閑話:街一番の商家の子
「所詮、成り上がりの分際で」
幼い頃より、バルトルが耳にした多くの言葉の中でこれほど理不尽な中傷はなかった。
生まれたのはドルツィアの辺境にある小さな街、ルゴ。
他国との交流の地、防衛の要という程ではないが、人の往来はそれなりにあり、冒険者組合の支部も置かれている街だった。
その街で、一番大きな商家がバルトルの家だった。
曾祖父がこの街に移り住み、祖父の代で基盤が出来た。
三代目である父、マーカスには祖父以上の商才があった。ラクダを百頭買って織物で有名なアイドラまで買い付けに行き、色とりどりの美しい絨毯や絹織物を手に入れてルゴで売った所、ひと財産を築けた。
ルゴの領主ケレメンは質素倹約を美徳としている人物だった。
国境付近であるこの街を外敵から守る辺境伯。華美に着飾る事など無意味、無駄、不要、不誠実であると唾棄しており、ルゴの商人たちは華美な装飾品や織物を扱っても領主の反感を買う。領主の方針に合わぬものを持ち込むメリットはないと仕入れられることがなかった。
が、マーカスはケレメンの妻、黄金の髪の美しい中央貴族の女、シンシアが、鄙びたこの街に嫌気がさしていることを知っていた。華やかで流行の最先端である中央から嫁いできた女は、あれこれ理由をつけて実家に戻りたがり、一年の三分の二は中央で暮らしているようだった。しかしケレメン念願の長子を授かり、領地で母の乳で育てるのが当然だと言われ仕方なしにルゴに留まることになっていた。
シンシアはマーカスの仕入れた美しい絨毯に文字通り瞳を輝かせ、飛びついた。部屋の中に閉じ込められた彼女は「子が怪我をする」からと、自身が着飾る事を禁じられていて「それなら部屋を美しくしたい」と願った。アイドラの絨毯は肌触りも良く、子供にやさしい。ケレメンは妻を愛していたので、その望みをかなえるために、マーカスに大金を支払った。
領主夫人の振る舞いが、ルゴの街の女性の流行を作り出す。部屋を色鮮やかな絨毯で飾る事、ガラスのランプで魔法の明かりをつけること。シンシアが宝飾品を買い集めれば、街の女たちも同じように夫や父、兄に強請った。夫人たちが家の中で家族のために着飾ることは美徳であると考えられた。
そういうわけで、マーカスは一躍、領主夫人御用達の大商人となり屋敷を出入りする身分となったのである。
*
バルトルは物心ついてからは「領主様のご子息と同じ歳だから」という理由で、父に同行した。クレメンスは中央では「百合の花のよう」と言われた美しい母君譲りの容貌で、幼い頃より人を惹き付けた。けれどバルトルにとっては幼馴染。やや気弱で、領主夫人のスカートの後ろに隠れているような大人しい子供。
「よし、じゃあ、おれが守ってやる。おれの子分にしてやるよ」
家庭教師が何度も鞭で手を叩く。それが痛くて怖い、とこぼすクレメンスにバルトルは得意げに言った。商会に出入りするのは荷担ぎの大男や、護衛の為の屈強な傭兵、百戦錬磨の冒険者たち。彼らに見慣れ、また「マーカス商会の若だんな」とそんな彼らに頭を下げられて育ったバルトルからすれば線の細い家庭教師などこれっぽっちも恐ろしくなかった。
そんなものが怖いだなんて、クレメンスは弱虫だな。屋敷の中で育ってるから度胸がない。いつも青白い顔をしている。よし、おれが守ってやろう。
バルトルが言うと、傍にいた使用人たちが顔を顰めた。
「まぁ」
「なんてこと」
「無作法な」
そう言う大人たちの言葉の意味はわからない。だが、感じの良くない言葉だった。そういう、大人から印象の悪い言葉を向けられたことのないバルトルは「そうか。こういう連中が、クレメンスの周りにはいるのか。かわいそうだな」と思った。自分の周りにいる大人たちは、けしてバルトルを傷付ける言葉を吐きはしない。
