27、信じさせて欲しい
祈りの言葉をイヴェッタが口にした途端、大通りや広場にいた人々の体が光に包まれた。
あの光だ、とルゴの街の人々は誰もが思い出す。この街に奇跡を齎した光が再び現れ、そして、斧を振るう狂人によってつけられた傷が悉く癒えた。
偶然、イヴェッタの近くにいた男は唖然とする。斧を持つ大女を庇う小柄な女。口から吐いた言葉は他人を呪うような低く怒りに満ちたものだったから、てっきり自分達は呪われるのだと考えた。魔女め、この街に災いを齎す魔女めと、そう、身構えたのに、この奇跡。
「ど、どうして……」
男はこの小柄な女が人々の傷を癒したのだと理解した。その上で、理解できない。女の髪を掴もうとしていた手を引っ込めて、畏れるように一歩後ずさる。
「治せと言われたので、治しました。これでよろしいですわね。これで、ダーウェがしたことは全部、よろしいですわよね。皆、皆さん、治りましたもの。ちゃんと全部治しました」
スッ、と祈りの姿勢から女が立ち上がった。菫色の目を細める。神官が春の訪れを言祝ぐように嬉し気な微笑みが浮かんでいる。
「い、いいわけ、ないでしょ!?」
茫然とし言葉が何も出てこない者が大勢だったが、女が一人進み出て異論を発した。確か、冒険者組合の人間だ。この場を収めようと出てきてくれた勇気ある女性なのだろう。その顔には困惑と驚愕が浮かんでいるものの、使命感を帯びた目をしていた。男の記憶が確かなら、怪我はしていなかったはずだが、この状況に思うことがあるのだろう。
「そ、その女は斧を振り回して私たちを襲ったのよ!それを庇うあんたは魔女で、罰せられるべきだわ!」
勇気を奮い立たせ声を発した女に、何人か駆け寄った。ぐいっと、女の服を掴み「待って」「これ予定と違うじゃない」「聖女様が来てないわ」と、同僚らしい女たちは不安げにきょろきょろを辺りを見渡す。近くにいた男はその小さな声が聞こえた。彼女たちは何を言っているのだろう。
「素晴らしい……!」
が、この状態がどうなるのか全くわからない中で、きっと殆どの者がそうである中で、一人、嬉し気に手を叩き、声を発した者がいた。
*
この場を収められるのは自分だけだと、クレメンスはわかっていた。
騎士たちに守られた安全な場所から、一歩前に進み出て口元に笑みを浮かべる。冷や汗を流したい心を抑え、掌に滲んだ汗を服で素早く拭った。こんな無作法、父に知られたら鞭で打たれるだろう。そんな事を考えると僅かに心に余裕も生まれる。
拍手喝采。微笑み、全力で喜びを表現する。これは良いことだ、素晴らしいことだ、と、クレメンスは言葉以上に身振り手振りで感情を周囲に伝えることが得意だった。
「素晴らしい……!まさに、まさしく、聖女とは貴方のことでしょう!」
領主の息子が認めた。その一点で、その途端、イヴェッタを「どういう生き物だと見ればいいのか」と迷っていた人々の目から不安が消える。クレメンス様がおっしゃった。お認めになられたことなのだから、そうなのだ。と、そのように。
もはや危険はない。クレメンスは大股でイヴェッタとダーウェの方へ歩み寄り、衣類がズタズタになっているダーウェの体に自分の上着をかけた。そしてイヴェッタを振り返り、手を差し伸べる。
「先の、街に降った奇跡も貴方が齎してくださったのですね、レディ」
やや芝居がかった仕草だが、民衆はこういうものが大好きなのを彼はよく知っていた。
何よりも安心したい。
イヴェッタが自分達の理解の及ばぬ力を使える存在であると目の当たりにさせられて、さて、彼女は自分達に災いを齎す魔女なのか、それとも味方になる聖女様なのか。誰もが、一刻も早く安心したかった。その舞台装置に、領主の息子であるクレメンスほど適切な人物はいないのだ。
じっと、クレメンスはイヴェッタを見つめた。菫色の瞳の美しい女性。まだ少女というあどけなささえ残るその顔。貴族の娘であるので、クレメンスの申し出がどういう意味を持つのかをわかっているはずだ。この手を取れば、万事解決する。
イヴェッタはクレメンスの手を取り、ルゴの街の聖女になるべきだった。そうすれば狂人と周囲に嫌悪されているダーウェをクレメンスは助けることができる。
ふわり、とイヴェッタが微笑んだ。
「やさしい方ね」
ありがとうございます、とクレメンスは微笑みを返した。
内心ほっとする。これで街は全てうまく行く。長くクレメンスを煩わせていた問題も解決し、この街はずっと良くなる。
イヴェッタはクレメンスの手を取り、立ち上がった。僅かによろける力ない淑女の体をクレメンスは支える。
「ゼルとダーウェが死んでいたら、あなたも死んでいましたよ」
体が密着した僅かな瞬間、イヴェッタがそっとクレメンスに囁いた。
その甘い声音に体が高揚する暇も与えてはくれず、バッとクレメンスは反射的にイヴェッタの体を突き放す。イヴェッタの髪が揺れ、項、首筋に赤く光る、何か、宝石のようなものが見えた気がした。
「……」
じっと、イヴェッタを見つめるクレメンスの耳に、部下からバルトルの変死が知らされたのはそれからすぐのことだった。





