番外:一方その頃、スピア伯爵夫人と、可哀想な女の子
監禁、というよりは軟禁状態になったことは喜ばしい事なのだろうかとトルステ・スピア伯爵夫人は考えていた。
広い宮殿の、女たちの住まう場所。東の方にあった国では「後宮」という呼び方で男の立ち入りが厳しく禁じられた場所があったというが、現在トルステが滞在する場は王妃スカーレットがその後宮文化を真似た習慣が浸透した場所だった。
厳しい監視の目は付けられていない。高い壁に覆われた王妃の管理するその場所。トルステは粗末な宮を、使用人の一人も与えられずに放置されていた。
以前、与えられていた拷問のような暴力はもはやトルステに降りかかる事はなかった。どんなに職務に忠実な者であっても、小一時間もトルステと同じ場にいれば忽ち「もうあの方を殴れません」と涙ながらに王妃に直訴してしまう。それであるから、伯爵ら家族の元へ帰すことはしないけれど、ここから出す気はないと、そういう方向性に変えられていた。
使用人がいないので、トルステは毎度のことながら厨房まで赴き食事を分けて貰う。トルステを憐れみ、また何か力になりたいと考えてくれている厨房の者たちは、ひょっこりと憐れな囚われの伯爵夫人が顔を出せば、パンに肉や野菜を挟みたっぷりとソースをかけたものなど、カトラリーを使わず食べられる料理を笑顔で渡してくれた。
そうして、昼食を入手したトルステは、さて今日はどこで食べようかしらとそのようなのんびりさ。軟禁されて困っていることは困っているが、どう喚いたところで、己のような無力な者がどうにかできるものでもないと、そのような考えに行きついている。
廃れた宮を訪れる者はいない。静かに食事をする事に適しているが、ものさびしいと思わないわけでもない。
それでトルステは厨房のある宮の、階段を上がって上がって、上がって、奥の部屋の、どこまで行けるものかと試してみる事にした。冒険、というほどではない。トルステの身を阻むモンスターはおらず、宝箱の楽しみもないが、しかしトルステはもし娘が、当初の決まりのまま第三王子に嫁いでいれば、あの子はこうした王宮や神殿を「冒険」出来たのではないか。なぜ、それでは駄目だったのだろうかと、自身が「伯爵夫人」としての務めの一切も行わず、ただ生きる肉と骨の集まりとして扱われながら、そんなことを思う。
進んで進んで、誰もトルステを咎めなかった。幽霊のように扱われているような心持。存在を認識してはならない者。ひと目トルステを見れば、その瞳に姿を映して「あぁ、ここにいる」と理解してしまえば途端、味方になってしまうような女だと、もはやスカーレットも認めずにはいられなかった。それであるので、王宮の警備のために配置された者たちには、トルステが出て行こうとさえしなければ放っておけと、そのように言っていた。
「……あら」
奥まで進めるだけ進み、忘れられた部屋のような、そんな、最低限の手入れはされているが重要視はされてないような、そんな部屋を見つける。まだ先はあったけれど、トルステは妙にその部屋が気になった。物音を立てないようゆっくりと侵入し、明るいバルコニーの方へ進もうとする。
「…………あら」
その、光の方へ進むトルステの耳に、女の、いや、少女のか細い嗚咽が聞こえた。
はっとしてその声の方へ顔を向ければ、明かりのない室内の、天井からいくつも垂れ下がった幕。その厚い布の内側に、蹲って、震えている娘がいた。
「まぁ、あなた。どうしたの?」
「……ぅ……っ」
暗がりでよく見えないが、長い栗色の髪の娘。涙でぐちゃぐちゃになった顏をちらりとトルステへ向け、被りを振った。
「構わないで」
放っておいて。ひっそりと、泣き続けたい事があるのは誰だって一度くらい経験があるものだ。トルステとてその一人。それであるので、彼女の孤独に対して沈黙を貫くのが礼儀だということはわかった。
けれどあまりにも。
(あまりにも)
震え、やつれた、顔色の悪い娘。年のころなら、トルステの娘イヴェッタの一つ下、というくらいだろうか。愛らしい顔が今は、この世の不幸や悲劇の全てを背負わされたように歪み、そして。
「……あなた、その」
「っ、見ないでッ!!」
服からのぞく肌に、トルステが気付くと、泣く娘は瞳に強い意思を宿して睨み付けてきた。炎のように燃える瞳。真っ赤、というわけではないのに触れたら熱さを感じるような熱烈さ。
「……若い娘が、このような場所で体を冷やしてはいけませんよ」
触れられたくない事なのだろう。トルステはふわり、と自分の肩かけを娘の体にかけた。
はっと少女がトルステを見つめる。何か言おうとしている。拒絶の言葉か、疑問か、それとも他の言葉か、それはわからないけれど。込み上げる感情、その瞳に浮かぶ幼い光に覚えはあった。
(……昔、イヴェッタが。お茶会から戻った時の、顔に似ている)
平凡で凡庸、ただの人間であり特別な才能など何一つなかった自分には、淡い笑みばかり浮かべるようになった娘にしてやれることが無かった。ただ母親として、娘にすべきことと教えられてきたことは授けた。いったいイヴェッタのような運命の者に、平凡な自分が与えられたものなど何の役に立つのだろうかと、思いながら。
「何か、苦しいことがあったのですね」
「……」
「ここで一人泣くことを選んだ貴方。誰か、その胸の内を話せる人はいる?」
「……必要ないわ。そんなの」
どれほど睨まれてもトルステが去らないので、娘はある種の諦めを抱いたらしい。ふぅ、と息をつき、壁に背を預けて座る。トルステはその側に同じように座り込み、濡れた娘の頬をハンカチで拭い、髪を指ですいた。
(どこの娘だろうか。貴族の子、というのはわかるけれど)
侍女となるには、まだ若い。使用人であればこのくらい幼い者もいるだろうけれど、着ている物の布は、伯爵夫人のトルステが身につけている物より上等だった。王女、であれば顔は直接見ずとも髪の色や瞳の色くらいは存じている。栗色の髪の王女はいないし、いくら多くの女性を侍らすテオ陛下もこれほど幼い娘を側室に迎えてはいないはずだ。
「……あたしが誰か、気になる?」
じぃっと見つめる視線に気づいたのか、栗色の髪の少女が口を開いた。どこか、こちらを嗤うような響き。
「いいえ」
「嘘よ」
「本当ですよ。ここは宮殿の……格式や礼儀作法とは遠く離れた場所。お互いに、名を知らない方が良いこともあるでしょう?」
「……」
例えば。そう、例えばだが。
可能性としてではなく、ただの「妄想」程度の考えとして、トルステはこの娘が「マリエラ・メイ男爵令嬢」であったら、とそのような事を考えた。
娘を陥れた娘。そして、娘が何もかもを奪ってしまった、かつての公爵令嬢。
その娘だとわかってしまったら、トルステはこの、一人で泣き苦しみに耐える娘を、どう見ればいいのか。
袖や首元からちらりと見える程、その体中に赤い鱗の生えた娘の名を、トルステは聞かないと、そのように決めた。
Q、なんでマリエラ嬢はこれまで無事だったんですか?
A、こういうことです。





