第二十七話 三つ首の竜
磯野が駆けつけた頃には、すでに退却のほとんどが済んでいたようだった。橘が最後のひとりを乗せた車は満員である。
何人かを押し込むようにして入れて、怜もまた車内に奥へ詰めるように言う。
すでに何度も往復をした車だったが、それでもどれだけの人が助かったのか、どれだけの被害が出てしまったのか、磯野には想像がつかなかった。
この車を目指せなかった人もいるだろうし、まったく違うところへ抜けた者もいるかもしれない。
それでも一番多く人を救える手段をとるしかない。そう割り切るしかないと、磯野は自分に言い聞かせた。
「ちょっと、なにあれ」
怜が指差す方向を磯野は見た。
立ち上がっているUFO、というだけで異様であったが、その光景は想像を絶する。
金属が擦れる不愉快な音を立てながら、それは変形をしていた。
足の向きが変わり、四本の足は一方を向くようになっている。UFOの外殻が大きく開き、虫の翅のように広がる。
そしてその内側から大きな目がせり上がってきた。森が焼ける炎の光がその姿を下方から照らし、その全容をあらわにした。
「三つ首の竜!」
「これが本当の姿なの……?」
磯野と怜が揃って呆然と声をあげる。
首がいくつかある竜、ないし蛇という存在は神話の中でいくつも登場する。八岐大蛇や、ギリシャ神話のヒュドラなどが有名だろう。それらを元にしてフィクションでは多くの敵として登場した、首の多い竜という存在がいざ目の前に現れて、信じられない気持ちでいっぱいになる。
「千代田、磯野くんも、こっちに!」
橘がそう声をかける。だが、車のどこにも二人が乗る余裕はない。
わずかなためらいが二人の足を止めた。逃げたいのは山々であるが、ここで乗り込んで逃げるのが遅れてしまったならば、という思いがあった。
「先に行け、怜。俺は後から向かうから」
「ばかっ、磯野、あんただけ残るの!?」
「これでも毎日自転車乗ってるんだ、体力には自信があるぜ」
嘘であるのは明らかだ。すでに時刻は深夜だ。酒も入っているし、一睡もせずに活動するには限界である。
「いいえ、そんな暇はないわよ」
響子が空から現れて、周囲に火球を放った。それは花火のように散ると結界になる。
光球が響子の炎にぶつかり弾けた。眩しい光が何度か瞬いた。
磯野と怜の前に降り立った響子の白かったシャツは、炎のせいか煤でわずかに黒くなっている。
遠くで避難活動を行なっていたときに行われていた戦いがどれほどのものなのか想像もつかない。だが、いまの炎などの異能としか言えないものを見るに、磯野の想像を絶するほどのものであったのは確かだ。
「迷わないで、早く決めて」
その言葉は磯野や怜にではなく、むしろ橘へと向けられていた。
歯噛みした橘は、懐から取り出したものを磯野へと渡す。
「これ、拳銃!?」
「もちろん、本当は君に持たせてはいけないのだけど……小さなものでも力があるということは、それだけで勇気になることがある。持っておきなさい」
そう言うと橘は足早に車に乗り込み、エンジンを吹かす。
磯野は手に握られた黒い拳銃を見つめた。見た目は映画や玩具でよく見ていたのに、重さと存在感が本物であると伝えている。
これはフィクションではない。現実として、目の前で起こっていること。
死んでしまった人がいることも、異能を使う少年少女が戦っているということも。
拳銃という、人の命を簡単に奪うけれども、怪獣という災害に対して無力なものが、磯野のぼんやりした感覚に現実という輪郭を与えた。
エンジン音が遠ざかっていく。もう引き戻すことはできない。
「よかったの?」
「良いも悪いも、そもそもお前を置いていけるかって」
怜の言葉に磯野はそう返す。さらに何か言いたげな怜であったが、次の言葉を放つ間はなかった。
森の中から現れたのは千歳と衛介だった。ほとんど同時に、左右別方向から現れた彼らに磯野は驚きの声をあげてしまった。
「いったぁ」
「あいつ、狙いが正確になってらあ」
「あれ、君が衛介くん?」
磯野と怜は、初対面である少年が、千歳が探している衛介であることは察することができたが、確信はなかった。
何度か瞬きをした衛介は、怜の姿を見ると少しだらしない顔を浮かべる。
男子としては健全な反応かもしれないが、いまはそれどころではないし、怜は見た目通りの性格というわけでもないぞ、と磯野は目まぐるしく頭の中でツッコミを入れた。
「あれ、そういえばもうひとりは……」
「馬鹿! あんたたち、どうしてこっちに来たの」
罵声を浴びせたのは響子だった。ぎょっとした磯野と怜は、思わず出かかった言葉を引っ込める。
「なんでって、こっちはあの竜だか馬だかの光線から逃げるのに精一杯だったんだから! 前に立ってる身にもなって、物を言えっての!」
「それが馬鹿って言ってるのよ! あんたたち、誘導されたのよ。一網打尽にされるわ」
響子の言葉で、千歳は少し考える顔をして、竜馬の姿を見た。
三つの頭のどれもが磯野たちを捉えていた。遠くにある巨体であるが、意思が伝わってくるかのようであった。
「えっ、ヤバ、どうすんのこれ!?」
「三つの首全部の相手はできないから分散しろと言ったのよ」
「言ってないし! 別れて戦いましょう、しか!」
「だああああっ、ケンカすんな! やっちまったもんは仕方ねえ!」
響子と千歳の言い合いに、衛介が思わず口を挟む。
磯野の目から見ても響子と千歳は折り合いが悪そうであるが、戦いの最中にまで応酬を繰り広げるとは思いもしなかった。
三つの首の竜の動きは少し鈍っている。度重なる戦闘の結果か、万全とは言い難いような状態だ。
それでも、その戦意は衰えず、むしろ盛んになって睨めつけている。
三つの口を大きく開いた。光線の発射姿勢であることはすぐにわかった。
「ここは散開しましょう。そこの二人を抱えて……」
「いえ、むしろそこにいてもらった方が好都合です!」
そう言って駆けつけたのは吉暉だった。彼に抱えられていたのは雪花である。
五人の前に立つ彼らは、カムイシンタと戦っていたはずの響子たち以上にボロボロであった。
雪花は土に汚れ、鉢巻もなく髪も解けている。吉暉に至っては服に血の跡が大きく残っており、露出した右腕は怪物のようであった。
激闘を物語るその姿は痛ましく、しかし堂々としている様は、その戦いを乗り越えてきたことを示していた。
「大丈夫です、怜さん、磯野さん。任せてください」
誇らしげに、自信ありげに言う雪花は、車の中で見たときよりもずっと逞しく見える。
三つの口に光が収束している。それらは渦巻いて、いまにもこの場にいる者たちを焼こうとしていた。
「いきますよ、ぱいせん」
「ああ、任せろ」
そう言って左腕を構える吉暉の後ろに立ち、雪花はその手に握っている擬神器を大きく掲げる。
「全力全開でいきます! 総員、衝撃に備えてください!」




