閑話:一方その頃、スピア伯爵夫人は②
「もうっ、無理です……ッ!王妃様、私たちにはこれ以上トルステ様を殴りつけることなんてできません!」
そう泣き言を漏らしたのは、トルステを地下牢に捕らえて二週間ほど経った頃だった。最初は八つ当たり、罪のない子どもたちの苦しみを思い知るが良いと我先にと牢に駆け込んでいた女たちが、苦悩に満ちた目、泣きはらした顔で王妃に直訴してきた。
「そうですか。許すのですね。それは良い事です。心の内の悪魔に打ち勝てたということでしょう」
元々人の心には良心がある。いくら憎い相手であろうと、長い間無抵抗の女を、いつまでも女が嬲り続けられるわけでもない。そういうことが平然と出来るのは男だけだ。予測していたことだ。スカーレットは彼女達が「自分で気付けた」ことを褒めてやると、しかし、女たちは悲痛な声を上げ、首を振る。
「いいえ、いいえ王妃様っ!違います、違うのです……今だってあの小娘は憎くて仕方ない!でも、ですが……トルステ様、あの女性は一体なんなのですか!?」
捕らえられたトルステ。はじめこそ困惑し、戸惑っていたらしいが少しすると落ち着いた。自分を罵倒する女たちを心の底から心配し、子の容体を気遣った。嫌味か、お前がいうなと、怒りを煽るだけに思える行為だが、案じられ続けた女たちは、トルステが本心からそう、自分達に同情し不幸を自分のことのように嘆き心を痛めてくれているのだと、わかってしまった。
「殴ると泣きはします!痛い痛いと訴えはします!けれど「辛いことがあるなら力になる」「子どもの病気が重いのなら、領地に良い薬草があるので差し上げます」って本気で言うんです!トルステ様は本心から、私たちを助けたいと、そう思っていらっしゃるんです!!」
「……」
だからなんだ。それがどうした。
スカーレットは不快だった。黙っていると、泣きじゃくりながら女たちは話を続ける。
「私たちは、報復したかったのです。イヴェッタ・シェイク・スピアの母親を、私たちの子どもを呪った忌まわしい娘を持つ女を。だというのに、これではまるで私たちと同じ、」
「同じ、なんです」
ぴしゃり、とスカーレットが言葉を発すると、女たちは口を噤んだ。が、自分の中で一度咲いた疑惑の芽は他人の冷たい眼差しで枯れるには強かった。
スカーレットは溜息を吐く。仕方のないこと。やや、早いが次の段階に入るべきだろうか。
*
「つまり、イヴェッタは聖女じゃない。偶然良い事が重なった事を、ありがたがっただけ。イヴェッタが本当にやったことは、あたしの兄さんや家族を殺したこと、そして今、国中の若い貴族の子息と息女を呪っていることくらいなのよ」
監禁されているはずのマリエラの元には、連日訪問者が絶えなかった。熱意ある者。信奉者。監視役の騎士は通常は山ほどの賄賂を詰まれたとて職務を全うしただろうが、マリエラの堂々とした様子に他人を強く見つめる意思ある瞳は、若い騎士達の心を掴んだ。強く美しい女性のナイトになりたいという願望は、王へ忠誠を誓う騎士であってもあるものだ。
両手両足に手枷を付けられ、部屋から出られないようにと家畜のように鎖でつなぐよう指示をしたのは国王テオだったが、マリエラはその無骨な拘束具も自身の身を飾る装飾品であるかのように扱った。椅子に座り、訪問者を前にして語る言葉は「イヴェッタは、つまりなんなのか」ということ。
訪問者は皆、マリエラの話を聞きたがった。神を畏れぬ言葉を吐く娘。元々公爵令嬢であったが、イヴェッタ・シェイク・スピアのために一時はその身を平民に落としたという。それが才覚を認められ見出され、貴族の娘として迎え入れられ、更には王子殿下のお心を射止めた。
並の娘にできることではない。
イヴェッタが生まれる前の国を知る世代の者たちにとって、最も恐ろしい事は神々の不興を買い、国が以前のように「戻る」こと。
だからマリエラの言葉は彼らを勇気づけた。
国が豊かになったのは、イヴェッタなどというわけのわからない小娘のおかげではない。
自分たちの努力の結果だ。親の、祖父の、その更に前の世代からの苦悩が報われたのだと、彼らは信じたかった。
イヴェッタは奇跡の子などではない。神々に愛され、この国を豊かにした徳の高い娘でもない。それどころか、マリエラの家族を不幸にしたように、先代国王陛下を不幸にしたように、今も、貴族の若い娘や息子たちを不幸にしているように、他人を苦しめることしかできない、あぁ、そうだ。
イヴェッタ・シェイク・スピアは魔女だったのだ。
マリエラの信奉者たちは皆、そう信じた。
*
玉座にて一人。側近も、神官も、誰もいない。唯々広い、王の間に一人。テオは目を伏せていた。
王妃の裏での動きも。
マリエラの扇動も。
無論、当然、把握している。知っている。
