22、魔女狩り②
話は少し前、イヴェッタたちが冒険者組合を訪ねる前夜に戻る。
「それは竜の本か」
宿屋にて男性陣と女性陣の部屋は分かれることとなった。ゼルは姉が危険な依頼を受けた際には、別行動を取ることはあった。が、自分が姉とは異なる生き物、性別であるからと離れて寝ることはこれが初めてだった。
夕食を終えて部屋で明日の準備を終えるとゼルはいつものようにベッドに横になり、何度も何度も読んだ絵本を開いた。あの貧しい村で、なぜこんな本があったのか今思えば不思議なことだが、装丁の立派な、色を何色も使った絵本はゼルの宝物である。
竜が国を作ったというおとぎ話が記された絵本。読んでいると、ひょいっとイーサンがゼルのベッドに腰かけてきた。
「イーサンお兄さん。うん。ぼくね、竜に会いたくて冒険者になったんだ」
「竜なんぞロクなものじゃない」
黒髪に褐色の肌の男は吐き捨てるように呟く。自分の憧れているものを貶されて気分の良い者はいない。ゼルは人に馬鹿にされることの多い半生を送っていたが、憧れまで貶されて黙っていられる性分ではなかった。
「見たこともないのにそう決めつけるなんてよくないと思うよ。イヴェッタさんだって、竜は嫌いじゃないと思う」
と、ゼルは自分が卑怯な言い方をした自覚はあった。イーサンが懸想しているらしい相手を持ちだすのは男らしくない。報復する子どもの口調、が、「酷い事を言っちゃった」とすぐに罪悪感に襲われたゼルに、イーサンは目を細める。
「秘密を守れるか?」
「え?」
「俺は竜を見たことがある」
「えっ!?」
驚いて思わず体を起こすゼルに、イーサンは無表情を崩すことこそなかったが、驚かせたことに僅かに、面白がるような様子を見せた。
「えっ!?え!?どこで……いつ……すごいや!」
聞きたいことが一気に、ゼルの頭の中から心をぐるぐると駆け回った。好奇心で一杯になる瞳をキラキラと輝かせる少年。イーサンはそれを眩しそうに眺め、ゼルの頭をぽん、と叩いた。
「ロクな生き物じゃなかった。自分のことしか考えない。他の生き物がどうなろうと知ったことじゃあない。国を焼いて他人を薪にして、全て灰にしても寒い寒いと言い続けるような身勝手な生き物、それが竜というものだ」
ゼルはふと、もしやその焼かれた国というのはイーサンの故郷だろうかと思った。黒い髪に褐色の肌。この辺りでは見かけない人種だ。あちこち冒険者として街や村を移動しているゼルも、イーサンのような人間は見たことがない。様々な人種がいるはずの冒険者の中にも、イーサンと同じ人種だと思う人はいなかったと思う。
どこか、遠い所から、何かあって移動してきたのだろうか。
そう思うと、ゼルは竜について、良い感情を抱いていないイーサンを自分が強い言葉で怒ってしまったことが尚更、申し訳なく思えた。
「気にしてない」
黙って、ぎゅっと俯くゼルにイーサンはぽつり、と言う。
「確かに、竜は恰好は良い」
「!う、うん!そう……そうなんだ!ぼくは見たことがないけど……ほら!この絵本に、ねぇ、イーサンお兄さんの見た竜って、こういう姿だった!?」
「おれの知る竜は黒だな。黒く光る鱗に、翼は四枚。頭に二本の角があった。この竜は……」
ゼルの絵本の竜は、色は白い。銀の瞳に長い尾の先には水晶のようなキラキラした透明なものが描かれている。見るからに、美しく強そうで、そして、正しいことを行う素晴らしい存在だ。黒い竜を見たというイーサンも、黒い竜が悪い存在であるとして、この白い竜はそうではないかもしれないと思ってくれないだろうか。
ちらり、と沈黙しているイーサンを見上げると、無表情な顏の男は感情の読めない瞳でぽつり、と口を開く。
「……この本、どこで手に入れた」
「家にあったんだよ。昔から……たぶん、ぼくか姉さんにって、お父さんかお母さんが買ってくれたんだろうけど……」
「これまでその本を人に見せたことは?」
「え?姉さんはあるけど……」
擦り切れてはいるものの、装丁の豪華な本だ。人の目に触れて、盗まれたり、あるいは盗んだといらぬ疑いをかけられたくはない。ゼルは安心できる寝所でしか本を開かなかったし、本を持って村を出る時に、村長にもそんなことを注意された。
この本は何か問題のある品なのだろうか。不安になる。親が残してくれたものは少ない。村の人たちから両親の話を聞くこともあまりなかった。姉であるダーウェは時々両親のことを話してくれたが、それよりも生き抜くことに一生懸命だった。
「そうか」
短く言い、イーサンは自分の荷物の中から大きな布を取り出すと、それをゼルに渡した。処分すべきとその目が言っているが、親の形見になるのだというゼルの言葉で、イーサンはそれなら出来るだけ隠した方が良いと判断を変えたらしかった。
*
「おいゼル!!ゼル……ッ、しっかりしろ!!」
遠くで、姉の呼ぶ声が聞こえる。
ゼルはゆっくりと目をあけた。いつの間にか、眠って、いや、意識が、飛んでいた。
