38、戦闘狂の王弟・ギュスタヴィア
「いや、本当……戦って、くださいよッ、何やってるんですか……!」
背に、自分がまさか、背に、あの恐るべき戦闘狂いの血塗れ王子、いや、今は王弟殿下を庇って、必死必死に、弓を引き絞るハメになるとは思わなかった。
黒杭に打たれ、雷に焼かれ、蠢く泥に引き摺られた程度でどうにかなるような方ではない。
一瞬の油断があったけれど、それでもどこ吹く風で涼し気にこの場を自分の宮殿のように扱い君臨するだろう、御方が!!
「殺せ!エルフだ!」
「殺せ!こいつが魔物を呼び寄せたんだ!」
「折角ドラゴンが助けに来てくれたのに、邪魔しやがって!」
「殺せ!」「殺せ!!」「石を投げろ!」「魔法を使うだろうから!」「気を付けろ!!」「今なら弱っているぞ!」「神の裁きだ!!」「雷に打たれた、やっぱり、あいつが何もかも悪いんだ!」
竜も眷属も、神々も、この方が本気で殺意を抱けば敵ではなかった。シフは、年若いエルフの娘は唇を噛みしめる。心から滲みだしてくるのは、悔しさだ。
人間が。この街の人間どもが、愚かにも何もかもの責任を異物だ異端だ、異常な存在だと、エルフの自分たちに押し付けて、それで安心したがっている。
「……シーフェニャ」
剣で体を支え、人間たちにぶつけられる石をそのまま身に受けながらギュスタヴィアがシフを呼んだ。
一瞬、シフはこの状況で場違いな驚きが湧く。王弟殿下が、この自分の名前を憶えてくださったのか。妙な居心地の悪さがあったが、それはくすぐったいという、そういうもので嫌悪ではない。
「なんです!」
「人間種どもに、爪の先ほどの傷もつけてはならない」
「はぁあ!?まだ言いますそれ!!?」
この状況で何を言ってるんだ。いや、先ほども、武器を持った人間たちが自分たちを遠巻きに見ていた時も、ギュスタヴィアはシフにそう忠告した。
「わかってます!?殿下!!この状況、本気で……死にますよ!殺されますよ!!私は逃げますけどね!!狙われてるの殿下なんで!!」
「好きにしろ。とにかく、人間種に手を出さぬように」
「だから……なんで!?」
「イヴェッタが悲しむ」
ヒュッ、と、シフは息を詰まらせた。
何やら惚れているらしいことは、シフも理解していた。
何か、お気に召されたのだろう。どうせロクでもない感情から。
先ほどだって周囲に彼女の注意を引くものがあれば嫌がって、癇癪を起すような身勝手さ。
それが、まさか。
「そんなことで!?」
エルフが。
誇り高き深緑の民、妬む神に従わぬ事を誇りとしている我らエルフの、その王族が。
たかが惚れた女一人の心を慮って、取るに足らない愚かな人間種の罵倒や暴力を受けている。
シフには衝撃的な事だった。
自分の命の為に、イヴェッタというあの人間種の娘にはうまいことやって頂きたい、とは思っていた。あの王弟殿下を少しはマシにしてれるかもしれないという打算。
しかし、それは、例えば人間種が犬や猫を飼って穏やかになるような、そういうもの。悪逆非道の人物がか弱い子猫を保護して人間性を得て行くような、そういう感覚だろうとシフは判じていた。
ギュスタヴィア王弟殿下は、シフにとって恐るべき存在だ。過去に国で起こした騒動の数々と、今なお自分の親世代はその名を口にする事すら恐れている。
恐怖の対象、ではあるが、しかし、それは人間種どもにこのように、気安く扱われていい事にはならない。エルフにとって畏怖すべき存在であるギュスタヴィア。それを、人間種ごときが傷つけ自分たちの感情のはけ口とするなど、そのようなことは、あってはならない。
シフは唇を噛み、溢れる血を拭った。
