22、刻印式⑤
その日、エルザードの首都は普段以上に活気づいていた。大通りには色取り取りの花が飾られ、生花が手に入れられなかった場所には華やかな布で作った花が所かしこにつけられる。特別に許可された出店が、口々に王家や最愛王を讃えながら蜂蜜種や焼き菓子を売る。女子供は愛らしく、美しく晴れ着を纏い、男たちはそんな家族あるいは恋人、知人を愛し気に眺めた。
お祭り騒ぎのエルザード。祝えや祝え。いや、まだ、これで本当の「お祝い事」でないことは誰もが承知。
今回はただの「婚約者候補」の方々、全部で三人いるらしいどこぞの貴族の姫君が、豪華絢爛な馬車に乗って街中を駆けて、王子様、いやいや、今回は、王弟殿下のおわす宮殿入りをなさる。
今日はどうして皆楽しそうなの?と、幼いエルフの子供たちに問われた大道芸人が、おどけた調子でそのように語った。
幼い世代、今より300年の間に生まれた者たちは知らぬ、おぞましい恐るべき魔の王子の話。子どもへの躾で「いう事を聞かないと、ギュスタヴィア様の所へ連れて行くと」などと言い聞かせた親が平民らの中にはいたけれど、血塗れ王子の真の恐ろしさを子に叩きこむような非情な者はいなかった。
それであるので、若い世代の者たちは、この300年間のこの国の「辛い時代」しか知らない。
魔の者たちとの闘い。瘴気の溢れた、正気を失う狂った土地との境。境界線を守るエルフの戦士たちが、多く死に、敗れ、少しずつ境界線がズレてきている恐怖。かつては魔を屠った戦士が消え、国の戦力が落ち切って、それでも足掻き続けて出る犠牲は、平民の兵士達の数が圧倒的に多かった。他種族を隷属させ最前線へ送り込んだりもしているけれど、それで飛躍的に何かが変わるわけもなし。
国民たちは疲れていた。いつ境界線、その防衛が突破されて国を飲み込むのだろう。300年の恐怖で心が疲弊して、そんな中への、この、慶事。
王族とは巨大な戦力である。とりわけ、王弟ギュスタヴィア殿下。若い世代にはただ「最愛王の弟君」悪しき噂も聞くには聞くが、それでも、高い魔力と戦力に違いはない。
その方が、お妃様を迎えられる。貴族の姫君。3人の候補者。
これはめでたい事だ。これほど、喜ばしい事はない。
昨今の国の様子では、久しぶりの、国を挙げてのお祝い事。
浮かれる口実など久しぶり。誰もが戦場の犠牲を一時忘れて華やげる。
今日はそんな日、めでたい日。
*
特に馬車がならず者たちに襲われる、というアクシデントが起きるわけでもなく、私の乗った馬車は無事に宮殿へとたどり着いた。
そこから、神官、ではないだろうが、儀式に携わる祭司か何か。ゆったりとした恰好に白い髭の長い五人の高齢のエルフの方々に迎えられ儀式の行われる「大聖堂」へ。
大聖堂というのは人間種の信仰から来る「大聖堂」と同じではない。エルフの文化として、何か信仰的な者があるとすれば先祖や祖霊に対してで、大聖堂という場所は長く生きた過去のエルフの方々の亡骸で建てられている。エルフ族は、ある一定の時間を生きると大樹となる一族だった。
祭壇に上がるのは私と、他に二人の女性。純白のヴェールで顔が隠されているためどんな姿か、髪の色さえわからないけれど、朗々と祭司の語った名はそれぞれ公爵家の御令嬢。身分正しく、また品行方正な公女お二人の名が告げられ、そして最後に私の名が告げられた。
誰の名が上がっても、周囲の反応はない。この場では沈黙のみが誰もに求められ、口を開けるのは祭司のみらしい。
事前に聞いていた通りの進行。
刻印式。と、いうものは何も肌に焼きごてが当てられて、家畜のように印をつけるわけではない。左の手の甲に、一時的に王族の印が刻まれる。魔法によるもので、これが正式に王族の一員となった時、体の魔力と反応して一生消えない印となる、とかそんなもの。
