35、受難者
信頼を、勝ち得ればいいのだ。
簡単な事だとギュスタヴィアは思った。そう難しくはない。相手が得をするように行動すれば、そういう感情は容易く手に入る。長く生きているギュスタヴィア。何も昔から傍若無人の限りを尽くしてきたわけではない。どうすれば他人に好意的にみられるのか、そういうものを心得ているつもりはあった。
「……」
イヴェッタとダーウェを地上に残し、ギュスタヴィアはルゴの街を見下ろした。街の外へ繋がる門の方では黒竜が吼えている。喧しいことだ。
黒竜。ギュスタヴィアが封じられる三百年前にはいなかったと記憶している。
軍神ガレスの気配を感じた。こちらにちょっかいをかけてくるのかこないのか。チラチラと気配はある。が、ギュスタヴィアは無視した。
あの竜。黒竜。目障りだ。
エルフにとって、竜は見つけ次第殲滅するもの。で、あるので、本能的に殺意が湧く。嫌悪、に近いかもしれない。あんなものがなぜ生きているのか、存在しているのかと吐き気さえする。
あの竜。この街を守ろうとしているらしい。それがまた、ギュスタヴィアには気に入らない。
良い状況なのだ。
色んな感情がひっちゃかめっちゃかに混ざり合い、何がなんだかわからなくなっているだろう街の人間種ども。
ここで襲い掛かる脅威や敵意をきれいさっぱり更地にした者が、都合よい勝者となることは明白。ギュスタヴィアにはこの場の勝者となるだけの力があり、また、そうなる望みがあった。
(私が何もかも解決したら、あれは私に感謝するでしょう?)
あの赤毛の女にもできない事だ。
「これはこれは……傲慢の、黒き竜ではありませんか。なんです?我が妻を浚いにでも来ましたか。困りますね、えぇ、困ります。ので、落としましょう。そうしましょう」
空を駆ける黒竜を、地上から見上げる。
ギュスタヴィアは軽く手を上げ、振り下ろした。瞬間、天の竜の体に巨大な剣が突き刺さり、大地に打ち付けた。
ただの傲慢の竜であれば防げた攻撃。が、傲慢にもこの竜、人間種を守ろうとした。
人を滅ぼす存在たる竜がそのような願いを抱いて動けばどうなるか。知らぬわけでもあるまいに。あまりに傲慢だ。弱体化してもどうにでもなると思ったか。ただ魔物の群れであればそうだったかもしれない。だが、この街にはギュスタヴィアがいた。
地に引きずり落とされた竜の体が崩れて行く。ガラガラと音を立てる。魔物と異なり、体はこの世の道理とは異なった。砕けて割れて行くその様を冷酷に眺め、ギュスタヴィアは大きく後ろに飛んだ。
「……おや、あの竜。小生意気にも、眷属がいましたか」
「下郎めッ、貴様……!!」
ギュスタヴィアが一瞬まで立っていた位置には短刀が突き刺さっている。殺意を向け挑んできたのは、イヴェッタの執事と紹介された老人。その見かけとは裏腹の俊敏な動き。
「……?」
おや、とギュスタヴィアは小首を傾げた。この男が眷属。ということは、一緒にいた馬丁の男も黒竜の眷属か。黒竜の番にするために眷属を二匹よこして探っていたのかと思う。が、それならどこかにあの馬丁も隠れ潜んでいるのか。執事一人で挑むより、二人がかりの方がまだ勝算があるだろうに、もう一人の気配はない。
竜の眷属程度であれば殺すのはさほど難しくないが、隠れている可能性のあるもう一人をギュスタヴィアは警戒した。
二人を殺せばイヴェッタに嫌われるだろうか。
そういう心も僅かに湧く。
この街の住人全員を救って抱かれる感謝より、たかが二人を殺した時に向けられる心。どちらがどちらか、とギュスタヴィアは執事の攻撃を躱しながら計算する。
「ぐっ!」
考え事をしていたので、つい力加減を間違えた。
ギュスタヴィアはうっかり執事の左腕を吹き飛ばしてしまい。呻く執事が膝を付く。
これは少々。まずいかもしれない。
竜本体の力を分けられれば腕の一本、容易く再生するだろうが、その問題の竜はギュスタヴィアが落としてしまった。腕を落としたまま生かしておいたら、色々と不自由な目にあわせる。イヴェッタも、この執事のなくなった腕を思い返す度に、ギュスタヴィアを恨むかもしれない。
それならいっそ跡形もなく消してしまって、そんな存在とは遭遇しなかったとしらを切った方がいいのではないか?
