1、ルゴの街①
「これは珍しい。神の切り花が、よくも……まだ人の形を保てているものだ」
硬く冷たい床の上に押し倒され、長い白銀の髪をヴェールのようにしてイヴェッタから周囲の視界を遮った男は黄金に輝く瞳を僅かに細めた。
イヴェッタの首筋には男が腰に差していた剣が突き付けられ、薄皮がぷつりと破れ赤い血が僅かに垂れる。その瞬間、閉鎖された迷宮遺跡であるはずの空間に、無数の雷鳴が轟き、男を狙うように雷の槍が降り注ぐ。
「邪魔をするな」
が、恐るべき勢いの数々はそれらが正しく男の体を八つ裂きにすることなく、男のただ一言で霧散した。
男は風が吹いた程度の感慨しか抱かず、自身の体の下で身を固くしているイヴェッタを見下ろす。イヴェッタは菫色の瞳をただ驚きに見開き、なぜこんな状況になっているのだろうかと思考を巡らせた。
*
「だ~か~ら~、身分証がないから冒険者組合に登録して身分証を作りに来たって言ってるじゃないか!」
「身分証のない奴を街に入れることはできん!規則だ!」
黄金の魚を食してから数日後、イヴェッタたちはとある小さな街に到着した。
周囲をぐるりと壁に囲まれた街に入るには四方に設置された門を通過することだが、その際に身分証の提示が必須となる。ダーウェたち姉弟は下位だが、冒険者として登録しているので身分証代わりの首飾りがある。しかし身分はく奪の上、国外追放処分となり勢いで家を出て来たイヴェッタは、当然のことながらそういうものがなかった。
村程度なら冒険者の同行者としてそれほど身分証の提示は求められないけれど、街規模となるとそうはいかない。
一応、家紋入りの指輪も見せてみたがルイーダ国のしがない弱小貴族の家紋など門番たちが知るはずもなかった。
ダーウェは「街に入って冒険者組合に登録すりゃ簡単に身分証が出来るんだから、入れてくれりゃいいだろ!」と憤慨する。
「そもそもその考えが間違っておるわ!冒険者組合に登録すれば、冒険者としての身分が作られるだけで、登録には戸籍の提出、あるいはその者の身元を保証する紹介状が必須!なぜ既に冒険者である貴様がそれを知らんのだ!」
「そういう面倒くさいことを一々覚えてられるわけねぇだろうが!気付いたら村のじいさんたちがあれこれやって登録してくれたんだよ!」
「老人を敬え!!そしてもっと自分の職に関心を持て!!これだから最近の若者は……!」
口ひげのある兵士はダーウェを怒鳴った。
彼とて悪意あってそのようなことを言っているわけではない。見れば女子供の三人。この街にたどり着くまでに野宿だっただろうから、街の中でゆっくり安心して眠らせてやりたいという心が湧かないわけでもない。しかし、規則は規則だ。自分のようなしがない一兵士が破れるものではない。
「あ、あの……ダーウェ。わたくしはそれじゃあ、街の外で待っていますから」
自分の所為でダーウェが無茶を言って罰せられてはたまらない。イヴェッタはおずおずと「自分はいいから」ととりなす。
一応、ダーウェとゼルはイヴェッタが落ち着ける街まで護衛すると言ってくれた。イヴェッタは自分の憧れる冒険家に会いたいという願いがあるものの、両親を安心させるために父が紹介してくれたアイドラという街のススーロ・ペルという男性を訪ねるべきである。
なので、ダーウェたちは街に入り、旅に必要な物資の補充をして休んでから、二、三日後に出てきてまた旅をしようと提案したが、イヴェッタはぺしん、とダーウェに頭を叩かれる。
「こらっ。ンなことできるわけないだろう!そりゃ、アンタは妙な魔法が使えるからいいって思ってるだろうが、仲間を一人置き去りにして街中でくつろげるかよ!」
「そうだよ、イヴェッタさん。三人で宿に泊まって、市場を回ったり、買い物しようって話したじゃない」
ゼルまで幼い顏に怒りを浮かべてイヴェッタを叱る。
イヴェッタはこれまで家族や大神官様以外でこれほどよくして貰ったことはない。申し訳なさと、嬉しさでいっぱいになり、言葉を無くしているとゴホン、と口髭の兵士が口を開いた。
「規則は規則だ。入れてやることはできん!」
「頑固ジジィ~!」
「まだ四十だ!」
「オッサンだよ、十分」
再び兵士とダーウェがにらみ合ってしまう。しかし、そろそろ食料の補充もしないとこの先難しいのは事実だ。
「パポスさん。どうされたのです?」