「それでは、次に。守護精霊の卵を、それぞれに」
滞りなく、いっそ意外なほどなんの問題もなく式が一つ一つ、終わって行く。
「……」
と、思っていたのだけれど、やはり、なんというか。
「……」
左手に刻印を頂き、そして次に守護精霊を、とその順序。真紅の布に黄金の器に収められた卵が、恭しく、私と他二人の令嬢の前にそれぞれ運ばれてきて、私は呆れた。
「……」
私の前に奉げられた卵だけ、明らかに、ただの卵だった。
(なんの、茶番)
見れば、五人の祭司のうちの三人ほどが、こちらを見て小馬鹿にするような笑みを一瞬浮かべた。
*
「どんな守護精霊が生まれるだろうか?」
刻印式の後は、無言を強いられることはなかった。ひそひそと、会場に集まった貴族のエルフたちの囁き。誰も彼もが、悪意や好奇心はあれど、人間種の娘が生み出す守護精霊の良し悪しに興味があった。
「おぉ、ブルノ公爵家の御令嬢は……なんと美しい、一角獣か」
「清らかな乙女である御令嬢に相応しい守護精霊でございますね」
最初に卵をかえしたのは、中央の令嬢だった。一歩前に進み出て、卵を掲げて歌う。歌に込めた魔術は卵へと伝わり、ぴしり、ぴしりと軋む音。の、後に淡い緑の光の粒が卵からあふれ出て美しい白い馬となった。緑の角を持つ深緑の瞳のユニコーン。精霊として格の高い存在に、貴族たちの間から称賛の声が次々と上がった。
次に歌い出したのは、左側にいる公女。一番背の低いエルフの御令嬢は、愛らしく鈴を転がすような声で歌い、ぴしぴしと、卵がひび割れた。現れたのは、夕陽色の頭を持つコマドリ。公女と同じように愛らしい声で鳴き、ぴよぴよと大聖堂を飛び回り、集まった者たちの口元を綻ばせた。
「コマドリといえば平和の証。心根の優しい御令嬢らしい守護精霊ですこと」
強力な力があるわけではないが、精神汚染や洗脳を無効化する、守りの使い手である種。王宮で生きるなら必要不可欠な力だと、貴族の女性たちが扇の内側で褒め称える。
「……あら? あの人間種の娘」
「なんでしょう。一向に、歌い出さないどころか」
「卵を手にしたまま、動きませんね」
「怖気づいたのではありませんか」
「他の二人の御令嬢と、自分を今更ながらに比べて、恥ずかしくなったのでしょうね」
最後の一人。最も注目されている婚約者候補の娘。不動にして、口を開かない様子に、ざわめきが起きた。けれど、だからと言って、どうする者もいない。何かあったのか、などとは配慮しない。歌わなければ、卵がかえらなければずっとこのまま。エルフたちは気が長い。このまま一年二年だって、ずっとこうしていられる。
歌うのか、歌わないのか。
そのどちらかだとばかり思われて数分。
ぴしり、と卵が割れた。
「きゃぁっ……!」
人間種の娘は歌ってない。卵がひび割れて、そして、中から殻を付けたまま、むき出しになったモノを見て、一番近くにいたブルノ公爵令嬢が悲鳴を上げる。
「なんて、汚らわしいッ!」
すかさずブルノ公爵令嬢の守護精霊が彼女を守るように立ち、威嚇のために唸り声をあげ、人間種の娘を睨み付ける。鋭い角が向けられて、それでも人間種の娘は動かなかった。
「……わたくしが手に取って、すぐに、殻が破れるように。なんて、無駄な小細工を」
呆れる人間種の娘の呟きは誰にも聞こえない。ただ、掌で、中途半端な歳月で無理矢理殻を破られた、未熟児はギィギィと不気味な声を上げた。
冷静に判じれば、ただの何かの鳥の未熟児。けれど他二人の公女が美しく愛らしい守護精霊を生み出した後には、この醜い肉と骨の塊はただただおぞましい存在を、人間種の娘が生み出したと、そのように周囲には映った。
「不吉な!」
「相応しからぬ者!」
