5、一方その頃、王都の王子様は①
「は?来ていない……?なぜだ?」
第三王子ウィリアムは、寝所にて間の抜けた声を出した。
昨晩の卒業パーティでは、自分は雄々しく悪女を断罪し、正義とはどういうものかを貴族たちに示した。男爵令嬢だからとぞんざいな扱いを受けていたマリエラを庇護したことにウィリアムは満足していた。いつも一人でいて根暗に本ばかり読んでいるイヴェッタと違い、マリエラはウィリアムの一挙一動に興味を持ち、素直に感情を表に出してくれる。王族であっても対等の人間として見てくれるマリエラはウィリアムが望めばどんなこともしてくれた。
パーティでは常に笑顔で自分の側にいてくれて、他の貴族たちもマリエラの愛らしい振る舞いに目を奪われているようだった。他の男たちの嫉妬の籠った視線を受けるなど男にとってこれほど気分の良いことがあるだろうか。
「ウィルぅ……どうしたの?」
ウィリアムの隣で眠っていたマリエラが目を覚ます。何も纏っていない彼女はするりとウィリアムの体に抱き着いて、上目遣いに見上げてきょとん、と小首を傾げた。その白い胸元に口づけを落とすと、甘い声を上げてマリエラが喜ぶ。そのまま明け方までした行為を再開させたい欲望にかられたが、部屋の中にいるのは自分とマリエラだけではないことを忘れてはいない。
「殿下のおっしゃられるように、我々もスピア伯爵令嬢がいらっしゃった場合即座にお通しできるよう、控えていたのですが、今のお時間までそれらしい方はいらっしゃっておりません」
部屋の隅には護衛騎士が控えている。卒業パーティで、第三王子が婚約破棄を相手に突きつけたことを自慢げに話され、思う事がないわけではなかったが彼は職務に忠実だった。
ウィリアムは寝所に男爵令嬢を連れ込み、裸で戯れながら、元婚約者が自分に赦しを請いにやってくるだろうから、部屋の外でずっと待たせて置けと命じた。
そして一晩中自分の行いについて深く考えさせ、反省させてやろうとしたのだが、護衛騎士は伯爵令嬢など来なかったという。
「……ふん、なんだ。伯爵家に閉じこもっているのか?相変わらず常識を知らない無礼な女だ」
自分の不興を買ったのだから一刻も早く謝罪に来るべきだろう。しかし、もしかすると娘が馬鹿をしたと、伯爵に閉じ込められたのかもしれない。考えてウィリアムの口元に笑みが浮かんだ。普通はそうだろう。自分の娘が王族との婚約を解消され、その上、疎まれたなど普通の親であれば激怒して娘を閉じ込める。
そうなれば、まぁ、自分のところに謝罪に来るのは難しいか。だが、それなら伯爵がすぐにでも来るべきではないか。
「だが、伯爵も来ていないのか」
「あ、もしかして、父親はウィルのお父さんのところに行ってるんじゃない?おとなどうしのはなしあい?ってやつするじゃない?」
「あぁ、そうか。マリエラは頭が良いな」
「えへへ~。でしょう?」
頭を撫でると、マリエラは嬉しそうに微笑む。
マリエラのおかげで不快な気持ちがなくなった。自分に直接謝罪に来ない伯爵を不敬と思うが、王家が認めた婚姻を娘の不始末で台無しにしてしまった罪は、家門の代表が王に頭を垂れて処罰を受ける必要もあるだろう。
スピア伯爵家は大した家ではないが、取り潰して得た領地や財産はマリエラの父に引き継がせるのもいいかもしれない。自分の新しい婚約者が男爵令嬢というのに偏見はないが、男爵令嬢が王族と親しくすることをひがむ者は忌々しいことにイヴェッタだけではないだろう。
その事をマリエラに告げると、マリエラはやや大げさに感じるくらいに驚き喜んでくれた。
「え!?ウィル……パパを伯爵にしてくれるの?あたしのために!えー!!うっそー!ありがとう!!」
「スピア伯爵の領地はそれほど広くないが、土地が豊かでこの十八年一度も凶作になったことがない恵まれた土地だ。きっと父君も喜んでくれるだろう」
「うん!ありがとう!ウィル!」
大好きー!とマリエラがウィリアムに抱き着く。柔らかな胸の感触に、甘い匂い。甘い舌っ足らずな発音で話すマリエラは可愛らしく、自分が守ってやらねばならないと強く思わされる。
抱き返して唇を合わせ、柔らかい舌を堪能していると、扉の向こうが騒がしくなった。
「殿下!!ウィリアム殿下!!至急お越しください!!」
扉の外側から、怒鳴るような声がする。
「なんだ?おい、今取り込み中だと言え」
「はっ」
護衛騎士に命じて無礼なものを追い払おうとしたが、扉の向こうにいる人物は取り合わず、乱暴に扉を開けて侵入してきた。
「殿下!至急、お越しくださいませ!!」
それはいかめしい顔をした中年の騎士だった。顔にはいくつも傷があり、大きな体は宮廷用の騎士服を着ていても優美さがかけらもなく、威圧感が隠せない。
「見てわからんのか。今忙しいのだ」
見た覚えはあるが、誰だか即座に思い出せない。どうせ大した役職の者ではないだろうとウィリアムは軽んじ、マリエラの尻を揉みながら言葉を返してやった。
「これは王命ですぞ!!ご免!」
雷が落ちるような怒号。
中年騎士は裸のウィリアムの首を掴みずるずると寝台から引きずり出す。
「っ!なんだ!?放せ……無礼者!おい!この猪をどうにかしろ!」
生まれてこの方、このような扱いを受けたことのないウィリアムは憤慨し護衛騎士に今すぐこの中年騎士を斬るように命じるが、忠実なはずの護衛騎士は扉に控え頭を下げたまま動かない。
「おい!どうした!俺を助けろ!!」
「全く嘆かわしい!婚姻も結んでいないおなごとこのように乳繰り合って!!」
「マリエラは俺の妻になる女だ!」
「殿下の婚約者はこの世にただ一人、イヴェッタ・シェイク・スピア伯爵令嬢でございますぞ!」
「あんな恥知らずの女など王族に迎える必要はない!」
瞬時に、ウィリアムはこの中年騎士がどういうわけかイヴェッタの味方らしいと判断した。それであれば自分の敵で、そして憐れにもあの心の汚い悪女を擁護する勘違いを犯しているらしいから、自分は誤解を解いてやらねばならないと慈悲の心を持った。
ウィリアムは半分叫ぶように、いかにイヴェッタがマリエラを学園で虐めたか、卑しい心を持っているか、自分がイヴェッタに振り向かないものだから醜い嫉妬をして貴族にあるまじき振る舞いをしたのだと知らせてやった。
その結果。
「ふんっ!」
鬼のような形相になった中年騎士は、拳を握りウィリアムを殴り飛ばした。