「こぶん……?」
きょとん、とクレメンスが首を傾げる。髪の長い少年。レースがたくさんついたシャツを着ていて、女の子のようだった。綺麗な恰好をしている分、バルトルの妹メロディナよりクレメンスの方が可愛らしいと思うことすらあった。
「子分っていうのは、うーん、手下ってことだよ。おれはボスだから、子分を守るんだ」
「……それは……あのね、むりだと思う」
「はぁ?」
「だって、ぼくは領主の子だから、商人の子の手下にはなれないよ……?」
あどけない顔で、しかし賢い顔をしているクレメンス。
「ぼくはバルトルたちを守れるようにならなきゃだめなんだ。だから、むりだと思う」
「はぁ?お前がおれを?」
幼いバルトルはカッとなった。こんな臆病で泣き虫なクレメンスが自分を守れるものか。その逆なら有り得るだろうに、馬鹿にしているのか。自分の親切な申し出が無碍にされたこともあり、バルトルは眦を上げた。
「ばっかじゃねぇの!?お前みたいな弱虫が何言ってるんだよ!」
どんっ、とクレメンスを突き飛ばし、バルトルは叫んだ。
小さな体のか弱い少年は大きく吹き飛ぶ。庭でお茶を飲む為の白いテーブルにぶつかり、派手な音を立てて一緒に倒れた。
「っ、痛っ……」
ちょっと押しただけなのに軟弱だ。大げさに顔を顰める。バルトルはクレメンスを見下ろし、ふん、と鼻息を荒くした。
「きゃぁあ!! クレメンス様!」
「お、お坊ちゃま!」
呻くクレメンスは起き上がってこない。みっともない奴だとバルトルは清々したが、周囲の大人たちはそうではなかった。大げさに叫び、駆け寄ると必死必死にクレメンスの名を呼ぶ。メイドなど泣き叫んでいた。弱いと周りに迷惑をかけるんだとこれでクレメンスもわかっただろう。バルトルは満足しクレメンスを起こしてやろうと近づくが、それは甲高い女の悲鳴によって遮られる。
「私の子に触らないで!!」
走って近づいて来た、髪を振り乱し半狂乱になった女。美しく、これまで見た誰よりも美しく着飾った肌の青白い女がクレメンスを抱き寄せ、バルトルを睨み付ける。その途端、バルトルの体は駆けつけた騎士たちに拘束され、地面に叩きつけられた。
「やっぱり平民なんて近づけるんじゃなかった!!あの人はクレメンスのことをちっとも考えてくれない!!」
美しい女性は顔を歪め、バルトルを睨み罵る。女が命じるままに、騎士がバルトルの腕を強く掴んだ。痛みに呻きのたうち回る。
腕の骨を折られた。それでも放してくれず、バルトルは痛みと恐怖から喚き必死に抵抗する。
なんだ。なんで、こんな目にあっているのだ。
理解できず、なにもわからず、ただ恐ろしい。大人たちに囲まれ、全員が全員、バルトルに強い怒りの感情を持って睨み付けてくる。それがなぜなのかバルトルにはわからない。
「お、奥様……ッ!伯爵夫人……!!これは……これは、どうしたことか……バルトル!!?」
そこでやっと、バルトルは味方が来てくれたと安堵した。父の声だ。肥えた体をどすどすと揺らし、脂ぎった顔に汗をかき、バルトルの父マーカスはやってきた。
「父さん!」
「あぁっ、バルトル……お前……お前……」
父は素早く状況を理解した顔をする。そして騎士に向かい走って来てくれた。これで助かる。父は自分を大切にしてくれている。こんな目に遭わせた騎士たちを厳しく罰してくれるに違いないと、父こそ世界で最も偉大で強い男だと信じているバルトルは安心しきった。
「この、大ばか者め!」
が、父はバルトルの体を優しく抱きしめることはせず、むしろ殴り飛ばした。
「っ!父さん!?」
「誠に……誠に、申し訳がございません!!伯爵夫人……!この度は愚息が……大切なご子息に、なんということを……!!」
