39、立てば悪女、座れば聖女、歩く姿は神の花
思えば、出ていけ、と言われたので、出て行きました。
イヴェッタ・シェイク・スピアは思い出す。
婚約者。初恋の相手。第三王子さま。同級生。呼び方は何でもいいのだけれど、その方が、どうもどうやら「真実の愛」というものを見つけたようで、婚約解消、からの、国外追放。そう声高に言われた光景は、この数か月色々あり過ぎて遠い昔のようにも思えた。
けれど月日にしてみれば三か月かそこらという程度。
たった三か月。
その事がイヴェッタには信じられなかった。学園に通った歳月の方がもっと長いというのに、その間に自分が学んだこと、他人と言葉を話した時間は、この三か月よりずっと少ないのに。
自分が切り花。竜に成る存在と知って、出て行かない方がよかったのだろうと、そんなことを、考えもした。
そうすれば、自分の正体も知らず、ただ微笑み、神々に祈る日々。淡い祝福の光と戯れ、穏やかな日々を、優しい家族や神々を敬愛する神官様たちとだけで過ごせただろう。
イルミレアや、この街の人々は、自分が関わった為に苦しみ、傷付くことはなかった。
(いいえ)
自分が気付かなかっただけで、自分が関わった為に不幸になった人はたくさんいるのではないか。そんな予感もした。
*
「今回の騒動について、主犯者をバルトルとしことを収めるつもりです」
ドルツィアの貴族にして、ルゴの街を治める領主であるケレメン・ダラス辺境伯は岩のような顔の大男だった。
華やかな貴族というよりは歴戦の勇士。普段はここより争いの多い土地、隣国アグドニグルに近い砦にいて、長子に街の統治をある程度任せていたという。
混乱するルゴの街に騎士団を率いてやってきたケレメンは、見るからに異質な存在であるギュスタヴィア、微笑む得体の知れない令嬢イヴェッタ、そして聖王国より派遣された奇跡の調査官であるノートルと合計四人での話し合いを求めた。
ケレメンは此度の一件について、有力な商家の息子がくだらぬ野心を抱きこの街を我が物としようとしたと、そのような顛末を語った。
ノートルもその主張に反論はない。元々、神の奇跡を我が物とし利用しようとしていたバルトルはノートルの判定では「重罪人」だった。領主がここで反逆罪とせずともその名を焼いただろう。
「平民を友とし、野心を抑えきれなかった我が息子クレメンスにも責任を取らせます」
「ほう、どのようにですかな」
クレメンスはダラス家より除籍。母親と共に母の生家に身を寄せる事となった。
また、既にバルトルの父マーカスとも話はついており、神殿を謀った罪や街へ与えた損害として多額の賠償金を支払う事、ダラス家が統治する土地で二度と商売が出来ない事など、これまでため込んだ富と財産を全て吐き出すことになったようだ。
「嫡男を。それは、それは……」
貴族として優秀な後継者を失うことは、家門にとってどれほどの損失か。ノートルも理解している。そこまでせねば責任が取れない程の事態であると重く受け止めているケレメンを評価するように頷くノートル。
「しかし、それでは後継の座が空きますな。僭越ながら、此度の一件が落ち着くまで我々神殿側がご協力できることはございませぬか」
辺境の地を治めるダラス家に跡継ぎがいなくなる事は、ゆゆしき事態を招きかねない。クレメンスがこの街の統治を任されていたのなら、その席が空白になり、しかし他国との睨みあいでケレメンがこの街に留まることは難しい。
案じるような口ぶりのノートルに、ケレメンも頷いた。
「ご厚意傷み入る。後継には、実は既に考えている者がおりましてな」
「さようですか。優秀な者が家門に多くいることは喜ばしことです」
「えぇ。しかし、お恥ずかしながら一つ問題がありましてな。ぜひとも、神殿側にご協力頂きたい、いや、ご相談したいことが」
その後継者に考えている者は、非嫡出子。二十年以上昔に関係を持った使用人、平民の女が産んだ子で、認知はしていなかったという。
ノートルは頷いた。