いずれこのまま、何もかも「悪い事は全てイヴェッタ・シェイク・スピアの行いだ」と、そのようになるように。
貴族たちを不安にさせている奇病。テオは愚かではない。大神官が直々に「あれは治ることが前提の呪い」だなどと、賢しい顔で告げてきた言葉を、最初から信じなかった。
卒業パーティーに参加した者たちがこぞって呪われた。王子とマリエラは無事で、それが尚更、マリエラこそ真に神に愛された者ではないか、王子はマリエラを見出した正しい判断をしたのだなんだと持て囃す連中の戯言はどうでもいいとして。
呪われなかった者もいる。イヴェッタの読書仲間というそばかすの散った顔の卑屈そうな少年。子爵家の五男だという青年は、イヴェッタの知人だったから「見逃された」のではない。イヴェッタの知人だったから、守られたのだ。そしてそれは、マリエラも同じく。読書仲間とは別に、守られた理由があるのだろうが、それはまだわからない。
だがあの奇病が「何」なのか、テオはわかっていた。
馬鹿な話だ。
イヴェッタ・シェイク・スピアが学友たちの不幸を望むものか。
テオは誰よりも、イヴェッタが神の切り花であり、奇跡の乙女であることを信じている。
単純に、あの場の料理に毒が盛られていた。
呪いと毒をふんだんに込めたものだろう。口にしたものを、術者の任意のタイミングで半死半生のおぞましい姿にする。
「……」
テオは政治的な判断を迫られていた。
イヴェッタをいくら神の切り花と確信していようと、もはや彼女が戻らなければ意味がない。
この国でイヴェッタの名を魔女として焼き、これまでの「神の奇跡」を否定する。そうすべき流れを、誰かが作ろうとしている。
(神の怒りは国に落ちていない。今でも、豊かに栄える我が国)
イヴェッタを魔女として国で扱い、評判を落とし、国を新たな形にすること。それは可能だった。ここまで神々が『見逃して』いるのなら、実際にイヴェッタを燃やそうとでもしない限り、誰かが雷に撃たれることもないだろう。
神々の思惑はわからない。だが、イヴェッタがこのままこの国から出て行ったまま、迎えに行くということもしないのであれば。ルイーダ国はいつ打ち切られるかわからない神の慈悲に縋って生きて行くことはできない。
だから、これまでの体制を根本から変える必要があった。イヴェッタが生まれる前の、あの貧しい国に戻らないように。尊い娘は魔女であったとして人の記憶から燃やし、神々の手を離れ、自分たちの足だけで立ち歩けるように。
この幸福な時代を自分たちの手で償却する。それについて、可能なら、そうすべきだとテオも思う。
が。
『おやくそく、します。へいかのおこころが、かるくなりますように。おいのり、します。へいか。どうか、へいかが、しあわせになれますように』
「……」
テオの瞼に浮かぶ、幼い少女。
思い出せてきた。菫色の美しい瞳の子ども。
つまり、この国のために、あの子をこの国で魔女と罵るのか。
「なぜできる?そんなこと」
本人が知ることがなければいいのか。
いや、違う。そうではない。そうではない。
テオは首を振った。玉座で、王として座り、そして一人きり。誰の視線も感じない今。テオは自分の本心・本音と向かい合った。
落胆していた。息子にではない。妻にでもない。小娘一人に唆される家臣たちに、でもない。
自分の思い描いた、細やかな未来が来ない事に「がっかり」していたのだ。
テオは本来なら今頃自分は、堅苦しい宮殿からお忍びでこっそりと水の大神殿を訪れて、そこで神々に祈りを奉げている、息子の妻、自分にとって義理の娘となったあの少女に会いに行っている筈だった。
ちょっとした相談事。王としての愚痴。困ったような顔をしながら、義理の娘は聞いてくれるだろうと、それを想像してきた。手土産に喜ばれそうなものを密かにリスト化してもいた。
宮殿は息が詰まるからと、時折やってくる「困った舅」に自分はなれると、そう信じていたのだ。
テオの望みは、かつて父がそう願い強制したように苛烈で強い賢王になることなどではなかった。
この国に神々が咲かせた美しい花を、枯れぬように、微笑んでいられるように守る王であり続けることが、テオの望む王の姿だった。
「……あーあ、あの馬鹿息子め。あいつがマリエラ嬢に誑かされなかったら……いや、無理か。そもそもマリエラ嬢はもっと前に、王家を憎んでいたのだものなぁ」
溜息一つ。テオはそれで、それっきり。自分のただ一つ欲した未来に蓋をした。そして二度と開けることはないという意思。次からは王の顔。
先代国王が死して、王の重責、熱意、呪いから僅かの間だけでも逃れる事の出来た我が身の幸福を理解している。
だから、そうか、彼女の顔に泥を塗るのは、自分になってしまうのだろう、とも。