バルトルを殴り飛ばした父は、そのまま深く、地面に頭を擦りつけた。顔を伏せ、必死必死に、謝罪する。許しを請う。その姿。
なんでだよ。
わけがわからない。バルトルは混乱した。なんだっていうのだ。こんなこと、なんで。
ただの子供同士の喧嘩じゃないか。それも、バルトルはいつも近所の子供たちをこうして従えて来た。自分はボスだ。皆自分より弱いと、一度はしっかりわからせてやる必要がある。バルトルが近所の子供を殴ることを、父は一度だって咎めなかったし、バルトルは女の子に手を上げたことはない。いつだって、自分と同じくらいの男の子だけだ。
父だって、褒めてくれたじゃないか。誰より強いバルトルを、男の子はそうでなければ!と、強くなければ商会をまとめられない。舐められたらいかん、と、そう言っていた父が今はか弱いクレメンスや女に頭を下げている。
「所詮、成り上がりの分際で!誰がお前を取り立ててやったと思っているのです!!」
女は金切声を上げ、マーカスの頭に扇を投げつける。それでも父は謝罪の言葉を口にするばかりだった。
「と、父さん!なんでだよ!なんで……!」
「大馬鹿者め!わからんのか!!お前がしたことで、商会が消えるかもしれないのだぞ!!」
こんなことする必要がない。あの立派な父が、頭を下げてこんなに情けない態度を取るなど。バルトルは悲痛な声を上げた。みっともない。やめてくれと、そう、自分の腕の痛みも忘れて、片腕で父の体を揺さぶると、マーカスは強い目で息子を睨み付けた。
「なんでだよ!クレメンスはおれの子分なんだ……だからわからせてやっただけじゃんか!」
「クレメンス様は貴族だぞ!!この意味がどうしてわからないんだ!!」
だからなんだ。
バルトルは貴族が何か知っている。街で一番偉い人だ。でも、街を豊かにしたのはマーカス商会じゃないか。バルトルは街の人たちが「マーカスさんのお陰で色んなものが手に入る」「マーカス商会がこの街を明るくしてくれた」と感謝の言葉を次々と投げてくれるのを聞いていた。
「なに言ってるんだよ!うちがなくなったら、困るのはこいつらだろ!」
貴族の屋敷に運び込まれる美しい調度品。宝石類。豪華な食事。質の良い衣類。それらを外から調達できるのはマーカス商会だ。貴族のやつらが贅沢をするために自分達はいなければ困る存在じゃないか。でも、自分達はそうじゃない。この街で誰が貴族だろうと、関係ない。
「腕を切り落とせ」
ザッ、と視界が曇った。
「あ、あなた……」
「……ケレメン様……」
山のように大きく感じる、大男。腕は丸太のように太く、髪は針金で出来ているのかと思うほど、硬そうでぐしゃぐしゃと絡まっていた。
美しい夫人の隣に立つと山賊か何かのような粗野で粗暴な男。身なりを一切顧みず、しかし入浴だけはしているのか肌に汚れはない奇妙な男。
辺境伯ケレメンは、息子と妻、そして商人とその息子をジロリと睨み付けるように眺めてから短く言った。
「増長したな、マーカス」
「……ケレメン様!どうか、どうか……ご容赦ください!!息子はまだ幼く……」
「それがどうした。だからなんだ。腕を切るのは貴様だマーカス」
「っ!?」
マーカスの顔に戸惑いの色が浮かんだ。が、それは一瞬。直ぐに意味を理解し、商人は頭を垂れる。
「身の程を子に教えるのは親の役目。子が判断できぬのは親の責任。判断できぬ者であると見極められなかった貴様の失態である」
「……寛大な処置、感謝致しまする」
騎士が一人、マーカスの腕を掴んだ。父が目を閉じ、唇を噛みしめるのをバルトルはただ唖然と眺めた。
なんだ。何が起きてるんだ。もう意味がわからない。理解ができない。なんなんだ。これ。
