2、一刻も早く国を出なければなりません
「ま、待ちなさいイヴェッタ……何も今すぐ、それも、一人で出て行くなどと……いや、まぁ、お前ならできなくもないだろうが……基本的に、一般的にはな!?無謀極まりないことだなんだぞ!」
「そうよイヴェッタ!まずは落ち着いて……すぐに陛下にお会い……は、できないだろうけれど、明日の朝になれば、事態もきっと、変わっているはずよ!」
屋敷に戻ったイヴェッタは、突然の帰宅に驚く両親に自分が婚約破棄をされたこと、王子殿下によって国外追放を命じられたことを簡単に話した。
スピア伯爵であり、イヴェッタの父のゼーゼマンは優しく善良な人間だ。娘の身をまず案じ、屋敷に留まるようにと説得をした。イヴェッタは内心感謝する。婚約破棄された娘、それも王族に疎まれた娘など貴族の中では迷惑極まりない存在であるが、父は家族を愛する人だった。
母親の方も「これはきっと何かの間違いです」とイヴェッタがどこぞの男爵令嬢を虐めていたことなど信じない。
ただ、二人とも貴族としての地位はあれど、権力はそれほどない。娘が王族と婚約しているものの、それで家門を繁栄させるツテにするようなことはなく、だからこそ第三王子も軽く見ていたのだろう。国王陛下にすぐさま連絡する手段はなく、こういう場合は自分の所属する派閥のトップのツテを辿って……という時間がかかることしかできない。
「そ、そうだわ。神殿に行きなさい、イヴェッタ。大神官様に保護していただくの。あの方なら、あなたを追い返したりはしないでしょうし、守ってくださるわ」
「お母さま。神殿と王家は微妙な力関係にあります。現在わたくしは不要な者と判断され、ウィリアム殿下はわたくしに出て行け、と仰いました。そのわたくしを保護してしまえば、王室と神殿勢力……大神官様のお立場が悪くなります」
イヴェッタは母の必死な提案に首を振った。
出て行け、と言われたのだ。
じゃあもう、出て行こう。
それだけしか今のイヴェッタの頭にはなかった。
けして、けして、腹を立てているわけではない。あの卒業パーティの素晴らしい料理の数々を堪能できなかったことを恨んでいるわけではない。けして。
「せめて、護衛騎士を。うちの騎士団から何人か連れて行きなさい」
「お父さま、殿下は家門は責めず、わたくし一人を国外追放と寛大な処置を下してくださいました。つまり、スピア家が手を貸す事は、罪人に手を貸すことであり、殿下はおそらく、そうして一度は慈悲で許したものの、スピア家が意に逆らったと処罰する口実になさるおつもりでしょう」
「まさか、そのような……!お前のような年頃の娘一人を国から追い出すなど……!」
「わたくしは家族までも巻き込んだ親不孝な娘ではいたくありません。第一、我が家が取り潰されたりでもしたら、領民はどうなるのです」
両親の説得に耳を貸さず、イヴェッタは荷物をまとめる。国外追放処分を受けたのだから、貴族の娘としての身分もはく奪だろう。お金や貴金属は出来るだけ持って行きたいものの、女一人で大金を持ち歩いていては盗まれ殺されるオチしか見えない。
「幸い私は馬にも乗れますし、剣や魔法も多少ですが使えます。なんとかなるかと思います」
「なんとかなるものか~~!なんなのだお前のその昔っから……のんびりした子だとは思っていたが……」
「あなた……」
がっくりと伯爵は肩を落とす。そうこうしているうちに、イヴェッタの荷造りは終わった。
馬車が欲しいところだが、家にあるのはどうしても家紋入りのものになってしまう。それで国境まで行ったら伯爵家が手を貸した、ということになってしまうかもしれない。馬はイヴェッタが神殿の手伝いをして得たお金で買った子だ。一刻も早く国から出て行け、というお達しなのだから徒歩で出て行くより馬を使って移動したほうが殿下の御言葉を真剣に守ろうとしたという証になるだろう。
「お父さま、お母さま。今までありがとうございました」
今生の別れだと、イヴェッタは両親に抱き着く。母は「わたくしも行きます!!」などと言ってきたが、貴族の娘として何不自由なく育ち父にも愛されてきたか弱い女が国境越えなどできるわけがない。
足手まといですお母さま、と素直に言うと泣かれた。
