18、それは十二年前の、楽しいお茶会【前編】
過去編です
青い空に白い雲、美しく咲く花々は良く香り、丁寧に手入れをされた木々は虫を落とすことなく快適な木陰を作る。
真っ白いテーブルクロス、色取り取りの焼き菓子が並べられ、各国の珍しい茶葉を贅沢に楽しめる、王族主催のお茶会。
その筈であったものが、今は子どもや女性の悲鳴と恐怖に慄き膝を突く屈強な騎士たちで溢れかえり、誰もが自身の命だけは無事に済みますようにと、理性も情も剥ぎ取られ原始的な恐怖からの保身にかかりきりになっていた。
しかしそんな中で、二人だけ例外がいた。一人は地に平伏せずに足で立ち空を見上げる者、その腕には落雷により身の焼けた少年を抱いている。
王族、先の国王その人である。
見上げるというにはやや、いや、かなり、険悪な眼差しだった。いっそ、射貫くようなと言うべきか。天に唾吐く愚か者の目ではなく、正当に、自身が天に弓を引くことを是としている報復者の目であった。
孫も生まれたこの老人、顏には穏やかな笑みを浮かべることが常となっていたけれど、列強諸国に狙われることの多い小国であったルイーダを退位するまで守り続けた武人でもある。ルイーダは目立った産業も特産品もなく、土地は痩せ貧しい国であった。が、それがこの六年、冗談のように豊かになった。
代々国王が苦心した治水や土壌の改善が今になって報われたのか。先祖代々の苦しみを想って落涙したヴィスタであったけれど、そうではなかった。
誰もが耳を塞ぎ、目を閉じて震える中で、ヴィスタは声を張り上げ空に怒鳴る。
「なぜこの子を、何の罪もない無垢な幼子を、殺したのですか!」
空に吠える。雷鳴が轟く、ばかりで答えはない。わかっていることだ。神に声を届けることの出来る者がいるとして、それは己ではないことをヴィスタは理解していた。玉座についただけで神に言葉を届けられるのであれば、王は誰も苦しまない。
ヴィスタは自分の足元にしがみついている少女を、菫色の美しい目をした緑のドレスの少女を掴みあげ、短剣を握らせた。
少女は泣く。刃物などという恐ろしい物を手にして。そして、先ほどまでは優しく頭を撫でてくれていた筈の老人が必死の形相で自分を見つめることが怖くて泣いた。
「神よ答えよ!!さもなくばこの娘の手を血に染めるぞ!!」
ぎゅっと、ヴィスタは短剣の刃を握りしめる。ぼたぼたと血が流れた。少女が「いやっ」と恐れて身を引くと、傷は更に深くなり、そして「少女が傷をつけた」という事実が濃くなった。ヴィスタは自分の心臓に短剣を突き立てる。そのまま少女が短剣を引き抜けば、血が溢れて死ぬ。先ほどの手の傷で、自分が動けば「大変なことになる」と学んだ少女は泣きじゃくりながら、手を放せなくなった。
こんな、こんなに平凡で、か弱い女の子が、なぜ。
ヴィスタは無念でならない。
こんな女の子が、この国を、王家の、先祖代々の悲願を叶えるのか。何の教育も、厳しさも、覚悟も信念もない、ぼんやりとした女の子が、この国を嘘のように栄えさせ、豊かにし、守れてしまうのか。
これまでの自分の、自分達王族の苦悩はなんだったのか。
ヴィスタの祖父は戦国乱世と後に呼ばれた時代をなんとか生き延び、国土の半分を他国に奪われながらも国を守った。その為、自分の子や親類、母や伯母などを他国に人質に送り出し、臆病者だと笑われた。ヴィスタの父はその為家族を失うことを極端に恐れ、何とか国を豊かにしようとあちこちから学者や魔法使いを呼び集め国を豊かにしようと試みたが、痩せた大地は容易くどうにかできるものではなく、先代で奪われた土地を取り戻さなければ国民を養える麦も育てられず餓死する者が後を絶たなかった。
自分の代では、膨大に膨れ上がった国の借金、衛生状態の悪さから悩まされる伝染病、国民の四分の一が病人、あるいは怪我人となった状態で、一年、一年となんとか生き延びることだけを必死に考えていた。他国との小競り合いは負けることが当たり前で、満足に戦える国軍の育成も間に合わず死人、略奪されるものばかりが増えていく有様だった。