「ま、待って、ください……! お父さま、父上……っ!待ってください!」
しかし、がしっと、太いケレメンの足に縋りついた者がいた。クレメンスだ。荒く息をしながら、必死に父にしがみつき、言葉を続ける。
「止めてください!そんなことさせないでください!!お願いします!どうか、どうか、バルトルは友達なんです!マーカスさんは、友達のお父さんなんです!」
「……」
子どもの我がまま。バルトルは「こいつ、馬鹿なのか」と呆れた。激昂しているケレメンを初めて見たバルトルでもわかる。こういう人間は自分の意思を変えない。自分がこの場で最も偉いとでも思っているのだ。バルトルはクレメンスが殴られると思った。父親の言葉に立てついた軟弱な息子を、ケレメンは強打し情けないと罵倒するのだと思った。自分が父に叱られたのだから、クレメンスだってそうなるだろうと思った。
「……おぉ、おぉ……そうか、クレメンス。そうか。友か。これはお前にとって、この父に逆らうほどに、大切な友か」
ガタガタと体を震わせながらも父に意見する息子を、ケレメンは破顔して受け入れた。大きくごつごつとした手で、絹のようなクレメンスの髪を撫で、うんうん、と赤子にするようにあやす。
「うむ、ならば仕方ない。それならば、しようのないことだ。妻よ、良いな。これならば、仕方あるまい」
「しかし、あなた!この平民はクレメンスを傷付けたのですよ!」
「これで身の程は弁えよう」
じろり、とケレメンはバルトル親子を眺めた。バッ、とマーカスはバルトルの頭を上から押さえつけて共に地につける。
なんだ。これ。これは、なんだ。
バルトルは悔しくて歯を強く噛み締めた。大人のこの、茶番。
あっさり、さらりと怒気を収めた領主の意図をバルトルは理解した。
身の程を弁えろと、いう意味なのだと理解した。ケレメンはここでクレメンスが自分の前に立ちはだからなかったら、それも有りだと考えていたのだろう。恩を売られた。これでマーカス商会はクレメンスに対して「恩人」だという態度を取らなければならない。
思い知らされた。
バルトルは蒼白になりながらもほっと息をつく父を横目で眺め、自分にかけより泣きじゃくりながらも笑いかけるクレメンスの手を取った。
*
走馬燈。
死ぬ間際に見えるとかなんとか、そういう眉唾な話をバルトルは思い出した。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!!」
メロディナが泣いている。どうしようもない子だ。泣いて騒げばなんでも叶うと覚えてしまった。いつも不平不満を漏らしていて、自分がどんなに周囲に愛されているか大切にされているかわかっていない。他人が得をすれば、自分がそれを得られなかったから他人が得たのだと、損をしたと騒ぐような子、それがバルトルの妹だった。
愛らしい妹だった。生まれた時、父は大層喜んだ。美しい女の子。金をたっぷりかけて育て上げたのは、純粋に溺愛している以上の理由があった。
メロディナは物心つく前から、「お前は必ず、クレメンス様のお嫁さんになりなさい」と密かに言い聞かされてきた。大商人の愛娘。それも、街の経済や流通を担う家門の娘だ。淑女教育を施し、外見を磨きに磨き上げた美しい少女なら、領主の息子の妻にと縁談を持って行くことも可能だろうと、そう父は考えた。
マーカス商会にとって、喉から手が出るほどに欲しいものは貴族の名だ。今後国内でもっと手広く商売をするためにも、そして「成り上がり」と蔑まれないためにも、娘を貴族に嫁がせることは悲願であった。
バルトルは思う。もしかすると、父はシンシアに近付いた頃から、このことを計画していたのかもしれない。
*