「神殿の古い記録を遡りましょう。もしやその女性とどこかで結婚の約束をした覚えはありませんか? そうですね、例えばもう亡くなった司祭が、公式な記録でなくとも日記か何かに、記録していたかもしれませんな」
「おぉ、そう言われてみればそのような記憶が」
ねつ造。癒着。云々。
この街の今後のために必要なこと。
イヴェッタはそれらの話を黙って聞いていた。
案外早く、再びノートル卿と会えた事に華やぐ心はあったが、今は関係のないこと。
淡々と語るケレメン。初対面だが、どこかで見たような気がした。その予感は、今口に出すべきではないとわかって黙る。
ちらりと、イヴェッタは斜め後ろに立つギュスタヴィアを見た。
豪華な一室。ダラス家の所有する屋敷の応接間は広々とし、そして客をもてなす為にあつらえられた調度品のセンスも良かった。座り心地の良い椅子に腰かけるイヴェッタの後ろに立ち、座ることをしなかった。
自分と同じように何も言葉を発しないギュスタヴィアが何を考えているのか。
イヴェッタの視線に気づいたギュスタヴィアが、その黄金の瞳をこちらに向ける。目を細め、僅かに口の端を釣り上げた。
「……」
……途端。ギュスタヴィアのその表情を見た途端、いや、笑いかけられた途端。イヴェッタは自分でも意外だったが“驚いて”いた。
菫色の瞳を僅かに見開き、瞬きをする。
「……ギュスタヴィアさま」
思わず名を呼んでしまうと、淡々と“茶番”を行っていた二人が会話を止めた。
この場で最も警戒すべき存在は長身のエルフであることに間違いはないが、だからと言って、一見は無力で無害そうな無欲な令嬢が、その見かけ通りだとは思っていない。
イヴェッタは二人の会話を止めてしまったことで、自分がこの“茶番”、お決まりの流れ、俄狂言、呼び方は何でもいいのだけれど、権力と責任のある人間が「こうしよう」としていたことを、邪魔してしまったのだと感じた。
しかし二人は自分の次の言葉を待っている。イヴェッタは一度目を伏せた。
ケレメンがこの場に、ノートルだけでなく自分とギュスタヴィアを同席させた理由について考える。必要だったのだ。このパフォーマンスを、見せる事が。
イヴェッタは、バルトルによって仲間を傷付けられ、また命を狙われた。そのバルトルが今後どのように扱われるか、死んで終わりではなく、この街の人々の記憶にどう残るか知らせる事で、納得してもらう必要があった。
そしてそれだけではない。
「……」
イヴェッタは言葉を発するべきか、躊躇した。
言いたい言葉はある。しかし、言うべきではないと、わかっている。
言ってもしようのないこと。誰も得をしないし、折角収まる筈の何もかもが、まぜっかえしになってしまう。
悪いのはバルトル。
間違っていたのはクレメンス。
この街に必要のないマーカス商会。
そうすべきで、そうなるべき構図が出来ていて、この街の今後に関わらないイヴェッタが口出しなど、すべきではないとわかっている。
このまま幸せになれる者が多くいる道が決まったのに、自分の一言は、確実に、それを台無しにする。
「……」
沈黙するイヴェッタの髪に、ギュスタヴィアが触れた。一瞬、ノートル卿の机に置かれた手が小さく動く。
イヴェッタが言わないのなら、代わりに自分が言ってやろうかという意図であるのはわかった。
微笑み、イヴェッタはゆっくりと息を吐いた。
ケレメン・ダラス辺境伯と、フラウ・ノートル卿のされていることは人の世のために正しいことであると言える。
ノートルは、神や宗教は人の世が正しくあるために必要だと言った。
けれどイヴェッタは。
イヴェッタ・シェイク・スピアは、飲み込めない。
これで何もかもめでたしめでたしになるのだとしても、一つ。
「サフィールさんのご家族を殺したのは、ケレメン・ダラス辺境伯ですね?」
*
茶番を、そのままにしておくべきなのだと、イヴェッタは何度も納得しようとした。これでなにもかもめでたしめでたし。
悪いのはバルトル。止められなかったクレメンスは責任を取る。
