1、婚約破棄という茶番にお付き合い
世の中には、茶番というものがあるらしい。
そして結構、世の中の人々は茶番というものを好むようだ。
茶番、というより、お決まり、俄狂言。呼び方はなんでもいいのだけれど、冷静に判じてアホだとしか思えないことも、付き合わないと、それは「可愛げがない」「素直でない」「融通が利かない」と、そのような評価を得るようで。
たとえば子供の頃、家庭教師が何か私の態度で気に入らないことがあり「今すぐ出て行きなさい」と言われたことがある。
たとえば神殿に手伝いに行ったとき「もういいので、今日はお帰りなさい」と言われたことがある。
素直に部屋を出て行った。帰宅した。
が、それはどうやら、違うらしい。
そういう場合、求められるのは必死に食い下がって「申し訳ありません!続けてください!(いえ、折角ですから、もっとやらせてください)」と許しを請うべきだそうだ。
なるほど、言葉の裏を読まなければならない。
貴族の家に生まれ、本音をストレートに言わないことが当然であるので、つまり、生きる事はお芝居をするということなのだと、幼いイヴェッタは理解した。
***
「イヴェッタ・シェイク・スピア!お前との婚約は今日限りで解消させて貰うぞ!!」
卒業式の後のパーティというものは、学園の経営に関わる貴族や王族が生徒たちに『よく学びました』と労いとお祝いの意味を込めて、資金と会場を提供し開かれるものである。
その煌びやかで栄光ある場にて、伯爵令嬢イヴェッタ・シェイク・スピアは会場に到着するなり、同級生だった男子生徒二人に押さえつけられ、ダンスホールの中央に引きずり出された。
そうして面前に堂々と立つのは、この国の王子ウィリアム殿下。
イヴェッタの婚約者に間違いないので、彼が話している内容は、まぁ、わかるにはわかる。
卒業記念パーティに相応しい煌びやかなお召し物が大変よくお似合いの婚約者殿の腕には、ほっそりとした白い腕が巻き付いている。淡いピンクゴールドのひらひらとしたドレスを着た女子生徒が共にいるのだ。
「まぁ」
金魚みたい、とイヴェッタは感心した。いや、けして金魚のフン、などとはしたないことを思ったわけではなく、そのひらひらとしたドレスが水の中を悠々と泳ぐ小魚のようで愛らしかったという意味である。
公衆の面前で跪かされたというのに、この伯爵令嬢はさして動揺する様子を見せなかった。冬の泉のように美しい瞳をぱちりと瞬かせ、考えているのはこのパーティ会場に用意された豪華な料理の数々のこと。
(お肉……は、きっとまだ早いわよねぇ。まずは前菜、でもきっと綺麗にカットされた野菜だけじゃなくて、ゼリー仕立てにされて摘まみやすいものとか、ピンチョスとかあるのだわ)
直ぐに顔を床に向けさせられてしまったので、立食式になった白いテーブルの上の美しい料理をよく見ることが出来なかった。しかしあちこちの貴族が資金提供をしてくれて開かれるこのパーティの料理は、きっと最高級の料理人たちが手掛けているだろうし、食材だって一流のものを使っているに違いない。
「あぁ、なんてこと……!」
「ふん、やっと事の大きさに気付いたか!」
待ち遠しくて仕方ない、という意味での感嘆詞だったが、周囲はそうは思わなかったよう。イヴェッタが身体を奮わせると、王子殿下がふん、と鼻を鳴らした。