父の思う通りにはいかなかった。どれだけマーカス商会が大きくなろうと、街にとってなくてはならない存在になっても、バルトルが冒険者組合の組合長となり、領主の武力とは別の組織の力を得ようと、クレメンスはメロディナを妻にしないかというバルトルの言葉を拒絶した。
「君は親友だし、メロディナ嬢はとても愛らしい方だと思うけど……」
「なぜだ?悪くない話だろ。マーカス商会と領主の家が結びつけばこの街はもっと栄える」
「婚姻関係など結ばなくても、私と君の間にある友情があればそれでいいじゃないか」
友情。
バルトルは鼻で笑い飛ばしそうになった。
友情などあるものか。世間知らずなクレメンスはバルトルを親友だと言って憚らない。そのクレメンスの態度がバルトルの世間での評価を上げた。「領主のご子息に認められるほど優秀だ」と。
お前とおれは同じじゃない。
バルトルはいつも思っていた。
自分が陰口を叩かれる時、必ず「成り上がりの分際で」と言われる。どれほど剣が上手く使えても、計算が出来ても、美しく文字を書けても、人に慕われその期待に応えても、産まれが平民というだけで、口さがない連中はバルトルを蔑む。
*
サフィール。
バルトルは自分の腰ぎんちゃくのことを思い出した。貧乏人の子は貧乏のままだ。憐れんでバルトルは自分の使い古した教科書や本を恵んでやった。周囲は「立派だ」とその行いを褒めた。気の毒な貧乏人のサフィールはバルトルに闘争心を剥きだしにしながらも、その御情けを受け取った。惨めでみっともない。
サフィールを見るたび、「クレメンスにとって、自分はこういう風に見えているんだろうな」と思った。こちらの慈悲でなんとか人並になっている。サフィールの評判など、立場など、命など、少しバルトルが「邪魔だな」と思えば一瞬でどうにでもなる。
(あぁ、そうだ。サフィール。あいつをもっとうまく利用すればよかった)
クレメンスにどうすればメロディナを娶らせることができるか。バルトルと父は頭を悩ませていた。
そこにある日突然、ルゴの街に奇跡が降った。
混乱する街の中で、バルトルは「これを利用しない手はない」と思った。
なぜ奇跡が降ったのか、そんなことはどうでもいい。神さまなんていうのは気紛れで、人間ごときには計り知れない考えをお持ちなのだ。平民と貴族なんていう不平等なものをそのまま良しとされているような神々をバルトルは理解しようとは思わなかった。
まず神殿に金を積んだ。
メロディナを聖女としろと。この街に降った奇跡はメロディナがもたらしたもの。
二度ある必要はない。大きな奇跡だった。たった一度でも十分だろう。神殿が認めれば、マーカス商会は神殿に継続的に多額の寄付をすると約束した。
神殿が認め、そして街の人間も聖女と領主の結婚を望むように噂を流せばいい。それは街の人心を掌握しているバルトルにはさほど難しいことではなかった。
だが、だが、サフィール。あいつが邪魔をした。
どこぞから流れて来た女が聖女だとあいつは言って、邪魔をしてきた。
だからその女を人を雇って始末し、そしてサフィールはとうとう金に困って家族を殺したように仕向けた。家族殺しの大罪人の言葉など誰も聞かないだろう。
そしてその女について来たという冒険者の姉弟。二人を始末しようとして、弟がバルトルに「提案」してきた。
『ぼくらを、ここで殺しちゃうのは、もったいないんじゃないの?』
ひ弱な少年。
赤毛の猪のような姉とは違い、何の力もない弱者。貧しい生まれでどうしようもなく村も追い出されて冒険者もどきのようなものに成り下がっただろう者の言葉をバルトルが聞く必要はなかった。
が、その少年。その子ども。妙に賢そうな目でバルトルに話しかける。
