【番外IF設定】もしも例のお茶会で公子が亡くなっていなかったら?
新春あけましておめでとうございます。
このお話は、忌まわしいお茶会で「もし公爵家の子どもが死なず、先代国王陛下もイヴェッタさんに寛容の楔を打ち込んでいなければ?」というもしも設定でお送りしております。
「イヴェッタ・シェイク・スピア!お前との婚約は今日限りで解消させて貰うぞ!!」
卒業式後の記念パーティーにて、会場に集まった紳士淑女の皆々様を前に堂々とのたまうのは、煌びやかな黄金の髪に、青みがかった緑の瞳の美しい青年。この国の第三王子ウィリアム殿下に他ならない。
「……婚約破棄」
その王子殿下にびしっ、と名指しされたのは、黒い髪を頭の後ろで高く結い上げた、すらっとした細身の令嬢。卒業式後のこのパーティーでは家紋入りの礼装、あるいは卒業後の進路先の正装を纏うのが通例で、この令嬢は騎士の装いをしていた。
華やかなドレスを纏う令嬢たちの中で、その姿は凛とした百合の花の如き美しさがあった。事実一際目を引くその令嬢は、王子に名指しされるまで、頬を染めた多くの令嬢たちに囲まれその姿をもてはやされる人気っぷりであった。
「わたくしに何か、不手際がございましたでしょうか」
「うっ……」
感情の読めない菫色の瞳がウィリアムに向けられる。
たじっ、とウィリアムは怯みかける、が、その頼りない青年の腕にそっと触れる柔らかな手。
「ウィル」
親し気に、公の場で第三王子の愛称を口にするのは柔らかな栗毛に、ピンクゴールドのひらひらとしたドレスを纏った御令嬢。
「う、うむ。コホン、イヴェッタ。つ、つまり……こういうことなんだ」
「こういうこと」
「ぼ、僕……ゴホン、私には他に愛する女性がいる! 真実の愛を見つけたんだ! それはこの、マリエラ・キファナ公爵令嬢だ! だからお前とは結婚できない!!」
ジャーン、と、効果音でも付きそうな勢いで、堂々と王子殿下が紹介されるのは、ルイーダ国に九つしかない公爵家の御令嬢。
同学年で、王子殿下と同じく生徒会に所属の才女。生まれであれば、この場に集まった令嬢たちの中で最も身分が高い人物である。
「えっ……キファナ公爵令嬢?」
「……確かに、在学中、殿下とは親しくされていたご様子でしたけど……」
「でも、だからって……」
「ねぇ?」
「イヴェッタさんに何の不満がありますの?」
イヴェッタの周りに集まった令嬢たちは、扇で口元を隠しつつひそひそと呟く。
「殿下」
「な、なんだ!」
「つまり……それは、例えば……わたくしが、キファナ公爵令嬢に何か……嫉妬心から器物破損や異物混入などの犯罪行為を犯し、婚約者としての資格がない、というゆえの、婚約破棄でしょうか?」
「は?お前がそんなことするわけないだろ?そもそもマリエラの方が爵位が上なんだし、伯爵家のお前が公爵家の人間に何かなんか、できるわけないじゃないか」
「殿下……」
イヴェッタの問いかけに、馬鹿正直に答えるウィリアム。イヴェッタは軽く額を抑えた。ウィリアムの隣ではマリエラも「ウィル……」と片手で顔を覆い天井を見上げている。
「いいか!? つまり僕は、お前という婚約者がいながら、このマリエラ嬢の美しさと公爵家の権力に目が眩んだんだ! ふふん、公爵家の令嬢を妻に迎えれば、僕も王座を目指す事が出来るかもしれないからな! さぁ、お前は今日この場で僕に一方的に婚約解消されるんだ! わかったか!」
第三王子ウィリアム殿下は、美顔王と称えられるテオ国王陛下譲りの美貌を持つ美しい青年だ。黙っていれば天使のように愛らしいお方が、得意げにフンスフンス、と鼻を鳴らし宣言されるお言葉。
イヴェッタ・シェイク・スピア伯爵令嬢は菫色の瞳を細め、一歩前に進み出た。
