第六話 夏祭り
大通公園の夏祭りは地元の人間で賑わう。雪まつりが多くの観光客を招くのとは対称的に、ビアガーデンとして盛況を見せる光景はまさしく、札幌の民のものである。
日本のビール会社がひと区画を丸ごと使ったビアガーデンを開く他、ビールで有名なドイツなど外国のものを取り扱う区画などもあり、日本最大のビアガーデンと言えるだろう。
「ぷはあ、やっぱり最初は生だなあ!」
怜が口元に泡をつけて言った。その言葉に、磯野はつい口出ししたくなる。
「ジジくさいぞ」
「なにい、若いもんがそういう風に言っちゃうんだ。ビアガーデンに来といてビール以外飲むなんて、空気読めてないぞー」
「ますますジジくせえよ、女子高生に変な絡み方すんなよ」
磯野が言えば、しないよ! と返事をしてくる怜は、完全に出来上がっていた。
祭に際して駆けつけてきた二人の女学生が笑う。ひとりは困ったように、もうひとりは快活にだった。
霧島千葉と青葉綾乃の二人は、高校の夏季講習を終えてから一度帰宅し、再び大通公園までやってきたのだった。磯野からすれば、大した行動力であると思えた。
気分がよくなっているのか、怜は柳井へと絡んでいくのが傍目に見える。その様子を眺めている二人の少女たちに磯野は声をかけた。
「二人とも、嫌だったらちゃんと言うんだぞ」
「はーい」
声を重ねて返事をする千葉と綾乃に、横から茶々を入れる人物が現れる。
「気をつけろよー、磯野はロリコンだからな。弱みを見せると付け込まれるぞ」
「おい、恐がらせるな。あとロリコンじゃねえよ」
千葉の姉である榛名が磯野をつつく。先ほどまで別サークルに参加していた彼女は、いつものタンクトップにショートパンツの服装だった。
きゃー、と言う女子高生たちの楽しげな姿を見るに、嫌がってはなさそうであるから、磯野は良しとした。
「それにしたって、その日の部活の集まりは悪いにしても、なんだかんだこうして集まるんだよな」
「やっぱり日常が一番でしょ」
しみじみ言う怜は、やはり年寄りくさかった。けれども、磯野はそれを笑うことができなかった。
かつてこの大通公園を、札幌を襲った災厄を思い出す。白い蜥蜴のような怪獣が破壊の限りを尽くしたのだ。
短時間のうちに自衛隊によって討伐された、とニュースで聞いている。
日本全国で幾度も発生している出来事であり、それを磯野は何度も見ていたはずだが、いざ自分の日常に訪れるとなると、堪えるものがあった。
以降、何度も感じるようになったズレている感覚。取り戻したはずの日常が、しかし前日の延長線でないような気持ちがある。
いま、札幌で暮らしている多くの人たちが似たものを抱いている。
その中で行われているビアガーデンは、そうした日常を取り戻すきっかけになるだろうか。
ジントニックを口に含めば爽快な酸味が鼻いっぱいに広がる。
宴もたけなわ、お腹を空かせた若者たちは我先にとつまみを食べる。オカルト研究会が陣取る天幕は、声量がどんどん大きくなり騒がしくなっていく。
とりわけ、疲れているからか、怜の酔っている様子は磯野の目から見てもひどいものだった。
(明日あたり酔いっぷりをいじってやらねば、割に合わないぞこれは)
そう磯野は思いながらも、少し面白いので様子を眺めている。
「珍しいよね。怜がこんなに早く酔うなんて」
買い出しから戻ってきた千尋が言った。いや、こんなに弾けるのは初めてかな、とも付け加える。手には揚げたてであろう唐揚げやフライドポテトがあった。お代わり分であるが、それにしても塩気が多すぎやしないか、と磯野は思わずにはいられなかった。
「昨日は遅くまで仕事で車を回してたみたいだからな」
千尋と一緒に戻ってきた柳井がそう言った。
コンプライアンスがあってぜんぜん話せない、と言ってあまり仕事のことを口にしない怜が、このときばかりは柳井に愚痴を漏らしたのだろうか。
「運転好きの怜でも、さすがに堪えたのかな」
「いやあ、夜のドライブも楽しいよ?」
千尋の言葉は、怜の笑い声でかき消される。
磯野もさすがに怜の異変に気づく。大学に入ってからの付き合いでは酒の席ももちろんあり、彼女がアルコールに強いこともよく知っていた。
「ほどほどにしておくんだぞ」
「わかってるって」
磯野が釘刺すと怜がやれやれと返事をする。わかってない人はそういうのだ、というのはこの場にいる全員の見解だった。
磯野が視線に気づき振り向くと、耳ざとい綾乃がにやにやと反応する。
「でもでも、酔ってた方が都合よかったりするんじゃないんですか?」
「この耳年増め」
酔うと少しはしおらしくなるならともかく、鬱陶しさが普段の五割り増しになっている怜は、磯野からして控えめに言っていつもの五倍は面倒だった。
お代わり買ってくる、と言った怜は天幕から出て行った。足取りはまだしっかりしているが、後ろ姿は酔っ払いそのものだ。
見かねた榛名が、磯野へと言った。
「昼間も忙しかったのか?」
「忙しくはなかったな。柳井さんの話を聞いてただけだから」
昼間、というのは吉暉がオカルト研究会の部室に訪れたことだった。
結局、話の半分もわからなかった。サナトクマラ、という宇宙人が人類に知恵を授けるのだ、みたいなことを、歴史の授業のように聞いていただけで理解ができなかった。
そもそも、磯野からして、どうして吉暉がサナトクマラについて知りたがったのかは謎のままである。
「怜のバイト先の子が来てたけど、それくらいだな」
「前に言ってた男の子? 少し変わった子だって聞いてるけど」
「柳井さんはお前に似てるって言ってたぞ」
「なにー、私が変わってるってか」
酔っているのか、膨れ面を浮かべる榛名。妹に比べ大人びているからか、あまり様になっていない。
榛名が普通の方か変わっている方なら、変わっている方だろう、と磯野は思ったが言わないことにした。
「やっぱり部室行けばよかったかな」
「仕方ないよ綾乃ちゃん。制服でお祭りに来るわけにもいかないし」
磯野が知る限りでは珍しく綾乃が拗ねている。千葉の大人な言葉に対しても、理解はしつつ納得はいかない様子だった。
吉暉もまた、怜のバイト先の知り合いを連れて来るかもしれない、ということを言っていたことを思い出す。
ふらり、と人影が現れた。噂をすればなんとやら、と磯野はその人を見るが、そこには顔を赤らめた怜がいる。
「なんだあれ」
怜が新しく買ってきたビールを手に空を眺めてそう言った。
うーん、と目を細める先にあるものはわからないが、さすがに放置していると危ういと感じた磯野が隣に座らせる。
「彗星かなあ。でも彗星ならもっとバァーって動くよね」
「どうせ人工衛星か何かだろ。ほら、飲めって」
「わーい、ビールだ! 磯野が買ってくれたの?」
「自分で買ってきたんだよ!」
いよいよもって、酔っ払いが全力を発揮してきた。
これはこの先、油断できないぞ、と磯野は思いながら、上機嫌な怜を不安な目で見ていた。