「直ちにこの場から引きずり下ろせ!」
悲鳴や怒号の飛び交う中。
人間種の娘。イヴェッタ・シェイク・スピアは周囲の音の一切を無視して、ただじっと、自分の手の中で生まれて、そしてか細く死んでいく命を見守った。
生きる為の器官が十分に作られていない。周囲の空気すら、重く毒として苛まれ、苦しいと呻き鳴く雛とも呼べぬ塊を、その叫びと呻きが終わるまで目を逸らさなかった。
そして痛みの僅かでも、苦しみの欠片一つでも薄れるようにと唇から洩れるのは子守歌。かつて幼いころに母トルステが、眠る前に歌ってくれた優しい歌。
膜の張った目がじぃっとイヴェッタを見つめて、そして、動かなくなる。
「貴方は何もわからないから、誰も憎まず恨まなかったのね」
看取って、イヴェッタ・シェイク・スピアが呟いたのは小さな称賛。消えていった命が、他人の都合で手前勝手に消費され、無残に扱われた。
その事に、イヴェッタ・シェイク・スピアは憤る。
「この子が許しても、わたくしは許しませんよ」
未熟な雛の亡骸を、イヴェッタは胸に頂いた。首元に、埋め込まれている赤い鱗に意識を集中させる。
さて。
ここで、なぜ守護精霊錬成には卵が必要だったのか。
それは、王族でない者は生まれ持って守護精霊がいないから、後天的に生み出すためエルフの魔術師たちが作り上げた「道具」が必要で、それが「卵」である、というだけ。
魔術師たちが卵に込めた何もかもを、「その場」で「現象」として発生させる魔法、あるいは魔術、はたまた……奇跡が、あれば、卵の必要はない。
例えば、比類なき性質をもつ王弟殿下の巨大な魔力が、例えば、本来は根から切り離され何も生み出せない筈の切り花の空の器に注がれ続け、例えば、神をも滅する性質を持った憤怒の竜の鱗が、例えば、切り花の憤怒の感情を受けて、一つの命の代償に。
神霊級の存在を、生み出すことも、あるだろう。
「……あら、まぁ」
淡い光、炎の渦が大聖堂の天井まで高く上がり、貫いた。
騒音。悲鳴。恐怖。
天井を貫き、高く飛び上がって現れた存在に、エルフたちは慄いた。
「貴方がわたくしの守護精霊なんですね。素敵だわ」
天井が崩れ落ち、燃え始める建物に、逃げまどう人々の阿鼻叫喚など意にも返さず、イヴェッタは、自身から生まれた守護精霊に微笑みかけた。
煌めく銀の鱗に、黄金と菫色の左右色の違う瞳。巨大ではなく、少し大きな馬と同じくらいの大きさ。
けれど、その姿は間違いなく。
「いやいやいやいやいや!? ちょ、ちょっと待ってって!! それ、どっからどうみても……竜じゃねぇか!!!!」
祭壇によじ登り、素早くイヴェッタを拘束しようとしたロッシェの叫び声。
「あら、いやだ。おかしなことをおっしゃるのね。竜になるのはわたくしで、この子は、わたくしの守護精霊。見ればわかるでしょう?」
コロコロと、喉を震わせて笑うイヴェッタ・シェイク・スピア。
腐った食事の提供やら、人を馬鹿にした態度。あれやこれやの嫌がらせを、それでも耐えてきた娘。
その上、自分以外の婚約者候補をしれっと刻印式に参加させられて。
ロッシェはそんなことを一言も、イヴェッタに説明はしなかった。その事に対しても、イヴェッタは怒っている。
長いヴェールを剥ぎ取って、イヴェッタは逃げまどう祭司の一人に視線をやり、意図を汲んだ白銀の竜は翼を動かして素早く移動すると、祭司の体を咥えて高く飛び上がった。
「う、うあわぁああああ!! 止めてくれ!! 止めて、止めてください!!」
悲鳴と必死な懇願。
イヴェッタは微笑みかける。
「わたくしにしたことを、この場で白状なさってください。事細かに、詳らかにしてくださいね」
ただの暴挙。ただの傍若無人な振る舞い、と、そのように扱われるのも、それはそれで構わなかったが、しかし、イヴェッタはこの祭司がただの卵を使い、その命を利用したことを告白させたかった。