「殿下」
「なっ、なんだ!?」
「殿下が真実の愛を見つけられたこと、心よりお祝い申し上げます」
進み出たイヴェッタは騎士の礼儀に則ったお辞儀をする。
「う、うむ! これで、僕とお前は今後一切無関係だからな! お前が何をしようと、王家は一切関知しないからな! これからどこへなりと好きに、行けばいい! 王族に婚約破棄されたような女は、今後どこの貴族の息子だって貰ってくれないだろう! みじめな思いをする前に、国から去ったらどうだ!?」
「つまり、出ていけ、と仰られるのでしょうか?」
「っ、そ、そうだ!」
一方的に怒鳴りつけるウィリアム王子に、周囲の反応は冷ややかだった。
客観的に見て、つまり、第三王子は公爵令嬢に懸想して貴族と王家の契約である婚約を感情から破棄する、ということ。
非は明らかにウィリアム王子の方にある……と。
「それで、この茶番。いつまで続けるんです?」
「へ?」
そのように思いこませたいのだろう、というのは誰の目にも明らかだった。
「ちゃ、茶番?! な、なんのことだ!? 僕は……いや、私は、本気で……」
「そちらの公爵令嬢を愛していらっしゃる、ということですか」
「そ、そうだ!」
「ではわたくしは死にます」
断言したウィリアムの言葉に、イヴェッタは菫色の瞳を細めると、剣を抜いた。ためらいもなく、その刃を自分の首元まで運び、すぐさま押し当てようとする。
「ばっ、ばかっ!!」
それを止めたのは、ウィリアムの悲鳴。なりふり構わずに駆け寄り、イヴェッタの手首を掴むと、その剣を捨てさせた。
「何してるんだよ!」
「……それはこちらの台詞ですが、殿下。王族に捨てられた惨めな令嬢の末期など決まっているでしょう。生き恥を晒すくらいならば潔く死を賜りますようお願い申し上げます」
「ばか! お前はそんな奴じゃないだろ! この国にいられなくなったんなら、冒険者になればいいじゃないか! お前、ずっと、冒険者になりたいって、言ってたじゃないか!」
勢い込んで、二人はその場に座り込んだ。イヴェッタの両手首を掴み、怒鳴っていたウィリアムは「なんでこうなるんだよ!」と、自分の思い通りにいかず、ついには泣き出した。
「うぐっ……うっ……なんで、だよ! 死ぬなんて、言うなよぉ……ばか!」
めそめそと泣く王子殿下を、見守る周囲の目は冷ややか……というより、手のかかる弟か何かを見るように暖かい眼差しである。
というより「全くもう、ウィル殿下は今日も困った御方だなぁ」という、目線。
*
さて、それもそのはず。この、本日卒業式を迎えたこの最終学年の面々。在学中ずっとこの、ウィリアム王子殿下と、イヴェッタ・シェイク・スピア伯爵令嬢の恋路を見守り続けてきた。
王位継承第六位の第三王子殿下ウィリアム。顔立ちは美しく、傲慢そうな印象を受けるが、実際は涙もろく感情的。成績は中の上という程度で、努力家だが有能ではない。
魔術が暴走すれば大騒ぎし、冷静な対処は出来ない。
しかし、他人の不幸を自分の事のように悲しみ悩み、他人の幸福を我が事のように喜ぶ美徳の持ち主で、学友たちからは愛されていた。
影で密かに呼ばれる名は“我らが愛すべきポンコツ王子ウィル殿下”である。不敬だが、親愛を込めてのもの。
そのウィリアム王子殿下の婚約者であるイヴェッタ・シェイク・スピア伯爵令嬢。
小柄ながら真っ直ぐに伸びた背筋の美しい令嬢。座学や魔法、魔術、更には剣術と体術の成績が常にトップという才媛。家柄こそ、伯爵家と王家に迎えられるにしてはやや不足だが、稀有な神官の素質を持って生まれた。
神殿と王家の微妙な力関係に、王族の妻となったイヴェッタが神殿の神官となることで橋渡しの役目を、ということで結ばれたこの婚約。
