレの生み出したキャラが書いた小説なんだから、つまりはオレが書いたも同然だ。オレの作品をどーしよーとオレの勝手だ。異論は認めねーぞ」
ゲンは本を5冊抱えてレジに向かった。
「3000ダイム? ダイムなんて聞いたことねーぞ」
会計は5冊で3000ダイムだった。その通貨単位には覚えがない。いろいろ思い出してみるが、どの作品にも出てこない。ユーシアたちに聞いても同じ答えだった。
ゲンの後ろにはミトと忠二が並んでいる。2人とも本を数冊ずつ抱えていた。さっき立ち読みしていた本もしっかりと含まれている。
「オレの作品を寄せ集めただけかと思ったら、この町の名前や金の単位みてーに、原作にねーもんも混じってる。どーゆーことだ?」
ゲンは不思議そうに呟いた。
「お客様、お会計は3000ダイムになります。お買い上げになりますか?」
レジ担当の眼鏡をかけた女性店員が話しかけてくる。
「ダイム以外での支払ってできねーの?」
レジ横の張り紙が目に入ったのは、そう尋ねた直後だ。「ダイムでの現金払以外一切不可」。癖のある丸っこい文字で書かれている。
「オレはこの世界の作者だぞ? ふざけ――」
別の張り紙に気づき、言葉が止まる。「神であろうと作者であろうと一切例外なし」。通常の店舗ではまず見かけることのない、かなり不自然な内容だ。神はともかく、作者という単語にその異様さが集約されていた。
「どう見ても無理です。本当にありがとうございました」
どれだけ粘っても時間の無駄だと悟り、ゲンたちは静かに書店を後にした。