*3巻発売決定記念*一方その頃アグドニグルの皇帝陛下は
こちらは書籍版3巻発売記念小説となります
「陛下。よろしいのですか?」
西大陸の東部一帯を統治する大国アグドニグルの、絢爛たる都・ローアン。この世で最も美しいとされる赤い髪に瑠璃の瞳を持つ皇帝クシャナは玉座にあって、今晩の酒のつまみについて考えていた所、側近のイブラヒムに声をかけられた。
賢者の称号を持つ者。それであるので、上奏をと畏まらず、その賢明たる頭脳で考え告げるべきと判じたことを即座に皇帝の耳に入れることの出来る身分。
話しかけられた皇帝は「なんのことだ」とはとぼけず、フンと鼻を鳴らした。
「ルイーダの切り花のことか」
「左様にございます。各国がこぞって動き出しております。あの愚鈍なドルツィアの若き皇帝も、じきに接触するでしょう」
アグドニグルとドルツィアは隣接しており、先代皇帝の頃はよくやり合っていた。内政に関しての才能はほとんどないドルツィアの先帝は、それでも戦場に出れば鬼神の如き活躍をする猛将でクシャナも何度か煮え湯を飲まされたものだが、最後は自身の息子に毒を盛られて死んだそうだ。
そこから始まるドルツィアの皇族達の殺し合いを、アグドニグルもこっそりと、後押しした。内部から勝手に腐って弱体化してくれるのなら、敵対する隣国にとってこれほどありがたいこともない。
「生き残った若造か」
「新帝カーライルは見目麗しい若者だそうで」
「あー、そうか。うん。あの小娘は面食いだそうだからなぁ、アッハハハ」
「笑い事ではございません、陛下」
大陸全土を襲う不況や不作。混乱する大地において唯一例外的に栄える神の恩寵を受けし国ルイーダ。神々に愛された娘、イヴェッタ・シェイク・スピアが、何をどうしてそうなったのか国を追われてドルツィアの片田舎に流れ着いたらしい。
我が国に神の奇跡をと、こぞって各国の王族貴族どもが望み、欲し、第二次イヴェッタ争奪戦が沸き起こっているわけだ。
アグドニグルでは皇帝が直々に「手出し不要」との知らせを早々に出している。しかし、いかに竜の血を引き、二百年以上生きる皇帝クシャナの統治であっても神の試練とも言えるほどの昨今の不作は国内を苦しめていた。国内の経済状況を把握しているイブラヒムからすれば、奇跡を齎す神の娘の保護に、なぜ我が国も名乗りを上げないのか不思議で仕方ない。
「当人に手を出すことに御懸念があるようであれば、国内に残ったという切り花の家族を我が国に迎え入れるのはいかがでしょう。第二の祖国として切り花の娘に我が国を守らせれば国家は安泰にございましょう」
「捨て置け」
「は? しかし、」
「神の切り花たるあの小娘、イヴェッタ・シェイク・スピアに手出しは無用。この厳命に変わりはない。たとえ私が急死したとて、この指示は消えぬものと心得よ」
ゆっくりと皇帝は玉座より立ち上がった。侍従たちが付き従い、イブラヒムもそれに続く。赤く染め上げられた布の上を軍靴で進み、皇帝は朱金城から城下を眺める。
「そも。神族どもに、人を救うなどという意思はない。あるのはただ、己らが万能のうちに滅び行く夢を見て、それを果たそうと望む我欲のみ」
「……思惑がどうであれ、大地に齎される悪意の数々を、撥ね除けることができるのであれば、神の奇跡に縋るのも致し方ないことでは?」
容易に、安易に。何もかもが解決するのなら。ただ一人の娘を「幸福に」するだけで万民が恩恵を受けて平穏に暮らせるのであれば、良いのではないかとそのように。
縋りたくなる気持ちもわからなくはない。が、皇帝は目を細めその進言を退ける。
「賢者ともあろうものが情けないことを申すな。なぜ、己の頬を殴りつけるものに「もう殴らないでくれ」と懇願して、足下に平伏し口付けせねばならぬのか」
「……」
「あの小娘の国を安泰に、安全に、他国が侵略する体力がないように、悉くルイーダを羨むように、信望するようにと、そのように齎された故の現状だぞ」
イヴェッタが移住先にと向かったドルツィアは覇王の器でさえあった皇帝を死に至らしめ、有能な王族が悉く死した。