「……これを、持っていきなさい」
「これは?家紋入りの指輪ですか?」
「これを見せれば、我が家の付き合いのある商家であれば融通を利かせてくれるはずだ。隣国でも、大きな街であれば、通じるかもしれない。すまない……私に力がないばかりに」
使えないからいらないです、とは言わなかった。父も、スピア家と付き合いのある外国の商家が殆どないことを自分自身が一番わかっている。それでも何か、娘に渡したいのだという心を汲んだ。
「隣のドツルィア国のアイドラという街に、昔付き合いのあった貴族の弟が……確か移り住んでいたはずだ。手紙を書いておく。ススーロ・ペルという名の男だ。どうかそこまで、無事に……」
アイドラはドルツィアの田舎町だったはず。確か、近くに“迷宮遺跡”があったので覚えていた。
「アイドラですね。わかりました。ご迷惑をおかけして、」
「迷惑なものか!いいか、イヴェッタ。きっとこれは何かの間違いだ。私はお前をこの屋敷に留めて身の潔白を証明したいと思っている。が、同時に……この国にお前はもったいないとも思ったのだ」
「お父さま?」
「お前には、先代国王陛下がお認めになった特別な才能がある。そのため、第三王子殿下との婚約が結ばれたのだが……もうお前は自分のために、その力を使ってもいいのだ」
スピア伯爵は、王子に、いや、王家の真意はわからぬものの、そのようなアホな言動をする王子を育てた王家に失望していた。出て行け、と言うのなら、娘を国外に逃がしてやりたい。国が娘を幸せにできないことを理解した。
「……どこにいても、わたくしはお父さまとお母さまのことを思っております。スピア家の領地のために、祈っています」
「ありがとう、我が娘よ。どうか、幸せにおなり」
伯爵は娘を抱きしめて、何度も何度もその腕を解くのを躊躇いながら、ぐっと堪えて送り出した。
*
「……いいか、娘の後を……気付かれないように追ってくれ。何かあれば守れるように」
「はい、旦那様。息子も同行させてよろしいでしょうか」
「もちろんだ。私からも頼むつもりだったよ」
ゼーゼマン・スピア伯爵は娘を送り出してすぐ、踵を返し屋敷に控えていた執事に命じた。グレーの頭に錆色の瞳、表情こそ穏やかな老紳士は瞳に冷酷な光を浮かべた。
「あと一日、お嬢さまがこちらに留まってくださっていれば、その間にわたくしがお嬢さまの名誉に傷をつけた犬どもに灸を据えてやりましたものを」
「は、ははは。タイランはいつも過激だな」
本心ですが、とタイランは真面目に返したが伯爵は自分が動揺しているから冗談を言って和ませてくれているのだろうと微笑むばかりである。
老執事はタイラン、息子は馬丁をしていてイーサンと言う。二人はこの国の人間ではなかった。外国からの人間を極端に嫌う傾向がある国だったが、伯爵はそういう偏見を持たない珍しい貴族で、二十年前突然なんの紹介状も持たずにやってきた異邦人である父子を屋敷で受けいれた。
異国の人間で旅慣れしたタイランであれば、娘を道中見守ることも他の使用人たちより上手くやってくれるだろうと、伯爵はその程度の考えであった。
「イーサン。よかったな、旦那様のお赦しが出たぞ」
「はい、親父」
「これでお前が出奔した言い訳を考えずに済む」
伯爵に命じられる前に、既にお嬢様を追うつもりであった馬丁のイーサンは父の皮肉にも淡々と作業を続ける。既に二人分の旅の用意と、三人分の食料が馬車に詰め込まれていた。あとはタイランが着替えて乗り込めばすぐにでも出発できる。
「親父は残って馬鹿の始末をするのだと思っていた」
「私もできればそうしたいが……」
王宮へ侵入し王族を一人暗殺する程度なら、そう難しくないとタイランは頭の中に王宮の見取り図を思い浮かべる。
「が、お嬢さまがお一人になられる時間を長く許せるほど、寛容にはなれない。我々はお嬢さまをお守りすることを第一とすべきだ」
「俺一人で十分ですが」
「国から出たこともない小僧が何を言うか」
呵々とタイランは笑った。第一、息子とお嬢さまを二人きりにしてそのまま逃亡などされては堪らない。
「さぁ、我々も出るとしよう。我々が大切にお育てしたお嬢さまは、馬を操るのが上手い。追いつけなくなってしまうぞ」





