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31、忘れた頃に再登場です

注意:この話には動物が傷つけられる描写があります。


 闘技場の入り口の茨を薙ぎ払い、通路を塞ぐ茨を燃やして灰にし進むギュスタヴィアとウィリアム。道すがら、ギュスタヴィアはウィリアムに問われる通り「神の切り花」とその孵化のシステムについて語った。


 竜のこと。世界を滅ぼす七つの罪について。それを抑え込む人の美徳の楔について。少しの質問をはさみながら、ゆっくりとギュスタヴィアの話を飲み込んだウィリアムは、「一度は神々に背を背けながら、結局は、貴方一人を助けるために、彼女は再び神に縋ったのです」と、そう聞き終えた後に、ただ一言「そうか」とだけ呟いた。


「それだけですか?」

「色んな事が、最近、僕には「知らなかったのか?」と突きつけられる。だが、多分まだ足りないのだろう。まだ、もっとも多くの事を、僕は知っていなければならなかったのに知らずにいて、これからどんどん僕の前に投げ出されていく気がする。――僕はまだ、驚いたり、悔んだりするのはきっとまだ、早いんだ」


 そう言うウィリアムの言葉に、今度はギュスタヴィアが「そうですか」と答えてしまった。言ってから、ギュスタヴィアは自分がどうも、この人間種の矮小な男のことを気にしていると自覚した。イヴェッタの元婚約者、自分の知らない彼女を知っているから、というだけではない。


 レナージュと自分の間に入った時に、この人間種の王族が言った言葉こそ、ギュスタヴィアにとって、最も意味のある言葉であったからだ。


『誰だって、愛されたいと願うのは当然だろう?』


 あっさりと吐いた言葉ではなかった。あの時のウィリアムの横顔を見たギュスタヴィアは、この男が自分と同じ苦しみを抱えて生きて来た者だと理解した。顔を歪め、苦し気に、「愛されたことのない立場でい続ける者」にしかわからない痛みを堪えながら吐き出された言葉だった。


 だからこそ、ギュスタヴィアは驚いた。


 なのに、言えるのか。そう言えるのか。

 誰だって、愛されたいと願って当然だと、愛されたことのないウィリアムが言った。愛されないのは理由があると、諦めずにいていいのか。己のような生き物が願ってもいいのかと、そのように、ギュスタヴィアは「当然だ」と言われたからこそ、戸惑っていた。


 しかし、まぁ、それはそれとして、ウィリアムがイヴェッタに惚れられているというのは戯言であるが。


 途中、絡め取られているエルフたちを助けようと言い出したのはウィリアムで、嫌な顔をしたのはギュスタヴィアだった。


「貴殿の国の民だろう?」

「この闘技場にいる屑共はイヴェッタが魔獣に嬲られるのを観に来た者どもですよ。なぜ助ける必要が?彼女の養分となって少しは役に立つのなら、そのままにしておくべきではありませんか」

「養分になったら、イヴェッタは竜になるのだから駄目に決まっているだろう」

「駄目ですか?」

「……逆になんでいいと思うんだ?」

「闘技場に集まった程度のエルフを全員養分にしたところで成体になるには足りませんから」

 

 本来は神々の力を乞い「憤怒」の感情を引き金に身を焦がし、鱗で徐々に体を変質させ竜になるものを、体中の魔力が枯渇しギュスタヴィアの魔力でなんとか吹雪く事を先延ばしにしていた。それがエルフの数千人程度飲み込んだところで、どうだというのか。


 しかしウィリアムは「じゃあいいか」とはならなかった。魔法の炎で茨を焼いてエルフたちを助けようとする。


「あぁー!お待ちくださいませ、お待ちくださいませ!お止めくださいませ!困ります!困ります!勝手をされては困りますー!」

 

 と、そのウィリアムに待ったをかける声。


 真っ白いシャツに紺色のベスト、白いズボンに小さな靴まで履いた、二足歩行している兎である。


 可愛らしいな、とウィリアムは微笑ましく思ったが、ギュスタヴィアは足元をちょこまかするその小動物を蹴り飛ばした。

 

「また貴様か」

「お、おい!貴殿、こんな小さな生き物に何をする!!?」


 ウィリアムは派手に飛び茨に飲み込まれそうになった黒うさぎを抱きとめ、ギュスタヴィアを非難した。


 小さかろうがその一見人畜無害そうな小動物は冥王の使いである。懇ろに扱ってやる必要というのが一切ない。冷たく見下ろすギュスタヴィアの視線から隠すように、ウィリアムは兎を胸の中に強く抱いた。兎はうっとりと目を細めて喉と震わせた。