竜に噛み殺されるか、叩き落とされ骨が砕けて肉が飛び散るか。そのどちらかしかない状況で、イヴェッタの言葉は唯一の救いだった。
司祭はぺらぺらと、必死に叫ぶ。
「私はただ命じられただけだ!」
貴族に、当日使う卵の一つをただの卵にすり替えろと。そしてそれを、身の程知らずの人間種に渡すように、と。王家に人間種が入り込むなど、祭司としても許しがたいこと。協力するのは、正しい行いだったと、何の報酬も、脅しもなく、喜んで協力したと、そのように叫ぶ。
「わ、私は、間違ってなどいない! このおぞましい存在が、まさにまさしくその証拠ではないか!! お前のような者を、王族に迎えることは、断じて認められない!! お前のような化け物が、王族の花嫁になるなど、そんなこと、決して、決して……!!」
正義の心に燃えている。祭司は、恐怖でいっぱいになった体を、王家への忠誠心と、正義感から奮い立たせて叫び続けた。
その真っ直ぐな罵倒を浴びて、イヴェッタはぱちり、と目を瞬かせる。
こんな時だが、思い返すのは……数か月前の、ルイーダ国での罵倒。あの時も、王族の妻になる資格なしと、詰られ罵倒されたものだが、あの時はまるで見当はずれな訴えで、ただただ困惑するばかりだったけれど。
「今度は、ちゃんと『謂われない理由』ではなくて、ちゃんと、わたくしの非が、正しく言及されていますね」
正しいことです。と、イヴェッタは神妙に頷いて、優し気な微笑みを祭司に向ける。
「それは今はどうでもよろしいのですよ。それより、心からの謝罪を。貴方が消費した命に、きちんと謝罪なさってください」
でないと落とすか、噛み砕かせますと、宣言するイヴェッタを、さすがにもう看過できないと、ロッシェが腕を掴んで拘束する。
「なんで、大人しくできなかった!!」
「と、言いますと?」
「鱗の魔力を使って、卵を孵化させる案には乗った。だが、それであの姿の精霊が生まれる可能性はゼロだった!! あの姿が、お前が望まなきゃ、そうはならなかった筈だ!!」
怒鳴りつける宮廷魔術師の、質問はもっともだ。
「何が気に入らない! 俺も、陛下も、お前とギュスタヴィアの願いを叶える為に必死になってやってるんだぞ!!? これがどういうことかわかるか!! こっちの苦労も知らないで、何もかも台無しにする気か!!」
掴まれた腕の骨が、ミシリと軋んだ。害してやろうという気などないが、感情が力の加減を忘れるほど乱れている。激昂し、睨み付ける宮廷魔術師ロッシェの目に映るのは、他人の怒声も心からの怒りも、何もかも承知している賢い色を宿しながら、反抗せずにはいられない怒る女の顔だった。
ロッシェは息を呑む。
「あぁ……っ、くそっ!! 大馬鹿野郎!! ふざけるな!! ふざけるな!! そんな顔で、俺を見るな!!」
咄嗟に目を逸らす。
怒鳴って、自分の唇を噛み、拳を握って、自分の頭を殴りつける。女神の矢を弾き落とした時から抱いていた感情。破滅願望など冗談じゃない。国を守り、王を支え。なんだったら、脅威となる者を悉く排除してきたロッシェ・ブーゲリア公。
泣き暮らす女の顔。
母親殺しと罵られ、追いやられる子供の背。
世の中の、正しい流れを、それ、そのように、万事滞りなく、流さなければ、ならない責務。
理論や理性を承知で、道理や世に望まれる茶番を理解した上で、何もかもを土足でズカズカと踏み付けてぐちゃぐちゃにできれば、どんなに良いか。
「お似合いだ……! まさにまさしく、お前のような女こそ、あのギュスタヴィアにお似合いだ!! 二人仲よく、世界を滅ぼしちまえよ! 馬鹿やろう!!」
これが、恋か……(´・ω・`)





