4、冒険者の姉弟、現る
「え?何これ、え?!あんた、なんでこんなところで寝てんの!!?」
翌朝、ぐっすり快適に眠っているイヴェッタに声をかける者がいた。
お屋敷や学園の上等な寝台とは全く違うが、イヴェッタは寝る前に「眠りを司る深淵の女神よ、どうか私の眠りをお守りください」とお祈りしたおかげか大変よく眠れた。気付けば日が昇っている。
「あら、おはようございます」
「え?あぁ、おはよ……じゃなくて!!あんた、何してんの!!?」
イヴェッタが張った結界の内側にいるのはオレンジ色の髪の大柄な女性だ。そばかすのある顔に驚いた表情を浮かべてじぃっと、丸まって寝ているイヴェッタを覗きこんでいる。
結界は悪意ある者は通さない筈なので、この女性はイヴェッタに危害を加えようというつもりが微塵もないことはわかる。なのでイヴェッタはにこやかに朝の挨拶をした。
「野宿をしています」
「いや、それは見ればわかるけどさ!?そうじゃなくって!なんでこんなところであんたみたいな女の子が一人で寝てるのかって聞いてンだよ!」
女性はこれまでイヴェッタが聞いたことのないような大きな声で話す。領地の人間と交流もあったが、伯爵令嬢であるイヴェッタに対してこのような物言いをする者はいなかった。女性なのにこんなに大きく口を開けて話したりしていいのだろうかとイヴェッタが純粋に驚いていると、女性の後ろからおずおず、と気の弱そうな少年が顔を出した。
「姉さん、その、あんまり大声で話しかけたら驚かれちゃうんじゃないかな……?」
「別に大きな声なんて出しちゃいないよ!」
怒鳴っている自覚がないらしい。女性はややへそを曲げたようにフン、と鼻を鳴らし、再びイヴェッタを見下ろす。
「で!?」
「イヴェッタと申します。色々ありまして、国から出ていくようにと言われ、移動しています」
苗字は名乗らなかった。自分はもう貴族ではないし、スピア家とも縁を切るべき立場である。寝たままでは失礼だろうと起き上がり、丁寧に頭を下げて挨拶をした。
「……!?」
「……ね、姉さん!」
そのお辞儀を受けた姉弟らしい二人組は一瞬でイヴェッタから距離を取り、バッと頭を下げる。
「き……貴族の御令嬢とはいざ知らず!!大変ご無礼を致しました!!」
「我々姉弟は流れの冒険者でございます!姉はこのように多少口の悪いところはございますが、御令嬢がお一人で寝ていらっしゃるのを心配し、お声をかけさせて頂いたわけで……けして、悪意あってのことではありません!!」
イヴェッタは身なりこそ旅人用の軽装だったが立ち振る舞いに育ちの良さは隠せない。冒険者という姉弟はイヴェッタが頭を下げた瞬間、豪華な宮殿でドレスを着た貴婦人が会釈をしたような光景が見えた。これは貴族の御令嬢に違いない、と慌てて平民として正しい態度を取ったまでのことだが、イヴェッタはなぜ二人が急に畏まったのかわからない。
「あの、どうか顔を上げてください。私は確かに……以前は貴族の娘でしたが、身分をはく奪されています。あなた方にそのような扱いをしていただける身ではありません」
「身分はく奪……?なんだい、人でも殺したのかい?」
「ね、姉さん!」
貴族ではない、とイヴェッタが言うと、女性の方はやや戸惑いながらも顔を上げ遠慮なく聞いてくる。
冒険者である彼女にとって「お貴族様のことはよく知らないが、身分をはく奪されるほどとんでもないことをしちまったってなら、人殺しかな」と単純に思ったまでのこと。
「いえ、わたくしは……昨日まで王都の学園に通っていたのですが、そこの同級生の女性に対して嫌がらせを行った、と疑われまして……」
「嫌がらせぇ!?はぁ!?なんだい、そのドウキュウセイとやらは大けがでもしたのか?腕が無くなったとか?」
「いえ、両腕はしっかりありましたよ」
殿下の腕に絡めていたし、口元に手を当てて震えたりしていたので覚えている。
「じゃあ足だ!両足をぶった切ったんだろう!あんたもやるねぇ!」
「いえいえ、そんな物騒なことはしません。両足も無事です」
「じゃあ顔をぐちゃぐちゃに焼いてやったとか!女の顔にそんなことをしたんじゃあ、お貴族様同士でも大変なことになるだろうねぇ!」
「お顔もなんともありませんよ。とてもお可愛らしい方です」
「はぁ?じゃあ何したってんだい?」
「えぇっと、確か……物を盗んだり……陰口を叩いたり……階段から突き落とそうとしたり……と、言われましたね」
実際自分はしていないので、聞いたことをそのまま言ってみると、そばかす顔の女性は首を傾げた。
「物を盗んだって、お貴族様同士だろ?盗んでどうするんだい。どうしても欲しかったとか?めちゃくちゃ高い物だったとか」
