3、ギャンブル
「うん、切り花だーっ!!」
ギュスタヴィアが大切に扱うようにと再三言ってきた相手であるので、人間種にはもったいない豪華な部屋が用意された。王宮の、他国の来賓が泊まるための部屋。調度品の一つ一つが最高級品。黒髪の人間種の娘が横たわる寝台にしてみても、千年前に火鳥の王妃が使用した歴史があるもの。
人間種の感覚で言えば豪華絢爛な宮殿に、その辺で拾ってきた野良犬か野良猫を招き入れて懇ろに扱っているような、そんな滑稽さ。
まぁ、それはどうでもいいとして。
その豪華で大変ご立派な部屋にやってきた、エルザードの民に愛され尊敬される至高のエルフ、最愛王ことルカ・レナージュ。
この国で最も身分が高い者が頂く王冠をゴロン、と頭から落とす程がっくり、ざっくり、と、その場に膝を突き項垂れた。
「ばっかじゃないのかあの化け物ーッ!嫌がらせか!?毎度毎度人の地雷の上で小粋な踊りでも踊ってんのかって気安さで問題ばっかり起こしおってー!!」
思い起こせば数々の、弟が引き起こした苦労。
今は亡き父王の首を切り落として玉座から蹴り落とし、歴史ある北の宮殿を火の海にした時が「一番酷い」と思っていたが、その後次々に記録を塗り替えられてきた。
そして今、よりにもよってこの宮殿に“冥王の花”なんぞ連れ込みやがりました事で、レナージュの「愚弟がした一番最悪な事」が新たに更新された。
中庭で目にした時はギュスタヴィアの強い魔力と、個人的な恐怖と動揺で気付けなかったが、落ち着いて見てみれば、誠にもって残念極まりないことに例の人間種の娘の正体は親友が告げた通りであった。
「あ、あの……陛下?」
ドンドンと悔し気に床を叩くレナージュに、恐る恐る声をかける者がいる。ロッシェではない。乳母兄弟にして宮廷魔術師ロッシェはレナージュの為に扉を開けたのでまだ部屋の外だ。
はっとして顔を上げれば、ケテル伯がこちらを気遣わし気に見つめている。
レナージュはコホン、と咳ばらいをした。他人の視線のある場所では偉大にして親愛なる最愛王として振る舞うべきで、そうしたいと彼自身考えている。
「うむ。話はロッシェより聞いている。大義であったな。ケテル伯」
「はっ。有り難き御言葉……っ」
床に王冠を落としたことなどなかったように、流れるような自然な仕草で立ち上がり、王の顔で口を開けば、ケテル伯が畏まる。
……正直、よく生きて戻って来たなー、と、レナージュは驚いている。先代のケテル伯は有能だったが、今回の当主は色々問題のある当主だそうで、伯爵の一族の者たちが「死んでくれて構わない」と差し出してきた。
レナージュは表面上はそれを真に受けたように受け取って、あとで「おのが主を裏切るような者は信用ならぬ」と家門の者ども全員皆殺しにして領地と財産を回収するつもりだったが……今は、よく生きてたな、と驚くだけだ。
「苦労をかけたようであるな」
「いえ、そのような……!わたくしは幸運と、国王陛下の御威光により、かの地よりこうして無傷で戻ることができました。しかし……他の者たちは」
「よい、何も申すな。全ては余に責任がある」
「陛下……ッ!」
茶番だ。
ケテル伯とて、自分が捨て石にされたことに思い至らないわけがない。それでも王を信じる家臣のふりか、あるいは、王は関わっていないと本気で信じているのか。
レナージュは跪くケテル伯から視線を外し、寝台の方へ顔を向ける。
「……畏れながら陛下。その人間種の娘は……」
「切り花であろう」
「っは。わたくしがこうしていられますのも、その娘が……王弟殿下を、止めてくださったからにございます」
だからなんだ。それがどうした。
レナージュは寝台に近付き、眠る人間種の娘を見下ろす。
この世に人間種をばら撒いた“神族”どもが、自分たちを滅ぼす仕組みとして生み出した存在。滅びたければ自分たちだけで勝手に滅んで消え果てれば良いものを、世界を巻き込まなければ、何もかも滅ぼさなければ意味がないと言う迷惑極まりない者どもだ。
その“神族”の夢見る滅びを叶える者。そんなものが舞い込んだのなら、当然己は焼く以外の選択肢がない。
「陛下……ッ、その切り花は、その娘は……王弟殿下を、抑える事の出来る存在にございます……!どうか、お考え直しください!」
「身の程を弁えよ、ケテル伯」
無言を貫くレナージュの代わりにケテル伯を咎めたのは、入室したロッシェだった。
