15、美味しい料理に楽しい晩餐会
「晩餐会ですか、私も行きます。いいですね、イヴェッタ」
「駄目です、何をおっしゃっていやがりますの? ギュスタヴィア様」
闘技場から出て再びギュスタヴィア様の塔へ戻ってきた私たち。半刻前に、手料理は作れなかったが厨房の料理人さんに貰った軽食を一緒に食べようと思って、私が再び塔を訪ねるとギュスタヴィア様はお留守だった。塔の見張り役の騎士様にアーゲルド夫人が質問すると、外出された、とのこと。数度アーゲルド夫人が問い詰めて、騎士は「……ハ、ハインツ騎士団長が……闘技場へ……」と、しどろもどろになりながら答えた。
そして駆けつけた先で、私が見たのはギュスタヴィア様が弱々しく土に塗れ座り込んでいるお姿。
「ギュスタヴィア様は怪我人なのですよ。ちゃんと安静にしていなければなりません」
「心配して頂けるのはとても、えぇ、本当にうれしいのですが……やり過ぎましたか」
「何をです?」
「いいえ、なんでもありません、愛しい人よ」
にっこりと、ギュスタヴィア様が微笑んで口説いてくるときはロクなことを考えていらっしゃらないと決まっているが、今は追及しない。
「ギュスタヴィア様、わたくしは……わたくしの為に、貴方が……傷付くことが嫌なのです。わたくしは弱い人間ですから、罪悪感と自責の念に駆られて、苦しくて苦しくて仕方ありません。こんなに、わたくしを苦しめたいとお思いですか?」
「どんな感情であれ、私の事で貴方が心をいっぱいにしてくださる事は本望ですが、悲しませたいわけではありませんね。なるほど、それはちょっと、困りますね?」
「そうですよ、困ります」
「それでは私を愛する余裕も生まれないでしょうね」
ふむ、それは本当に困った、と、これは演技ではなくギュスタヴィア様は本気で思っていらっしゃるようだった。
それが少しおかしくて私が思わず笑ってしまうと、ギュスタヴィア様は黄金の瞳を細め、口の端を釣り上げる。
「笑ってくれましたね」
「もう、ギュスタヴィア様。……本当に、どうか、早く……お怪我を、治してくださいね」
「えぇ、もちろんです」
承諾してくださるが、あまり信用が出来ない。
私が黙っているとギュスタヴィア様は私の後ろに控える二人のエルフに視線を向けた。
「侍女たちはどうです。気に入りましたか」
二人に話しかけているのではなく私に聞いているのだろうが、ギュスタヴィア様が言葉を発すると、びくり、とリルさんの体が震え表情が強張った。アーゲルド夫人はさすがというか、顔色一つ変えず、姿勢正しく控えている。しかし二人とも、私がなんと答えるのかに全身の神経を集中させていることがわかった。
……一応、私に反抗的な態度のままの三人の御令嬢もそのまま侍女として側に置く事になっているが、連れて来なくてよかった。
「はい。イルヤ子爵令嬢……リルさんはとても明るくて、語学も堪能です。色々なお仕事の経験がある方で細やかな配慮をしてくださいます」
「おや、そうですか。それはそれは……」
それはそれは、なんなのか。
すぅっと、目を細めて見つめる先には捕食される寸前の小動物のように怯え縮こまっているイルヤ子爵令嬢。お願いです威嚇しないでください、リルさんは本当にいい子なんです、とアイコンタクトを送ると、ギュスタヴィア様は肩を竦めた。
それでリルさんの緊張の糸が切れたのか、どさっ、と尻もちを付く。両目を見開き、ハッハッと短く呼吸を繰り返して、助けが必要かと立ち上がろうとするが、その前にぐいっと、リルさんは自分の顔の汗を腕で拭い、何事もなかったように立ち上がった。
私には聞こえる。『こんな事で……失業してたまるかッ!』という、彼女の叫びが。
「イルヤ家の者は面白い魔法を使います。貴方の役に立つでしょう。それで、晩餐会の事ですが。アーゲルド、わかっているな?」
「はい。もちろんでございます」
静かにアーゲルド夫人は答える。少し前まで私に晩餐会の情報を知らせなかった事実などないような涼しい顔である。
*
塔から戻り、私はアーゲルド夫人に晩餐会での作法や注意点の指導を受け、ドレスの着つけをして貰った。
リルさんは髪の結い上げまで出来るようで「これが今の流行なんですけど」と見せてきた絵のものはどれも長い髪であることが前提だ。アーゲルド夫人と三人で選んだのは肩口までの髪はそのまま、横の髪を編み込み髪飾りを付けるというもの。
ドレスは魔法がかかっている物を着用したので、サイズは私の体に合う。既製品で臨まねばならない事をアーゲルド夫人は嫌がったが、これは仕方のない事だった。
そうして挑んだ晩餐会。
参加者は国王陛下に、ロッシェさん、それに着飾ったエルフの……大貴族だろう方々。傍らに控えたアーゲルド夫人が順番に名前や地位を耳打ちしてくれるが、地位についての名前がエルフの国特有のものもあり、正確には把握しきれなかった。
参加者の奇異の視線に晒されるのは想定内。
国王陛下がいらっしゃるので、あからさまに「人間種などと食事を共にするなど!」と騒ぎ立てる者はいないが、好意的でないのはほぼ全ての参加者がそうだと思えた。
王様は私を弟の婚約者候補だと改めて紹介し、今は臥せっておられるギュスタヴィア様が床上げをなさったら、婚約者候補の為の儀式と試練を行うと告げた。
「人間種を婚約者候補などと前代未聞……などという問答は、この場合は無意味なのでしょうな」
「ブルノ公爵、何か異論が?」
「いいえ、滅相もございませぬ。我らが最愛王ルカ・レナーシュ陛下。しかし……これは、恐れ多くも……エルザードを愛する者の一人としての意見ではございますが……そちらの御令嬢おひとりが、候補者の試練に挑む、というのは……聊か、もったいないのでは?」
発言をしているのは、白髪に白い口髭を生やした男性だ。老人、だろうがエルフの外見に年齢の判別の意味はあるのだろうかとも思う。
ブルノ公爵と呼ばれたそのエルフは言葉を続けた。
「我らが最愛王の弟君であらせられるギュスタヴィア王弟殿下。かの方は巨大な力をお持ちで、そして王家の連なるお方。伴侶を娶ろうとされている事は大変喜ばしい慶事でございますが……どうでしょう。私の娘も、候補者として試練に挑ませてはいただけませんか?」
は?
