20、疑念
誰か、言い争っている声が聞こえる。
酷く寒く、体が動かない。イヴェッタはうっすらと目を開けたが、モヤのようなものがかかっていて視界もすぐには明らかにならない。
「……お嬢さま!」
「……タイ、ラン?」
「あぁ……よかった。本当に、お嬢さま……!このわたくしめが参りましたのでもうご安心くださいませ。――お側を離れて申し訳ありませんでした」
街に残してきた筈の執事がなぜいるのか、は、この際「まぁ、タイランだから」と思う程度で済ませられる。
場所は、いつの間にか遺跡の中ではなく外に出られていたようだ。外がうっすらと明るい。夜明けが近いということはわかる。焚火に、食事の用意。
そして、言い争っているのは男が三人。
ギュスタヴィアと、イーサンと、それにアルドだ。アルドは背に誰か庇っている。イルミレアだ。内容は聞こえない。
「あっ、まだ、起きたらだめよ」
起き上がり、ギュスタヴィアとイーサンを止めなければとなんとなく思ったが、見知らぬ女性に止められる。耳の長い、エルフの少女だ。布をたくさん重ねて作られた寝床の上に再度寝かせられ、イヴェッタは目をぱちり、と瞬かせる。
「……あなたは?」
「ケテル伯爵。シーリンの娘、シーフェニャよ。人間には呼びにくいと思うから、シフでいいわ」
「わたくしはイヴェッタと申します。助けてくださったのは、あなたですか?」
「うん、そう。でもお互いさまね。私も貴方に助けて貰ったようなものだし、今後とも助けて貰えるといいって思ってる」
それはどういう意味だろうか。
疑問は多いが、言葉を発するたびに肺が焼けるように熱い。気を失っていたのだろうが、その前の記憶がおぼろげだ。
「イヴェッタお嬢さま」
意識を取り戻したイヴェッタにイーサンが近づいた。気遣わし気に頬に張り付いた髪を払い、眉間に皺を深くする。幼い頃、そう言えば熱を出した時にもこうして気遣って貰った覚えがあった。イーサンは濡れたタオルでイヴェッタの首や耳の裏を拭く。心地よくて目を閉じてされるがままになっていたが、そう言えば、ここで一応、イーサンとタイランに言っておかねばならない事があると思い出した。
「イーサン、タイラン」
「はい、お嬢さま」
「なんだ」
二人はじっと、イヴェッタの言葉を待ってくれる。寝たままで申し訳ないが、二人はそんなことは気にしないだろう。にっこりと微笑み、イヴェッタはゆっくりと左手を上げる。
「わたくし、結婚しました。そちらのギュスタヴィア様とです」
状況はよくわからないが、自分にとって育ての親のようなタイランと良くしてくれているイーサンには真っ先に報告すべきだろう。現状、どういう紹介をお互いがしているのかはわからないが、放っておくと面倒な展開になることくらいはイヴェッタにもわかっている。
それで、にっこりと、嬉しそうに報告するとまず、タイランが倒れた。
「わ、わたくしが大切にお育てしたお嬢さまが……エルフの若造なんぞと……」
くらり、と額を押さえてそのまま倒れる。
イヴェッタの左手の薬指に光っているのは、ギュスタヴィアと揃いの指輪だ。バッ、とイーサンはギュスタヴィアの手を確認し、同じものを発見して一度片手で顏を押さえた。そしてゆっくり十数えるくらいの沈黙ののちに、無言で腰の剣を抜く。
「脅されたのか」
質問ではなく、確定事項での呟き。
妻になるか殺されるかどちらか、というあれは確かに脅しであるのでイヴェッタは何も言わなかった。
「……」
それにしても、疑問なのはイヴェッタが目を覚ましたと気付いてから、ギュスタヴィアが大人しいことだ。てっきり、タイランたちの前でも白々しく「愛しい妻」だのなんだの茶番をするかと思って、ややこしくならないように自分から先に配役について説明したというのに。
イーサンが無言でギュスタヴィアに斬りかかり、美貌のエルフもそれを無言で受ける。ギュスタヴィアは虚空から剣を取り出していた。無骨なイーサンの剣と違い、美しい装飾の施された剣はぶつかり合ってキィン、と美しい音を立てた。
「え?えっ?なんで?あの人間、なんで王弟殿下と……斬り合えるの?え?本当に人間?」
「イーサンは私の家の馬丁なんですよ」
「馬丁って馬の世話とかする人よね!?なんで剣使えるの!?」
「男の人は色々あるんだって、兄たちもよく言っていました。あ、女性も色々ありますよね」
同じですよ、とイヴェッタが言うとシフは「何を言っているのか全く分からない」という顔をした。
「待て、イーサン」
斬り合う二人。ギュスタヴィアが手を抜いているのか、それとも拮抗しているのか素人のイヴェッタにはわからない。だがお互い怪我をしないままでいるので適度に運動したら止めてくれるだろうかと待っていると、いつの間にか復活したタイランが、二人の間に立ち、刃を短剣二本で受け止めた。
「親父」
「……何者だ」
「貴殿、イヴェッタ様の夫だというが……そのような事は不可能だ」
タイランは二人の殺意と敵意を流すように背筋を伸ばし、淡々と口を開く。
「承諾は本人がしている」
黄金の契約書をギュスタヴィアは取り出す。タイランは鼻を鳴らして笑った。
「貴様のような者が今更エルフ共の法を持ちだすとはな。――イヴェッタお嬢さまは未だに、ルイーダ国の馬鹿犬……コホン、第三王子ウィリアム殿下とご婚約されている」
「あら、そうなのですか?」
イヴェッタは驚く。あのパーティ会場で華々しく婚約破棄ダーと宣言されたので、てっきりもう根回しやら何やらが済んでいて、自分が国を出た時にはすっかり手続きが終わっているものだと考えていたが。
「えぇ。誠に残念ながら、正式な婚約解消は行われておりません。その予定もないでしょう。――人の法では、婚約関係が解消されていない状態での他の者との結婚は不可能。それにルイーダ国の法は二十歳以下の貴族令嬢は両親の承諾なしに結婚は出来ない!よって、貴様はイヴェッタ様の夫でもなんでもないわ!」
バーン、とタイランは勝ち誇ったように事実をギュスタヴィアに突きつける。
ギュスタヴィアは黙っていた。てっきりまた何か、例えば第三王子殺害予告でもして反論するかと思いきや、この尊大な男にしては大人しい。
イヴェッタはなんとか体を起こし、背筋を伸ばした。
「タイラン」
「はい、お嬢さま」
「わたくしはギュスタヴィア様の妻です」
「…………」
それ以上余計な言葉を告げなかった。真っ直ぐに、タイランの瞳を見据えて言うと、有能な執事は沈黙し、頭を下げる。
「ギュスタヴィア様」
次にイヴェッタはギュスタヴィアを呼んだ。無表情のまま、ギュスタヴィアはこちらに近付こうとしない。こちらが呼んでいるのに顔を向けず、黙っている。出会って間もないが、これまでイヴェッタが呼んで応えない事はなかった。興味を無くしたのだろうか。
そう言えば、エルフに復讐するから自分を妻にすると言っていたのだったかとイヴェッタは思い出す。が、シフはエルフで、今のところギュスタヴィアが何かする様子はない。シフに、同族に会って何か話をして、憎悪が消えたのかもしれない。
そうなると、ギュスタヴィアは自分を殺すという選択肢のみになるはずだ。今はタイランとイーサンがいるのでそれをしないのかもしれない。
あら、そう。
と、だけ、イヴェッタは思った。





