第三十三話 一歩前進
午後五時を過ぎて、大通公園は夕暮れに染まる。
ここから日は短くなるばかりであるが、涼しさは未だやってこない。
「寒いよりはいいか」
吉暉はそう呟いた。
夏祭りはずっと続いていた。UFO騒ぎは大きくニュースで取り上げられたが、復興の兆しを途絶えさせるわけにはいかないと人々は動いていた。
一箇所だけ、白い天幕がある。そこは慰霊碑になっており、テーブルにはたくさんの花や、生前の人たちが好んでいただろう供え物があった。
吉暉は手に持っていた花束を献花台に置いた。
シアンカムイが残した爪痕はいまなお残っている。それに加えてカムイシンタの起こした被害は、札幌に暮らす者たちに強い悲しみを与えるものとなった。
手を合わせる。この場所を訪れるたびに、吉暉は複雑な気持ちになる。
自分に力があれば守れたかもしれないという後悔。
彼らの命を奪った力によって生かされているという事実。
そんあ自分が、ここにいていいのか、という疑問。
きっと自分は怪獣と違いはないのだ。猿神の荒魂を宿し、シアンカムイの氷を抱えている。
そして、義経とも浅くない縁が結ばれた。彼の持っていた《今剣》は、いまは吉暉の元にある。
……だが、それでも生きたいと願ってしまったのだ。
自分は死んでしまった方がいいのかもしれない。けれど、生きていていい理由がほしくて、それを見つけるために少しのわがままを世界に強いている。
たくさん呪われた自分だけど、誰かを傷つけてしまう自分だけれど。
この世界に自分を刻みたいと願ってしまったのだ。
時には意識してそうすることが大切であると、知ったから。
(だから、ごめんなさい。もう少しここにいます)
自己満足に過ぎないが、それでいいのだと思えるようになっていた。
吉暉が顔を上げて、天幕から離れた。
遠くで、手を振っている青年が見えた。日本人男性の平均的身長から頭ひとつ高いその人物は磯野だった。
「早いですね」
「怜のやつが、葉沼くんが待ってるだろうから早く行けって」
「それは、ありがとうございます」
「一人で席を取らせるわけにもいかないからな」
一緒に夏祭りの席取りをする予定だった雪花と怜からは、PIROの事務所に少し用事があると連絡を受けていた。二人は人の少ない方へと、出店を覗きながら歩いていく。
「なんか信じられないな。あんな戦いがあって……葉沼くんは、ずっと戦ってたのか?」
声を潜めて磯野が言った。吉暉も倣って、小さな声で答える。
「ずっとじゃないですけど」
「そっか、そうなんだな……ありがとう」
「お礼を言われることなんて」
「でもさ、俺にはやっぱりできないことだから」
そんなことはない、と吉暉は思う。
むしろ力がないにも関わらず、できることなどないはずの状況でも、何かあるはずだと動くことができた磯野にこそ、吉暉にとっては尊敬に値する。
「ん、ここらへんでいいかな」
そう言って、二人で天幕の内の席を確保する。
四人がけのテーブルを三つも陣取るには、二人では少しズルい気がしてしまうが、止む仕方なしだった。
この日は怜の発案で、オカルト研究会とPIRO北海道支局の顔合わせとなった。
カムイシンタのせいでうやむやになってしまったオカルト研究会の飲み会の仕切り直しでもあると聞いた吉暉だったが、磯野からはそもそも怜の飲み過ぎで中断となったと聞いて、どういう顔をすればいいかわからなくなった。
かなりの大所帯であるが、吉暉はオカルト研究会の会長である柳井を含めて、ほとんど顔を知っていた。
「ちばちゃんと青葉も知ってるんだっけ」
「はい、千代田さんの縁で。鶴喰の方がよく遊んでるみたいですけど」
「いやいや、初対面が多いとなかなか話も弾まないだろ」
そうだろう、と思う。仕事の話をするわけにもいかない。少し人見知りしてしまう吉暉としては大助かりである。
「それにしても怜め、従妹にいい顔したいんだろうな」
磯野がそう言った。
実際、この会には千歳や衛介も参加する。怜の札幌での知り合いが勢揃いした場を設けたかった、というのは否めない。
「こういう段取り、すごく上手いですよね」
「目的のためなら何でもするやつなんだよ」
「おっかない……」
吉暉がそう呟けば、堪えきれないように磯野が吹き出した。
「本人の前では言うなよ? 刺されるからな」
「誰が誰を刺すって?」
気づけば怜がそこに立っていた。げ、という顔を磯野は隠さない。その頭に向けてまっすぐチョップが落ちる。
噂をすればなんとやら、と吉暉は思った。言霊には力あるのだ。迂闊な発言をしてしまえば、それに力が宿り取り返しのつかないことになる。
