3、街を出る、道を行く、初めての野宿
卒業パーティが始まったのは午後五時頃。そこから夜会を追い出されて直ぐに家に帰り、両親へ説明・支度をして出たのは七時くらいだ。イヴェッタは脇目も振らず馬を走らせ、王都を出た。門番たちは「え!!?え!!?はい!!?」と、伯爵令嬢が単身で街を出ることに難色を示したし心配もしたが、イヴェッタが「王子殿下直々の御命令です」「国外追放となりました」「一刻も早く国を出ねば謀反の疑いをかけられてしまうのです」とウソ泣きだが、涙ながらに訴えるとかなり躊躇った後、国境への最短ルートと途中にある町や村を教えてくれた。
人の良い兵士などは、村に自分の家族がいるから泊めて貰えるようにと手紙を書いてくれようとしたが、王族から処分を受けた身なので巻き込んでは申し訳ないと辞退した。
初夏であるので辺りはまだ明るく、暗くなるまでもう少し時間があるが、明るいうちに野営の準備をするべきだろう。
イヴェッタは荷物の中から折り畳み式の杖を取り出した。作りは木製で、三つに折りたたむことができる。接合部分は貴重な魔法で合成された金属で出来ており、真っ直ぐにするとイヴェッタの背より頭一つ長い。
「えぇっと、天に全能の神、地に冥界の王、地上に豊穣の女神、我が身を守り給え、っと」
ゴリゴリと描いていくのは魔術の結界だ。神殿勤めが決まっていたイヴェッタは神官の素質を強く持っている。本格的な修行は卒業後と予定されていたものの、自分に害ある存在を一切通さない聖なる結界くらいは張れた。
そして結界の中にテントを張る、と言いたいが、これが中々……思ったより難しかった。
「……意地を張らないで、馬車を貰ってくるんだったわ……」
家族で旅行をしたことはある。その時は野営もしたし、騎士団の人たちがてきぱきとテントを用意してくれた。見ている分には簡単そうだったが……。
「……この棒何?え、何これ杭?」
物理的に考えて、地面に長い棒とかを挿して、紐で引っ張って布を張る……はずなのだが、イヴェッタは所詮貴族の令嬢だ。
「……まず地面に刺さらない」
金属で出来た棒を地面に突き立てるが、数センチも沈まない。
「……テントって必要かしら?いらないわよね?夏だし寒くないもの。毛布とかあるし」
テント用の布を折りたたんで下に敷き、その上で寝ればいいのではなかろうか。
イヴェッタは諦めた。
「とりあえず、お湯を沸かしたいし火を……」
火をつけるのは簡単だった。火の神に祈れば、こちらが消えて欲しいと再び祈らない限り燃え続ける炎が現れる。
「王都ではきっと今頃……卒業パーティで楽しい食事が……あぁ、でも……ダンスが六時からの予定で、七時半にはもうデザートよね……そろそろ皆、帰る頃かしら」
本当なら自分も、美味しい料理をたくさん、お腹いっぱい食べているはずだった。
そう、イヴェッタは読書と食事にしか興味がない。食べて祈って勉強すれば自分の人生はそれでよかった。しかし伯爵家は貴族基準では、それほど裕福とは言えなかったので豪勢な料理は誕生日や何かのお祝い事でしか並ぶ事がなく、学園での学食はランク別になっているものを注文する為、家計の懐具合から常に一番安いものを頼んでいた。
「…………………あっ、思い出したわ!マリエラ嬢!!」
そういえば、以前何度か……食堂で見た!