学友たちは当初こそ「あまりに釣り合わない関係なんじゃないか」と眉を顰めていたが、少しして誰もが気付く。
我らがポンコツ王子殿下は、どうも、どうにも、何を考えているのかわからない菫色の瞳の御令嬢に、心底惚れていらっしゃるご様子だ、と。
「なんでだよ……ばか……お前は、僕と婚約さえしてなければ、何にだって、なれるじゃないか……ッ、だから、僕は……!」
「ご自分がアホの王子だと周囲に判断されても構わないので、わたくしとの婚約を解消しようとした、のですね?」
「だってそうするしかないじゃないか! 父上はお前のことお気に入りだし、おじいさまだって! こんなことでもしないと、お前は……!」
ベソベソと、大粒の涙に鼻水まで垂れ流しながらも美貌の青年は美しいので世は不公平である。ウェーン、と項垂れ、情けなく泣く婚約者の肩をイヴェッタはポンポンとあやすように叩いた。
「マリエラ嬢まで巻き込んで……全く、殿下」
「あ、それは大丈夫ですわ。スピア伯爵令嬢。わたくし、乗り気でしたの」
「……変わった方、とは聞いていましたが」
「だって、わたくしだって、こうでもしないと……ほら、国王陛下のお気に入りの伯爵令嬢を蹴落とした悪女っていう評判があれば、勘当されるかなぁって」
最も身分の高い貴族令嬢であるはずのマリエラは、貴族を止めて庶民のように生活したがっている、という噂をイヴェッタも聞いたことがある。あれは本気だったようだ。
「あはは、失敗しちゃったわね。ウィル。残念だけど、これまでよ」
「ぐすっ……うぅ……ぼ、僕は……こんなことも、ちゃんと、できないのか……」
「さぁ殿下。これ以上は見世物になってしまいます」
もう十分見世物だが、それはさておき。イヴェッタはウィリアムの側近たちにウィリアムの身を任せた。グリム・クリムたちに伴われ、会場を後にする殿下を見送り、二人の令嬢は軽く息を付く。
立ち上がった令嬢のうち、先に口を開いたのはマリエラだった。
「今、示しましたように。公爵家より除籍される事がわたくしの本意。つまり、父と兄……家門の思惑とは無関係……と、信じてくださいますか。スピア伯爵令嬢」
互いに視線は合わせない。在学中も特に親しくしていた様子もなく、周囲からもこれが二人の初対面ではないか、というような間柄。
「……」
イヴェッタはマリエラの言葉に瞳を細めた。元々、マリエラは自分と殿下より一つ下の生まれ。それが、殿下と同学年になるために出生日を改ざんされ同学年にねじ込まれた事は、神殿側より聞いている。
「マリエラ・キファナ公爵令嬢。殿下がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いいえ、楽しいお芝居でしたわ」
内心の考えは表に出さず、二人の令嬢は向かい合い、互いに美しいお辞儀を交わした。
*
「さぁ、殿下。もう泣くのはお止めください。わたくしは殿下の婚約者をやめるつもりはありませんよ」
「うぐっ、うっ……うぅっ、なんでだよ……ばか……お前、ばかなんだから……」
「成績の話でしたらわたくしの方がずっと上かと存じますが」
そういう話でないのはわかっていてあえてイヴェッタが言うと、ウィリアムはますます泣き出した。
全く情けない、とはイヴェッタは思わない。泣き止め、と口で言いはしたものの、殿下が泣きたいのなら、全力で泣けばいいと考えてもいる。
(婚約破棄? そんなこと、冗談じゃない)
会場での言葉を思い出し、すぅっと、頭が冷えた。
あの場で直ぐに「あ、これは茶番か」と思い至ったけれど、その数秒間、イヴェッタはウィリアムの側にいるマリエラの首を落とし、公爵家をどう滅ぼしてやろうかと、そんなことを考えたものだ。