「戦ってくださいよ!王弟殿下ッ!こんなやつら、こんな、戦士でもない連中、簡単に蹴散らせるじゃないですか!」
ギュスタヴィアは答えなかった。シフは顔を歪め叫び続ける。
「言って……言って、おきますけどね!王弟殿下ッ、望み薄いですよ!っていうか、皆無です本当!あの人間種の娘、切り花なんでしょう!?枯れて死ぬか竜になるかどっちかしかないような生き物じゃないですか!そうでなくても、あの娘、殿下を好きになんか、ならないですよ!わかってるでしょう!わかって、らっしゃる筈じゃないですか!ご自分が、何かから、愛されるとでも!?ご自分が、何者か、御存知じゃないですか!!」
一気に言った。不敬極まりないことも、残酷なことも、何もかも言って、シフはギュスタヴィアの感情を引き起こしたかった。怒ってくださってもいい、自分を殺すついでにでも、人間種どもを倒してくださったらいい。
我らがエルフの王族が、こんな人間どもに傷つけられることなど、シフには許せなかった。
「妻になると」
怒鳴るシフと対照的に、ギュスタヴィアの声は冷静だった。イヴェッタへの恋心ゆえに無能に成り下がった男が出すには冷静だった。
「言ったのです。私の妻になると、そう。言いました」
ただの口約束。エルフの使う黄金の契約書に、神の配下にある人間種を縛ることなどできない。そんなこと、誰よりも王弟殿下が一番よくわかっていらっしゃるだろうに、なぜ、どこか嬉し気な響きさえ含ませて、告げるのか。
シフには理解できない。
一体、だからなんなのか。それが、なんなのか。たかが、そんなことで、ギュスタヴィア程の者が無力になれてしまうのか。
街の住人だけでなく、冒険者らしい連中もいつの間にか集まって来ていた。連中は厄介だ。魔術道具も扱う。案の定、魔力を感知した。魔力のない物でも扱えるように作られた武器だろう。エルフを倒して箔でも付けようというのか、正義感からか、そんなことはどうでもいい。
「もういいです!もう、好きにしたらいいんじゃないですか!?王弟殿下が死にたいならお好きにどうぞ!でも私は嫌ですから!戦いますけどね!」
「人間種を僅かでも傷つけて見ろ、私が貴様を殺すぞ」
「もう嫌この殿下!!」
「なら逃げればいいだろう」
「腐っても私は貴族ですよ!伯爵なんですよ!王族を見捨てて逃げるとか、無理です!」
「私を殺しに来た者が何を言うか」
それはそれ、これはこれだ。
シフは弓を構え、最初に来る攻撃に備える。
人間種に殺されるより、ギュスタヴィア殿下に殺される方がましで、そしてどうせ最初からそうなるはずだったのだ。少し予定より遅かっただけ。不敬罪で今まで殺されなかったのが、思えば不思議なのだ。
腹を括るシフ。気がかりなのは弟のこと。親類たちはこぞって弟を当主にと祭り上げようとしているが、弟はまだ幼く、そして気弱だ。殺されることこそないだろうが、良いように使われることは間違いない。
「まぁ! ギュスタヴィア様……随分……ボロボロですのね」
この状況にそぐわない、のんびりとした声が聞こえた。
ぴくり、とシフの後ろのギュスタヴィアが反応する。長い耳が動き、顔を上げる。
走ってきたのだろうか。頬を赤く染め、息を弾ませた菫色の瞳の娘が立っていた。着ている服は引っ張られでもしたか、伸びてあちこちが破けている。ボロボロ、というのならそちらもだろうとシフは、そんなことをぼんやり思ってしまった。
「折角綺麗なお顔ですのに、あぁ、でも、そういう顔もお綺麗ですね」
突然現れた女。
一体何者か、と人々の動きが止まった。けれど、広場で暴れた女を庇った娘と、その記憶がある者が何事か叫ぶ。