そんな地獄のような国で、いっそ早く滅んでくれと誰もが願った国で、ヴィスタは息子たちを、とりわけ、最も優秀な息子テオを虐待に近い形で教育した。国王とは国がある限り、最後まで諦めてはならない存在で、その生命が尽きる最後の最期まで、国の、国民の生活を豊かにすることだけを考えねばならないと教え込んだ。泣こうが喚こうが血反吐を吐こうが、ヴィスタは息子を「立派な王」にすることを諦めなかった。
そうして息子は、どこか歪んでいるが王としての能力は最高だとヴィスタが安心できる「最高の息子」に育った。
これならば、この国がどれほど荒んでいようと、テオなら立て直せる。テオならば、自分達が苦悩し血涙を流して作った道を完成させてくれると信じ王冠を譲り渡した。
それなのに、それなのに。
たった一人の女の子。
王族でも、それに連なる公爵家の血筋でもなんでもない。伯爵家といえば第三位の爵位であるが、その伯爵家の中でも最も低い家門の娘。
その娘が、神々に愛されているらしいと、それだけで、たったそれだけで、その、愛されている娘が生まれるからと、それだけで、国は豊かになった。
馬鹿にしているのか。
ヴィスタは、スピア伯爵家の領地が冗談のように栄え、川からエメラルドやルビーが採れ、砂は金になり、森は草食動物たちや木の実で溢れ、土地は耕して種をまけばよく実るようになったという報告を、茫然と聞いて、ただただそう思った。
これまでの王家の苦悩を、なんだと思っているのだ。
どれほど祈っただろうか。自分も、先代も、先々代たちも、その妻も子も、家臣らも。どれほど祈っただろうか。我が国に、ご加護を、と。我が国に、僅かでもご慈悲をくださいと、懇願した。必死に必死に、それこそ死にもの狂いで国民一丸となって働き、祈り、小さな国には過分な水の大神殿を建て、巨額の寄進をして大神官を招き、神の奇跡を請うた。
それなのに、たったひとりの小娘、そんなもので、あっけなく、お前たちはこの国を救ってしまうのか。
あまりにも、馬鹿にしている。
それでも神に祈れというのか。信仰など、持てるはずがない。
ヴィスタは天に唾を吐きたかった。しかしごほり、と血を吐く。血は胸を汚し、そしてヴィスタがしっかりと腕に抱きしめた少女の頭にかかった。少女は恐ろしくて声も出せない、ただ震えて、手に短剣を握りしめている。
『なぜ疑問を抱くのか』
ゆらり、と虚空が歪んだ。現れたのは全身を闇に溶かしたような、髪も目も、頭に生えた大きな角も真っ黒い長身の男である。
『人は我らの行いに疑問を持つ必要などない』
つい、と男が指を振るとヴィスタの腕から少女が引き離された。短剣はそのまま、しかし痛みが消えた。血も止まる。この男の、異形の男の仕業であることは明白だった。
男は泣きじゃくる少女を優しくあやすように抱き、小首を傾げる。
『我が子への無礼、懸念は排除する。貴様ら人間とて、親は子のために、かようにするであろう』
「かの少年は害意・悪意あって振る舞ったのではございませぬ」
『加害者がどう思おうが被害を受けた我が子の心こそ重要だ』
「さようでございます。その受ける心、その器が小さいままでは、その子の周りは死がこびり付いて離れないでしょうな。神よ、貴方様はその子を人に畏れられる人外の者として、人の世から外れた生き方をさせるおつもりですか」
黒衣の男の神としての位がどれほどの者か、ヴィスタにはわからない。が、高位の存在であることは感じられた。それでもヴィスタが顔を上げていられたのは、もはやヴィスタの心に信仰が失われていたからかもしれない。
ヴィスタの言葉に、幸いなことに黒き神は耳を傾けた。神という、人とは異なる存在であるがゆえに、人の価値感はわからない。
が、ヴィスタがこれまで国民のために身を粉にしていたことは承知し、そして今も、少年のために神に牙を剥くような、「人として真っ当な王」であると判断した。ゆえに、「自分達にはわからないが、この人の王が判断することは人の子の幸福であり、不幸なのかもしれない」という理解を示すだけの余地があった。
