番外:第三王子ウィリアム、十三歳、初恋の話
第三王子ウィリアムは王位継承権六位の王族だった。
上に優秀な兄や姉、それに父のきょうだいがいる。王座について考えたことはない。王族として生まれた誇りはあった。
ウィリアムの母は側室。正妃たるスカーレットとの関係は良くも悪くもない。ウィリアムの兄の一人、第二王子の母であるスカーレット。妊娠が発覚したのは母が先で、予定日もウィリアムの方が早かったが、スカーレットは二か月先に子を産んだ。学年が一つ上になる。物心ついてからそれを知ったウィリアムはスカーレットが恐ろしくなった。
いや、女というものが、そもそもウィリアムは恐ろしい。自分の母、愛してくれているしウィリアムも母を愛している。けれど、母は国王テオに最も似ている息子である自分を溺愛しているのであって、顔をじぃっと見つめては、満足そうに微笑む母の愛情が、一般的な母子のそれと異なることであると、さすがに理解していた。
王宮という場所は、そういうところだった。美しく可憐な花も毒々しくなる。
生まれてから王宮で育ったウィリアムにとって、女は恐ろしかった。微笑みながら他人の皿に毒を盛るような女。気に入らないメイドの髪を掴んで他の使用人に折檻させるような女。誰だって優しい心があるのに、微笑みながら他人の顔に泥を塗りたくって満足するような心も持っていた。
(……ぼくのお嫁さんになる子は、どんな子かなぁ)
ウィリアム十二歳。現在の興味は、その事。
六つの時に婚約した伯爵令嬢。名前はイヴェッタ・シェイク・スピアというらしい。イヴェッタ。可愛い名前だ。
(イヴェッタ、イヴェッタ嬢、の方が、いいのかな)
体が弱いとか、まだ王子に挨拶できるだけの教育が終わってないからとか、そういう理由で、ウィリアムはまだイヴェッタときちんと挨拶をしたことがない。六歳の時のお茶会で少し顔を見た覚えがあるくらい。
手紙のやり取りくらいならいいだろうかと聞いたが、母が承知しなかった。ウィリアムはなるべく、母の悲しむことはしたくないから、それに従った。いずれ結婚すれば沢山話が出来るのだから、と自分を納得させて。
ウィリアムの部屋は、王子という身分に相応しい広さと豪華さ。大きなベッドに、高価な調度品。常にメイドが複数人待機し、窓や、扉の前と廊下には騎士が待機している。けれど生まれた時から、そういう人がいるのが当然だったウィリアムには彼らの存在はない物と同じだ。ベッドの上でうつ伏せになって寛ぎ、眺めているのは小さなペンダント。その中にはイヴェッタ嬢の肖像画。パカリ、と開ければ普段は父と母の肖像画が現れる。けれど母の肖像画の後ろに、こっそりと手に入れたイヴェッタ嬢の絵が入れられていた。
周囲からは、ベッドで子どもが父母の絵を眺めているとしか見えない。いないもの、と扱いながら彼らの目が父や母の目でもあることは知っている。
(どんな子だろう。やさしいと、いいなぁ)
伯爵令嬢だという。王子の婚約者になるのなら、それなりの家門の娘であるはずだが、スピア伯爵家は名門というわけではない。自分は父に期待されていないからかとウィリアムは少し落ち込んだ。けれど、そんなことを思っては婚約者になってくれた伯爵令嬢に失礼だろう。
十五歳になったら貴族の子どもは皆、領地を出て王都の学園に通う。ウィリアムとて例外ではない。イヴェッタは同い年だから、一緒に通えるのだ。
ごろん、ウィリアムは寝返りを打った。背中は付けないように、気を付けて。
どきどきする。どんな子だろう。
肖像画はとても可愛らしい。長い髪に、菫色の瞳。落ち着いた雰囲気。口元に浮かんだ微笑と椅子に腰かけた姿はよくある肖像画のものだが、ウィリアムにとっては唯一知る、未来の自分のお嫁さんの姿だった。
