1、流布
「青い空!白い雲ッ!!遥か眼下に広がる大地……ッ!世界は祝福に!満ちているぅううぅうう!!!!借金完済ーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!」
飛行船の甲板に立つのは、耳の長いエルフ族の特徴に貴族らしい白い肌、春の妖精のような桜色の髪を持つ美少女。大きな瞳に喜びを浮かべ、全力で叫ぶ言葉は彼女の長年の苦しみが終わった勝利宣言だった。
「あっはははー!もう一シリング(エルザードの法定通貨の通貨単位)だって借金がない!全部ないのよ!これからは全部、全部、自分で稼いだお金は自分で使えるんだからーーーー!!」
「あー、イルヤ子爵令嬢。正確には完済ではなく、王弟殿下、いえ、新国王陛下が君の家門の負債の全てを肩代わりしてくださったというわけだが」
喜びはしゃぐリル・イルヤが甲板から転がり落ちないようにと、ハラハラしながら見守っているのはケテル伯、シーフェニャだ。背の高いケテル伯が子爵令嬢を案じる様子は、姉が妹に振り回されているようにも見えた。
「はい!それはわかっています!国を出てイヴェッタ様に生涯お仕えすれば全ての借金チャラ!しかし、これはつまりイヴェッタ様をご主人様と見初めた私の功績で、実質私の努力が借金をチャラにしたってことですよ!」
「?そ、そう?そう、なのか?」
「そうです!」
ぐっと、リルは力説した。
貧しく借金まみれだろうと貴族の娘が国を出て人間種に仕えるなど、普通の令嬢は嫌がるだろうが、リルにとって「そんなことはどうでもいい」という判断。
人間種の寿命など長くても100年くらい。仕えるご主人様は18歳とのことだから、実際100年もない期間だ。お金の為にどこぞの家門に嫁いでエルフの長い一生分コキ使われるのとどちらがどちらかなど、考えるまでもない。
その上、新国王さまやブーゲリア公はリルがイヴェッタに誠心誠意お仕えすればリルの家族たちにも十分な見返りをくださると約束された。クソ親父はクタバレ、と常に思っていたけれど、悪意あって借金まみれにしたわけではない。人がよく愚かなばかりにどうしようもなくなった父だけれど、幸せになれる機会があるなら、なってほしいとそのように思うわけだった。
「で……君は、その仕えるべき主人を放っておいていいのか」
こほん、とケテル伯は咳ばらいをする。
「大丈夫です。ご主人様には分身体がついていますし、先ほどお茶とお菓子をお出ししましたからね。今はご自分のお部屋で読書をされているはずです。用があればこの紋章で呼んでくださいとお伝えしてありますし問題ないですよ」
ふふん、とリルは「あたしはデキる侍女」と胸を張る。
ケテル伯こそ、イヴェッタを放っておいていいのかとリルは思うが、護衛騎士として指名された彼女がそんな初歩的なミスを犯すとは思えない。何か理由があって側を離れているのだろうと見当づける。まさか自分の身が案じられイヴェッタが「はしゃいで落ちたりしないか見てあげてください」と頼んでいるとは想像もしない。
「この船って、その人間種の国のル、ル、ヴィタ?」
「ルイーダ」
「そうそう。ルイーダに向かってるんですよね。なんでもご主人様の国で流行り病が起きたとかで、それを解決しないと陛下と結婚しない、って言ったんでしたっけ?」
「直接的な話は聞いていないが、祖国の問題を解決したいと願ってのこの旅であるとは知らされている」
騎士として知るべき情報を知っていれば十分だと、そっけないケテル伯の言葉に、リルは顔を歪めた。
ご主人様。イヴェッタ。あの人間種の娘は、お人好しというか、なんというのだろうか。物事の何もかもを、あまりに自分に置き換え過ぎている。
神の切り花だというから、なのだろうか。
世に問題や苦しみがあるのは当然なのに、イヴェッタは「解決すべきだ」とそのように考える。確かに、それは当然のことだけれど、当事者でもない者がなぜ、あえて関わろうとするのか。世の不幸や理不尽を許せない性質なのかとも思ったが、それにしては……。
「まぁ、あたしには関係ないんですけどね」