「……ぅ」
「ゼル!!動かなくていい……いいか、じっとしてろ。姉さんが、なんとかしてやる……!」
「……ね、え、さん?」
ぼうっとする頭。そうか。誰かに、振り払われて頭をぶつけたんだ、とゼルは思い出す。ここは宿屋、ではない。冒険者組合の待合室。
昨日、イヴェッタが遺跡へ向かった。そして早ければ今日帰ってくるはずだから、姉と二人で、イヴェッタが帰ってきた時に一緒に食べるものを、街でたくさん買おうという話になった。きっと初めての冒険で疲れて、そして色んな話ができるだろうから、たくさん、たくさん、飲み物や、お菓子や、果物を、買っておこうと。そして。
呼び出された。買い物中、サフィールの使いという者が二人に声をかけてきて、てっきりイヴェッタが戻ってきた知らせだと二人はすぐに冒険者組合に走って行って。そして。
待合室にいたのは見知らぬ男だった。いや、覚えはある。街に最初に来た日、クレメンスと途中で合流して神殿に向かった男。
男は名前をバルトル、と名乗った。冒険者組合の、組合長。気さくで、とても話しやすく人柄のよさそうな男性だった。ダーウェとゼルはすぐに打ち解けた。バルトルは外から来た冒険者を歓迎し、もてなしてくれた。
この街は気に入ってくれたかい、という何気ない会話に、ダーウェは「良い街だな!」と朗らかに答え、ここで友人が自分に髪飾りを贈ってくれたと自慢した。その品をバルトルは見たいと言い、ダーウェは自分の髪からそれを取り外し、バルトルが「この街にこんな素敵なものがあったなんてね!」と褒め称え、ゼルも自分のブローチを渡して見せた。
そして、バルトルは二人からこの品を買い取りたいと言ってきた。
ダーウェはまず、きょとん、とわからぬ顔をする。自分達にとっては大切で貴重なものだが、露店にある、なんでもない品であることは明らかだ。欲しければ同じ物はまだ売っているだろうという顏。ゼルも、姉のような物を知らぬ顏で同じ対応をした。
バルトルは理由は話さなかった。ただ、売って欲しい、と言う。顏は穏やかで、人懐っこい微笑みを浮かべていたが、有無を言わさぬものがあった。
そして、どうなったのだったか。
(そうだ。姉さんが、これは……イヴェッタさんが、友達がくれたものだから、駄目だって言って、取り返そうとして、そして、バルトルさんに殴られたんだ。ぼくは、それを見て)
ゼルは、自分は姉とは違う性別の、男だという自覚を持った。だから、いつも自分を守ってくれている姉を、男の自分は守らなきゃと思った。殴られたから、咄嗟に体が動いて、バルトルの腕にしがみついた。
屈強な男は小さな少年を薙ぎ払い、壁に頭を打った。
「……ねえ、さん」
「なんなんだ!あんた……あたしらが何したって言うんだよ!」
武器になりそうなものは入り口で取り上げられた。おかしいと僅かに思わなくもなかったが、規則だ、と言われればそれまでで、姉弟はそういうことに一々逆らうことをしてこなかった。丸腰で、目の前にはバルトルと、そしていつのまにか数人、ぞろぞろと増えている。
「これに間違いはないか」
「えぇ、確かに。……有り得ないほど、神々の祝福が……なぜ、こんな物に」
バルトルは手に髪飾りとブローチを持っていて、それを傍に寄った神官らしい男に見せている。神官。なぜ神官がいるのだろう。
「……これで、ひとまずは妹の身の安全は保障して貰えるな?」
「あのフラウ・ノートル卿もこれほどの奇跡を目にすれば、妹君への疑念を抱き続ける事など不可能でしょう。これは、それほどのものでございます」
恭しく、神官はバルトルの手から真珠の装飾品を受け取った。
何が、起きているのだろう。
バルトルはダーウェたちを一瞥し「始末しておけ」と短く告げた。面倒ごとを嫌う、権力者の声だった。ダーウェは獣のような唸り声を上げて、男たちに殴りかかる。その隙に、弟だけでも逃がそうという心であることはわかった。
だが人数が多い。そして力の差があり過ぎた。
ダーウェは殴られ、蹴られ、何度も何度も、床の上で体を跳ねさせる。ゼルは必死に泣き叫び、自分を捕まえようとする男たちの手を振り払った。男たちが笑う。「子猫だってもっとマシな抵抗をする」と揶揄し、ゼルの髪を掴んで、壁に投げつけた。
「神さま……!」
必死に、ゼルは祈った。
助けてください。
どうか。姉を、助けてください。
必死に、必死に祈った。
神の存在を、ゼルはイヴェッタによって認識した。神さまは存在する。そして、奇跡を齎してくれる。祈れば答えてくれる存在。
どうか、どうか、姉を助けてください。
必死に祈る。床に叩きつけられ、嬲るように何度も蹴られる。おぼろげになる視界の中に、姉の姿があった。自分と同じように、床に這い蹲り「ゼル……」「弟だけは」「頼むから」と弟の身を案じている。
祈った。神さま。どうか、助けてください。
必死に祈って祈って祈って。
神が、祈りに応えることはなかった。