「この少年は、この少女に好意を抱いていたのです。自分に構って欲しいと、少女の本を取り上げ、気を引こうとしたのです。確かに、少女からすれば悲しく、怒りに値する行動であったかもしれません。しかし、人は成長します。心も、育ちます。ここでこの少年が殺されなければ、数年後、分別が付いた双方が再会した時、あるいは、少女の心が少し、他人の心を理解することができるようになれば、違った意味を持って、心に残ったでしょう」
『あら、わたくし、そういうお話、だぁいすきですわ』
新たな声がした。
虚空が歪み、次に現れたのは泡のようなドレスを身に着けた、いや、ドレスというほどの面積もない、ほぼ裸身に泡をつけたような、しかしそれでいて卑猥さを感じさせない神々しい女性が現れた。
『アロフヴィーナ』
『ハデスおじさまは恋や愛というものにご縁がありませんもの。ご存知ないのでしょう。人の子らの素敵な恋の始まりによくありますのよ!幼年期……素直になれず、いじわるをした少年が大きくなって再会した女性にあの時の謝罪をし、実は恋焦がれていたと告白する……』
『なぜ害する必要がある。素直になれぬのなら関わるな。迷惑だ』
『もう、おじさまったら!』
美と愛の女神と同じ名を持つ女性、というより、おそらくはそのものだろう女神は黄金に輝く髪をかき上げながらため息をつく。愛や恋という人間の感情にお詳しいだけあって、所作が人間に似ている。
『さて人の王だった者よ。その方、面白いことを言いますね。つまり、わたくしたちが思うように愛でてはこの可愛い、あら、本当……可愛い……え、なんなの、そのかわいらしさ……おじさまずるい、わたくしにも抱かせてくださいまし』
『断る』
『ひどぉい。――つまり、この世界最高に愛らしい我らの花が、お前達の基準でいうところの不幸になると申すのですか』
会話は、この女神の方がはるかにしやすい。言葉もわかりやすい。だが、美しく微笑みを向けるその眼差しは炎のように熱い。ヴィスタは頷く。
『まぁ、たしかに。これまでお父さまやおじさまたちの思う通りにやったら皆すぐに枯れてしまったし、うまく行かなかったのよね。たくさん愛して見守ってあげたのにどうしてかしらって、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返していたんだけれど、あら、そうなの。周りの人間を殺しちゃ駄目だったのねぇ。そう、生かしてさえいれば、その人の事を好きになるかもしれないし、イヴェッタちゃんにとって大切な存在になる可能性もあるってことね!』
全く笑っていない目で微笑みを浮かべて女神は頷く。
『殺してはならぬのか』
『そのようですわ、おじさま。人は我らとは異なり、感情や考えがころころ変わるようですの。好きになったり嫌いになったり、不思議ですわね。わたくし、人は人としか思いませんのに』
ふむと、黒衣の男も考えるように沈黙する。
『あら、それじゃあもしかして、ちょっと前の……お母さまが大切にされていた花を大切にしないコバエが多かったから、皆でお仕置きしたのって、よくなかったのかしら?結局枯れちゃう前にあの綺麗な子、殺されちゃったのよね。魔女だとかなんだとか、失礼だったわぁ』
『あれは惜しいことをしたな。嫉妬の鱗が半身まで出ていただろう』
『えぇ、おじさま。そうなのよぅ!――あぁ、ごめんなさい。それで、なんだったかしら?』
女神は再びヴィスタに視線を向ける。
『つまり、現状のわたくしたちの干渉を制限して欲しい、ということかしら。可愛いイヴェッタちゃんが周りに死を齎す魔女だなんて思われないように。でもそれって難しいわね。イヴェッタちゃんはおじさまの大切な子なのだもの。冥王ハデスの娘の周囲に死が溢れるなんて、当然のことじゃなくて?』