自分はたった80年ばかり、人間種にお仕えすればいい。寿命以外にも死因はあるから、実際はもっともっと短いだろう。エルフにとっては瞬く間に終わる付き合いだ。きちんとお仕えすればいい、それだけのこと。
リルは思考を切り上げ、下級貴族では一生搭乗することの叶わなかった飛行船を堪能しようと踵を返した。
*
「…………」
ルイーダ国第三王子ウィリアムは、黙々と読書を続けるイヴェッタを横目で眺め、居心地の悪い思いをしていた。
人間種の技術力では想像もしなかった空を飛ぶ船。いったい一度飛ばすだけでどれほどの魔力や資源を消費するのかウィリアムの頭脳でも想像するくらいしか出来ない高度な魔法道具を惜しげもなく与えられ、祖国へ戻れることとなった。
一週間ほどで着くという。地図で確認したルイーダ国とエルザードは、人間種の移動手段を用いれば一年以上かかる距離だった。
言うなればイヴェッタは、ルイーダから追放され、その後、エルザードという大国の王族に見初められ伴侶となる道を得たのだ。
エルフの国なら、神の切り花というイヴェッタの特性をどうにかしてくれるだろうことは、闘技場の一件で承知している。イヴェッタは自分の人生だけを考えるのなら、こうして飛行船に乗って、国に戻る必要などないのだ。
『帰ります』
しかしイヴェッタは、ウィリアムが国内の状況を告げると、素早くそう答えた。
国中の貴族子息子女が呪われ苦しんでいる。
イヴェッタが戻れば、何かしらの変化があるかもしれない。
(……マリエラのことは、告げられない。いや、言う必要などないだろう)
ウィリアムはマリエラがキファナ公爵令嬢であった事実をイヴェッタに教えなかった。実際、マリエラの正体と、国に蔓延る呪いは無関係だろう。イヴェッタはただ呪いを解いてさえくれれば、それでいい。その後はエルザードに戻って、そこであの不器用なエルフと結婚して、幸せになればいい。
「そ、それにしても……あの男、よく着いて行くと言い出さなかったな」
沈黙が続くのが、次第にウィリアムには耐えられなくなってきた。静かに本を読み続けるイヴェッタの横顔は、かつて学園で眺めた頃のよう。だがその髪は短くなり、顔付きも大人しい娘のものから、自分の意思をはっきりと持った女の顔になっている。
自分はイヴェッタのことを何一つ知らなかったのだな、とそのような実感に耐えられなくなり、会話をしようと試みると、イヴェッタは菫色の瞳に柔らかな光を宿した。
「散々仰っていましたよ」
「そ、そうだったのか」
「えぇ。ご自分が同行される方がどれほど利点があるか、出発の日の朝までそれはもう熱心に説明してくださいました」
その時のことを思い出しているのか、イヴェッタはコロコロと喉を震わせて笑う。
「よく大人しく引き下がったな……船を出さない、くらいの脅しはしてきただろう?」
「ウィリアム殿下、あの方はそんな事は言いませんよ」
不器用な方、とイヴェッタは溜息をつく。
「私が国に戻りたいと願ったのですもの。船を出さない、なんて言いません。邪魔をするとか、そういう言葉は、ギュスタヴィア様は一切おっしゃいませんでしたよ。ただただ、ご自分がいれば、役に立つと、そう言う言葉です。駄々をこねる事も、あの方はご存知ないのでしょう」
「……そ、そうか?」
イヴェッタもウィリアムも知らないが、イヴェッタを妃に迎えられないと世界を焼くと兄王を脅した男である。そういう手段を知らないわけではないだろうが、イヴェッタを困らせたくはないと、その心からだろう。
「……お前はいいのか?その、あの男が一緒に来なかったのは、いいのか」
「何故です?」
「……お前は、僕によって名誉を傷つけられて、不当に国を追われた。そのお前が、大国の……美しい男を連れて国に戻り、国の問題を解決したら……それは、気分が良いものじゃないか?」
「殿下は、わたくしが国の呪いを解けることを信じていらっしゃるのですね」
「話を逸らすな。僕が聞きたいのは、」
「わかっています。殿下」
イヴェッタは言葉を遮った。