(仲よくしたいな)
父と母は、別に不仲ではない。けれど父には多くの「妻」がいる。王であるので当り前のことだ。けれどウィリアムは第三王子で、王座に座ることなどない。貴族や王族が側室を持つことは珍しくはないけれど、ウィリアムは「ぼくはお嫁さんは一人だけでいい。だって、お嫁さんだって、夫は一人なんだから、そうじゃないとだめだよ」と、そう思っていた。
(伯爵令嬢はずっと、領地にいるんだよね。きっと、学園に入るまで王都はそんなに来ないはずだから、ぼく、色々教えてあげられるように勉強しなきゃ)
学生になれば休日に街を歩く事も出来るはず。護衛は必要だけれど、学生特有の自由な時間というものは将来大切な思い出になる。母もそうだったと聞いたことがあり、ウィリアムは自分とイヴェッタも、学生らしい時間を一緒に過ごせたら素敵だと思った。
未だ言葉を交わしたことのない婚約者に、ウィリアムは贈り物をたくさん用意していた。ふと目に付いた物、いいな、と思ったものを、部屋の大きな箱に入れておく。それは宝石だったり、綺麗なリボンだったり「ぼくのお嫁さんになってくれる子に、あげるんだ」と思い描いて、あれこれと、しまい込んだ物。どんどん溜まって行って、もう箱は五つ目になる。
いつかこれを渡したとき、イヴェッタ嬢はどんな顔をしてくれるのだろう。驚いて、よろこんでくれるだろうか。センスがない、と思われたらどうしよう。カブトムシとか、蛇の抜け殻なんかは入れないようにしているけれど、時折、そういうことが心配になった。
肖像画の少女が、自分にどんな顔を向けてくれるのか。ウィリアムは想像することしかできない。どんな風に笑うのだろう。どんな声なのだろう。
「早く、きみに会いたいなぁ」
ぼくのことを、好きになってくれるだろうか。
父上や、母上のように、ぼくを見ていない目で見ることなく、じぃっと、じっと見つめてくれて、その菫色の瞳に、自分の姿を映して微笑んでくれるだろうか。
「大丈夫だよね。だって、ぼくは婚約者だもの。ぼくの婚約者になるって、しょうちしてくれた子だから、ぼくのこと、きらいなわけないよね……?」
嫌だったら断られていたはずだ。
ウィリアムは、その事を思い返しては安堵する。お嫁さんになると、承諾してくれたのだ。嫌いだったら、嫌だったら、断ってきただろう。
幼いウィリアムは王族の申し出を伯爵が断れぬとは想像しない。だから、自分は嫌われてはいないのだと、それだけを信じる。
「ぼくのお嫁さん。ぼくが、守ってあげるんだ。王宮に入ったら、きっと、嫌なこともあるけど、ぼくは、夫だから、ちゃんと守ってあげるんだ」
そうしたら、自分のことを頼もしいと思ってくれるだろうか。信じられる相手だと思ってくれるだろうか。
考えて、どきどきと、そわそわとする。けれど、楽しみという思いが何より強かった。
(イヴェッタ、イヴェッタ。ぼくの、お嫁さん)
目を閉じて、肖像画の入ったペンダントを胸に抱く。
毒入りのスープも、いつの間にか顔ぶれの変わる使用人たちも、真夜中に響く女の悲鳴も、ウィリアムは恐れない。自分には婚約者がいるからだ。この冷たい場所を、一緒に生きてくれると承諾してくれた女の子が自分にはいる。
彼女に好きになって貰える男になろう。
勉強は苦手だけれど、毎日、ちゃんとやっている。剣や魔法の訓練も、先生が怖いけれど、弱くてイヴェッタ嬢に笑われないように。
(はやく、十五歳になりたいな)
どんなに楽しい学園生活になるだろう。
ウィリアムは、母に打たれた背の痛みも忘れられるほど、未来に期待し胸を膨らませた。
なんであぁなったんだろう。





