32、探し物は何ですか
「もう、ウィル?どうしたの?」
ぎゅうっと、マリエラは胸に押し付けるようにウィリアムの腕を抱き、きょとん、とした顔で見上げてくる。愛らしい無邪気で、そして健気な少女の顔。ウィリアムの心の中に愛しさと懐かしさが湧き上がってきた。
肌に感じる気候から、今は春の時期。自分は最高学年である三年生になり、マリエラとは同じクラスになった。
「……いや、なんでもないんだ。マリエラ」
「そう?何か悩みがあるならいつでも言ってね?あたしはウィルの味方なんだから。うぅん、あたしだけじゃないわ。グリムもカティスもランドルもよ?ウィルは一人じゃないんだから」
にこりとマリエラが微笑んだ。ウィリアムは夢の中とはいえ、彼女がこの頃自分に向けてくれる眼差しや愛情に再び触れる事が出来て、心が華やいだ。マリエラはいつも、ウィリアムの一挙一動を気にかけてくれた。そしてその時最適な言葉や対応をしてくれた。これまでウィリアムはここまで自分に関心を持たれたことがなく、マリエラの気遣いはウィリアムに男としての自信を与えてくれたのだった。
(……僕は、今でも君を)
「ウィル?ねぇ、やっぱりどこか変だわ。本当に、どうしたの?」
黙ったままのウィリアムをマリエラが心配そうに見つめる。この頃の、いつも通りのウィリアムであればマリエラの言葉に喜び彼女を抱きしめたり、口づけしたりしたのだったか。
……冷静になると、学園内で婚約者でもない女子生徒相手に、自分は何をしていたのだろう。
「ウィル?」
「……いや、なんでもない」
「……」
再びウィリアムはマリエラの問いに首を振った。それをじぃっと、大きな瞳で見つめるマリエラが何を考えているのか、ウィリアムには今でもわからない。
「……ねぇ、ウィル。あたしね、いま少し……困っていることがあるのよ」
「何かあったのか?」
「……ほら、あたしは……今は男爵家の養女に迎えられたけど、元々は平民でしょう?それを、あんまりよく思ってない御令嬢の方がいらっしゃるみたい」
正確には元平民でなく、君は公爵令嬢。それも王家より財力があると言われたキファナ公爵家の御令嬢だったな、などとは、ウィリアムは夢の中でもマリエラに言ってやることが出来ない。そんな事を言えば彼女はどんな顔をするだろうか?
……マリエラは、僕を、王家を憎んでいる。それは、マリエラの家族を助けなかったからだ。
ウィリアムにはマリエラの王家に対する敵意は正当なもののように思えた。その為に自分に近付き、欺いていたとしても、ウィリアムはマリエラを憎めない。
「誰だ?その心の醜い女は」
「……」
この頃、そんな相談をされただろうか?覚えがなかった。夢の中。それもイヴェッタの夢の中の世界だ。実際の事とは違う事があって当たり前だが、ウィリアムはイヴェッタの記憶の中なのにマリエラがいて、自分にこんなに近しい位置にいることに戸惑いがあった。
これは本当に、夢の中なのだろうか?
「誰かは、わからないの。でも、ウィルや生徒会のメンバーがいない所で……女子生徒だけの集まりがあった時や、休み時間に、ちょっとした嫌がらせを受けるの」
この会話には覚えがあった。いつも笑顔を向けて来てくれるマリエラが沈んだ顔をしていて、どうしたのかと聞くと、このような話を打ち明けられた。
その時の自分は激高して、王子である自分が心から愛している存在に無礼を働く者がいるのかと、そしてマリエラを傷付けるものを自分が罰してやることが出来る、マリエラが頼ってくれた、という優越感に浸っていた覚えがある。
(……いやいや、馬鹿なのか、当時の僕は)
マリエラ・メイは確かに元平民という表向きの顔を、この当時の自分や周囲は信じていた。けれど、よくよく思い返してみれば、この最終学年、三年生。マリエラが入学して二年経っている。何を今更「元平民」だと「嫌がらせ」をする御令嬢がいるのだ。
最初のころこそ、あるにはあった。しかし、ウィリアムは思い返してみる。マリエラは才女だった。努力家であることは実際疑いようのない事で、成績は常にトップクラス。それであるので成績順に分けられるクラスでウィリアムと同じクラスになったのだ。
元平民。元平民だというのに、優秀な成績を二年間残し続け、更には王族である自分や将来国の中心部で働く有力な貴族の子息らとも生徒会で交友のあるマリエラに、今更嫌がらせなどする令嬢がいるものか。貴族の令嬢はそこまで暇ではなく、卒業後の自身の地位を固めるための交流、自分にとってプラスになる事を行う時間はどれほどあっても足りないものだ。