「まず。呪いについて、わたくしは全く身に覚えがないのです。わたくしが神の切り花として、神に報復を願った覚えも、無意識にそのような災いを求めた覚えもない。それは、信じてくださいますか?」
「……」
ウィリアムは答えられなかった。
エルザードで、イヴェッタが茨に囲まれ竜となりかけたその有様を見ている。人とは違う生き物であることを承知してしまった。冥界の使者という兎の話、何もかもを知って、イヴェッタが国の呪いと無関係だとは、一切思えない。
元婚約者の沈黙をイヴェッタは非難しなかった。
お互い、歩み寄る必要性がありながらそれを一切せずに、理解することを諦めた学生時代。あまりに遠のいた距離は、ウィリアムの責任ではない。
「そもそも、殿下は“出ていけ”と、仰っただけで、実際に追放したわけではないじゃ、ありませんか」
大前提をイヴェッタは間違えない。
イヴェッタは「出ていけ」と言った言葉の意味を正しく理解していた。家で自粛し、王子からの言葉を待っている、あるいは懸命に謝罪すればよかったのだ。
出ていけと言われたからと、出ていってはいけない。わかっていて、イヴェッタは出て行った。
殿下が本当に追い出したかったわけではないとわかっているのに、出て行ったのだ。
「報復するつもりも、殿下を憎むことなどあり得ません。なので、ギュスタヴィア様を伴っては、いらない警戒心や誤解を生むでしょう」
「……ではなぜ国に戻るんだ?」
「放っておけますか?」
ウィリアムの疑惑こそが、イヴェッタには疑問だった。
単純な話だ。
国で問題が起きている。
困っている人たちがいて、それは自分の同級生たちだ。
何を出来るか確信がなくとも、何か出来るならと、思うのは当然のことではないのか。
ギュスタヴィアは治療や聖なる魔法に長けたエルフの魔術師たちを数人同行させてくれた。薬師、治療師、様々な、人間種の理解を越えた知恵を持つ方々をルイーダに連れていけることだけでも、イヴェッタは自分が戻る価値があるとそう考えている。
「……僕は、」
何か言いかけたウィリアムの言葉は、最後まで続かなかった。
「!?」
突然の、衝撃。
船体が大きく揺れ、調度品が動く。
「ご主人様!」
素早くリルの分身体がイヴェッタを庇うように覆い被さる。調度品が激しく動いてぶつかってくるのを警戒したのだが、衝撃は一度きりで、あとは高度な防御魔法が発動し、船体の揺れを防いだ。
「……な、なんでしょう!?ご主人様、怪我とかないですか!?――あっ」
「リルさん?」
「……本体が」
言ったきり、リルの分身体が泡になって消えた。
甲板にいるはずの本体に何かあったのか。ウィリアムとイヴェッタは顔を見合わせ、部屋を飛び出す。
「妃殿下!」
「ケテル伯!状況は!?」
廊下に出ると直ぐにケテル伯がイヴェッタに近付いて来た。女騎士はイヴェッタの手を掴み、甲板の方へ誘導する。
「護衛騎士が三人やられました。魔術師たちも交戦中ですが、いつまでもつか。お早くお逃げください」
「茶番はいいです、あなた誰です?」
剣を振るに問題のない、屋外に出た。
前を行くケテル伯、の姿をした女騎士にイヴェッタは剣を突きつける。
「ケテル伯は常に最善の状況を取る方ですが、わたくしはリルさんをお願いしました。この場に、リルさんを寄越し、ご自分は甲板で戦う選択こそ、彼女らしいもの。貴方は誰です」
状況が不明な中、長々と茶番に付き合う暇はないとイヴェッタは剣を振る。相手が何者かわからないので、首は狙わず両足と腕を貰う、という攻撃は、肌に触れたのに弾かれた。
「おぉ!やはり、良いな!頭の悪い女もいいが、自分が賢いと思っている女も良い!イル・ギンが入れ込む女というからどんな女か楽しみにしていたんだ!よし、お前のことが欲しくなってきたぞ!」
イヴェッタの腕を掴む手は、女の細い手から、逞しい男の浅黒い腕になった。ミシミシと骨が軋むほどに強く掴むその人物は、海のように青い瞳をギラギラと輝かせ、太陽のように眩しい笑顔を浮かべる。
短い髪は黄金。ウィリアムの髪も金だが、こちらはまさに、黄金そのもので作られたのではないかと思うほど眩い。
