第二十八話 一蓮托生
「——イメル、モス・モス」
何度目かわからないシチュエーションだった。
雪花の持つ、絶大な威力を誇る一撃は、その溜めに時間を要する。
普段であれば、それだけの余裕を作るのが常道だったが、上手くいった試しはない。いざというときの手段を使うのはいつだって、危機に陥ってからなのだ。
三度も吉暉は雪花の前に立った。
最初はシアンカムイとの戦いのとき。猿神の存在に振り回されながらも、人として戦い人として死ねるならと奮い立った自分を、雪花は叱ったのだ。
二度目はリョウメンスクナと戦ったとき。自分の変化に戸惑っていく中で、雪花は訴えたのだ。生まれたばかりのあなたはそれでいいのだと。
そしていま、吉暉は再び雪花の前で腕を掲げる。不思議と、このときが初めて、本当の意味で雪花の前に立てているような気がした。
ようやく吉暉は、守りたいものをはっきり持てたのだと自覚する。
「——アペ、モス・モス」
雪花の言葉を遮るように、カムイシンタは口から光を発した。それは熱量による砲撃だ。いままで放っていたものとは桁違いの、三門同時の収束攻撃である。
吉暉は左手に霊力を通す。指先から滴る血が、冷気を纏っていく。
一瞬で生み出されたのは、氷の花だった。
何度も吉暉を守った、赤い氷の花がカムイシンタの光線を受け止める。
百合のように五枚の花弁はすべて氷であるが、サナトクマラの騎馬であるUFOの一撃を弾き、後ろにいる者たちを守った。
「がっ、ぐうっ」
だが、その攻撃はいままでのカムイシンタが放った一撃の中で最大のもの。
目前を光で埋め尽くされる。左腕が、心臓が悲鳴をあげる。
吉暉が持っている護りは、元は冷凍怪獣シアンカムイのものである。シアンカムイが札幌で猛威を振るった際、ありとあらゆる遠距離攻撃を防ぐ防御能力に苦戦を強いられたものであった。
だが、それは怪獣であったから発揮できた性能だ。
いくら力を模倣しようと、吉暉の出力は怪獣に遠く及ばない。猿神の力を宿そうとも、その差を覆すことはできない。
そして呪いを転化して使う氷の異能は、代償として吉暉の体内を暴れまわる。竜神の生命力は、蛇に象徴されるように貪欲で、図太い。
「——カンナカムイ、モス・モス」
擬神器に向けて雷が落ちる。力が充填されていき、短刀そのものがまばゆい光は放ち始める。
雪花の詠唱は以前よりずっと早い。
オキクルミが降り立った聖地が、義経から解放されて本来あるべき姿に戻ったのだ。いまや、この土地はアイヌが本来持つ神話の地へと回帰した。
それがいまにアイヌを伝える雪花へと力を貸している。
……そう、吉暉は間借りをしているだけだ。北海道という地にやってきて生活をし、義経と戦い勝利するために龍脈へと割り込んだ。
図々しく、けれども、雪花の大切にしているものを守れるならば。
もしかすると、自分の願いこそが雪花を後押ししているのかもしれないなどと、思い至る。
花弁が割れていく。吉暉は霊力を振り絞るが、限界が近づいている。
あと十秒、持ちこたえればいい。
そうすれば雪花の詠唱は完成し、カムイシンタを打倒することもできるだろう。
屈しそうになる膝を、必死に立たせる。震え、笑い、全身から汗と、目からは涙が溢れる。
せめて、この命に代えても守るしかない。
悲鳴をあげる心臓を抑える。すべて持っていくが良いと告げる。
この恋のために死ぬのなら、お前も本望だろう、と声にならない言葉を吐き出す。
『ああ、もう、見てられない!』
声が聞こえた。吉暉を何度も苦しめ、そして何度も助けた声だった。
『あんな強引に私をねじ伏せて、ヨシツネまで倒して、その体たらく! 許さないから。ここまできてあの娘を泣かしたら、本当に許さない!』
彼女が義経にさえ吐かなかった言葉を、吉暉は浴びせかけられた。
「——ピウキ・カムイ・イメル」
吉暉の左手に、白い手が重ねられる。
全身が楽になる。視界が開いた。
百合を模した花が再生していく。どころか、その花はどんどん再生していく。割れた花弁が散っていき、その内側から新しい花弁を咲かせる。
それは蓮のようであった。沼の表面で咲く、清廉と再生の花。あるいは極寒の地獄で見せる真紅の血の象徴だった。
一心同体にして一蓮托生、吉暉とフミキの合一によって氷の防壁は最大の性能を発揮する。
「ああああああああああっ!」
絶叫とともに、霊力を振り絞る。脚から伝わってくるのは龍脈の霊力だった。身体からは蒸気が立ち込めた。
光が晴れていく。過負荷がかかったのか、カムイシンタの放つ光が弱まっていく。
「—————シモントゥム・カフプカル・クス、ケイノンノ・イタック!」
最後の詠唱が響き渡る。吉暉は渾身の力で、カムイシンタの光線に向けて右腕を打ち込んだ。
吉暉は爆発と同時に、後方へと吹き飛ばされる。光線を正面から打ち破られたカムイシンタがのけぞった。
雪花は掲げた擬神器《雷魔斬》を振り下ろした。
轟音とともに、光の線が一直線に伸びる。
生み出されたのは巨大な雷の剣だった。熱量の塊である剣が、カムイシンタの持つ三つの首の根元へと突き立てられる。
とっさの防御か、首のひとつが雷の剣を正面から受け止めた。響子の術でも、衛介の刀でも傷一つつけることができなかったカムイシンタに亀裂が入っていく。
雪花が短刀を振り抜いた。同時に、カムイシンタの首が落ちていく。
おお、と声をあげる磯野と怜であったが、二人の前で光線と氷の盾の衝突による余波を受け止めていた衛介と千歳は、油断なくカムイシンタを見る。
「まだ首は二つある。動く、ぜってー動く」
「前、出るよ!」
そう声をかける二人を他所に、響子は雪花へと目を向けた。
「雪花ちゃん、霊力は?」
「聖地にいるからかはわかりませんが、まだまだいけます! それよりぱいせんは!?」
雪花からの声に、吉暉は立ち上がって答える。
「俺はだいじょ……いや」
少し考えて、口にした。
「内臓をやられた。霊力が暴れまわってるみたいだ。悪い、少しだけ前線を任せた」
「っ! わかりました。怜さんと磯野さんを守ってください。響子さん、行きましょう」
そう声をかける雪花の姿が頼もしく、吉暉は少し微笑む。
「いまのは、いったい」
磯野がぼそりと言葉をこぼす。吉暉はその問いかけに答えたいのはやまやまであったが、そんな余裕はな
かった。
代わりに、二人の前に立ち、カムイシンタを見上げる。
「後ろに下がっててください。ここから先は俺たちの仕事です」
いつの間にか、退魔士としての言葉も板についてしまったなと、自嘲しながらも、少しだけ誇らしく思った。