そんな自分の将来のための行動を後回しにしてまで、「元平民」を害する方が重要だと判断する者がいるのか。我が国の貴族令嬢はそこまで頭が悪い、とマリエラは言っているのか。
……いや、当時のウィリアムとて、この思考を持たなかったわけではない。だが、この当時のウィリアムは、マリエラが実際に今も嫌がらせを受けているとそれを信じた。
なぜなら。
「……もしかしたら、イヴ。あっ、もう、イヴって呼んだら怒られちゃうよね。スピア伯爵令嬢かも」
マリエラは、自分に近付いた当初『自分はイヴェッタの親友だ』と、そう言ってきたのだ。
「……あたしがウィルと仲良くしたから、イヴ、スピア伯爵令嬢は怒って、絶交して、もうあたしのこと知らない人間みたいに扱うけど……きっとまだ怒ってるのよ」
入学当初、ウィリアムはどうしてイヴェッタが自分に挨拶をしてきてくれないのか不思議だった。学園内ではやっと、会う事が許され交流が始まると期待していたのに、イヴェッタは一向にウィリアムを訪ねてこなかった。ウィリアムがいる場所は誰かに尋ねればすぐにわかる。もしや、自分が想像と違ったから会いたくないのだろうかと不安に思うウィリアムの前に、ある日、マリエラが現れた。
イヴ、と、彼女が昔こっそり教えてくれた『親しいひとに呼んでほしい名前』で呼ぶマリエラ・メイをウィリアムは信じた。
*
「そんなわけないだろう。馬鹿か僕は」
生徒会室に連れて行こうとするマリエラをなんとか断って、ウィリアムは校舎裏に逃げ込んだ。段々と生徒会室に近付くにつれて、妙な予感がしたのだ。
ここは夢の世界。
……自分も、ウィリアムも、「いる」のではないか?そんな予感。生徒会室に人の気配と、笑い声がした。自分の声が、その中にあるような気がした。
ここで自分と遭遇してしまったらどうなるのだろう?
ウィリアムはこの世界から弾き飛ばされると、そう判断した。夢の終わり。全く進めなかった身は、茨の中に放り投げだされて、鋭い棘に刺されて息絶える。そんな気がした。
「おや、ここにいましたか。人間種の王子」
「……貴殿か。観光は楽しめたか?」
ずるずるとしゃがみ込むウィリアムの頭上にかかる声。ギュスタヴィアだ。ウィリアムの嫌味に、美しい顔の青年は黒い瞳を細めた。
「それなりに」
「そうか」
「この世界は“ルイーダ国”までのようですね。国の外に出ることはできませんでした」
「……この短時間でそこまで見て周ったのか?」
「この時代、私が埋まっているはずなので、自分で起こしてみたらどうなるのか試したかったのですが、出られないようなので諦めます」
「……自分に会ったら夢から覚めるんじゃないか?」
「夢の中の自分に“これは自分だ”と認識されたら、そうなるでしょうね」
自分がここにいるのに、そこにいるはずがない、とそう認識されれば、夢が終わる。それは当然だとギュスタヴィアも頷く。けれど、そうでなければ問題はないと言った。
「今の私は耳の短い、どう見てもエルフにも鬼にも見えないただの顔の良い人間種の青年です」
「……」
「おや、お疲れですか」
「……恋人に会った」
「おや、それはそれは。羨ましいですね」
ギュスタヴィアは面白そうな顔をした。イヴェッタから、ある程度聞いているのだろうか。
「私は会えませんでしたよ」
「……?国から出られないのだから当然だろう?」
ウィリアムは顔を上げる。そして、眉を顰めた。
「……そんなはずはない」
「なぜです?」
「いるはずだ」
「国中見て周りました」
「……そんなはずはない」
佇むギュスタヴィアの口元は笑みの形。ウィリアムの狼狽を見て笑っているのではなく、この男は既に答えを理解しているからと、その余裕。ウィリアムは否定したかった。
「ここには僕も、マリエラも……生徒会のメンバーもいる。その辺にいる生徒だって、親しい者ではないが、それでも、この頃この場所にいた者は、きっと問題なく全員、この世界に存在している。必要だからだ。配役として、必要な存在は、環境は全て正確に存在している」
その確信がウィリアムにはあった。完璧な舞台。スポットライトを当てられていなくても、その「時間」のために必要な何もかもは省略されることなく存在すべきだった。
なのに、そんな馬鹿な事があるものか。
「えぇ、ですが、いませんでした」
ギュスタヴィアは繰り返す。
「この夢の世界に、イヴェッタはいません」
