20、刻印式③
刻印式の事前準備と、当日の説明を受けるために私は宮廷魔術師であるロッシュさんの元を訪れていた。
私の目には不思議な魔術道具や薬草、魔法石が沢山飾られた棚や、多くの書物は丁寧に整理整頓されている。
相手が身分の高い男性であるので、侍女長であるアーゲルド夫人を伴って訪問しようとした。しかし夫人は「わたくしが顔を見せればあれは嫌がるでしょう」と目を伏せて言ってイルヤ子爵令嬢に私の供を命じた。
訪問は向こうの招待あっての事なので、待たされることなく部屋に通して頂けた。エルフの国で好まれるという緑色のお茶が出され、それを半分程、飲む。お互い形式上の挨拶を終えた後に、ロッシェさんは本題に入った。
「刻印式はまぁ、形式ばった儀式でアンタはこっちが用意する綺麗な衣装を着て黙って立ってりゃいい。問題はそのまま行われる第一の試練だ」
「第一の試練、と言いますと。“民”の試練ですね?」
どんな試練なのだろうか。
私は神官の素質のある娘、イヴェッタ・シェイク・スピアとして神殿で過ごした事がある。試練、と言えば例えば神話にあるような神々が人間に対して与えるもの、というイメージがあるが……。まさか神話の英雄のように、どこぞの怪物の首を取ってこい、というものでもないだろう。
「あぁ。民の試練ってのは、まぁ、なんだ。守護精霊錬成だ」
「守護精霊の、錬成?」
「あぁ。試練の際、候補者には卵が用意される。ただの卵じゃないぞ。候補者が自分の得意な魔法、あるいは魔術を卵の中に入れ込む。その術者の魔力の属性や魔法の威力、それに精神面や、まぁ、いくつかの要因が組み合わさって、守護精霊を作り出す」
守護精霊は王族の伴侶となる者を生涯守る存在で、象徴でもあると言う。守護精霊は本来王族であれば生まれた時から共にあるそうだ。
「うちの陛下の守護精霊はすごいぞ。陛下の力と合わせればこの国を丸々覆う結界だって張れるんだからな」
自慢げに話すロッシェさん。私はふと、ギュスタヴィア様にも守護精霊がいるのだろうかと、そんな事を考えた。
「で、まぁ、“民にとって守護精霊がいるものは王族として崇める”っていう前提があってな。守護精霊は民にとって王家の象徴で、そしてその能力は自分たちを守ってくれるものだと信じてる」
だから守護精霊を錬成できれば、民の試練は合格だとロッシェさんは気安く話した。
「一つ疑問なのですが、わたくしのような……いわゆる異種族が守護精霊を錬成できるのですか?」
「理論上はどの種族であっても魔法さえ込められれば問題ない。1200年くらい前は銀狼族の姫君が王族の妃になるためにこの試練を受けて無事クリアしたしな」
錬成出来る事に不安はない、が、ロッシェさんは先ほど「問題はそのまま行われる第一の試練だ」と言った。
「では、懸念材料はなんです?」
「はっきり言うが……人間種が使える魔法や魔術で錬成される守護精霊に期待ができない」
「まぁ、そうでしょうね」
ややこちらの気持ちを配慮するような顏で言われた言葉に、私は素直に頷いた。魔法種族とも言えるエルフ族からすれば、人間種の、それも学生が学園で学ぶ程度の魔法や魔術などお遊び以下ですらないだろう。
「す、素直だな」
「わたくしが最初に知ったエルフはギュスタヴィア様ですよ。あの方を間近で見てきて、自分たちの魔法や魔術が同等のものだ、などとは思えません」
「なるほどな。話を戻すが――刻印式までに付け焼き刃でも何か一つ、エルフの魔法を覚えて貰う。当日はそれを卵に込めて精霊錬成をしろ」
「それで皆が納得できる守護精霊になりますか?」
「……人間種の魔法で錬成するよりはいくらかマシ、程度だろうな。だが、錬成さえ成功すれば、あとはこっちでどうにでもする」
ギュスタヴィア様がおっしゃっていた「茶番」ということか。
不正、ではないギリギリのところだ。試練は「守護精霊を錬成する」ということ。それがどれほどみすぼらしい結果になったとしても、錬成成功は成功、としてごり押しするつもりらしい。