不遇だったサフィールは実父に認知され、その能力を正しく使える立場を与えられる。
奇跡の降ったこの街は、過去の悲劇を忘れただ「誰が悪かったのか」だけが時折思い出されるだろう。
その奇跡を齎した「旅の女性」を保護したサフィールはその功績を認められ、箔も付く。
この街の権力者が望んだ「正しい未来」その為に、何が裏で行われていたのかなど、今更騒ぎ立てる必要などどこにもない。
(けれど)
イヴェッタは両手を胸の前で合わせ、一度目を伏せた。
「罪なき人を、幼子を、老人を、貴方は殺めました。駄目です。それは、いけません」
ケレメンがバルトルの暴走を、野望を、知っていて放置していた可能性があることをイヴェッタは察している。それを責めるつもりはない。けれど、この一点は、駄目だ。
サフィールが今後そうと知らずに生きること、ケレメンを父と敬愛することを気の毒に思うつもりはない。それは当人たちの問題だ。けれど、この一点は、駄目だった。
「公表しろと言うつもりはありません。あなた方の望む筋書を変えろというつもりもありません。ただ一点、ケレメン・ダラス辺境伯。貴方が、ご自分の願いの為に何の罪もない家族をその手にかけたことを、心から悔いてください」
「……」
一度言い出しては止まらなくなったイヴェッタを、ケレメンは失望するように眺めていた。
なぜこんな愚物。取るに足らない、政治的判断も思考もできない小娘が、神の奇跡を齎せるのか。あまりに短絡的なものの考えしかできない小娘に呆れ、しかし言葉はゆっくりと選んだ。
「後悔し苦しめと?私は私の行動に何一つ恥じる事はなく正しいと信じている。そうすべきであったから必要なことをした。それを悔いては道が濁り、それこそ犠牲となった者たちへの侮辱となろう」
「侮辱……?一方的な理由で命を奪われる以上の侮辱など……」
「戦場に出たことも、また他人の命を奪い道を行くことのないお優しい女性にはわからんだろうが、世にはそのようにして進むしかない道もあるのだよ」
「奪われた命が戻るわけではありませんが、悔い改めることは必要です」
ケレメンが鼻で笑った。
吐き出された言葉に、イヴェッタは一瞬奇妙な、苦しむような、妙な微笑みを浮かべる。
「わたくし、自分勝手に他人を死なせたことなら、ありましてよ」
「愛しい妻よ。面倒な物言いはもういいでしょう。つまり、単刀直入に、はっきりと、わかりやすく、言ってやればいいのです」
ギュスタヴィアがスッ、と一歩前に出た。座るケレメンを見下ろし、黄金の瞳を細める。
「つまり、我が妻が言いたいのはこうだ。今すぐ悔い改めねば、神の裁きが下るぞ」
言った後に、ギュスタヴィアが酷薄な笑みを浮かべてしまったのは、ケレメンへの侮蔑ばかりではなかった。よりにもよってこの自分が、そのような言葉を吐くことになろうとは、という自身への嘲笑だった。
言われたケレメンも、一瞬何を言われたのかわからず目を見開く。
人間種の崇め奉る神など信じぬような、冷酷な目をしているエルフが「神の裁き」だ「懺悔しろ」だなどと、冗談でも言われたのかと、ここが酒の席だったならそう判じただろう。
一瞬の後、ケレメンは大笑した。
大きく口を開け、腹の底から笑い飛ばす。そして、ドンッ、と机を叩いた。
「我が行いの正しさは我により熟慮された故のこと。薄っぺらな正義感で、小娘が我が罪を裁くとは片腹痛いわ」
「そうですか。残念です」
「令嬢ッ!」
ケレメンの言葉にイヴェッタが目を伏せる。その反応に、ノートルが立ち上がり、イヴェッタを呼ぶ。
何を、と、ノートルが言葉を続ける暇もなく、ケレメンの体が黒い霧に包まれた。
『呼び掛けたか、我が娘、我が花、我が愛。何を望むか、この父に。何を願うか、この冥王に』
空間が歪み、光を一切通さない闇。
禍々しくさえある黒。
そこから黒い爪が伸び、ゆっくりと姿を現したのは長い黒髪の男。
大きな黒い角を持ち、血の気のない真っ白な肌をした黒衣の男は、イヴェッタに顔を向けて小首を傾げた。
ふぁぃお。