「あぁ、やはり。おやさしいお方。ビリーさま。お懐かしゅうございます。こうして再びお会いできましたこと、わたくしめは望外の喜びにございます」

「……すまないが、僕は君に覚えが」

「えぇ、えぇ、そうでございましょうね。そう何もかもが改竄されたのでしたね。けれど、わたくしめは覚えておりますよ。あの残酷な人間種の少年、こうしだなんだと呼ばれる男の子が、まだ赤ん坊だったわたくしめを、わたくしどもきょうだいを嬲っていたのを、食べる為ではなくて、玩具にして嬲っていたのを、姫君様と一緒に、助けてくださったおやさしい王子さま」


 ぎゅうっと、黒うさぎはウィリアムにしがみつく。


 体は無残に引き裂かれどうしようもありませんでしたが、わたくしめは冥王様のお慈悲により、冥王様の使いに取り立てて頂けました。


 そう語る黒うさぎ。


 十二年前のお茶会。いくら子供だって、本を奪われた程度で、心に強い憤怒の念など湧くものか。


 剣を手に取り戦う心を持った伯爵令嬢が、いくら自分のお気に入りとはいえ、たかが本を取られた程度、なんだというのか。自分の為に怒るような性質の子供ではなかった。心が燃え自分を薪にしてもいいと思うほど強い憤りを感じた理由。たかが本であったわけがない。


「姫君さまはおやさしいお方。こうしの無残な亡骸をみて、それでも我らへの無慈悲な扱いに重きを置いてくださいました。駆けつけた老人に詰られても姫君さまはこうしを許しませんでした。そうして、老人が怒鳴りつけた言葉を、わたくしめはよく覚えております」


 お前が裁くな。

 お前は許せ。お前が許せなければ何もかもが死んでいく。


「怒鳴り付けられ、姫君さまはいっそう強く燃え上がりました。ふざけるなと、吠えました。わたくしどもの為に、人間種でもなければ、人間種に飼われる愛玩動物でもない。大きくなれば食料になる種であるわたくしどものために、怒ってくださいました。わたくしどもの感じた恐怖を、痛みを思って、泣いてくださいました。そうして、あの老人めは、ビリーさまを盾になさいました」


 そこで黒うさぎは言葉を区切った。埋めていた顔を上げ、目を瞬かせる。


「こうして茨に覆われた姫君さま。やはり、ビリーさまのために選ばれたのですね。あぁ、ですから、なりません。お止めください。困ります。この茨を傷付けてはなりません。茨は姫君さまの御心でございます。中には、姫君さまの隣にはおそろしい魔女がおります。進んではなりません」

「魔女とはウラドのことか」


 黙って兎の話を聞き、自分の知識と引き合わせていたギュスタヴィアが口を開いた。


「あれは魔女だったのか?」

「わ、わたくしめに細かなことはわかりかねます」

「すまない、僕には誰の名かわからないが……それは、闘技場で僕とイヴェッタに魔物をけしかけた女性だろうか」

「そうでしょうね。私はその現場は見ていませんが、目的がイヴェッタを祈らせる事なら、兄より主犯はウラドでしょう」

「一体なんなんだ?そのウラドという女性は」

「エルザードを作った吸血鬼ですよ」


 さらり、とギュスタヴィアが答えた。大公ウラド・エンド・スフォルツァ。ギュスタヴィアがレナージュの時代の戦闘帝と呼ばれた存在なら、ウラドはその先代に当たる。エルザードで最も長く生きている存在で、かつては最も強い権力と派閥を持っていた。それがどこぞの人間種の平凡な男に懸想して「普通になろう」としたらしい。無理無謀の極みでしかない願いは、男を異端と燃やした人間種の愚行と、高貴な者が穢れた人間種になどと嘆いたエルフたちにより無残に散った。


 人間種の国を二つ三つ程一夜で滅ぼして、恋した男を裏切った人間種たちを自身の屋敷に引きずり込み、皮や肉や血で何をしていたのかなどギュスタヴィアには興味のないことだ。


「……そんな恐ろしい女性が、イヴェッタの側にいるのか?」

「私の方が強いので問題はありません」

「……それはつまり、貴殿もその気になれば一夜で国の一つ二つ滅ぼせるということか!?」

「ハッ。何を今更」


 ギュスタヴィアは鼻で笑う。

 ウィリアムは自分のことをただ顔の綺麗な恋敵だとでも思っていたのか。


「そんな恐ろしい男が傍にいてどうです?」

「どう、とは?はっ、まさか貴殿……僕がイヴェッタに惚れられているのが気に入らないからと血祭にあげるのか!?顔の皮を剥がす気か!?」

「その発想はありませんでしたが、選択肢として加えておきますね」

「なんという恐ろしい男なんだ!!」

「ははははは、剥がれたいのですか?」


 ぎゅうっと、黒うさぎを抱きしめてウィリアムはギュスタヴィアから数歩距離を取った。これまで散々、化け物だおぞましい存在だと罵られてきたが、ウィリアムの反応はギュスタヴィアの心を毒さなかった。


