25、根腐れ
自暴自棄になったように叫ぶロッシェさんを眺めながら、私は白い竜の頭を撫でた。おとぎ話の挿絵や古い図鑑で見た竜の姿と、それは大分異なった。長細い体に翼や手足が付いたような。トカゲというより蛇のような。シュルシュルと私の体にまとわりついて、甘えるように喉を鳴らす姿は愛らしい。
私は大広間で最も位の高い者が座る場所に顔を向ける。
「お会いするのは、初めてかどうかわかりませんが……初めてご挨拶させて頂きます。エルザードの国王陛下、ルカ・レナージュ様」
純白の竜の出現にエルフの貴族たちは逃げ出した。真っ先に逃げ出さなければならない筈の国王陛下は未だ二階部分の奥まった場所にいらっしゃる。元々いただろう席から立ち上がり、手すりに手を掛けて私を見下ろす顔は、全くギュスタヴィア様に似ていらっしゃらない。
「……なぜ我々の慈悲を拒む?」
「申し訳ありませんが、わたくしの耳はエルフの方がたより短いのでお声がよく聞こえません」
降りて来い、と言外に告げるとレナージュ陛下の側にいた騎士達が剣を抜いた。無礼な物言い。ロッシェさんが私の腕を掴んだ。
「おい!」
「国王レナージュ様。こんな状況ですけれど、だからこそ、話し合いは必要じゃありませんか?」
掴まれた腕をそのままに私は国王陛下に顔を向けたままにこにこと微笑み続ける。
「……話し合い?」
「わたくしを見下ろしたままが宜しいというのであれば、そのように。――えぇ、話し合いです。必要でしょう? いい加減、止めて頂きたいのよ。わたくしに対する嫌がらせ」
は?と、私の腕を抑えるロッシェさんから、間の抜けた声が上がった。
嫌がらせ、と言ってから、私は「あ」と口元を抑える。いつかの事を思い出した。
「嫌がらせ、だなんて言葉でごまかしてはいけませんね。毒殺未遂に、妨害行為、侮辱罪。わたくしの身の回りのことを調べ上げて報告させるのは人権侵害に当たると思いますが……わたくしも貴族の生まれですもの。その辺りに関しましては、理解を示します」
えぇ、その程度の事は仕方のないことですわ、と、微笑み軽く頷く。ぴしり、と何かの軋む音がした。陛下の触れているバルコニーの手すりが少し変形していらっしゃる。劣化でしょうか。
ギュスタヴィア様の口ぶりから、国王陛下はこちら側。わたくしとギュスタヴィア様の御味方をしてくださっていて、頼って良い方だと、そのような思い込みをしていた。
ブルノ公爵や、年頃のお嬢様のいらっしゃる貴族の方々、それに司祭様たちの一部が自分たちの私利私欲あるいは正義感から、一々ご丁寧に喧嘩を売ってきてくださっているのだと考えていたけれど。
「国王陛下が、何もかも把握されていない、とは思えませんもの」
「貴族たちの暴走とは思わぬのか? 人間種の国とて、王が絶対的な力を持っているわけではなかろう。王といえど抑えられぬものがあるゆえとは思わぬのか」
「腐った料理一つにしても、わたくしに対してあまりにも無礼ではありませんか?」
「たかが料理如きなんだというのだ」
器が小さい。それで王弟の妃になろうというのかと、そのような呆れ。
「それです」
私は指をさした。あまりにも無作法な仕草だが、この状況で振る舞うには最もふさわしい。
「今もほら。わたくしに対して、その態度を貫いていらっしゃる。わたくし……わりとこう、虐げられる状況や、見下されることには慣れているので、あまり気にならないのですけれど。でも、考えたら、あまりにも不自然です」
自分で言うのもなんだが、私はギュスタヴィア様に執着されている女だ。
エルフの方々が、国王陛下が、心からギュスタヴィア様を恐れているのなら、なぜギュスタヴィア様が「大切に」するだろう私に対して、ここまでずさんな対応なのだ?
