10、大~変っ☆言葉が違うのでわからない!
「前ブーゲリア公爵夫人、アーゲルドと申します」
ギュスタヴィア様の塔から、自分用にと用意された部屋に戻ると、そこには既に数人のエルフの女性がいた。
私が戻った事に気付くと、その中で最も威厳のある緑のドレスにグレーの髪の女性が前に進み出てきて、エルフ式のお辞儀をしそう名乗る。
……あら、まぁ。
丁寧な態度だ。けれど、前置きがなかった。ルイーダ国であれば「お初にお目にかかります」や「ご機嫌麗しゅう存じます」「お会いできて光栄です」などを先に言うのがお作法だけれど。
身分の高い相手が先に口を開くのが母国では「礼儀」だ。確か、読んだエルフの国の本によれば、エルフの国もそうだったはず。前ブーゲリア公爵夫人は、王弟殿下の婚約者候補である私より立場が上なのだろう。
私が何か言おうとする前に、アーゲルド夫人は言葉を続けた。
「こちらの四人は、本日より貴方の専属となる侍女たちです。それぞれ名家の令嬢、彼女達からこの国の作法を学ぶと良いでしょう」
桜色の髪に、黒髪が二人、それに青みがかった髪色のご令嬢。エルフという種は美貌の種族であると広く知られているだけあって、四人とも輝く宝石のように美しい。
……あら、まぁ。
私はまた一寸、驚く。
侍女となる娘は、基本的に仕える主人と同じ髪色の者は避けられる。似合う宝石やドレスの色が被らないようにするため、また遠目から間違われることのないように。
命を狙われる状況なら影武者、身代わりとして同じ色を持つ者を側に置くことはあるが、そもそも侍女になるのは身分の高い、立派な家門の娘たちだ。身代わりに立てられるなど家門の主人の心象を悪くする。そう言う意味で、どの国でも同色の者は避ける傾向にあるはずだが。
「わ……」
『アーゲルドさまぁ、やっぱり嫌なんですけど。こんな“短命種”に仕えろなんて、あまりに屈辱的です』
『父の命令と、アーゲルド様のお顔を立てる為に、こうして侮辱にも耐えこの場にいますけれど……人間種などという生き物と同じ空気を吸うだけでこの身が汚れそうです』
『王弟殿下に気に入られれば、王族になる可能性があるからと、辛抱しなければならないことはわかっていますわ。だとしても……人間種ごときの侍女に? 悪夢のようで、わたくし今にも倒れてしまいそうですわ』
『辛抱なさい。王弟殿下も、お前達のようにきちんとした家柄に正しい教育を受けた娘たちを見れば、このようなバカげた判断を反省なさるでしょう。黒い髪の女が良いというのでしたら、お前達にも機会はあるはずです』
あら、まぁ。
私の髪色に近い三人の御令嬢が、表面的には友好的な微笑みと雰囲気を出しながら美しい声で語るのは、エルフの国の言葉。
あら、まぁ。
私はにこり、とアーゲルド夫人に微笑んだ。
「まぁ、とても綺麗なお声ですのね。エルフの方はお声までお美しいのですね」
はしゃぐように、ポン、と両手を合わせて“イヴェッタ・シェイク・スピア”は微笑んだ。
ふんわりとした砂糖菓子か、春の日差しのような笑顔の娘。他人の悪意に気付かず、その体の中に毒を浸み込ませない純粋で美しい心のままの、愚鈍で幸せな子。
アーゲルド夫人と、三人の令嬢の瞳にあからさまな侮蔑の色が浮かんだ。目の前にいるのが、頭の中に綿でも詰まっているような取るに足らない少女だと侮る目。
「なんておっしゃったのかしら……? あぁ、そうだわ。アーゲルド夫人、みなさんのお名前を教えてくださる?」