婚約解消。婚約破棄だー!と、勢いよく仰る尊い方の言い分は、何でも今現在殿下の腕に巻き付いているかわいらしい顔立ちのご令嬢が(お名前はなんというのかしら?とイヴェッタは覚えがない)在学中イヴェッタに嫌がらせの数々をされてきたという内容だった。
「いやがらせ」
「あぁ!教科書を隠したり、彼女の大切にしている髪飾りを破壊したり、制服を破いたりしただろう!」
「いやがらせ」
「しらを切るのか!!?ほかにも、階段から突き飛ばしたり、彼女の飲み物にわざと味のおかしなものを入れただろう!!」
まぁ!と、イヴェッタは声を上げた。自分の犯した罪がここまで把握されていると思わなかっただろう、と王子が勝ち誇った笑みを浮かべる。イヴェッタは眉を顰めると困惑した表情で問いかけた。
「それは窃盗に器物破損、さらに殺人未遂ですから……しっかりと騎士団の方で調査をされた方が良いのではありませんか?」
「自分ではないと言い逃れをするのか!見苦しいぞ!イヴェッタ!仮にも一度は王族の花嫁となる身であったのなら、潔く罪を認めよ!」
そもそもその被害者というご令嬢がどこのどなたなのかも存じ上げない。
イヴェッタはしがない伯爵家の娘だ。兄が上に二人いて、両親にも大変かわいがっていただいている。領地は大きくも狭くもなく、貴族の中でも中の下という程度。政治的に発言力のある家柄でなく、出世をしている親族もいない。
そんなイヴェッタが王族の婚約者になったのにはとある事情があるのだが、もしや殿下は正義感に燃えるばかりに頭の中からきれいさっぱり忘れていらっしゃるのだろうか。
イヴェッタは周囲を見渡した。友人というものがイヴェッタには殆どいない。唯一親しくさせてもらった読書仲間はまだ会場に来ていないのか姿が見えない。いや、もしいたとしても王族を前にしてイヴェッタを庇うようなことはしないだろう。
「一つ、伺いますが……わたくしは、先代国王陛下より卒業後にお役目を頂いておりました。それは、いかがいたしましょう?」
「おじい様がお前に命じたというのは神殿に祈りを捧げることだけだろう。それならこのマリエラ嬢がお前のような性根の卑しい女に代わり務めてくれる」
「まぁ」
マリエラさん、と仰るのかとイヴェッタは初めて知った。覚えておくべきかしら、いや、もうお会いすることもないだろうと頭の端に追いやる。
「それはもちろん、国王陛下や王妃様、それに大神官様もご承知のことでございますのね?」
一応、確認しておく。まさかあれほど大切なことなのだから、王子の一存というわけでもないだろう。しかし一応、念のために聞いてみると、王子は苛立ったように声を上げる。
「自分を過大評価するにも大概にしろ」
「まぁ」
さすがにそうだろう。確認していないはずがない。イヴェッタはこの件に関しては自分が出しゃばり過ぎたと頭を下げる。それを初めての謝罪、自分の大声が威厳があって改心したのだと王子は満足したようだった。
なんだ、この茶番。
淑やかな貴族令嬢の仮面の内側で、イヴェッタは首を傾げた。
婚約破棄。
一方的に?
こんなに大勢の集まった場所で、なんの事前連絡もされずに……一体、なんのバカげたお芝居だろうか。
しかし貴族の令嬢として言葉の裏を読み、相手が求める振る舞いをすることが大切だと心得ているイヴェッタは、王子の行動を咎めることはしない。
これは、あれですね。きっと、この大々的な茶番に付き合い、自分と殿下の腕にいる女性の役割交代を劇的に行う、という……イベント。
ここで自分が求められることは、喚き散らして自分の無実と事実無根を訴えることではないはず!
