*番外*フラウ・ノートル卿:祝いと呪い
小国ルイーダに建造された水の大神殿は、歴史としてはそれほど古くはない。しかし周辺諸国、それこそ大国に引けを取らぬだけの規模。手の尽くされた最高位の建造物であることはこの神殿を訪れた誰もが認めてしまうところ。
他国からの侵略や略奪、理不尽な要求を少しでも減らしたいと小国が聖王国“神聖ルドヴィカ”の援助あるいは庇護を求めて神殿を建てることは良くあることだった。が、ルイーダ国の神殿は小国が建てるにはあまりに“立派過ぎ”て、却って「そこまで。神に縋らねばならぬ程ままならないのか」と嘲笑を買った。
国民が飢えても神への供物は欠かさない。神殿行事の為の王家としての寄進を行う。だからどうか、どうか、わずかでも、我が国に神の奇跡を御威光をとその必死さは建てられて四十年。各国の密かな、残酷な“見世物”であった。
(それが今や、神聖ルドヴィカすらうかつに手が出せない、まさに“神の国”になるとは)
白亜の回廊の天井装飾は見事なもの。一つ一つをじっくり眺めては一日が何度あっても足りない。だからここの聖職者たちは顔に薄布を覆っているのだろうかと、そんな事を考えながら、フラウ・ノートル卿は神官の案内で回廊を進んでいた。
ルイーダ国。王都、水の大神殿。“尋ねる者”局長フラウ・ノートルがこの地を踏むのは、この国に異端の疑いがかけられた、などということではない。
神の御名を唱えてその辺の土を掘れば宝石が出てくるような国で何を疑えばいいのか。今回はただ単に、護衛である。
大神殿の貴賓室。そこに座り、身を小さくしている少年。自分がこんな場所にいていいのかとおっかなびっくりと、息が詰まってしまうほど緊張し委縮している。
「聖下」
「はい」
ノートルが呼び掛けると少年が顔を上げた。まだ十四、五程度にしか見えない、言ってしまえは貧相な体付き顔付きの子供。けれど実年齢は二十四程。聖王に即位した日より、神の祝福を受けた少年は体の時間は人よりずっと遅くなった。
びくびくおどおどとしているが、纏うのはこの世でただ一人に許された純白の聖衣。金糸銀糸で刺繍の施された、一着で小さな国の城が立つと言われるほど手間と時間と技術と資金のかけられた一着。
当代の聖王ヴィクトワール聖下その人だった。
「きょ、今日も、彼女は、と、とても、聡明でした」
ぽっと、顔を赤くして聖王が語るのは読書仲間たる少女のこと。
「ノ、ノートル卿は、黄金の髪の生える木々を知っていますか?恐ろしい、魔の島にあって、そこには顔のついた魚や、真珠の連なる銀の枝、七色の羽を持つ美しい鳥がいるそうです」
東の国のお伽噺だろう。空を飛ぶ魔法の絨毯や、擦ると魔法を使えるしもべの出てくるランプなど、この大陸とは異なる文化を持つ国の物語。
楽し気に語る、新緑の髪に同色の瞳の少年の顔には生気が満ち溢れていた。普段、聖王国の執務室に閉じ込められじぃっとしている気弱な少年の面影はそこにはない。
(……ルイーダの王族が、余計なことをしなければ)
本来。聖下は、神の切り花イヴェッタ・シェイク・スピアの夫となるはずであった。通常、聖王は婚姻は出来ないが、それは神のしもべで、全ての人間を平等に愛し神の教えを説く事に生涯をささげるためだった。
しかし神の切り花は別ではないか?
そんな疑問、討論が開かれたのは今より十六年前。
ルイーダ国の伯爵夫人が、神の切り花を宿した。魔法で調べたところ、どうも娘らしい。
これは久しくない事だ。最後に切り花が観測されたのはもうずっと前のこと。
それも貴族の夫人が花を懐妊されるなど、稀有なこと。何も知らず知らされずのびのびお育ちになられるのだろうが、貴族の娘であればいずれどこぞの子息に嫁ぐだろう。
神の切り花が、どこぞの男と?