「そうすべきではございますが、生憎と……わたくしどもの名は、人間種には発音が難しゅうございます。しかし、何か用があれば彼女達の方からあなたに話しかけます。彼女達は人間種の言葉を心得ておりますので、ご不便はおかけいたしません」
厳格な貴族の顔でアーゲルド夫人は私に伝える。にっこりと、御令嬢たちもそれに合わせるように微笑んだ。私ももう一度微笑みを浮かべ、目を細める。
『もう一度言うわ。名前を教えてくださる?』
静かに発音するのは、この国の言葉。エルザードの共用語であるアテュルク語。
別に、このまま無垢なイヴェッタの顔でぼんやりとやり過ごしてもよかった。けれど、アーゲルド夫人は、私をギュスタヴィア様から引き離したいご様子。
(それはちょっと、困ります)
面白いくらいに、五人が硬直した。それでもアーゲルド夫人はさすがというか、復活が早い。直ぐに背筋を伸ばし、咎めるような瞳を向けてくる。
私が言葉を喋れた驚き、自分たちの会話を聞かれていた気まずさなどもはや浮かんでいない。その瞳にあるのは『人間種如き下等な生き物が我らの言葉を話し、そして指図した』ことへの怒り。大変プライドの高い、お根性の据わられた方のよう。
後ろに立っている令嬢たちは、顔を青くしたり赤くしたり忙しいようで『偶然でしょ!』『挨拶くらいなら知っててもおかしくないわ!』などと言っている。
『あら、名乗らないのですか? では、わたくしは名乗りもしない無礼な者を傍に置く不用心さは持ち合わせていません。ので、どうぞお帰りください。その方が、夫人たちにとってもよろしいでしょう?』
そもそもなぜ、人間がエルフ語を喋れないなどと思うのだろうか……?
確かに、ギュスタヴィア様もロッシュさんも私に話しかけた言葉は人間種の国の言葉だった。けれど、仮にも王子殿下の婚約者になる為に、王太子妃の教育を受けて来たし……イヴェッタ・シェイク・スピアの趣味は読書だ。
読書はその本を書いた者の言語で読む方が理解度が深まるし、何より翻訳されるのを待つ必要がない。言葉を覚えた方が早いなら、そうするだろう。普通は。
ガチャリと私が扉を開けて、退室を促すと、令嬢四人がアーゲルド夫人にお伺いを立てるような眼差しをした。
内心、私は「あら、まぁ! まぁ、これって!」と、楽しくて仕方ない。
これは、つまり、そういうこと!
『ど、どうしましょう……アーゲルド夫人……』
『出ていけって、言われたので……出て行く、べきなんですか?』
良いんですよ! 出ていっても良いんですよ!
言葉の通り出ていっても大丈夫です! 出て行ったらそれはそれで楽しいです!
ただしその場合……国王陛下とその弟君であらせられるギュスタヴィア様の決定に「逆らった」上に、下等な人間種如きに負けたと自尊心が傷付く。
よしんば、それに耐えられたとして、王族の仲間入りの機会を自らフイにしたと、家門の主、父親にどういう評価を下されるか。
本来なら、彼女達に教えを乞い、必死に縋るのは私でなければならなかったのだろう。エルフの国に無知で右も左もわからぬ異種族の娘。
後ろ盾と言えば、物騒な評判ばかりの王弟殿下で、エルフの女性の世界で生き抜くために、私はアーゲルド夫人や四人の御令嬢に縋って、依存して、好かれるよう必死に尻尾を振らなければならなかったのだろう。何をするにも顔色を窺い、相手が自分にわかる言葉で話してくれるのを待つ。
これまでのイヴェッタ・シェイク・スピアがそうしてきたように。
(ただ、申し訳ありません! そのような可愛げは、切り落とした髪と一緒に捨てました!)