「さぁ……ですが、聞いた限りですと、教科書とか、勉強道具ですわね」
「お貴族様ならそんなもん自分で持ってるだろ」
「ね、姉さん、姉さん……あのね、世の中には、自分が欲しかったり、使うため以外に……持ち主を困らせてやろうって物を盗ったりすることもあるんだよ……」
学園内の窃盗事件が理解できないと首を傾げる女性に、弟の少年がそっと耳打ちした。
冒険者をしている二人は、盗みと言えば盗らねば自分の命が危うい、あるいは必要に駆られてという最悪の場合の選択肢だ。
「そんな暇なことをするやつもいるんだねぇ」
へぇ!と女性は感心し、眉を顰める。
「でも、聞いた感じ……あんたはそんなことを本当にしたのかい?」
「あら。会ったばかりですのに……わたくしを信じてくださるんですか?」
今度はイヴェッタが驚く番だった。
あまり関わらなかったけれど、五年間同じ学び舎で過ごした学友たちは誰一人イヴェッタの無実を訴えてくれなかった。それであるのにこの女性はイヴェッタがそんなことをしたとは思えないという顔をしてくれる。
「事情はよくわからないけどね。もし本当に……そんなつまらないことをして身分が奪われて、国の外まで一人で出て行かなきゃならなくなったってんなら、普通、物凄く後悔するだろ?あんなことしなきゃよかった、ってね。でもあんたはそうはしてない。とんでもない悪党で後悔もしないってんなら、バレないように上手くやっただろうし、それに」
「それに?」
「ケチな嫌がらせってのはまぁ、アタシもされたことがあるからわかるけど。そういうことをするやつは、性根が卑しいのさ。他人を妬んだり羨んだり、相手が持ってるものを本当は自分が持つはずだっただなんて勘違いをしたりしてるやつ。でもあんたはそういうのに……興味なさそうじゃないか」
こんなところで堂々と寝ていて、見知らぬ人間が話しかけてもそれほど警戒する素振りを見せない。他人が自分に何をするかに興味がないのだと女性は言う。
イヴェッタとしては、この結界の内側にいられているということはこの姉弟は自分に危害を加えることがないという安心感がある。しかし、見ず知らずの人間が自分を信じてくれたというのは面白い。ありがとうございます、と嬉しそうに微笑んだ。
*
姉の名はダーウェ、弟の名はゼルと言うらしい。二人は冒険者で、あちこちの村や町で依頼を受けながら移動し旅をしているという。
今は丁度採集の依頼を終えて、依頼主のいる村へ戻ろうというところ。それが終われば、そろそろ次の国に行こうかと思っていたところらしい。
「素敵ですね、冒険者」
「そんないいもんじゃないけどね」
「わたくしにはまるでおとぎ話の世界のことのように思えます。その、失礼かもしれませんが……」
自由にあちこち移動できて、自分の脚で知らない場所を探検し、依頼という他人の願いを叶えるために危険を冒したり、魔物と戦ったりする。
一生を街の中で過ごすことが多い貴族の令嬢からすれば、まるで別世界の話のようなのだ。
目を輝かせて話すイヴェッタに、ダーウェはまんざらでもないようにフン、と鼻を鳴らした。普通、世間知らずで苦労を知らない貴族のお嬢様にこんなことを言われたら「アタシらがどんな苦労をしてるか知りもしないで」と嫌な気持ちになっただろう。
冒険者というのは、名前の響きこそいいが要は「何でも屋」で「便利屋」で、そして、街でまともな職に就けない者が多くなる職だ。
平民から税金を巻き上げてお菓子やドレスに囲まれて生きているだろうお嬢さまに羨ましがられるなど、嫌味でしかないと思うところ、しかし、イヴェッタは確かに世間知らずからのあこがれもあるだろうが、それでも「とても素敵です」と瞳を輝かせて言われると、悪い気がしなかった。
「アンタ、金はあるかい?」
「はい。あまり多くはありませんが……」
「いくらかくれるってんなら、もののついでにアンタを国の外まで護衛してやってもいいよ」
この国で何かやらかしたということだが、多分この貴族の令嬢がドン臭くのんびりとしているから嵌められたとかそういうことだろうとダーウェは判じている。
こんなひと気のない場所でテントも張らず不用心に寝転がっているような世間知らず、国を出る前に心根の汚い男たちに身ぐるみ剥がれてどこかの売春小屋にでも売られるのがオチだ。ダーウェは別に身の上に同情したわけではないが、やや心配になっているというのは確かだった。
足手まといになるだろうが馬は持っているようだし、足が痛くて歩きたくないなど我がままも言ってこないだろう。
まさか貴族の娘だった者がなんのツテもなしに国外に行くはずもないし、そこまで送ってやってもいいだろうとダーウェは考えた。