それらが人の心に恐怖あるいは疑念を生み出す前に、イヴェッタが白い手を上げて微笑んだ。
「はい、わたくし、こちらの方の妻です。街に引き入れたのもわたくしです。それと、この街が魔物に襲われる結果になった、その原因は、わたくしです」
「な、なにを……!?」
何を、言っているのか。
シフは驚き、声を上げる。それは街の人間たちも同様だった。
突然の告白。しかし、確かに、言われてみればこの娘はよそ者で、得体が知れなく、そして、美しかった。
美しい者は、正しくなければ魔女か悪魔の使いだと、そう、誰かが言った。他人に害され荒れた姿をしていても悠然と微笑むなどまともな頭の女ではない。思えば広場で悪い女を庇った時も不遜だったと、そのような意見、感情、評価と成っていく。
街の者、正義感の強そうな真面目な顔の男がイヴェッタの腕を掴んだ。無力で非力な娘と分かった。ギュスタヴィアに石を投げていた者たちが、今度はイヴェッタの髪を掴み、魔女なら縛りあげて燃やさなければと、憤る。
人に埋もれていくイヴェッタが、シフたちに顔を向けた。目がじぃっと、こちらを見ている。
「ギュスタヴィアさま」
小さく、赤い唇が動いた途端、シフの体の真横を、何かが過ぎ去った。
瞬時に何十人もいた人間たちが倒れる。死んではいない。皆、脚の腱を切られたか、動けないよう気絶させられたか、何かしらの対処をされている。
「……何を、考えている?」
ギュスタヴィアはイヴェッタを抱き上げていた。顔は理解できないというように、歪んでいた。口調も平素のものに戻っていて、シフはギュスタヴィアが怒っていると気付く。怒っている、その理由は、イヴェッタが街の人間たちにあえて自分を魔女だなんだのと思わせた事。
自分が助けに入らねばどうなっていたか。ギュスタヴィアが、助けるとわかっていた、その目。シフは思い返す。微笑んでいた。必ずギュスタヴィアが、怪我をしていてもなんでも、必ず自分を助けてくれると、イヴェッタは考えて、あのようなことをしたのだ。
ゆっくりと、イヴェッタはギュスタヴィアの腕の中で息をした。ここに来るまでにも何かあったか、血のにおいがシフの元まで届く。神々の恩寵で傷などすぐに治るはずの切り花が?
「ギュスタヴィアさま」
「……何です」
「わたくしを竜にしたいと、おっしゃっていましたね。竜になって、一緒に世界に復讐しようと、そうおっしゃいましたね。それは今でも、変わりませんか?」
「……」
ギュスタヴィアは答えなかった。
……っておい、そんなこと考えてやがりましたのか王弟殿下と、シフは突っ込みたい。
「わたくしは嫌です。竜になんて、なりたくありません。ギュスタヴィアさま、わたくしの旦那さま。どうか――わたくしを、助けてくださいませんか」
片手でギュスタヴィアの頬に触れる美しい娘は、まるでおとぎ話のお姫さまか何かのようだった。
しかし、なぜだろうか。シフはゾワリ、と、その姿、言葉に恐怖を覚える。
魔女だ、なんだ、と。そのような戯言、愚かで疑い深い人間種の妄言。けれど、けれど、シフは寒気、恐怖、おぞましさを感じた。
「えぇ、構いませんよ」
だというのに、乞われたギュスタヴィアは目を細め、イヴェッタの手を取り、唇を落とす。
得体の知れない女の甘い言葉に、酔いしれる愚かな男ではない。
何もかも、シフや他の誰もが理解できない不気味な女の本心を、承知の顔で受け入れる。
(この夫婦……一緒にさせちゃいけなかったんじゃ……)
シフは心の底から、そんなことを考え怯えた。
純愛ですね。