いや、今でも考えてはいるが。
周囲は「ウィル殿下はイヴェッタ嬢にべた惚れだなぁ」と呆れているが、イヴェッタからすれば「わたくしの方がずっと、殿下をお慕いしています」と思っている。実際口に出してもいるのだが、笑顔を浮かべることが苦手な自分の言葉は、どうもどうにも真剣に受け取って貰えない。
「殿下。わたくしは、殿下の妻になることを望んでいるのですよ」
「ぐすっ……それは、おじいさまたちが、お前にそう望んだからだろ……」
「最初はそうでしたが……あぁ、殿下、そんなに目を擦らないでください。真っ赤になって腫れてしまいますよ。――わたくしは、あのお茶会で、わたくしを庇ってくださったときから、殿下が好きなのですよ」
涙でぐちゃぐちゃになったウィリアムの顔をそっとハンカチで拭い、イヴェッタはその瞼に口づけた。途端に真っ赤になる顔が愛しくて、普段「何を考えているのかわからない」と他人に怯えられる表情しか浮かべない令嬢は、破顔する。
(貴方は、覚えていらっしゃるでしょうか)
もう十年以上昔のこと。
イヴェッタは伯爵令嬢で、領地から出たことがなかった。けれど、第三王子との婚約が決まり、初めてお会いすることになった、先代国王主催のお茶会。その場で。
イヴェッタはキファナ公爵家の嫡男と口論になった。
公爵家の男児。有力で、家門は第一王子を推している。将来有望、そして国内最大の財力を持つ家柄の公子は、その場の令息令嬢たちの中心的な人物だった。
そこに現れたイヴェッタ。伯爵家の令嬢。公子はイヴェッタを気に入り、あれこれとちょっかいをかけてきた。
しがない伯爵家の娘と、巨大な力を持つ公爵家の息子。イヴェッタは公子の言葉に従いなんでも思い通りにさせてあげなければならなかったのだが、そうはしなかった。反発し、公子が伯爵家を侮辱する言葉を吐きながら、イヴェッタに手を上げた瞬間。
イヴェッタは「呪われてしまえ」とそのように思ったけれど、それが言葉になる前に、殴られるはずだったイヴェッタの代わりに、ウィリアムが飛び込んできて、代わりに殴られた。
公子は、母親の身分が低く、父親テオに見向きもされない第三王子を詰る。王族より、力を持っていた公爵家であるから、息子の傲慢さは仕方のないことではあった。
ウィリアムはイヴェッタの手を引いて、その場から逃げ出した。二人は王族のみが入る事を許されている温室に逃げ延びて、そして、そこで、ウィリアムはただひたすら、イヴェッタを案じたのだ。
『大丈夫? 酷い事を言われていたから……気にすることない、って言いたいけど……でも、ここならあいつは追ってこれないから』
『私より、貴方のことよ。ぶたれたじゃない。どうして?私は、あの子にぶたれたくらい、なんてことないのよ。鍛えてるもの。私、剣を使うのがすっごく上手いの。だからあの子のことだって、やっつけられたわ』
頬を赤く腫らしたウィリアムに、イヴェッタはただただ困惑した。
『そっかぁ。すごいね。ぼく、剣とか……勉強も苦手で。きみは、すごいなぁ。でも、平気でもさ、殴られたら、痛いじゃないか。きみが、あんな奴のせいで、痛い思いをすることないよ。それに、ぼくはね』
『?』
『その……ぼくは、えぇっと、あのね。驚かないで、聞いて欲しいんだけど……きみは、ぼくのお嫁さんになる子だから。その、ぼく……きみを、守らなきゃって、そう思って。余計なことをして、ごめんなさい。きみはひとりでも、きっとうまくやったんだろうけど』
そう、恥じ入るように言うウィリアムの横顔を見た瞬間、イヴェッタは自分がこの勇敢な少年の婚約者であることが、世界で一番幸福なことだと感じた。