「王のお考えに貴様程度の者が口を挟むなど、あまりにも不遜に過ぎる」
折角拾った命を捨てるのか、という警告じみた響きがあった。それを理解し、ケテル伯は押し黙る。ぎゅっと、唇を噛みしめ、再び顔を伏せた。
「やはり殺しますか。兄上。やはり、そうなりますか。しかし、それは、私がいるので、無理でしょう」
「っ、貴様ギュスッ、」
「喧しいぞ犬。煩く喚くな」
室内に、新たな気配が現れた。
ケテル伯を見下ろしていたロッシェの頭を蹴り飛ばし、その宮廷魔術師が反撃に転じようと唱えた魔術を無詠唱、魔力の強さだけで打ち消した人物。
銀色の髪を魔法の灯りの下で輝かせた長身のエルフは、黄金の瞳に冷酷な光を宿し、ギュスタヴィアは剣を抜いた。
「……化け物め」
仮にも王の前で剣を抜くなど、許されることではない。反乱反逆、その場で取り押さえられ即刻処刑されるべき振る舞い。だが、ギュスタヴィアを取り押さえられる者などこの世にはおらず、法に守られぬ存在は法で縛られることもなかった。
レナージュの口から洩れる言葉には、憎悪と嫌悪、それに隠しきれない軽蔑が孕んでいた。白々しい態度での謁見。諸侯の前での大人しさ、何もかも茶番。一瞬で全てを台無しにできる者だからこそ、面白がって茶番をしていたのだろう。何もかもを馬鹿にしている。
お前が妻だと。冗談も休み休み言え。お前のような者がまともなふりなど、虫唾が走る。ひとがごく自然に当り前にできる事の一切、理解できず理解する努力もしてこなかったお前のような生き物が。まともなふりをして、他人を嘲っているのだろう。
「やはり、報復に来たのだろう。俺を殺しに来たのだろう。この地で竜を孵化させるか。この俺を、よりにもよって、敵対者であり世界の守護者であるエルフの地で、竜を孵化させた最悪の王とでもするつもりで連れ込んだのだろう」
「いえ、兄上。違います。妻だと言っているじゃありませんか。彼女はもはや神に祈ることはしません。ゆえに、この美しいエルフの国で、世界で最も美しい花嫁衣裳を着せて、式を挙げるのです」
……。
剣を抜いて、この国で最も優秀な魔術師を足蹴にして、この化け物は何を言っているのだろうか。
レナージュは思考が停止しかけた。が、考える事を止めてはならないという王としての意地がある。思考を、がんばって、それはもう一生懸命、止まらないように、巡らせた。
いつの間にか立ち上がったケテル伯が、視界の端で「そーだそーだ!」「だから言ったじゃないですかー」と何やら、喚いているような気がする。
「んなバカな話誰が信じるかよ!」
ひゅん、と、ロッシェがギュスタヴィアに短剣を投げつけた。同時に展開される魔法陣、鎖や光の渦が身を拘束し、焼くもの。それらをギュスタヴィアは一瞥することもなく霧散させ、ロッシェが振り上げた剣を弾き返す。剣が吹き飛び、音を立てて転がった。
「……貴様」
しかし、剣を弾き飛ばされた瞬間、ロッシェの姿はかき消えた。一瞬の転移魔法。ギュスタヴィアを越えて、寝台。そこに眠る人間種の娘の首をロッシェは掴みその胸に短剣を突き付けた。
「えぇええ!?馬鹿!?馬鹿なんですかブーゲリア公!!」
ケテル伯が突っ込みを入れるが、ロッシェの耳には入らない。
「神に祈らないだと!?ンなわけあるか!切り花だぞ!?祈らなきゃ用無しだ!水を与えられない花は枯れて……」
言葉は最後まで続かなかった。
乱暴に体を引き起こされた人間種の娘が、目を覚ましていた。ゆっくりと瞼を開き、その菫色の瞳が明らかになる。
その目が、ロッシェを見つめた。
体が動かなくなる。何かの魔法や魔術ではない。
その娘の瞳が自分を映した途端、理解した。自分が喚いた言葉の何もかも、既にこの娘は承知していることだと、その理解。
「っ、」
「お、おい!?」
ごほり、と、娘が咳をする。小さな赤い唇から漏れるのは赤黒い血だった。
「イヴェッタ」
ロッシェが動揺していると、その体は再び蹴り飛ばされ、ふわり、とギュスタヴィアが切り花を抱きしめた。
吐血する娘を抱き、その血で体が汚れることも厭わない。弟のその姿に、レナージュは沈黙した。
『神に祈らぬのならば死ね』と、そのように定められた娘を、神の威光の届かぬ地まで連れてきた弟の、その真意。
「……え、妻って……お前、本気で言ってたのか?」





