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26、叙任式


「あ、あのっ、王弟殿下……さすがにそろそろ……その、まずいと、思うのですがッ!」


 イヴェッタたちから少し離れた場所で、シフは意を決したように恐るべき魔王、ギュスタヴィアに話しかけた。


「……」

「うわー、うわー、その、虫けら以下を見るような目ー。どうせ私は話す価値もない底辺ですよね……。ですが、言わせて頂きますけど!これ、絶対厄介事じゃないですか!」


 エルフ族の法や権利が通用しない人間種の街。何やら惨殺死体が発見され、行方不明者も複数出ているこの状況。どう考えたってロクなものじゃない。それにエルフ族、異種族が関わっていたなどと思われれば偏見から自分たちがどんな目に遭うかわかったものじゃない。


 それに、仮にもエルフの王族であるギュスタヴィアがこんなところにいつまでもいていいわけがない。


「……」

「無視ですか!わかってますけどね!――あの子、切り花の、彼女。何をする気か知りませんけど、彼女もこんな場所に長くいたらよくありませんよ。殿下もあの子が大切なら、こんな街はさっさと出て行った方がいと思いますが」

「別に、大切ではない」

「あー、はい。そうですか」


 無視され続けると思ったが、やはりあの人間種の娘のことを切り出すと反応が出る。大切、執着、そのどちらでも構わないが、シフは「自覚してないのか嘘だろ」と内心突っ込みを入れたい。


「とにかく、これ、現状。よくないですよ。こういう状況って、わかります。行方不明のよそ者の姉弟。殺されている一家、の、行方不明の息子。あの切り花の子を殺そうとしてたっていう冒険者の女の言葉。これ、誰かが色んなことの、全部の悪いことの責任を押し付けられる状況じゃないですか」


 舞台が整えられている。お膳立てされている。誰かがこの状況を作り出していて、結果があるから過程があったのではなくて、結果を作るために過程を無理矢理ばら撒いている。


 シフは弟より出来が悪かった。それでも彼女が伯爵家当主である。『~だから、当主に相応しくない』という結果にするために、引きずり落とすために彼女の評判をどれほど傷付ければいいかと叔父たちがしたことを、彼女は忘れない。


 この街の全容がわからないシフでさえ、今この街の現状が、『誰が黒い羊だった』と、誰でもなれる、仕立て上げられる状況になっていることを感じ取っていた。


 エルフや、切り花、異国の親子の集まりである自分達など、恰好の標的である。


「…………ひょっとして、殿下。それを望まれていらっしゃいます??」


 はたり、とシフは嫌な考えが頭に浮かんだ。


 いやいやまさかそんな、と思う自分がその考えを否定する前に、ふわり、と尊き王弟殿下が微笑を浮かべた。


「あの娘が何を憎むのか、嘆くのか、見たいと思いませんか?」

「うわぁ~……」


 思えばどうして切り花と、その存在を葬るためのカウンター役として生まれたエルフが一緒にいるのか。シフは年若い娘らしく、うっかりラブロマンス的なことを期待してしまったが、そんな可愛らしい存在がそもそも300年も封印されるわけがない。


 確かにこの状況。よそ者で人目を引く容姿をしているイヴェッタは、魔女狩りの対象になるにもってこいだった。


 この街を好きだとシフに嬉しそうに語った、心優しいあの人間種の娘が、街の人間に魔女だ殺人者だ何だと憎悪を向けられ罵倒され石でも投げられる姿を、この王弟殿下は望んでいらっしゃるらしい。


「そんなんだから王様に嫌われるんですよ~」


 と、口に出せば命はないので、シフは心の中だけでぼそりと呟いた。


 



 現時点での状況を、イヴェッタは頭の中に思い浮かべた。


・メロディナが聖女であるので、自分は邪魔だと殺されかけた。

・その依頼主は冒険者組合組合長バルトル。

・この街の神殿の神官たちも関わっている。


 さて、このメロディナの為に自分が殺されかけたという点についてだが、サフィールがイヴェッタのことをメロディナの対抗馬として担ぎ上げようとしたからだろう。あの時きちんと断っておかなかった自分にも責任があるので、イヴェッタはこの件に関しては自業自得、誰が悪いわけではないと思っている。


 ・サフィールに家族殺害の罪を着せたい者がいる。

 