*
「失敗した!? あの馬鹿王子、怖気づいたのか!?」
「いえ、父上……どうやら、スピア伯爵令嬢が、婚約破棄と言われても全く動じなかったのが原因のようで……」
「だったらなんだ!? 仮に王子なんだから貫き通せ! 何のための身分だと思ってる!? 全く……役立たずにもほどがあるぞ!?」
その日の夜。
貴族邸の並ぶ一等地の、一際大きなお屋敷の一室で、顔を真っ赤にし怒鳴るのはこの国で最も影響力を持つ公爵家の当主殿。
キファナ公爵。
伯父は現皇后スカーレットの父であるゼクト侯爵。長子は第一王子の側近で、ゆくゆくは宰相である公爵の跡を継ぐ有能さを示している。
さてこの公爵。この度、娘を使って第三王子を唆した。無能で無価値な王子だが、婚約者はあのイヴェッタ・シェイク・スピア伯爵令嬢。彼女の価値は隠されているが、高位貴族であるキファナ公爵は当然承知している。
なぜ第三王子のような馬鹿に、あの高価な花を宛がったのか。
「あの馬鹿娘一人を切り捨てて馬鹿王子もろとも表舞台から引きずり降ろしてやろうとしたのに……!」
キファナ公爵家にとって、マリエラは汚点だった。顔も平凡、公爵令嬢としての自覚が薄く使用人たちと親し気に言葉を交わす。身分の高い生まれだが自由奔放すぎて未だに縁談が纏まらない。
「妹のしでかした事に対して謝罪を、と……私がスピア伯爵令嬢に近付く予定でしたが。あのバカな妹に大役は無理でしたね、父上」
高価な布張りのソファに座り、呆れるように肩を竦めるのは美貌の青年。公爵家の嫡男、次期宰相として名高い有能な若者。視線の一瞥のみでどんな御令嬢の心も射貫くと言われる公子は、本来なら今頃、パーティー会場を追い出されたスピア伯爵令嬢をその腕に抱いているはずだった、とがっかりしている。
「ですがまぁ。今回の事で、散々情けない醜態を晒してるんです。まともな女なら、あんなに頼りない男に自分を任せようだなんて思いませんよ。学園から出てしまえば、それこそ多くの男を目にするんです。それに、却って今回のことが殿下が望んでマリエラを巻き込んだ茶番だと思われた事で、よかったじゃありませんか」
「うん? なぜだ?」
「バカ王子の無茶な要求を聞いた公爵家。家門の評価が下がろうと王族に尽くすことを選んだと、そのように評価されるでしょう?」
「なるほど……そうか、それならば……!」
「それならば、なんです?」
二人しかいない筈の室内に、冷ややかな女の声が響いた。
はっとして、公爵と公子が窓の方に顔を向けると、いつの間に入室していたのか、バルコニーを背にして、騎士の装いをした令嬢が立っていた。
月夜に艶やかに輝く黒髪の美しい、イヴェッタ・シェイク・スピア伯爵令嬢。
「これはこれは御令嬢……一体、なぜそのような所に?」
「突然、無礼ではないか」
「――殿下は本来、ご自分の願いの為に他人を巻き込むことをなさいません。しかし、今回はマリエラさんをご自分の共犯者になさった。殿下が提案したとは思えません。つまり、誰かが、殿下に提案なさったのでしょう」
菫色の瞳をじぃっと公爵家の人間に向けて、伯爵令嬢は静かに言葉を続ける。
「……だったら、なんだ? たかだか伯爵家の小娘が、この私を、キファナ公爵を断罪する、とでもいうのか?」
フン、と公爵は勝ち誇る。
この小娘が気付いたのは計算外だが、だからといって慌てることはない。表向き、まるで権力のない第三王子の婚約者。ただ神殿との繋がりを持つために仕組まれた婚約と、そのような者。この国を支える宰相を断罪できるわけがない。
「えぇ、そうですね。わたくしにそのような権限はありません。そして、ウィリアム殿下も、たとえご自分が悪用されたとお気付きになられても、あの方はお許しになるでしょう」