「殿下より婚約解消を賜りました事、承知いたしました。謹んでお受けいたします」
「やっと認めたか!さぁ、マリエラ嬢に謝罪を!」
そこでやっとイヴェッタは自分を押さえつけている腕が放されたのを感じた。同じ学び舎に通った同級生二人は騎士を目指す者なのだろう。卒業記念パーティの現在の服装は今後所属する騎士団の正式な制服を着ていた。
この場はそういった、自分の未来の職場を紹介する場でもあったのだ。その中で、煌びやかなピンクのドレスを着ているマリエラ嬢は……進路が決まらなかったのではないだろうか。あ、なるほど、だからこの交代劇が必要なのか。
イヴェッタは卒業後は神殿に所属する予定だった。で、あるので現在、水の神殿の神官服を着ているのだが、未来の騎士二人は聖職者であっても自分たちが悪だと判じた者に容赦ない、素晴らしい志である。
「マリエラさん?で、よろしいでしょうか?」
「マリエラ・メイ男爵令嬢だ!」
あぁ、そうなんですか、とイヴェッタは首をかしげる。男爵令嬢。やはり覚えがない。そもそも、学園内で自分は殿下と関わることが殆ど、ほぼ、限りなく、ゼロに近く、無かった。
常日頃、殿下の側で広げられる殿下ヨイショキラキラワッショイな茶番に付き合うより、一人で静かに読書をしている方がずっと有意義で、どのみち自分達の結婚というものはイヴェッタの能力を王室に入れるための戦略結婚。正室になることは決まっているが、イヴェッタは神殿住まい、子を成す行いも禁じられているので、側室がもたれることが前提の婚姻である。
「マリエラ・メイ男爵令嬢」
イヴェッタが名を呼ぶと、男爵令嬢はびくり、と体を震わせた。小動物のように怯え、大きな目に涙を浮かべて、ぎゅっと、王子殿下の服を掴む。中々大胆な振る舞いをされる方だ。貴族の令嬢はこういう場で周囲に涙を見られることは恥部を晒すに等しいことと、顔を伏せたり扇で隠すことがマナーとされている。しかしだからこそ、そういう女性の秘匿されるべき姿を見て、アホども……じゃなかった、殿方というのは「自分が守ってあげないと」と思うのかもしれない。
「この度はわたくしの醜い嫉妬心から、貴方様には心身ともに多大なるご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「っ、あ、あのぅ、本当に……悪いと、思ってますぅ……?」
しくしく、とメイ男爵令嬢が口元に拳をあてながら震える。
「はい、心よりお詫び申し上げます」
「じゃあじゃあ!あたしがウィルのお嫁さんになってもいいって認める?」
誰だウィルって。あぁ、ウィリアム王子殿下か。
こんな公式の場で男爵令嬢が、愛称で呼ぶとか正気だろうか。いくら茶番だとはいえ、ヒヤヒヤしてしまう。
「はい。わたくしなどより、よほど相応しい方かと存じます」
ここで必要なのは正論ではなく、茶番なのだ。ハイ、そうです、と私が肯定することが求められている。
イヴェッタは今自分は女優になっているのだと割り切ることにして、お芝居に必要なセリフを思い浮かべてはただ口に出していく。
「本来であれば、王族への不敬罪で一門諸共処刑するところだが……そんなことをすればマリエラが悲しむ。よって、貴様一人の国外追放に留める!この恩情を感謝し、即刻立ち去れ!!」
うんうん、茶番。本来、学園内で起きたことのまともな調査もされずに一方的に犯人を作り上げて私刑しておいて、一族諸共不敬罪で処刑などまず無理だし、そんなことをしたら貴族の反感を買いまくるだろう。
しかし、ここで男爵令嬢の「おかげで減刑した」という茶番にしてしまえば、男爵令嬢の株も上がるというもの。意味が解らないが。
「はい。殿下と男爵令嬢の御恩情、心より感謝申し上げます」
イヴェッタは粛々と頭を下げた。
次に自分が求められるのは、まず自宅へ戻り自室で謹慎。翌日王室より「やはり国外追放はやり過ぎた」と沙汰があり、予定通り神殿へ入りそこでお役目を全うすることになるのだろう。
イヴェッタはマリエラが「王子の婚約者」にはなれても、神殿でイヴェッタが行う予定の仕事の代役はできないと理解していた。が、おそらく殿下はマリエラを正室に迎えたいのだ。それで、こんな茶番をした。
「……………」
追い出されるように会場を後にして、イヴェッタは馬車の中でじっと、硝子に映る自分の顔を見つめた。
求められる振る舞いはわかった。わかっている。
けれど、ふと、心に沸く感情があった。イヴェッタはそっと胸を押さえ、小首を傾げる。
この感情はなんだろうか。
「……出て行け、と言われたのですもの。出て行きましょう」