ウィリアム殿下とその側近たちが食堂の一等席を常に占領しているのだが、そこに並べられる料理は通常食堂のメニューにない特別な品々。なんでも王族のために特別に料理人を入れて、専用の料理を作らせていたらしい。
「……そう、一度だけ期待したのよ」
あまりにも美味しそうな料理で、皆が美味しそうに食べているものだから「もしや、私は一応王子殿下の婚約者なのだから、もしかしたらご同伴させて頂けるのではなかろうか」などと、淡い期待を抱いて、さりげなく前を通り過ぎてみたのだ。
結果はまぁ、無視された。
その時に、殿下の隣にいて美味しそうなチーズの乗ったパンを食べていた女子生徒……おそらくランブルク産のチーズとバターをたっぷり使って焼いた白パンを食べていた女子生徒が、マリエラ嬢だったような気がする。
「よし、今夜はパンですね!」
イヴェッタは積んだ食料の中から燻製肉とパン、それにチーズを取り出す。ナイフはあまり心得がないけれど、食料を用意してくれた厨房の人間が気を利かせてくれたのだろう。肉は塊のままでなく切れたものを再び塊の形状にくっつけて包んであり、一枚一枚はがして使える。
火の側に立体式の網を置き、鉄の浅い鍋を置いてその上に燻製肉とチーズを入れる。瓶詰のオリーブの実を取って一緒に入れて、ぐつぐつとチーズが溶けてくるまで待った。その間にパンを隣で軽く表面を焼く。
焦げないように火は弱火。その間にイヴェッタは愛馬にご飯をあげることにした。携帯用の干し草は水に入れて戻して使う。イヴェッタの愛馬は美しい白馬だ。まだ若いが世話をしてくれた馬丁の腕が良く、学校がありあまり顔を見せられなかったイヴェッタを主人だとちゃんと覚えてくれている。
「イーサンと離れ離れにさせてごめんなさいね」
白馬は自分よりイーサンといたかっただろうが、伯爵家に関係なく自分の財産だと言える馬は今のイヴェッタには貴重だった。謝罪すると、白馬は気にしないと言うように軽く鳴く。
「あら、美味しい!」
丁度いい具合にチーズが溶け、パンも焼けた。イヴェッタは火から鉄鍋を下ろし、敷物の上に用意した小さな折り畳みテーブルの鍋敷きに乗せる。ぐつぐつと音を立て弾けるチーズはさぁ今すぐ食べてくれと主張していて、手を拭いてお祈りをしたイヴェッタは千切ったパンにつけて食べてみた。
「このお肉、ちょっと辛めなのね。今日は暑いからこういう辛いのが美味しいわ」
チーズはトロトロになっていて、燻製肉はどういう作り方をしているのかパサパサせず柔らかい。上質な白パンも表面がカリカリに焼けていて、チーズを付けて食べるととても美味しい。
イヴェッタは貴族の令嬢だが、こうしてナイフやフォークを使わない食事に抵抗がなかった、野外ではこういう食べ方をした方が美味しいと本に書いてあったのでそう信じているのである。
「……そうね。わたくし、今日は色んなことがあったけれど……明日からは、何をしなきゃいけないって、決まってないのだわ」
お腹いっぱいになり、イヴェッタはふぅ、と息をつく。
どっと疲れも出て来た。自分でも気付かない内に、やはり緊張していて、そして傷付いていたのかもしれない。
本当なら明日の朝目覚めたら、神殿に行きそして修行が始まるはずだった。
けれど、もうその予定も義務もない。
「ふふ」
イヴェッタは思わず微笑む。
自分が絶望していないことを、イヴェッタは不思議には思わなかった。状況として、王族に疎まれ身分はく奪国外追放、謂れのない罪を着せられ弁解の余地も与えられなかった。
が、そんなことはイヴェッタ・シェイク・スピアにとってどうでもよかったのだ。
特別使命感や、何か夢や希望があったわけでもない。
ただこれからは、今後は、自分はもう何もしなくていいのだとイヴェッタは理解した。
ガサガサと、イヴェッタは荷物の中から一冊の本を取り出す。
半世紀以上前に書かれた冒険記だ。何度も何度も繰り返し読んで、何ページに何が書いてあるのか覚えてしまっていても読む度に胸が躍る。
「作者はまだご存命なはず。今は、冒険者組合の偉い方になっていると聞いたことがあるわ。お会いして、お話を聞きに行きましょう!」