神々が直接手を下したわけではない。「うまくいくはずがない」多少ずさんな計画も「運よく」成功してしまうだけ。
他人の悪意の芽がそのままに放置され続け、開花するだけ。
人の世を混乱させるのは人の悪意であることに変わりは無いが、ほんの少し「うまくいってしまった」だけのこと、ではある。
「我が国に神の奇跡は必要ない」
はっきりと皇帝は宣言する。
「営み栄えるは人の知恵と研鑽。土地が貧しく実らぬのなら、実るよう肥えさせ耕す術を探ればよい。病で人が死ぬのなら、怪我で人が膿むのなら、祈りの時間にくれてやるくらいなら学び研究すればよい。熱意、熱望、執着、執念。燃えるように生きて死ぬ人間の特権よ。ゆえに、思考し試行し施行せよ。神々が我らに無関心であるのなら、我らは己らについて深く関心を持ち、何もかも、須く、人の努力の末に克服せよ」
神々の特権を奪えと、その言葉は指している。
土地を豊かにするのは神の奇跡。人を癒やし回復させる御業。人の幸福は神への祈りにより齎されるものであるという根底を、アグドニグルは拒絶する。
途端、雷鳴が轟いた。
黄金の矢は雲を切り裂いて、朱金城の天守閣に落ち、炎が一瞬で燃え広がる。
上がる悲鳴や避難指示。皇帝の身の安全をと叫ぶ声を聞きながら、皇帝は目の前に現れた黄金の鎧を身に纏い燃える髪に輝く瞳の男神を見上げた。
「人間種如きが、天に唾吐くその言動。女、不敬であるぞ」
「軍神ごときがこの私を見下ろすな。貴様こそ不敬であろう」
十三神に数えられる上位神、軍神ガレスの降臨に、消火活動に追われていたアグドニグルの兵たちはおののいた。戦働きをするものにとって守護神と崇められ誰もがその加護を願う存在である。
黄金の槍を構え、ガレスは皇帝に投げつける。神の威光を受けた槍は光の速度、人の身で避けられるものではないが、皇帝は腰の剣を抜き、槍を薙ぎ払った。
「私を殺したければ冥王か海神あたりが出てこい」
神の一撃を容易く撥ね除けた皇帝に、軍神ガレスは眦を釣り上げた。
「人の身が傲慢な。神の御前にあるのなら、粛々と頭を垂れて膝をつき、神罰を受け入れよ」
「我が国にせっせと不幸を振りまく者共にどうして信仰心など抱けるものか」
「神の威光を畏れ敬うべきであろう。貴様らの不幸というが、試練である。神は人の世が幸福の意味を忘れぬよう、より気高く生きるよう、試練を与えているのだ」
物は言いようだな、と皇帝は笑い飛ばし、イブラヒムが差し出した弓を射た。
ただの人の身の矢などとガレスは軽んじ避けようともしなかったが、その矢はガレスの右目を射抜き、青い血が流れた。
基本的に神族は本体が神々の山に全て封じられている。人の世界に見せるものは陽炎のようなもので、人の力で害せる術はない。で、あるからガレスは痛みを感じることがなかったが、だらりと、流れた血に顔色を変える。
「……貴様ッ!」
「竜の鱗で作った矢じりはよく飛ぶなァ。アッハハハ」
ササッと、次の矢をイブラヒムが渡す。再度弓を構えて、皇帝は軍神を見上げる。人如きに神が傷つけられたなど、これ以上起きてはならないこと。ガレスは悔し気に顔を歪めたものの、二度目の矢が射られる前に姿を消した。そのくらいの分別はあるらしい。
神の去った虚空を見つめ、皇帝クシャナは緩やかに息を吐く。
これまで天に唾吐く程度で神雷が轟いた事などなかった。神族の力が強くなって、いや、必死に神威を保とうとしている。
イヴェッタ・シェイク・スピア。最後の切り花たるあの娘。孵化する前に死んで欲しいが、順調に鱗でも増やしているのか。
七体孵化すれば世界を焼くというはた迷惑な存在。エルフあたりと偶然遭遇して、殺されてくれれば楽なのだがと、皇帝は他力本願な思いを抱き、さすがにそんな都合のいい邂逅など有り得んなと、ひとりごちた。
おかげさまで、どういうわけか3巻が発売できる運びとなりました。
お祝いに記念SS。別作品、「千夜千食物語」から皇帝陛下登場回です。
(千夜千食物語の方は皇帝が過去に切り花を殺害して国が呪われたという設定があるのでこっちの小説と無関係ではないです)