姿かたちがどこにもない。国中を見て探してもいなかった。ギュスタヴィアは断言する。それもそれ、何も、おかしな話ではない。
「誰かに認識されて初めて、“他人”と“自分”という檻が出来るもの。この学び舎で、イヴェッタを認識し、意識し、彼女を一人の自我のある存在であると証明できる者は、どうやらいないようですね」
あるいはイヴェッタ自身が、自分をそう判じたのか。それはギュスタヴィアにもわからない。しかし、この夢の世界にいびつさはなく、ほころびもない。完全に、完璧な再現。世界が世界として成立している。イヴェッタはいなくても問題がない。
「しかし、これはどうもおかしな話。あなたの言葉通り、イヴェッタがあなたに好意を持っているというのなら、あなたを見つめるイヴェッタがいるかとも思いますが……いませんね」
「……」
「そしてあなたも、彼女が婚約者だと思っていたのなら、少しくらい彼女の痕跡がありそうなものですが……ありませんね」
ウィリアムは奥歯を噛み締めた。
この学園で、いや、学園の生徒たちがイヴェッタを「存在している、自分たちと同じ人間だ」と認識できるようなことがあるとすれば、それはただ一つ。
あの婚約破棄を突き付けたパーティーだ。
あの時、あの出来事でやっとイヴェッタはこの学園の生徒たちから認識された。たとえば、物語、舞台であるのなら、ウィリアムがイヴェッタを男子生徒たちに押さえつけさせ、大勢の前で断罪した。その瞬間、彼女はイヴェッタ・シェイク・スピアとして、読み手の中で「へぇ、これが、この物語の登場人物なのか」と理解し、認識されるように。
……この夢の世界が進めば、いずれ、婚約破棄の瞬間になれば、イヴェッタは姿を現すのだろう。そして、その瞬間から、彼女の夢が進むのか。
ウィリアムはショックを受けた。
つまり、イヴェッタにとってこの夢の世界の「今」は、彼女にとって。舞台袖でじぃっと見ているだけ。自分が飛び出す瞬間、断罪されるその瞬間まで、ただ、状況が整うためだけの、何の意味もないものだと、そういうことなのか。
「…………僕にとっては、」
「どうしました」
「……僕にとっては、学園生活は……本当に、良い、思い出になった」
想像していたのとは違ったが、三年間本当に楽しかった。友人には恵まれ、成績を上げるための努力も楽しかったし、授業内容も充実していた。友人たちと、王室の身分を完全には忘れられないが、それでも、王宮にいるよりはかなり近い距離で接することが出来た。
毎日が楽しく、この三年間は自分にとって一生の宝だと、今でもそう思う。
それなのに。
「……イヴェッタは、あいつは……そうではなかったのか」
静かに暮らしていたとしても、学生生活は、楽しい思い出はなかったのか。
だとすれば、それは、どう考えても、僕の所為じゃないか?
「……貴殿は、容姿を変える魔法が使えるな?」
ウィリアムは立ち上がる。
「イヴェッタ!今も、見ているのか?!見ているんだったら……ちゃんと見てろよ!!」
問うギュスタヴィアを無視して、ウィリアムは天高く声を張り上げた。
「僕がお前になって、僕と卒業パーティーのダンスを踊ってやる!!」
まるで神に宣言する反徒のように。勇ましく言ったが、聞いていたギュスタヴィアが爆笑した。
「あははははっ、ははは!なぜ、どうしてそうなるのです!」
「こんな世界あってたまるか!学生生活だぞ!?人生で、一度っきりしかない十代後半の学生生活を、あんな最後のためだけに垂れ流すとか、ないだろう!」
「そうさせた張本人がよくもまぁ!」
それはそうだ。
「その上、これは夢の中。お忘れですか?現実でも、魔法で遡った過去でもありません。貴方が何をしたところで、何の意味もないことですよ」
「……わかってる。だが、夢の中でくらい、楽しい思い出になったって、いいじゃないか」
「あなたの自己満足の為に?」
「そうだ」
ウィリアムとてわかっている。自己満足。何の意味もないこと。その上、イヴェッタを三年間無視し続けた自分が、今更何を足掻こうと言うのか。
だが、ただ黙って、もう一年もない後の婚約破棄を待つのは、それはそれで、恥知らずな気がした。
頭を下げると、ギュスタヴィアが思案した。何を考えているのかわからない黒い目に黒い髪の、見かけは彫刻のように美しい男子生徒の風貌。その青年はややあって、承諾の言葉を吐いた。
副題:「王子の僕が、婚約破棄した婚約者の体になって、婚約破棄を回避する!」
がんばれ殿下(/・ω・)/
メモ:ルイーダ国・魔法学園”レグダ・ノリア”