 これも、イヴェッタ目線で見れば聖女競争のために邪魔だと思われての処分……に、思えなくもないが、そんな程度でご家族にまで手をかけるだろうか。


 サフィールを罪人にするなら、もっと他の方法があったはずだ。死体を辱めるような方法を取って、不用意に住民たちの不安を煽る必要があっただろうか。


・ダーウェとゼルの行方。


 二人が姿を消す理由が、イヴェッタにはまるっきりわからなかった。二人は善良な姉弟だ。間違っても誰かを悪意から傷つけることなどしないし、邪魔になるほどでしゃばったりもしない。その二人が何かに巻き込まれたとすれば、それは、自分が原因ではないだろうかと、そうイヴェッタは恐ろしい予感がした。


「きゃぁああああああああ!!」


 思考を巡らせていると、大通りの方で悲鳴が上がった。


 男女、様々な声が上がり、人がイヴェッタたちのいる路地裏まで走ってくる。


「なんだ?!どうした!」

 

 サフィール家の死体の片づけをしていた兵士たちも異変を感じ取り、家の中から飛び出す。


「た、助けてくれ!暴れてるんだ!斧を持った、大女が!あぁ!!クレメンス坊ちゃんが危ない!」


 血塗れになりながら兵士に駆け寄る男は、必死に叫んだ。


 先日のルゴの街の奇跡について、聖国から正式な「奇跡」という認定が下りたこと、その奇跡を齎したとされるメロディナの聖女としての能力について、クレメンスが直々に話をしてくださるはずだった。その場所に、斧を持った赤毛の女が突然乱入してきて、街の人間たちに次々に襲い掛かったのだと言う。


「……お嬢さま!」


 咄嗟に、タイランはイヴェッタに叫んだ。が、既にイヴェッタは走り出している。


 その大女というのは、ダーウェに違いない。


 イヴェッタは杖を握りしめ、大通りへ向かった。逃げまどう人々と逆方向に進むのは難しく、何度か人にぶつかり転びそうになる。


 後ろの方でタイランやイーサンが自分を呼んでいる声も聞こえたが、彼らもこの人の波で容易く追いかけてくることができない。


 大通りを少し進めば、広場へ出る。人の叫び声の中心。斧を振り回し、騎士たちに相対している大柄な女性。


「ダーウェ!」


 イヴェッタは息を飲んだ。


 間違いなくダーウェだ。しかしその顔は半分潰され、目が抉られ、髪は引きちぎられたのか頭の皮がめくれかけている。全身が傷だらけだった。青あざ。矢やナイフが体に刺さり、それでもダーウェは唸るような声を上げる。


「ダーウェ!!」


 イヴェッタは人をかき分けて広場に入り、血塗れの斧を振り回すダーウェに駆け寄る。


 ジロリ、とダーウェがイヴェッタを睨み付けた。敵意に満ちた目だ。血走り、絶叫を上げて斧を振り翳す。


「レディ!」

「クレメンス様!ご自分の立場をお考え下さい!」


 騎士に守られていたクレメンスが声を上げた。騎士たちを押しのけてイヴェッタを庇おうとするが、護衛の騎士たちはそれを許さなかった。ならばせめて、とクレメンスは騎士たちにイヴェッタを守るように命じるが、それよりもダーウェが斧を振り下ろす方がはるかに速い。


 イヴェッタは神に祈るべきだった。ここで、両手を合わせて神に祈れば、きっと神はダーウェを雷で貫き、この身を守ってくれただろう。そして跪き神へ感謝の言葉を投げ、ダーウェによって傷つけられた全ての人々の傷を癒すべきだった。


 または、神に祈るべき手をダーウェに伸ばし、その傷だらけの体を抱きしめるべきだった。傷付き暴れ狂う嵐のような女も、その優しい腕で抱けば凶暴性をかき消すことが出来たかもしれない。