ギュスタヴィアは結論を出し、執事の首を掴む。宙づりにし、手の力を強める。
「おのれ……貴様のような男に……ッ」
苦し気に執事が呻いた。口から出る言葉は恨み言だろう。きちんと聞いてやる義理もない。ので、ギュスタヴィアは執事の頭を吹き飛ばそうとした。何もかもなかったことにしてしまおうと、そういう心。子どもが、母親に叱られるのをなんとか誤魔化そうとしている悪あがきに似ているが、それを指摘できる存在はいない。
「っ、止めて!!止めてよ!!」
が、一人いた。
赤毛に小柄な、少年。あちこち怪我をして薄汚れた格好の、浮浪児か何かかと思っても仕方ないだろう生き物が、ギュスタヴィアの足元にしがみついている。
「離れろゼルッ、この馬鹿者めが! 逃げろと言っただろう!」
ギュスタヴィアに首を絞められながら、執事が叫んだ。ギュスタヴィアの注意が一瞬でも足元の子どもに向かないように、と抵抗する力を強めてきた。
「……」
人間種の非力な子どもに噛み付かれようと足を殴られようと、ギュスタヴィアにとって全く意味のないこと。が、ギュスタヴィアはじぃっと、ゼルと呼ばれた子どもを見た。
ゼル。
……聞き覚えがある名だ。
イヴェッタが言っていた。話していた。あの、赤毛の女の弟の名だ。
「……」
一瞬動きの止まったギュスタヴィア。
この子どもを消し炭にしたらどうなるか。考えて、動きが止まった。
憎まれるだろう。
そう予感した途端、体が動かなくなった。か弱い人間種の少年。ちょっとでもギュスタヴィアが力を込めたら死んでしまうほど、脆弱。ゆえに動けず、固まった。
その瞬間。
「!!イーサンさん!」
ギュスタヴィアの背後から、大きな気配。
羽交い絞めにされ、そして虚空から無数に降り注ぐ黒い杭に身を貫かれた。
「ッ……!!」
己の身に突き刺さるのは、黒竜の鱗で作られただろうもの。
ギュスタヴィアは体の魔力、そして血が奪われていくのを感じた。げほり、と血を吐き、膝を突きかける。が、そのような無様は晒さない。
剣を地に突き刺し、崩れ落ちるのを耐えた。
瞬時にギュスタヴィアから離れて距離を取る、のは三人。
執事と、赤毛の少年。その少年を守るように後ろに庇う、のは、馬丁だと紹介された男だ。
体中から血を流し、立っているのもやっとだろうという風体で、ギュスタヴィアをきつく睨み付けているその男。
竜の眷属などではない。
この男からは竜の力を感じた。だが、なぜだ。竜と化した者は二度と人の形には戻れない。それが、人の形になっていて、当り前の顔をしている。
ギュスタヴィアは再び血を吐いた。片手で自分の体、特に、首や心臓に刺さった杭を引き抜く。ボダボダと血が落ち、視界が霞んだ。
だが、この程度では己は死なない。数度、息を整える。この程度は致命傷にはならない。
黒竜とその眷属は殺す。そう決めて顏に付いた血を拭う。その、ギュスタヴィアに落とされる雷。
「……ッ」
轟く雷鳴。
少しでも弱った今なら、己を撃てるとでも思ったか。神の一撃。ギュスタヴィアは剣で薙ぎ払う。足元は、泥になった。周囲の空気は毒が含まれ、体を痺れさせる。泥と化した足元から、こちらを引きずり込もうと無数の手が伸びる。
それらを、ギュスタヴィアは躱した。毒で痺れる体は無視した。
その間にも、黒竜の杭が度々こちらに向かってくる。神の雷に、槍、それに竜の杭を避け続ける。
その間にどんどんと、ギュスタヴィアの頭は冷えてきた。懐かしい。三百年間眠っていたので、頭が寝ぼけていたらしい。この感覚。そうだ、こういうものだった。
寝て、起きて、目にしたのがあの切り花の顔だったので。あの、ぼんやりとしていていつも微笑んでいるような女が傍にいたので、つい、ギュスタヴィアは忘れかけていた。
何もかもから「死んでくれ」と常に願われるのが己の世界だったではないか。
*
「……」
イヴェッタは顔を上げた。