無言で頷くと、ロッシェさんはややほっとしたような顔をした。
「なんです?」
「いや、アンタが……妙な正義感というか、潔癖から面倒なことを言ってこないかなぁ、と身構えててさ」
私に何か言う権利はない。こちらの無理難題をなんとか叶えようとしてくださっているのはロッシェさん側なのだ。
「で、アンタはどんな魔法が得意だ? 人間種の魔法で良いからちょっと使って見せてくれよ。そこから、似たような魔法を選べば覚えやすいだろ」
「得意魔法……そうですね、在学中は……一通りの魔法は習得して、成績もよかったですけど……得意、と言われると……」
「待て。一通り? 属性に関係なくか?」
「えぇ。それが何か?」
「……ちょっと何でもいいから使ってみてくれ。本当に、何でもいいぞ」
ロッシェさんは顔を引き攣らせながら、私を急かす。
言われて私は少し考えて、学園で習った通り初級魔法、掌に小さな炎を呼び出す呪文を唱えた。
「……あら?」
しかし、呪文を間違えてはいないはずなのに、炎は起こらない。
続いてその他の、物を浮かせる魔法、コップ一杯の水を出現させる魔法など使おうとしたが、どれもまったく、不思議なことに発動しなかった。
「……おいおい……切り花って……マジかよ……そういう……えげつねぇ……」
戸惑う私を眺めながら、ロッシェさんは顔を顰めている。
「……つまり、なんです?」
「……人間種の貴族であるアンタは、本来なら他の貴族の連中と同じように魔力を持っていたはずだ。だが、アンタは“根から切り離され”た存在。アンタには魔力がない」
「……ちょっと待ってください。ですが、これまでわたくしは……」
魔法が使えていた。学園生活でも、それ以外でも、呪文を唱えたり、魔法陣を描けば問題なく、他の人たちと同じように魔法や魔術が発動していた。
「……奇跡だ。全部。それ。アンタがあたかも魔法を使えてるように、神々が奇跡を起こしてたんだよ。ンな面倒くさいことをよくもまぁ……」
あいつら暇なのか?とロッシェさんの呟き。
「いやぁ……そりゃ、まぁ。そうだよな……あの王弟殿下の魔力が体に入っててよく拒絶反応がないなー、とは思ってたが……そもそも魔力が断絶されてんのかよ……そこまでするか?」
「……神々のわたくしへの扱いは今はいいとして……つまり、わたくしは魔法が使えない、ということですね?」
それは、かなりまずい事態ではないのか。
「うーん……さすがに、魔力無しは想定してなかったが……いや、俺は宮廷魔術師ロッシェ様だ……陛下の寵臣、陛下の親友、やってやれねぇことはねぇ。やれば出来る男だ。よし」
「何か名案がありますか?」
「あらかじめ魔法を込めた卵を用意してアンタに渡す」
「さすがにそれは不正で駄目です」
自棄になっていないか、ロッシュさん。
試練がどんな状況で開かれるのか知らないが、大勢のエルフの方々の目があるだろう。こちらの味方も、そうでない方々も。その状況で、卵自体に不正をするのは、どう考えても問題になる。
「じゃあ、魔法を込めた魔石を装飾品に加工してこっそり発動させる」
「あの」
「替え玉に試練を受けさせるってのもありか。幻影魔法の高度なやつをかけてヴェールかなんかを被せりゃ……」
「大前提として……よろしいでしょうか?」
「なんだよ」
「……そもそも、わたくしが自分のものではない魔力で守護精霊を錬成したとして……それは、わたくしに従う守護精霊になるのですか?」
「ならねぇよ。くっそー!ならいっそ、試練の内容を変えるか……前例のない人間種を相手にしようってんだから、何かこう……配慮があったっていいはずだろ!?」
ロッシェさんはおそらく、というか確実に、普段は有能な方なのだろうが……さすがにこのイレギュラーは想定外過ぎたのだろう。対応しきれずにいる事に私は申し訳なさを感じ、自分でも何か手はないかと考えてみる。
「……」
ふと、私は自分の胸元に埋め込まれた鱗に触れた。