イヴェッタは脳裏にウィリアムの姿を思い浮かべた。あの優しい気質の婚約者は、他人が自分に向ける憎悪も嫌悪も何もかも「事情があるんだろう」と許してしまわれる。消費されるのが自分であるだけなら、構わないと思っていらっしゃるのだ。
愛しい方だ。そんな方のお優しさが、自分を守ろうとしてくれていることが、イヴェッタには嬉しくて仕方ない。
しかし。
「言わせましたね。あなた方。嘘でも、茶番でも、殿下にわたくしとの婚約を破棄すると、言わせましたね」
「だ、だったらなんだ!? それが、どうした!!」
「わたくしの心が深く傷付けられました。悲しいと、思いました。以上です」
そしてくるり、とイヴェッタは反転しバルコニーから飛び降りた。身体能力の高い令嬢はこの程度の高さはものともしない。飛び降りた瞬間、公子が慌ててバルコニーの下を覗き込んだが、そこには黒衣の男性に抱き留められた令嬢が、もはやこちらを一瞥することもなく、去って行こうとしている。
「ま、待て……!!」
イヴェッタ、と、公子は欲する令嬢の名を吐こうとした。
しかし、口から次の瞬間溢れ出たのは、黒い泥のような血の塊。
「がっ、ごっ……」
崩れ落ちる体。公爵が息子に駆け寄ろうとして、その両足が腐り、二、三歩進んだ所で床に転がった。全身の毛が抜け落ち、ボロボロと歯が抜けて行く。穴という穴から血が溢れ出、二人の絶叫が屋敷内に響き渡った。
*
「あぁ! 清々した! イーサン、迎えに来てくれてありがとう。ねぇ、今頃、きっと二人は心から悔いているかしらね?」
「さぁ、どうでしょう」
「どっちでもいいんだけど。でも、わたくし、悲しくて悲しくて、そうすると、怒るしかないじゃない」
「そうですね」
イヴェッタの体を抱き上げて走るイーサンの表情は変わらない。ただ淡々と、嬉しそうに話す主人の言葉を聞いている。
ひとしきり笑って、イヴェッタはふぅ、と息をついた。
「嫌な事をされたり、傷つけられたら、怒って、報復するって、決めたの。ねぇ、イーサン、私、間違ってるかしら?」
「……お嬢さまが決めたことなら、そうすべきでしょう」
「そうね。ありがとう。いつも助けてくれて」
従順な使用人は、イヴェッタを否定しない。
イヴェッタは袖を捲り、自分の左腕を確認した。真っ赤な鱗が、びっしりとその肌を覆っている。
これが何なのかわからない。けれどよくないものだろう。怒るたびに、増えて行く。けれど、怒らずにはいられない。
「殿下はけして、怒ったりなさらないわ。何もかも許してしまわれる。ご自分の生まれ育ちの所為でしょうね。だから、わたくしが殿下の分まで怒ります」
目を伏せて、夢見るのはウィリアム王子との結婚式。自分は純白のドレスを着て、大神殿の祭壇へ進む。そこで待っていてくれる殿下はきっと、夢のように美しく、そして優しい微笑みを浮かべて、自分に手を伸ばしてくれるのだろう。
「出ていけ、と言われたって、出て行かないわ。わたくしの幸せは、殿下と一緒にいることだもの」
IF世界での各面々。
・ダーウェ→魔物に食べられて死亡。
・ゼル→姉が死に、例の村で引き取られ村の不正を手伝い、横領が発覚した際に全ての責任を被せられ獄死。
・ギュっさん→埋まったまま。
・イーサン→イヴェッタさんが竜になる前に殺そうとするが、殺せなくて黒龍として固定される。
・タイラン→イーサンのかわりにイヴェッタさんを殺そうとするがイーサンに殺される。
・エルフの国→ギュっさんいないままなので、境界線の魔物たちに負けまくる&竜の侵攻で100年後くらいに滅亡する。
・世界→イヴェッタさんが竜になるので滅びる。





