38、一応クラッカーも用意していました
「いえいえ、そんな。そんなことは、ありません」
即座に、私は否定の言葉を口にした。
眠り姫の毒。愛し愛される互いでなければ、口づけは毒となって眠る者を殺してしまう。
世界の為に。人間種の為に。ウィリアム殿下の為に、私が死のうとしていると、そのようにギュスタヴィア様はお考えになられて、そして、ご自身が私を最も愛しているという自信のないあの方は、私を殺す覚悟を迫られているとそのように追い詰められているのだ。
だから、私がなんとかしないと。
そう思って、頼ったのは冥王様。
だというのに冥王様は、そもそもそんな結末にはならないと、前提から間違っていて、私やギュスタヴィア様が「問題だ」と思う事は、問題ですらないのだと、そのようにおっしゃられる。
「なぜそなたが否定するのかわからないが……」
ふむ、と冥王様は私の頭にご自分の顎を乗せる。このまま話されるとは器用なことだ。
「そもそも、そなたの事。死ぬことの何の都合が悪いのか」
「……」
「そなたはそうだ。そなたなら、そうだろう。此度の事なら仕方ない。あの人間種の王子、幼い頃のそなたが何よりもと望み守り続けたあの王子の為に祈り、死ぬのなら仕方がないと、そなたは納得した筈だ。父母の思いより優先すべきと、その結果は了承済みだ。ただの問題としては竜となり世界を焼く事を、ギュスタヴィアが止めるかと、その一点。自身の生死は問わぬだろう」
淡々と語られる言葉。私は顔を歪め、目を伏せた。
「わたくしのことを、よくご存知ですのね」
「私ほどそなたの心を考える者はおらぬだろう。そなたが何を望み、何を憂うのか。そなたが生まれてからずっと、そればかり考えている」
はぁ、と、冥王様の溜息。
「だというのに、そなたの心はよくわからぬ。そなたの周りに蠢く悪意が、そなたの学友どもやつまらぬ村の者どもを害そうと、死なぬようにはしている。が、何がそなたにとっての正解なのか」
私は玉座の間を眺めた。照らすのは仄暗い青白い蝋燭の炎。本来寂しい場所だったのだろうとわかる内装。
それが今は、明らかに場にそぐわない赤や桃色の派手な色のリボンやテープがあちこちに飾られ、天井には割られるのを待つ大きなくす玉さえある。入り口に垂れ下がっているのは「祝・冥界入り」という大きな文字の垂れ幕に、部屋の隅にはなぜか大きな樫の木と、その下に積み上げられた贈り物の山。白いテーブルクロスの敷かれた長いテーブルの上には料理こそ乗っていないが、銀のお盆や食器がセッティングされていた。
(……私が死んだら、きっとここで楽しく過ごせるのね)
竜にならないで殺されても、冥王様は受け入れてくださるような気がした。いや、そもそも、私が神に祈らないと決めた時も、冥王様は沈黙されていた。代わりに来たのが軍神ガレス様。そのガレス様からの追及も、冥王様は払い除けられた。
「が、今のそなたは問題視している。ギュスタヴィアがそなたを殺めることを「あってはならぬ」と、そのように問題視して、この父に「そうはならないように」と求めに来た。なぜ厭う?あってはならぬのは自身の死、ではなかろう。ギュスタヴィアが苦しむことだ」
「……」
ひょいっと、冥王様は手を伸ばし軽く振った。目の前に大きな鏡が現れて、映し出されるのは現世の光景。ガラスの棺の前で、苦悩するギュスタヴィア様。
私は冥王様の膝から飛び降りて、鏡に両手を付け見つめる。
「ギュスタヴィア様」
また、辛そうな顔をされている。
私が殺されることを望んでいるなどと勘違いされているのだ。それを望まれた事をどう感じていらっしゃるのか。そうしなければならないと、責任や覚悟を持とうとされているのか。
いつもそうだ。
ギュスタヴィア様は、私になんでもしてくださる。ご自分の何もかもを、差し出してくださる。
……父も、母も、ダーウェも、ゼルも、そこまではしてくれなかった。大切なものがあって、一番に優先はできなかった。父母は私とともに国から出てくれることはなく、領民の生活、家臣たちの人生の何もかもの責任を持ち続けた。素晴らしい選択だ。私もそれを望んではいない。当然だ。
ダーウェとゼルにとっても、自分は一番ではない。当然だ。まだ出会ったばかりだもの。
神々が私を優先してくださったのは、私が神々の願いを叶える竜になるからだ。
ルイーダ国の国王陛下が私を大切にしてくださったのは、私が国益となる神の切り花だったからだ。
大切にされる理由があって、そして、一番にはならない。一番大切なもののために、私を愛することはあっても、私はそれではなく、何もかもの対価になど成り得ない。
なのに、ギュスタヴィア様はいつも、私のために投げ出される。
(もう、わたくしを愛しているフリなどしなくてもよろしいのですよ)
打算や利があったはず。化け物性を押し込めるための演技だったはず。私は都合の良い存在だったはずで、ギュスタヴィア様にとっても、一番ではなかったはずだ。ギュスタヴィア様の一番は兄君だったはずだ。
なのに、私はギュスタヴィア様が私を殺してしまえば苦しむとわかっていて、そして、それが嫌だった。
「……わたくしは」
鏡に映るギュスタヴィア様を見つめながら、私は口を開いた。
「よく、わかりません。愛されることは得意だし、愛するのも。だけど、恋はきっと違うのですね。よく、わからないけれど」
嫌だ、と、そう思う。
「ギュスタヴィア様が、辛い思いをするのが、嫌です。あの方はずっと、ご自分の心を殺されて他人の為に生きて来られた。それが嫌です。ギュスタヴィア様がそうと決めてきた事だとしても、嫌です。私は、あの方に楽しい事だけ、起きてくれればいいとそう、願っています」
そして、できればその時に、自分も一緒にいられたらと。
あまりにも、身勝手に。
「そなたの望みであれば、そのように」
私の言葉が終わると同時に、冥王様が玉座から立ち上がった。スッと伸ばされた手が動き、私の視界が暗くなる、一瞬。
「……」
目を開ければ、そこにはギュスタヴィア様の相変わらず美しいお顔。泣きだしそうなお顔になられていても、お綺麗でいらっしゃる。私が目を開けた事に驚き見開かれる金の瞳。
私は両手を伸ばし、ギュスタヴィア様に口づけた。
「自力で起きましたが、目覚めの口付けは必要だと思います」
軽く触れるだけの口付けの後に、それだけ言って微笑むと今度はギュスタヴィア様が私を抱きしめた。あまりに力が強くて、骨が軋む音がする。
てっきり笑ってくださると思ったのに、どうして泣いてしまわれるのか。
震える大きな体をゆっくりと擦り、私は目を伏せた。





