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第三十一話 帰ってきた

 響子は炎を纏って飛翔する。

 それは天使のような優雅さはなく、天狗のような軽やかさもない。

 ただ炎の推力によって強引に飛んでいるのだ。ロケットのジェット噴射がごとき勢いで、響子はカムイシンタに接近していく。

 首がすべて落ち、露出した炉心が見えた。

 回転する球体はカムイシンタの心臓部である。響子はその目前まで迫る。

 炉心からは熱を感じる。だが、それが何だと言うのだ。己の内側から溢れる熱の方が、ずっと熱く感じられる。

 響子の全身が輝いた。伸びている刺青から光が発せられたかに見えた、次には文字の一節が火種となって発火する。

 制服の一部が焦げようとお構い無しである。


「さよならロシナンテ、あなたの滑稽な旅を終わりにしましょう」


 響子は印を結ぶ。過去に一度、行なった術だ。

 最小の力で最大の効果を発揮する。響子の信じる術者としての在り方だ。


「オン、ケンバヤ・ケンバヤ、ソワカ。――急々如律令」


 炉心という名の心臓に、呪がかかる。それは炉の活性を意味する術であったが、響子はカムイシンタの心臓へとあえて捧げた。

 回転力の増す心臓部は、膨大な熱を発し始める。響子はそれを見届けながら、自由落下に身を任せた。

 離れていくカムイシンタであったが、翼が大きく広がった瞬間に、体の節々が捻れていく。

 熱暴走を開始したのだ。関節の、装甲の薄いところから少しずつ形が変わっていく。

 未熟な変形プロセスに、過剰なエネルギー供給による強引な動きに軋みをあげ、やがて全身から炎を発した。

 爆発音が響いた。カムイシンタがいよいよ内部の熱に耐えきれず、爆ぜたのだ。

 ばらばらと竜馬だったもののパーツが降り注ぐ。

 爆発させるのであれば、大気圏を抜けた頃合にすべきだったか、などと考える。

 素材を考えれば破片が燃え尽きることはないだろうが、流れ星のように見えたかもしれなかった。どうせなら雅な方がよかった、などと思う。

 腕を大きく広げる。空気を目一杯に受け止めて、浮遊感を味わう。

 戦いは終わる。これで自分たちは日常に帰るのだ。


「ふふっ」


 自然とそのような感情が湧いてきたことに、響子は自嘲する。

 日常など、どこにもない。生み出されてから闘争の日々だった。

 組織によってこの世に生を授かって、果たして人々の普通がどれだけあったのだろうか。

 いつだって、どこでだって、響子は一人だった。さすらって、殺し、滅ぼし、焼いて、砕いた。

 その当たり前が狂い始めたのは、この地にやってきてからか。それとも吉暉と雪花と、出会ったからか。

 生まれて初めて、思い通りにならないことがあった。

 他者をどうすることだって、この日々もいつだって壊すことができるのに、その手を振るうことができない。

 いいや、思い通りにできなくなったのは他人ではない。

 いつの間にか自分自身が、言うことを聞かなくなってしまったのだ。

 いまだって、組織のことを思えば、義経もカムイシンタも生かすべきだとわかっているのに。日本の神々による国の統一、その思想に従うならば、ここでアイヌの神話を征服することだってできはずなのに。

 何が自分を縛るのか。何が己にそのような意思を持たせるのか。

 けれどそれによって不自由になっただとか、弱くなったという思いはなかった。


「壊れてしまったのか、私は」


 いつもの取り繕った口調をなくして、つぶやく。もはや本来の口調の方が違和感を抱くほどであった。

 身を翻して、眼下を見やった。

 目に映ったのは吉暉の姿だった。


「本当に腹立たしいやつ」


 カムイシンタのパーツが流星のように降り注いでいるのにも関わらず、響子のことを捉えている。

 いつだって、彼は自分を見つけてしまう。学食にいても、祭りの中にいても。眩しいほどの日常の中にいたって、絶対に逃がすまいと。

 自分が彼の命を握っているから? 響子はそれを否定する。そんな感情で動く人ではないと、理解してしまっているが故に。

 吉暉は響子の落下地点へと走っていく。もはや体に大した力は残っていないだろうに、必死に駆けていた。

 落下まであと数秒、吉暉は腕を伸ばす。その腕の中に、響子は落ち……なかった。


「げふっ、あ、がっ」

「あら、ごめんあそばせ」

「業界ではご褒美です……」


 響子は吉暉の背中に着地していた。座布団がわりとでも言わんばかりに、その背中に座って足組みまでしていた。

 着地の寸前、少しだけ炎を吹かせてタイミングをずらしたのだ。それを読めなかった吉暉は、まんまとハマってしまっていた。

 あの程度の落下で、着地もまともにできないと思われるのは癪であった。まして、目に見える形で吉暉に助けられては沽券にかかわる。


「ねえ、あんたの言ってたこと、少しだけわかったわ」

「へ? そりゃあ、どうも?」

「素直に喜びなさいよ。なんで尻をつかれた方で喜んでこっちで喜べないのよ」

「喜んでたわけじゃないですよ、さっきも」


 あれは方便というか、様式美というか。そんなことを吉暉は言っているが響子は無視する。

 いまいるのはここなのだ、と車上で吉暉が言ったことを意識しているのは、どうやら自分だけだったらしいと響子は知る。

 はあ、とため息。どうしてこんな男に敗北感を抱かなければいけないのか。

 それが余計に、響子を苛立たせた。


「ぱいせーん、響子さーん!」


 この日、二度目の呼びかけだった。雪花が大きく手を振って駆け寄ってくる。


「お二人とも、お怪我はありませんか!?」

「ドのつく変態に喜ばれたわ」

「それは、重症ですね」

「助けろよ!」


 吉暉の叫びも、雪花には届かず。

 代わりに響子が雪花を抱きしめた。へ、と驚きに顔を歪める雪花であったが、構うことなく響子は雪花を抱く腕に力を込める。


「あ、あの、これどういうことですか」

「う〜ん、落ち着くなと思って」

「その、響子さん、そこお尻なんですけど、手つきが」

「なんのことかしら」

「俺の背中でイチャつかないでもらえますか?」


 吉暉が抗議とともにじたばたと暴れると、響子は再びため息をついて吉暉を睥睨とする。


「私では不満?」

「えっ、触っていいんですか」

「……ぱいせん?」


 ぎゃあ、と吉暉の悲鳴が響き渡る。

 それを聞きつけたのかは知らないが、あとから怜や磯野、千歳と衛介もやってきた。四人ともが安心した顔を浮かべたのもつかの間、すでに言い合いを始めている吉暉と雪花に困惑していた。


「どういう状況なんだ、これ」

「平常運転ってやつ」

「なるほど……なるほど?」


 磯野と怜がそんな会話をする。それを聞いて響子は笑みを浮かべた。

 そうか、これが「帰ってきた」なのだ。

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