「しかし、それで。イヴェッタの心だというこの茨をこれ以上傷つけずに進むのは、さすがの私にもやや……難しいものがありますね」


 ウラドの事や過去の事など、考えるべきことはまだ多くあるが、現時点での問題に戻る。

 

 イヴェッタは自分に殺されることを望んでいる。そして、その願いをギュスタヴィアが叶えてくれると信じているのだから、心を傷付けて進んでも構わない、ということだろうか。


「……」


 ギュスタヴィアは嫌な気持ちになった。

 なぜ、イヴェッタはいつもそうなのだろう。

 簡単なことがわかってない。


「茨を傷付けずに進む方法はないのか?」


 暗い思いに囚われそうになったギュスタヴィアと対照的に、ウィリアムは前向きだった。抱き上げている黒うさぎに視線を向けて尋ねる。


「と、おっしゃいますと?」

「君はこの茨を傷付けられると困る、と言っただろう。だが僕たちはイヴェッタに会いに行きたいんだ。だから茨から進めないと困る。助けてくれないか?」

「……それは、そのう」

「僕は、これまでイヴェッタの心を散々傷つけてきたようだ。これ以上は傷つけたくない。どうか、頼む」

「……ビリーさまが、仰るのなら」


 しぶしぶ、と黒うさぎは承知した。


 ひょいっと、ウィリアムの腕から飛び降りると、ふりふりと丸い尻尾を動かす。頭の上の長い耳がひょこひょこと揺れた。それで何が起きるのか、と見ていると、くるん、と宙返りをした黒うさぎの体から、コロン、と落ちる。ランタン。


「……内緒でございますよ。秘密でございますよ。これは、冥王様から、頂いた品でございますよ」


 こそっと、この空間で小声になる意味があるのか不明だが、黒うさぎは内緒話をするように声をひそめた。


「このランタンの中で茨の花を燃やしますと、姫君さまの夢の中へ入れます。夢を進んだだけ、茨の中を進めるのでございます」


 冥王様は、眠る姫君がお寂しくないようにと、わたくしめがお相手をつとめるようにとお渡しくださいました。そう言う黒うさぎの耳はぺたん、と垂れている。


「冥王様は大変ご恩のあるお方にございます。ですが、ビリーさまは、わたくしめにとって、どのような方とも比べものにできぬお方でございます。そんなビリーさまにお願いされては、わたくしめは、何もかも差し出す以外に報いることができませぬ」


 しかし、冥王への裏切り行為に他ならないと黒うさぎの罪悪感。ウィリアムは再び黒うさぎを抱き上げた。


「君に罪などない。悪いのは私だ。このウィリアムが、君の善意を願ったんだ。いつか、冥王の元へ行くことがあったら、死後だろうが、その時は、きちんと、君が何も悪くなかったことを説明するよ」


 言うと黒うさぎは少しだけ笑ったようだった。


「お優しいビリーさま。だいすきでございます。わたくしめだけではなく、あの日、潰されたいもうとや、落とされぐちゃぐちゃになったおとうと、矢をいっぱいに突き刺されたあにや、袋の中でたたきつづけられたあね、皆がみんな、ビリーさまと姫君さまに感謝しております」

「……冥界には君のきょうだいたちがいるのかな?」

「恐怖で魂まで引き裂かれてしまったので、冥王様もどうすることもできなかったのでございます。わたくしめだけは、なんとか」

「そうか」

「……話を聞いている限り、例の公子というのは、死んで当然だったのでは?」


 沈む顏のウィリアム。ギュスタヴィアは首を傾げた。エルザードに連れて来たばかりのイヴェッタが、公子の死を望んでいなかったなどと叫んでいた覚えがあったが、今の黒うさぎの話を聞く限り、そんな残虐性を持つ子どもは遅かれ早かれ同族にまでその暴力を向けるものだ。死なせた結果を、なぜイヴェッタが今も悔やみ続けるのか理解できない、とそういう反応。


 黒うさぎは答えなかった。ただ、しょんぼりと耳を下げたまま、ウィリアムの腕からひょいっと降りた。一度ぺこり、と頭を下げて、そうして地面を足で叩くと、ぱっくりと地面が割れて中に飲み込まれていく。