 だがイヴェッタは聖女や慈母の類ではなかった。


「誰が……誰が、貴方を、傷つけたのですか……!!」


 杖を片手で強く握りしめ、イヴェッタは袈裟懸けに斬られながら真っ直ぐに、ダーウェを見つめる。


 ボタボタと血が滴り落ちた。よく血が流れるものだ。王都を出てから、こんなことばかりだ。


 イヴェッタは自分の体の中に、強い怒りが沸きあがってくるのを感じた。


 ダーウェが自分から望んでこんなことをしているわけがない。誰かが彼女を追い詰めて、傷つけて、苦しめているのだ。


 ドンッと、イヴェッタは杖を地面に叩きつけた。光が溢れ、ダーウェの体を包み込み、その傷を悉く癒していく。


 獣のようなうめき声を上げ、ダーウェが膝を突いた。イヴェッタは駆け寄り、その体を抱き留める。


「……ごめん」


 小さな声。

 顔は見えないが、正気に戻ったことがその声音からわかった。イヴェッタは首を振る。


「いいえ、大丈夫です。一体何が?」

「……」

「ゼルはどこに?」

「…………」


 問いかけると、バッ、とダーウェがイヴェッタを突き放した。


 顔には苦悶の表情を浮かべ、唇を噛みしめながらも再び斧を手に取る。


「……ごめん……ごめん、イヴェッタ。あたし、ゼルを……守らないと……」


 クレメンスを殺さなければ、ゼルが殺される。


 近くにいるイヴェッタにしか聞こえないような小さな声で、ダーウェは告げた。


 人質に取られているのだ。今も、どこかからこの様子を見ている。ダーウェは斧を握りしめ立ち上がった。


「この、悪魔め!!」

「呪われもの!!」

「異常者!」


 が、ダーウェが再びクレメンスに襲い掛かる前に、広場に集まった街の人々がダーウェに石を投げつけ始めた。斧を持ち、振り回す大女に対し、投擲は有効だった。


「おいアンタ!!なんてことしてくれたんだ!」

「折角死にかけてたのに!!あの化け物を治すなんて余計なことを!!」


 ぐいっと、イヴェッタは騒ぐ人間たちに腕を掴まれ、ダーウェから引き離される。ずるずると、引きずられ、イヴェッタは憎しみの表情を浮かべる住人達に囲まれた。


「治せるならこっちを治してよ!!」

「あの女に斬られたんだ!」

「人に押されて怪我をしたのよ!!」


 さっさとしろ。早く治せ。と、イヴェッタは怒鳴られる。その人々の隙間から、ダーウェが縛られ、地に伏せさせられ、殴られる姿が見えた。


「ちょっと狡いわよ!あたしが先よ!」

「なんだと!?こっちの方が重傷だろ!!」


 目を見開き、ダーウェの名を叫ぶイヴェッタの口を、うるさいと住民たちは押さえつけた。口に汚い布を詰められ、イヴェッタは無理矢理跪かせられ、頭を押さえつけられる。


 既視感


 何かに似ている。


 そうだ。あの、卒業式の後のパーティーでのことに、似ている。あの時も、誰もイヴェッタの言葉を聞こうとせず、こうして無理に膝を突かされたのだった。


 イヴェッタは自分の首の後ろに熱を感じた。


 頭の中で声がする。老人の声だ。“赦しなさい”とずっと、言っている。人には人の事情があって、考えがあって、人生がある。だから、その人のことを知りもしないくせに、考えるほど興味もないくせに、怒って、憎んで、恨むなどという無責任な事は止めなさいと、そう、その声がずっと、言うのだ。


 右の頬を殴られて、痛くて苦しくて悲しくて、叫びたくなっても、黙って反対の頬も差し出しなさい。


 相手は殴りたくなるほどの思いがあったのだ。理由があるのだ。だから赦しなさい。


(わたくし、ずっと、ゆるしてきましたよ)


(これも許さないとだめですか)


(ダーウェが、殴られているのです。目の前で。ゼルを守るために戦っている、自分の友人が、苦しめられているのです)


(ダーウェが皆を傷付けたから。酷いことをしたから、これは当然だと、皆正しいことをしているのだという目をしています)


 許さないとどうなるか、イヴェッタは知っていた。


 死んでしまうのだ。


 皆、死んでしまう。


 だから赦さないといけない。何をされても、何があっても、許さないと、死んでしまう。


「無理です」


 ぐいっと、イヴェッタは腕を振り、口の中から布を吐き出すと、微笑みを浮かべた。


「ダーウェの方が大切だもの。無理です。皆、嫌いです」


 両手を合わせ、イヴェッタは神に祈りを奉げる。


「悪意を抱くものに、災いあれ」



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出ていけ、と言われたので出ていきます3
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