と、いつも雪花や響子に説教を受けているのは吉暉であったが。
「鶴喰は一緒じゃないんですか?」
「ん? 雪花ちゃん、ほらほら」
雪花は怜の後ろに隠れていた。恐る恐る、という様子で顔を覗かせるが、怜に押されて吉暉の前に出される。
「ぱいせん、その、こんにちは」
「……なんだそれ」
いつもと様子の違う雪花に、吉暉はかえって戸惑ってしまう。
いや、いつもと違うのは様子だけではない。服も白のシャツに青のプリーツスカートというもので特別ではなかったが、義経に斬られてしまった鉢巻は予備があったのだろうが、いまは身につけず、髪は二つ結びのおさげにしている。
そして顔を見ると少し頬が赤く染まっている、というところで吉暉は気づいた。
「もしかして、メイクしてる?」
吉暉の言葉で、雪花は固まった。
二人で遊ぶときも何度か軽くメイクはしていたが、今日はきっちりとキメてきている。
ちらりと怜の方を見れば、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。どうやら彼女によって施されたものであるようだった。二人で事務所へ行っていたのは、このメイクのためらしい。
「どうですか……?」
落ち着かない態度で、目も合わせずに雪花は言った。
「いい、と思う」
「それだけですか?」
「ええっ!? ……き、綺麗だぞ」
吉暉が正直に言えば、雪花はようやく顔を綻ばせる。
「そう思うなら早く言ってくださいよ」
「調子に乗りやがって」
むしろ吉暉の方が恥ずかしくなる有様だった。顔が熱を帯びるのを感じていた。
それを眺めていた磯野が、微笑んで怜に声をかける。
「なかなかやるな」
「素材がいいんだよ。それに、可愛い子もいっぱいくるから、負けられないもんね?」
「ちょっと、怜さん!」
怜の言葉に、雪花が抗議した。歳が離れているが、友人としていい関係なんだな、と吉暉は眺めていて思った。
「それはそれとして、打ち上げもいこうよ」
「おい、もう次の呑みの話かよ」
「支局長は来られないからさあ」
怜の言葉に、磯野は呆れた。一人暮らしなのもあるからか、怜は飲み会などの集まりごとを好んでいるようだと吉暉には見えた。
今日の集まりは学生だけ、という話だった。ヘラというおまけはいるが、それでも支局長や他の職員たちと一度、きちんと打ち上げをした方がいいだろうというのは吉暉も納得するところである。
その場に磯野を呼ぶのは、彼が功労者のひとりだからである。避難活動の手伝いの活躍は、橘支局長も認めていた。
それでもコンプライアンスとして起こった出来事については話さないように、ときっちり磯野に誓約書を書かせたのも橘らしい。
「美味しいもの考えよう! 葉沼くんはなにかある?」
「お、俺ですか。そうだなあ」
三人の視線が吉暉に集中する。少し考えづらいが、こういう時は直感で言うべきだ、というのが吉暉の主義だった。
「ジンギスカン食べたいです」
ぼこん、と音が鳴った。
吉暉は頭を強く殴られた。顔を上げると、自分を見ていた三人が呆然とした顔をしている。背後を振り向けば、そこにいたのは真っ白な少女、フミキだった。
『本当に阿呆! 少しは考えてモノを言いなさいよ!』
「なっ、フミキ、おまえ何出てきて……」
そのとき、吉暉の腰に痛みが走った。つねられたのだ、と思いその手の主を見れば雪花だった。
「ぱいせん、これはどういうことですか。どうしてフミキが、ここにいるんですか」
「うぐっ、それはだなあ……。おい、お前から説明してくれ」
『ふんだ。自分でしなさい』
「誰のせいでこうなってると思ってるんだ」
「ちゃんと説明してください、ぱいせん!」
雪花とフミキという、二人のアイヌの姫に挟まれた吉暉はいまにも泣きそうであった。
はは、と笑う怜に、戸惑いの表情を浮かべる磯野は声をかける。
「これも平常運転?」
「初めてのパターンだなあ」
はは、と引きつった笑みを怜は浮かべる。
夏の夕暮れ、逢魔時に幽霊が現れるなど冗談ではないが、それが現実であると嫌なほど知っている。
怪獣もいるし、幽霊も、超能力者も、いるし、世界の裏で暗躍する組織もある。
磯野はそれを知ってしまったし、忘れることができない。
それでも、昨日とはまったく変わったはずの景色の中で、動いてる感情はよく見知ったものだ。
たぶんそれが日常というものであり、そしてそれが……。
「いつもと違うのは、一歩前進、ってことで」
磯野の言葉に怜は、少し驚いた顔をしながらも、そうだねと微笑んだ。