にっこにこと、私は悔し気に顔を歪めるアーゲルド夫人を眺める。
『あぁ、別に……陛下やギュスタヴィア様には、わたくしの方からお断りしましたと申し上げます。皆さんは何も、心配なさらなくて大丈夫ですよ』
いつまでも黙っていらっしゃるので、私は追い打ちをかける。
見下す人間に、自分の今後の心配までされ情けをかけられた。
さすがのアーゲルド夫人も、これを平然と聞き流す事は出来なかったらしい。首の上から頭のてっぺんまで茹でた海の生物のように真っ赤になって、ギリッと奥歯を噛み締める。
『わ、わかりました……! 不採用、なんですね!? わかりました……でもっ、それなら、ここまでの交通費と……ドレスの貸し出し料は、どうか負担してくださいお願いします!!』
「え、交通費って?」
出て行ってもいいんですよ~、それも楽しいですよ~、と私がワクワクしている中、悲鳴のような言葉を上げたのはこれまで一言も発言しなかった桜色の髪の御令嬢だ。
私が顔を向けると、御令嬢はばっ、と私の足元に身を投げるように座り込み、服の裾を掴んで見上げてきた。
『王宮に行くからって馬車を……家門入りの馬車を用意しなくちゃいけなかったんですけど!! そもそもうちに家門入りの馬車なんかなくて! 魔法で急ごしらえに塗装したんですよ! すっごいふんだくられたんだから! わかります!? ドレスだって、もし採用になったら百着は必要だからって……うっ……いくら……いくら、かかったと……ッ、でも、お給料いっぱいくれるから行ってこいって……! あの飲んだくれのクソジジィがッ!!』
必死に縋るエルフの少女。その言葉から、なんとなく彼女の事情を察する事が出来るが……もしかすると、これは私を油断させよう、あるいはこの場をなんとかおさめようとする演技かもしれない。
『リル・イルヤ! みっともない真似はおやめなさい! それでもエルザード国の貴族の娘ですか!!』
『誇りと家門で借りれるお金には限度があるんですよ! 毎月の支払ができなくて、魔洸の供給止められたこともないお金持ちは黙っててください!!』
魔洸、確か、エルフの国の生活に欠かせないエネルギーだったはず。あれって月末請求とかだったのか……。魔法と不思議にあふれた妖精の国という印象だったけれど……なんというか、俗っぽい。
『えぇっと、リルさん? 申し訳ありません、わたくしはこの国の通貨は持っていなくて……それに、宝石とかもありませんし……』
『はぁ!? つまり債務だけ増えたってことですか!?』
『あ、いえ……えぇっと……』
アーゲルド夫人たちとは違う種類の怒りを向けられ、私はたじろぐ。
『ギュ、ギュスタヴィア様に……お願いしてみます。わたくしの為に、ここまで来てくださった方ですもの、きっとお礼をしてくださいますよ』
『きっと、とか、多分っていうのはね……絶対に信用しちゃいけない言葉なのよ。とくに、金銭が絡んでるときはね……! きっと支払う! 多分払ってくれる! 何度騙されたことかッ!!』
『えぇ……それは、お気の毒に……』
どうすればいいのだろう。
以前であれば、困ったときは即座に神様に御祈りして、なんとなく解決してきた。あれは、あれで便利だったなぁ、と思い出しながら私が言葉に詰まっていると、リルさんはぐいっと、私の胸倉を掴んだ。
『今ッ、同情したわね!? したわよね!? 可哀想だと思った!? なら、助けて! そう、つまり、採用して! それで全部解決するから、採用してよー!!』
え、えぇえええ!?
『い、いいんですか!? わたくし、人間種ですよ!? その人間種の侍女とか、嫌じゃないんですか!?』
『そんな小さな拘り如き、借金が返せるならドブに捨てます! 私、育児掃除洗濯家事全般なんでもできます! 魔物討伐も経験あります! 家庭教師のお仕事もしていたのでそれなりにこの国の教育も出来ると思います! 何なら人間種の言葉も話せます!「はい! リル・イルヤ子爵令嬢! 歳は167歳! よろしくお願いしますご主人様!!」』
後半は流暢な、私になじみ深い言葉で話してくれる。
あまりの勢いに、私は「は、はい、採用で」と、頷くしかなかった。
リル・イルヤ子爵令嬢!
結婚詐欺に遭う事6回!
押し付けられた借金+父親の作った借金+家門の昔からの借金の総額、日本円で15億円くらい!
(エルフは長寿なので借金作ると桁がおかしくなる)