困っていると、四人のやりとりを見かけて気に留めた青年が一人、近づいてくる。
「あっ、これは……申し訳ありません。クレメンス様」
兵士にしては騎士のように洗練された振る舞いの青年。それに恰好も平民の簡素な服ではあるが、どうにも似合っていない。イヴェッタがお辞儀をすると、青年はハッと息を飲むように立ち止まり目を見開いた。
「……なんと、可憐な……」
「クレメンス様?おーい」
「……失礼。――レディ。貴方の御名を知る栄誉を私に授けて下さいませんか」
茫然としてしまったクレメンスをパポスが呼ぶと、咳払い一つしてから、彼はイヴェッタの前に膝を突いた。
「……はい?」
「あんたここの偉い人かい?丁度良かった。聞いておくれよ。あ、アタシはダーウェ、こっちは弟のゼル。で、あんたが手を取ってるそっちの子はイヴェッタ。貴族のお嬢様だったんだけど、ちょっと訳ありでね」
ダーウェは簡単に、イヴェッタは故郷で謂れのない罪を被せられ追われてしまったのだと話した。そうなるとイヴェッタは犯罪者ということになり街で受け入れられないのではないかと思われるが、そもそも別の国でのこと。正式な調査も裁判もされていない私刑だった。その辺りをゼルが一生懸命説明し、イヴェッタはダーウェに「いいから、黙って悲しそうな顔をしてその色男の手を握ってな」と言われたので黙っていた。
「……なんと、それは……大変な目に遭われましたね!」
「女を身一つで追い出すなど男の風上にも置けぬ輩がいたものです!!」
クレメンスとパポスは口を揃えて憤慨した。その男の風上にも置けない輩とは他国の王子様なのだが、二人は知らない。
「なぁ、そこの色男。そういうわけで、イヴェッタは身分証がないのさ。一応、実家の紋章入りの指輪はあるんだけど、そんなに大きな家じゃないから意味がないって言われちまってねぇ」
「……恥ずかしながら私もあまり他国の家紋は把握しておりませんが……しかし、貴人の見分けがつかぬほど愚かではないつもりです。可憐な人よ、ご安心ください。私が貴方の身元を保証しましょう」
「いやいやいやいや、クレメンス様!さすがにそれは……それは、職権乱用っつーか、それは、まずいんじゃないでしょうかね?!」
「パポスさん。男なら誰でも、困っている女性を救う機会を得たいと考えているものです。美しい人なら尚更。それに、」
と、クレメンスは言葉を区切り、イヴェッタの手を取って立ち上がった。イヴェッタは貴族の令嬢であるので、男性にエスコートされることに抵抗はなく、また母がしっかりと仕込んでくれたおかげで所作に違和感がなかった。クレメンスは平民とは思えないほど優雅な足取りでイヴェッタを少し開けた場所へエスコートし、短いダンスを踊った。
「このように、彼女が貴族の令嬢であることに疑いはない」
「あの、閣下……わたくしは生まれは貴族に相違ございませんが、今は身分をはく奪された身でございます」
「他国でのこと。お困りであれば、街は受け入れます。我が街はそのくらいの度量はあるつもりです」
「……」
我が街。という言い方はわざとだろう。イヴェッタは相手が自分の身分を暗に伝えて「あなたを守れる力があります」と言ってきていることに気付いた。この言い回しや、そして立ち振る舞い。この街の貴族の子息、あるいは既に当主となられた御方らしい。
「是非私を貴方の後見人とさせてください。その為には、お互いをよく知る為に、今日はこのままどうぞ私の家に招待させていただけませんか。もちろん、そちらのダーウェさんとゼルくんもご一緒に」
「……」
イヴェッタは自分で判断がつかず沈黙した。
できれば貴族には関わりたくない。色々と面倒なことになるのは明らかだ。しかしこの機を逃せば自分は街へ入る事は出来ないだろう。それはダーウェたちに迷惑をかける事になる。
「タダで泊めてくれるってことかい?そりゃあいい。ありがたいねぇ」
クレメンスが貴族と気付かないダーウェは、パポスの態度から隊長とかそういう、少し上の上司なのだろうと判断した。良い家にタダで泊めてもらえると素直に喜び、ゼルの方はやや警戒する素振りを見せたが、クレメンスが「家には君と同じくらいの子がいるから遊び仲間になれるよ」と言うと、少し興味を示した。
イヴェッタは少し悩み、クレメンスの申し出を有り難く受け入れようと頷いた。