何を言い出しているのか、このエルフは。
私は突然の申し出に驚き、目を瞬かせる。それは他の参加者たちも同様だったようで、特にロッシェさんは顔を引き攣らせていた。
そんな周囲の反応をお構いなしに公爵は続ける。
「誤解のないように申し上げますが、私は人間種に対しての差別意識はありません。しかし、寿命が我らエルフとは明らかに異なる種族だと知っています。また、王弟殿下のご気性も知っています。今、この人間種の女性により……我らに歩み寄ろう、かつての過ちを正そうと、されている方が、命短い妻を失った時、再びかつての時代が舞い戻ってこない保証がどこにありましょうか?」
それゆえ、と公爵はぐっと拳を握る。
「私はあえて娘に、使命を与えようと思うのです。王弟殿下の御心をお支えする存在になれと。人間種の娘を正妃とすれば反発も出るでしょう。しかし、我が娘を正妃とし、人間種の娘を側室とすればどうです」
「なるほど……! それであれば、反発する者も納得する」
「公爵令嬢があの怪物……いえ、あの王弟殿下の心を上手く掴めば、我々の脅威はそのまま強力な戦力となりますな!」
闘技場でドンパチやっていた件を、公爵はご存知なのだろう。そしてギュスタヴィア様が「他人を愛する」事の出来る生き物だと、そう理解したのだろうか?
私の意見を一切聞かず、勝手に盛り上がる周囲。王様の方を見ると額に手をあてて天井を仰ぎ見ていた。
さすがにこの場で決定できる事ではないが、話題に出された以上今後無視はできない。食事の場という、やや砕けた場で出すとは最高のタイミングだった。
少しの後に、公爵は自ら「それでは後程、この件については」と締めくくり、それを合図に食事が運び込まれてきた。
「……」
そして、出された最初の料理、冷菜の葉野菜が……お皿の上から見える部分を除き、腐っている。
「……」
私は一口食べ、口の中に広がる異臭と違和感、酸味に吐き出しそうになるが、チラリと見た参加者たちは普通に食べている。
厨房を見学した際にかいだ匂いや、味見をさせて頂いた料理から、この味がエルフの国の基本のわけがない。
明らかに、私のお皿だけ、細工がされているようだった。
参加者の貴族夫人たちが「まぁ、美味しい」「どこの食材を?」などと晩餐会らしい会話を弾ませている中、犯人探しなど私に出来るわけもない。
騒ぎ立てれば「人間種にはエルフの料理が口に合わなかったのだ」などと言われるのは目に見えている。
私は黙って、食事を続けた。
誰も私に話しかけようとしないので、好都合だ。
出された料理を、息を止めてあまり咀嚼せず飲み込む。水を何度も飲む私に「あら、いやだ」などと顔を顰める者もいた。食事の際はあまり水分を取らないのがマナーの一つ、と言われたが、そうでもしないととてもじゃないが、吐き出してしまう。
エルザードのテーブルマナーは人間種の国のものとは多少異なるが、基本的な所が似ていて、その点で私は大きくマナー違反をすることはなかった。
スープも駄目だった。
これでもかというほど、辛くされていて、さすがに何度か咽る。それを「みっともない」と言われた。
魚料理は、表面は焼いてあったが内側が完全に生だった。青臭く、そして長時間放置でもされていたのか舌先が痺れる。付け合わせの野菜が腐っているのはもう何も思う事がなく当然だと受け入れる程慣れてきた。
……肉料理。
「……」
美味しい。
初めて、まともな料理が出てきた。いや、まとも、以上だ。美味しい。
「……」
私は厨房で出会った料理人の青年エルフを思い出した。
この料理は彼が作ったものだ。
「……」
彼は、このくだらない嫌がらせに参加しなかった。その事実に、私はなんだか泣きそうになる。
焼いた鶏肉には紫のソースがかかっていた。甘酸っぱいラズベリー。肉は柔らかく、皮はパリッと鶏肉の脂で表面を揚げられていた。
美味しい料理と、料理人の青年の事を思い出し私の心は温かくなる。
つい習慣的に、神に感謝したくなるが、それは何とか堪えて。
次の料理。
小麦を練って伸ばした麺料理で、クリームソースと魚介が具になっている。
当然麺は半生で生クリームはドロドロと発酵していた。魚介は腐っていて酸っぱい。それでも、私は何も言わず口に運んだ。
「遅れて申し訳ありません」
と。
黙々と食事を続ける私の真横から、銀色の髪が流れるように入ってきた。肩に置かれる白い手。
「ギュ、ギュスタヴィア……」
ガタンッ、と王様が立ち上がる。
私が斜め後ろを見上げると、そこには美しく着飾ったギュスタヴィア様が微笑みを浮かべて、立っていらっしゃった。
逃げて公爵!