ダーウェの治療をするために、イヴェッタは比較的安全だと言われた街の中心部、神殿へやってきた。そこには逃げてきた街の人間が多く身を寄せていて、敷地内では軽傷者が自分より重い怪我をしている者を励ましたり、手当をする聖職者たちの手伝いをしている。
当然、イヴェッタもそれを手伝った。
一人一人の怪我に手を触れ、神に祈ればたちまち治る。その奇跡。すぐさまイヴェッタは聖女だと叫ばれ、治療を希望する者たちに囲まれた。
重傷者から見て欲しい、とこの場を何とか統括していた神官に呼ばれ神殿の内部へ進む途中、イヴェッタは顔を上げ、そして外を振り返る。
「どうかされましたか」
一秒でも早く、一人でも多くの人間を治して欲しいと考える神官は、イヴェッタを急かす。
「……」
何か胸騒ぎがした。
遠くから聞こえるのは、魔物の咆哮だけではないように感じた。何か、鋭い音。幼い頃から度々聞いていた音。
今ならわかる。
神様が、何か、排除されようとしている音だ。
イヴェッタの祈りに答え奇跡を齎してくださりながら、神は何をされているのか。
「お早くお願いできませんか!」
立ち止まるイヴェッタに、神官が苛立ったように声をかけた。ぼんやりしている女。
得体の知れない力で治療をしてくれる存在、ではあるが、この危機的状況を理解できていないよう。それが神官にはもどかしい。瓦礫の下敷きになり半身が潰れた者。血が多く失われ意識が戻らない者。そういう、奇跡でも起きねば助からない存在が多く、この奥にいた。
この街の神官として、彼らを救う手段があるのに、それがぼうっと、人の悲鳴も聞こえないような愚鈍な顔をしていることが彼には腹立たしい。ぐいっと、腕を引き、歩かせる。
「無礼ではないか」
「……っ!?ノ、ノートル卿……」
イヴェッタの口からわずかな悲鳴が漏れた。反射的に足の力を込め、転びそうになるその体を支えたのは、いつぞや街中であった赤い神官服の、聖職者だった。ラングツェラトゥ。尋ねる者。
神官は素早く首を垂れる。
「……」
顔の半分潰れた男はイヴェッタから手を放す。
神官は、この状況で“尋ねる者”が出てきたことに焦燥感を覚えた。奇跡の乙女をこのまま連れて行かれるのではないか。
それは困る。後程魔女狩りとして焼くのだとしても、今は困る。街の人間を多く救える存在だ。その力が神の物かそれとも悪魔の力か、今はそんなことはどうでもいいのだ。この女により、助かる命がある。まずはそれらを余すことなく救ってから、あとでどうとてもすればいい。
だが“尋ねる者”は民衆の命などより、信仰心を優先する。神官はそれを恐れた。
顔の潰れた男、ノートルは無言だったが、イヴェッタは丁寧に頭を下げる。
「助けて頂いてありがとうございます。これで二度目ですね」
「……」
「そのお顔の怪我、痛みますか。もしよろしければわたくしが、」
「結構」
治しても、と許可を求めるイヴェッタの言葉をノートルは遮った。
「これは私にとって必要なものなのです。不心得者、疚しい所のある者は顔を逸らし、この顔を見て恐れおののくでしょう。己もこのような顔になると、痛みや苦しみを想像し、自らの行いを悔いるでしょう」
一礼し、去って行こうとしたノートルは、少し離れた場所で立ち止まった。
「以前、貴方にお借りした物ですが……汚れが落ちず。代わりの物をご用意できるまで、お待ちください」
と、言う。
何か貸しただろうかとイヴェッタは思い出せなかったが、返事を待たずノートルは去って行った。
「……と、とにかく……お急ぎを!」
恐るべきラングツェラトゥが過ぎ去って、神官はハッと我に返った。
再びイヴェッタを急かし、そしてイヴェッタも頷いてやや小走りになった。
この話のヒーロー候補は
ギュさん、イーさん、ウィル殿下、ノートル卿の、四人なんですが、私はダーウェでいいと思います。