 残されたウィリアムとギュスタヴィアはお互いに顔を見合わせた。最初の方のウィリアムの言葉ではないけれど、まだまだ知らない事が、今この状況だけでも多すぎた。驚き、推理し、嘆くのはまだもっと先にしたほうが、きっとよいのだろうとその一致。


 ウィリアムが茨についている白い花を燃やした。小さな花弁の、愛らしくもある花。こういう茨は毒々しい薔薇だろうかという思いとは裏腹に、あちこち見渡した茨の中に一つだけ咲いていたのは小さな白い花だった。


 ぼうっと、ランタンの中で花が燃える。


 ぐらり、と視界が揺らいだ。炎のように揺らめいて、動いて、変わって、移っていく。


「……」

「……ここは」


 何度かの揺れに吐き気のようなものが若干込み上げてくるくらいの微妙な時間、急に周囲が明るくなって、パッ、と変わった。


 白い建物があちこちに並び、長い廊下。青々とした芝生の生い茂る中庭。行き交うのは、同じ服を着た年頃の子息、息女。貴族の子供たち。


「……その装いは?」

「貴殿も、ははっ、貴殿、に、似合っているな!案外!」


 ギュスタヴィアが目でさしたのはウィリアムの服装だった。ルイーダ国の、貴族の子供たちが通う魔法学園の伝統的な制服。男子生徒の為のもの。


 懐かしい、卒業したはずの学び舎の制服である。ウィリアムは自分だけではなく、目の前の長身のエルフもそれを着ていると指摘した。イヴェッタの夢の中。学園。それであるので、違和感のないように、その中の登場人物に相応しいようにと装いの変化だろう。それは魔王のランタンの効果か。


「……なるほど」


 なにが成程なのかわからないが、ギュスタヴィアは呟き、ひょいっと指を振った。すると、長く美しい銀髪は短く切った黒髪に、黄金の瞳も同じ黒に変化した。

 

「どうです?」

「その配色の意図はなんだ!?」

「いえ、別に。そう言えばどこぞの街で見かけた、イヴェッタが関心を示していた男の配色がこんな感じだった、などということではありません」

「意図しかないじゃないか!?」

「些事です」

 

 しれっとギュスタヴィアは言って、周囲を見渡す。


「私は人間種の文化にあまり明るくありません。その上三百年埋まっていましたので、尚更。イヴェッタの過ごした環境に興味があります。あちこち見て周ってきますよ」

「あっ、こら!勝手に行くな!」


 見知らずの場所の筈なのに、妙に堂々とした足取りで歩くギュスタヴィア。ここはイヴェッタの夢の中だ。何か騒ぎでも起こせばイヴェッタの精神に影響が出てしまうのではないか。そんなことを考えたウィリアムは自由奔放なエルフを止めようとするが、その背後に衝撃。


「っ!?」

「ウィル!ねぇ、どうしたの?珍しいわね!こんなところにいるなんて!お昼休みよ?生徒会室に行かないの?」


 どん、とぶつかってきたのは女子生徒。

 栗色の髪に、明るい色の瞳。愛らしい顔の、小柄な男爵令嬢。


「……マリエラ・メイ男爵令嬢」

「もうっ、マリエラって呼んでくれるって約束したじゃない?それとも、やっぱりあたしみたいな元平民の女は、名前で呼んで、友達だって周囲に誤解されたくない?」


 これは、イヴェッタの夢の中のはずだ。

 なのになぜ、マリエラがいるのだろうか?


 イヴェッタは卒業式の後のパーティーのその時まで、マリエラの存在を認識していなかったと、そう本人が言っていた言葉を思い出す。


 夢の中。学園生活が繰り返されている。のではない?


 ウィリアムは舞台、お芝居を思い返した。お芝居は、舞台の上で演じられるものが「観客」が見ている全てだ。しかし、物語の中ではその「舞台」に立たない間の登場人物たちの生活や会話があって、舞台に上がった時の「ほんの一握りの場面」だけが観客に知らされる。


 これはつまり、それと同じなのだろうか?


 夢の中。


 夢の中が進めば、茨の中も進めると黒うさぎは言っていた。


 つまり、この「学園生活」の「舞台」が進めば、イヴェッタに近付ける。


 学園生活の終わり、それは卒業と、そして、ウィリアムが突きつけた婚約破棄が起こる、パーティーだ。



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出ていけ、と言われたので出ていきます3
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黒うさぎ……冥王様の使いだからって怪しんでてすまない…… うさぎの赤ちゃんとかあんな柔くて弱い生き物になんてことしてんだ……
[一言] うわ〜どうなるんだ?どうなるんだ?
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