『その真珠が聖女の証明に使えなかったら?使えたとしても、もう少し、何か、メロディナさんが『特別な女の子』なんだって証拠がいるんじゃない?』
『何が言いたい?』
『姉さんに……目が覚めたら、その赤毛の女の人に言うんだ。『弟を殺されたくなかったら、街に出て人を襲え』って』
『なんだと?―――おい、お前、自分の姉を罪人にするのか?』
『どうせこのままなら、殺されるんでしょう。ぼくら姉弟はいつだってそうだった。わけもわからないまま色んなものを奪われて、追い立てられていくだけ。姉さんはぼくが助かるならきっと喜んでくれるさ』
『ははっ、自分だけ助かりたいのか。姉を利用して自分だけは助けてくれと?生き汚い屑め。よし、続きを話してみろ』
その少年は続けた。
姉に無差別に街の人間を襲わせる。姉は体が大きく力が強い。何か薬か精神が錯乱する魔法でも使えば、暴風雨のようになるだろう。
そして、その怪物をメロディナに鎮めさせるのだ。
メロディナは正真正銘、街を救った聖女となる。
『なるほど』
バルトルはクレメンスが広場で街の人々に今回の騒動の説明をするつもりだと聞いていた。
偶然その場に居合わせたクレメンスを救ってやれば、あいつはどんな顔をするだろうか。
冒険者の姉弟を街に入れたのは元々クレメンスだと聞いた。そしてサフィールが姉弟に関わっている。錯乱した原因はサフィールにあるのだとでっちあげるのは簡単だ。
*
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!嫌よ!!ねぇちょっと!死なないでよ!お兄ちゃん!あたしはどうなるのよ!!」
メロディナの叫び声が、再びバルトルの意識を浮上させた。
回想し、なぜ色んなことが簡単に問題なく終わるはずだったのに、何一つ上手くいかなかったのだろうかと不思議に思う。
「お静かに。兄君には貴方が魔女であったのかどうかを尋ねています」
目の前には恐ろしい聖職者の恰好をした拷問官。神官だというが半身焼け爛れて、眉一つ動かさずバルトルの爪を剥ぎ取り、指を一本ずつ潰したような男のどこに神への敬意があるというのか。
奇跡を私物化しようとしたという罪で、バルトルとメロディナは責められていた。バルトルが「妹は魔女だ」と自白することを拷問官は望んでいる。その言葉を吐いた途端、メロディナが広場で火炙りにされることをバルトルは理解していた。
時間を稼げば、父が神殿やこの拷問官に金を詰んで釈放されるとバルトルは考えた。だからどんな拷問にも耐える。今更、こんなことで自分の人生が台無しになってたまるか。
(まだおれは、クレメンスに勝っていない)
自分はこの街で人望があり、財産があり、権力がある。
こんなところで、誰も知らないうちに、意味の分からないやつに殺されるような人間じゃない。
「ちょっと待ってよ!それじゃあ、お兄ちゃんがあたしのこと魔女だって言ったら、そうなるの!?そんなのおかしいわよ!これ、言わせてるようなものじゃない!!」
朦朧とする意識の中、妹が何か叫んでいた。
可愛いメロディナ。
もう少し我慢していろ。
そうすれば、いつものように何もかもうまく行く。
安心させるように笑いかけようとして、バルトルは歯が抜かれ、唇が腫れあがっていたので上手く笑いの形が作れなかった。が、妹ならきっと思いは汲んでくれるだろう。
*
「冗談じゃないわよ!あたしは魔女じゃない!!お兄ちゃんが……こいつが言ったのよ!あたしは聖女だって!こいつの言う通りにしただけなんだから!!人を誑かすのが悪魔なら、こいつが悪魔なのよ!!」
ぐしゃり、と、何かの潰れる音。
少女の細腕で振り上げた火かき棒が目の見えない青年の顎を砕いた。





