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第二十五話 誇り

「この刀ではいまの出力が限界だな」


 義経がそう言って、刀を払った。雷の熱が刀身にも伝わっており、刃が赤熱化していた。

 いまの一撃を雪花は知っている。自身の振るう《雷魔斬》の最大火力と同じ現象だった。


神解の剣(カムイランケタム)……!」


 元はアイヌの英雄たちが持つ、神より与えられた剣の意味である。虎杖丸クトゥネシリカの名がよく知られているだろう。本来なら名のない、雷の剣を顕現させる術に、雪花は便宜上そのように名付けていた。

 義経、すなわちハンガンカムイはオキクルミと習合している。ゆえに、オキクルミが魔界にて振るったとされる。父にして雷神の力を借り受けた剣の一撃を再現できてもおかしくはない。

 アイヌの生まれを誇りに持つ雪花にとって、苦しみであった。それが吉暉に振るわれたのならば余計にだ。

 擬神器を握り、雪花は義経へと斬りかかった。

 数度、身を捻るだけで避けた義経は、返す刀で雪花の脚を狙う。それを払って、すれ違うようにして距離をとった。


「鳴れ」


 義経が呟くと同時に、刀が微振動する。

 それは音波となって雪花を襲う。天狗の太鼓と呼ばれる、山中の不審音の技だった。しかし、物理的なダメージはまったくない。

 疑問に思いながらも、雪花は擬神器を前へと突き出す。


「——イメル(雷よ)モス・モス(目覚め給え)


 異能の発現を擬神器に祈った。独自の発動プロセスから発される雷は、制御は難しくとも絶大な威力を誇る。

 だが、何も起こらなかった。どころか、擬神器に霊力が通う気配すらない。出力が低下しているのを手が感じている。

 先ほどまで起動状態にあったはずなのだ。にもかかわらず、雪花の呼びかけに応えることをしなかった。

 その理由を、すぐに察する。


「どうやら、この身体の父が宿っていたようだな」


 雪花の擬神器《雷魔斬》に宿るのは、オキクルミの父である雷の神(カンナカムイ)の分霊だった。気まぐれで生活から程遠い存在とされ、厚く信仰されたわけではない。しかし、神話の中心的な存在であり、神話体系の頂点に立つ存在でもある。

 神と言えど親子だ。その間に情もあるだろう。

 無論のこと、それだけではない。この土地は義経が掌握している。天の神であっても、他の神の領域では自由に活動することもままならないはずだ。

 先ほどの音波も、五行における金克木の相性から、音による金気によって、擬神器に宿る雷の神(カンナカムイ)の木気を封じ込めたのだった。

 義経は刀で雪花の擬神器を弾き飛ばした。地面を転がっていく擬神器を目で追ってしまう。その隙に義経は雪花の眼前へと迫った。

 驚きとともに目を見開いた雪花の額に、刃が振るわれる。

 はらり、と落ちたのは愛用している鉢巻(マタンプシ)だ。

 さらに義経は雪花の手首をつかめば、後ろ手に捻り関節を締め上げた。そのまま近くの木に額を押し付けられる。


「あっ、う……」

「よい声で鳴く」


 愉悦の笑みを浮かべる義経の気配を察し、雪花は顔を歪めた。彼を喜ばせることはしないと、必死に痛みを堪える。


「あなたには、誇りはないのですか!」


 雪花は声をあげる。義経という英雄には複雑な想いを抱いていた。多くのアイヌの姫に手をつけ、悲しませ死に追いやった男であるが、同時に怪獣を討った女神の血筋から、日本の「英雄」である彼を悪く思えないでいた。

 その存在が、いかに心を支えるかを知っている。彼に憧れ、希望と夢を胸に抱き、歩もうとした人たちがいたはずなのだ。

 アイヌの女神の血を引く雪花は、英雄というものを否定することはできない。


「武士として生きた、皇帝カアンとして生きた。あなたの戦いは、誇りあるものであったはずです! なのに、こんなことをするなんて」


 雪花はこの義経の正体がわからないままだ。だから、ジンギスカンとなった義経へと語りかける。

 その言葉を聞いて、義経は。


「はは、ははははは! 誇り、誇りか! 面白いこと言うな。いいか? 誇りや名誉などというのはな、己のない者の戯言だ」


 笑いながら、そう言ってのけた。

 その嘲笑が向けられているのは誰か、雪花にはわからなかった。


「己の為したいことがわからないから、せめて他人に己を刻み込もうなどという浅ましい考えだ。武士もののふの模範になろう、人の正義に尽くそう、父祖の生に忠実に生きよう。阿呆を言うな。そんなものを尊ぶから、命は容易く他人に弄ばれるのだ」


 絶句とともに、雪花は悲しみを覚える。あろうことか、大英雄の口から語られた言葉は、人々の彼への憧憬を踏みにじるかのごときものだった。


「いいことを教えてやる、蝦夷の女。男の悦びというのはな、己の敵を尽く誅戮し、財宝を奪い取り、嘆き悲しむ親族を嗤い、その愛する女たちを犯すことだ」


 義経の手が伸び、ひとつ結びにしていた髪が解かれた。首筋に垂れる髪が、いっそう屈辱的だった。

 まるで解体されているかのような心地だった。身体の隅々までくまなく検められている。


「ならばお前に、()()をくれてやろう」


 ぞっ、と悪寒が全身に走った。

 涙を必死に堪える。決して弱いところは見せまいと、顔をあげる。

 吉暉の前で、そんな姿を見せてはいけない。そう思い視線を吉暉へと向ける。


「……え」


 そこに倒れていたはずの吉暉の姿はなかった。それだけではない。寒気が走ったのは、なにも義経の言葉だけではない。

 現実として、気温が下がっている。足元には霜が降りている。

 八月七日、夏の只中だ。北海道は日本で最も寒い地域であっても、ありえない。それこそ龍脈に異常が生じない限り。

 赤い氷が雪花の周囲を包む。義経は雪花を押さえつけていた手を離し、大きく飛び退いた。

 義経のいた場所に、別の人物が立つ。倒れこむ雪花を腕で支えるのは、倒れたいたはずの吉暉だった。


「鶴喰、大丈夫か? 怪我はないか?」

「ぱいせんこそ、そんな、そんな」

「俺は大丈夫だ」


 見ればわかる。大丈夫なはずがない。

 顔の右半分は猿神の影響で、火傷の跡のように赤く染まっている。右腕は完全に金色の毛に埋もれており、異形となっていた。

 だが、異変はそれだけではない。右目が白子アルビノの蛇のように赤く染まり、血の涙を流している。

 吐く息は白く、肩で呼吸をしている有様だ。

 血管が凍り、肉体が別のものに変じる痛みもあるだろう。

 それでも気丈に吉暉は振舞っていた。


「落ち着いてるし、自分のことはよくわかってるよ」


 彼は雪花を立たせる。瞬きを繰り返し吉暉の目を見るが、言葉の通り冷静であるように伺える。

 だが、その奥にある炎を、雪花は確かに見た。

 吉暉は雪花に背を向ける。氷の向こうにいる義経へと視線を送った。


「ただ、あいつを一発殴らないと気が済まなくなった」

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