聖王様こそが、かの花に寄り添い互いに祝福し合い、夫婦そろって神にお仕えするのが最も「美しい」のではないかと、そのような決定がされた。
幸い御即位されたばかりの聖王様はまだ幼い。宛がうのは丁度いいと、そのようなくだらない思惑の末、その通りになるところだった。
だというのに、現ルイーダ国王テオ・ドール・デルカトル。顔だけが取り柄の男はスピア伯爵の領地に「偶然」通りかかり、夫婦の手厚い歓迎を受け、「うっかり」大切な息子たちの肖像画をイヴェッタ・シェイク・スピアに見せてしまった。
そのうちの第三王子。最もテオに似ていると言われる美少年をスピア伯爵令嬢が一目で気に入ってしまい、それならばと先代国王が第三王子と伯爵令嬢との婚約を決めてしまったという。
その当時、ノートルはまだ見習いであったが、あの当時の神殿勢の怒り狂うありさまはよく記憶している。天罰で先代ルイーダ国王が亡くなった際など神殿内での禁酒令が一日だけ解禁されたほどだった。
ノートルはスピア伯爵令嬢を遠目、または肖像画でしか拝見したことがないが、あの美しい黒髪に菫の瞳の御令嬢と、気弱だが心根がどこまでもお優しく清らかな聖下はお似合いだろうと、そのように思う。
「……彼女は、この国を愛しているといつも言います。この国が平和で、誰もが満ち足りた生活を送れるよう、それが彼女の願いです。……ノートル卿、彼女はとても、尊い方ですね」
ヴィクトワールはルイーダ国、王都の魔法学園に通うイヴェッタに「ヴィクター」という偽名を使って接触していた。読書仲間として、限られた場所での交流。
これは当人が望んだことではない。ルドヴィカの上位聖職者、枢機卿や大神官、大司教らが非公式ではあるが交流を勧めた結果だ。どのような扱いが神の逆鱗に触れるかわからない。過去の公爵家子息の死は、利権をむさぼろうとする腐った聖職者たちさえ怯ませた。
切り花たる伯爵令嬢に周囲が切に願うのは、ただ平穏に平静に過ごして、出来るだけ長く生き世を潤して頂きたいとその心。
「僕などは……ただ、血筋で選ばれただけ。ただ、他の候補だった方々が、お互いに足を引っ張り合った結果、誰も望んでいない僕が、」
ヴィクトワールは自身の右手に触れた。そこには赤い模様が刻まれており、神の御印。聖王だけに現れるしもべの証だと言われている。実際には入れ墨で彫っただけのもので、ヴィクトワールに自信を与える役には立たない。
ネガティブな言葉を吐き続け、ノートルが特に励ましや慰めの言葉を吐かないでいるとヴィクトワールは黙った。
「聖下」
と、そこで新たな訪室者。護衛騎士をぞろぞろと連れた、高位神官。水の大神殿を管理する大神官トゥルー・ストラ。
大神官は恭しくヴィクトワールの掌に口づけし、健康と平穏を言祝ぐ。優しい顔立ちに言葉遣いをする顔見知りの登場にヴィクトワールが肩の力を抜いた。スピア伯爵令嬢に会うというためだけではなく、ヴィクトワールが秘密裏にルイーダを訪れるのにはこの大神官の存在があった。懐いているという言葉では少々大人しすぎる。
ひとしきり世間話を交わしてから、大神官はふと、顔を曇らせる。
「どうも、かの王子は……伯爵令嬢を冷遇されているご様子でございます」
「えっ!?」
「学園内で顔を合わせても、一切言葉をかけず一方的に……いっそ暴力的とすらいえる程、伯爵令嬢を無視しているとか」
学園内の情報は隠される傾向にあるが、それでも全く調べられないというわけではない。トゥルーの言葉にヴィクトワールは泣きだしそうな顔になった。
「そ、そんな……そんなこと、彼女は一言も…………ぼ、ぼくが……頼りないから、でしょうか」
「ご友人であらせられる聖下にご心配をおかけしないようにでございましょう」
そっと大神官がヴィクトワールの手を取る。あまりに馴れ馴れしいのではないかとノートルは目を細めた。が、大神官は気付かぬふりをして話を続ける。
「どうも、王子は他の女性に懸想しているようです」
善良で明るいご気性、器量の良い娘が近づいたと、大神官は慮った顔で報告する。ノートルもそれを聞きながら「その王子は何を考えているんだ」と呆れた。
「……そ、そんなの……ひ、酷すぎます……彼女はずっと、第三王子と結婚するのを楽しみにしていたんですよ……」
「……恋とは恐ろしいものです。あっという間に判断能力を奪ってしまう。このままでは、かの伯爵令嬢は、一方的に罪を仕立てられて婚約破棄という不名誉を……」
「ぼ、ぼくが……!」
大神官の話が終わらない内に、ヴィクトワールが立ち上がった。気弱な少年にはらしからぬ、興奮、激高し顔を真っ赤にさせ、肩を震わせている。
「聖下?」
「…………ぼ、ぼくが、なんとか……た、助け……られない、でしょうか!?」
「とは申しましても……」
「ぼ、ぼくは……彼女に、イ、イヴェッタに……幸せに、なってもらい、たいです。そ、それは、神々も、そのように望まれているはずです……!ぼ、ぼくは……み、皆さんのように、賢くないし……い、今だって、どうしたらいいか、わからないけど……お、教えてください!ど、どうすれば……」
ちらり、と大神官はノートルを見た。出ていけ、という意味であることは明白だ。護衛というのなら部屋の中にいるべきだが、大神官自身高位の魔法使いであり、ここで暗殺者が襲撃したとて返り討ちにできるだけの実力があった。人払いを行う意図。ノートルは黙って立ち上がり、そのまま一礼して貴賓室を出た。
大神官が何をしようと、それはノートルにはさほど興味のあることではない。少年王が大神官やその他の枢機卿らの傀儡であろうとなんだろうと。聖王が存在し、信仰が各地に広まり根付く。その世界の統治の流れが万事滞りなく続くのであれば、それでよいことだった。
書籍発売4日前記念の短編です。