「おぉ!憤怒の竜の美しい雛よ!お前を奪う男の名を教えてやろう!俺の名はジャン・ジャック・ゴルドー!太陽神ポロニウスの命によりお前を殺しにきたが!何!俺の欲深さはあいつもよく知っているからな!俺のものになるのなら他の竜からお前を守ってやろう!!」
「剣よ、私の血を受けろ」
偉そうにのたまう大男が気持ちよく喋り続けるのを、イヴェッタは黙って聞いているつもりはなかった。守護精霊に竜の力を与え、男の腕を切り落とし距離を取る。ボドリ、と落ちた腕は黄金の塊になる。
「気が強いな!気に入った!」
「お気に召して頂けて何よりです。ではわたくしの愛らしさに免じて一つお答え頂けませんか。貴方は竜、で間違いはない、と?」
問いながら、イヴェッタは「そうだ」という確信があった。自身より、いや、ギュスタヴィアと同等程の力を相手から感じる。ルゴの街で見た黒い竜とは異なる気配だが、切り花として、竜が感知出来ているのかもしれない。
イヴェッタの問いに、男はニヤッと笑った。
「わかっているのになぜ問う。それほど俺が恐ろしいか?はは!良いぞ!気の強い女が、精一杯虚勢を張る姿は愛いぞ!泣かせたくなる!」
男が大きく叫ぶと、雷が船に落ちた。
「……!」
「おぉ!どうした同胞!意外か?そうだろうな!雷はこれまで、お前にとって守り手の一撃以外に成り得なかった!神に愛された者は、お前だけではないからな!!」
神の雷は船に火をつけた。エルフの船員たちが消火活動や修繕を行っている。イヴェッタの身を守ろうと飛び出そうとする騎士や魔術師を、イヴェッタは目で制した。相手の気配から、エルフたちも男が竜であることに気付き、動揺している。
「なぜ、人の形に……?」
「竜となった切り花は、二度と人の形には戻れぬはず……」
呟く疑問は、イヴェッタも同じだった。相手の男は、部分的に竜の形をしてはいるが、基本的には人型だ。その部分的な竜の特徴も、男が望めば消して完全に人間種の姿になれるのだと態度で言っている。
「ははは!そうだ!そうだったんだ!こればかりはどうしようもなく、強欲の末に竜になり、あとは滅びるか世界を焼くまで狂い続けるだけだった俺だがな!同胞よ!お前が神に唾吐いた!繭になっておきながら、竜にならなかった反逆者!お前が生きていては竜が揃わない!」
「……つまり、わたくしを殺すために一時的に、人の姿に戻して頂いた、と」
軍神ガレスや過激な神の考えそうな手段である。
竜の姿のままでは発狂しているので、知性のある人間の形にした、とそういうことか。
「何十年ぶりだ!世界はすっかり変わったのか、俺の知らないものがあるのか、知りたいことは多くある!あっさりお前を殺してはもったいないな!」
「強欲を謳いながら、神に与えられるものだけ手に入れてるだけだなんて……随分可愛らしいのですね。切り花ですもの、仕方ありませんね」
にっこりと、イヴェッタは微笑んだ。何発も雷を落とされては叶わない。お喋りは船員たちの避難の時間稼ぎに使えればいい。ウィリアムを逃がしたいが、ウィリアムはどうしたらいいかわからない顏で、イヴェッタの後ろに立っていた。
「神とは偉大なもの、絶対的な存在だ。神から下賜されることは光栄なことと、わからないか」
強欲の竜は青い瞳に、狂信的な光を浮かべた。
強い信仰心の果てに成った竜は、イヴェッタの言葉などで揺らがない。
この窮地、どうするべきか。
まさか襲ってくる竜がいるなど、想定外である。さすがにギュスタヴィアもこの可能性は考えていなかっただろうが、出発前まで散々言っていた『私より強い者が現れたらどうするのです』という言葉を今更ながらに思い出す。
イヴェッタは微笑み、再び剣を構えた。
と、同時に、轟くのは竜の咆哮。
「……あれは」
徐々に高度を下げて行く飛行船に接近してきたのは、黒い竜だった。
4月8日書籍版発売まであと少し~(/・ω・)/
Amazonさんの販売画面で口絵とかキャラ紹介が見れますよ!ギュっさんが戦闘帝じゃなくて戦闘狂で紹介されてますよ!
エルザードの飛行船:魔女宅のトンボくんが紐なしバンジーさせられたやつじゃなくて、グラブルのグランサイファーみたいな感じのやつ。