先ほどの卵の件。すり替えたのは国王の指示だろう。直接ではなく、その間に何人もの貴族が関わり辿れてもどこぞの公爵に罪を擦り付けられるようになっていそうだが。
「なぜ自分が尊重されると? ギュスタヴィア様の寵愛さえなければ無価値な人間種如きが」
「ロッシェさんはそうしてくださっていました。私に対して礼儀正しく振る舞って、私を助けようとしてくださいました。ギュスタヴィア様の反感を買う事を考慮し、当然の行動だと思います」
「いや、ちょっと待て! 俺を引き合いに出すな! ―――何を言ってるんだ。おい、何を、言い出してるんだ……!? 当たり前のことだろう!!?」
ばっ、とそこでやっとロッシェさんは私の腕を掴んだ。痕になるほど強く掴まれ、私は腕を擦る。
「陛下……待て。おい、待ってくれ。なんなんだ!? この話し合いは、何なんだ!? 何を言ってるんだ!?」
「ギュスタヴィア様に嫌がらせがしたくて、わたくしのこと、いびってたんですよ」
「はぁ!?」
単純な話だ。
私はギュスタヴィア様から魔力を頂かないと死ぬ。そしてギュスタヴィア様の側にいるにはこの国で受け入れられる必要があり、差別される対象の人間種がただいるのは難しい。それで妃にという思考なのだろうと思うが。
私は何をされても「我慢」しなければならない立場なのだ。
晩餐会でのこと。私は誰の処罰も求めなかった。私が望んだのでギュスタヴィア様もその通りにしてくださった。
これまでの人生で、寛容さにはわりと自信もある。
「人間の王家でもよくあるパターンなんですけれど……身分の低い女性が王族に嫁いで、他の側室たちに虐められるとか、他の王族に認められず冷遇されるとか……騒ぎ立てても却って状況が悪くなるだけで、配偶者も何もできず、ただ個人的に大切にするくらいしかできないってやつですよ」
ギュスタヴィア様は暴力で他人を支配できる方だが、かと言って暴力で何もかも解決できるわけでもない。人の感情というものは複雑なのだ。エルフといえど、それは変わらないはず。
「ギュスタヴィア様は……ご自分の凶暴性を、唯一抑えられるのが私だと印象付けて、私の“価値”を作ろうとしてくださいました。そして、ロッシェさんはその考えを汲んで行動してくださっています」
「……そりゃ、そうだろう。そうするのが、一番良い。あの王弟を制御できるってんなら、それが一番……」
訳が分からない、と頭を乱暴にかき乱すロッシェさん。
「つまりあんたが、こんなに風に暴れたのは陛下があんたに対して誠実でなかったからか?」
「わたくしの人権をまるっとシカトしてくれやがりましたことは、許します」
「根に持ってるだろ」
「わたくしは根から切り離された存在ですので……根などありませんが?」
しれっと言うと、ロッシェさんは嫌そうに顔を顰めた。
その間もじっと、陛下は黙っている。
私が何を言おうと、構わないのだ。
「やめて頂けますか。ギュスタヴィア様のことを苦しめるの」
私はもっと早く、この言葉を彼に言わなければならなかったのだ。
自分の事ばかり考えて、ギュスタヴィア様のことを、少しも考えていなかった。
あの遺跡で三百年、眠り続けたギュスタヴィア様。私は少ない言葉を交わした中で、あの方が兄君を深く愛して、求めていた事を、遺跡で過ごした短い時間の中で気付いたではないか。
ギュスタヴィア様は怒らない。
残酷で冷酷で非情に非道の限りを尽くした暴君だなんだのと言われているけれど。実際に私は、あの方が自分の不快感から他人を虐げた姿を見ていない。いつだって、あの方が何かしたのは私の為だった。
……三百年前も、同様だったら?
全て、兄君の為にした事だったら?
「あらあらあら、あら、あら。まぁまぁまぁ。何かしら? まぁ、何かしら? 素敵ねぇ。とぉっても、綺麗な生き物がいるのね。あら、まぁ。珍しい」
睨み合う私たちの間に、のんびりとした女性の声が割って入った。
春の風のように優し気な、女性というより少女の甘い声。
ばっ、と、ロッシェさんが膝を突いた。
「ごきげんよう」
「……」
現れたのは真紅のドレスに、長い薄紅色の髪の女性。真っ赤な瞳に真っ白い肌。エルフ族の特徴である長い耳を持っている、美しい女性。引きずるほどに長い髪はいくつかの束になり、毛先を蝶たちが細い糸で吊っていた。
微笑まれ、エルフの貴族の挨拶を受ける。私も反射的にお辞儀を返し、ぐいっと、首を掴まれた。
「どうしてこんなところにいるの? ザラキエル」
イヴェッタさんはエルフの祝福で人外になるという話は知りません。知ってたらギュっさんにも切れると思う。
アルセウス買いました。





