第二十四話 理想郷
甲高い金属音が森の中に響いた。
吉暉は思わず立ち止まる。ただの音ではない、と本能的に察したのだ。
さながら海中の様子を探るソナーのように、音を使ってこちらの場所を探っている。すでに発見されていると考えた方がいい、と吉暉は頭を切り替えた。
四方を見渡す。暗い森の中には星の光も届かない。視界に頼ることはできない。
だが、気配を探るのも役に立たない。それはこの森を走っている間、ずっと感じていたことだった。
この山のそこかしこに義経がいるような感覚がする。龍脈と接続してから、より感じるようになっていた。
あるいはすでに、腹の中なのだろうか。指先の神経がぴりぴりとしている。
途端、風の切る音が聞こえた。右腕の包帯をほどきながら、直感に任せるままに振るう。
三度と繰り返す。猿神の腕に砕かれたのは石の砲弾だった。
本気ではない。これは陽動だ。足を止められている。
続いて飛び込んできた人影を見た。暗闇の中で視線が交わされる。霊力を捉えることでの擬似的な視界に、義経の姿が映った。
吉暉は右腕の包帯を引いた。手元に手繰り寄せるのではなく、命綱を引くようにして、包帯が結ばれた先へと跳んでいく。
二人の間に距離ができた。追撃はなかった。吉暉はゆらりと体を立て直す。
「足掻くな、獣め。大人しく首を落とされればいいものを」
「お前こそなに蘇ってんだよ」
「死に瀕して、なお願うことがあった。そしてそれを叶える機会に恵まれた。ならば生かさぬ手はあるまい」
「……ああ、やっぱり。お前は俺の知る義経なんだな」
吉暉はそう言う。一方の義経は吉暉の言いように、眉をひそめた。
二つの世界で歩みを異にする義経を正確に捉えているのは、この世において吉暉の他にいない。
フミキという存在こそが、この世界における義経の歩みを証明している。彼は衣川を生き延び、蝦夷へと渡り、果てはモンゴルの天帝となったのだと。
だが吉暉はいままで信じていた義経の足取りも覚えている。童謡に謳われた牛若丸を愛し、静御前との恋愛に胸を打たれ、悲しくも兄に追い詰められた武士を好いていた。
並々ならぬ感情とは言わずとも、その名を聞いて心を震わすほどに。
彼の存在を知る者の多くが、想起するように。
「やはり貴様は殺さねばならない」
「やれるもんなら、とっくにやってるだろ」
吉暉の言葉と同時に、義経は距離を詰めた。
目にも止まらぬ速さで、白刃や吉暉の首筋に迫った。
身をひねりどうにか躱すものの、続く蹴りを腹に受けてしまう。
吹き飛ばされつつも右腕の包帯を操り、木の一本に着地する。
だが、なおも激しく義経は追い討ちをかける。間一髪で木を飛び移り避けた吉暉だったが、義経の一刀により断ち切られた大木を見て、冷や汗をかく。
まともに相手をしていられない。打倒しなくてはならない敵であるが、自分一人ではとてもではないが敵わない。
木々を跳んで、吉暉は大きく距離をとる。猿神の力を持ち、平取の土地の龍脈へ接続した吉暉は見えずとも自然の在りようを理解し、最適なルートを進んでいく。
獣であっても、妖であっても、森の中の歩みというのは遅くなるものだった。人の形をしているならなおさらだ。
吉暉はちらりと、後ろを見やる。
「どうした、ずいぶん遅いな」
「……っ!」
義経が、すぐそこにいる。
吉暉の脚をつかみ、地面へと叩きつける。痛みが襲ってくるが、転がって降りかかってくる刀を避けた。
森の中においても義経の歩みを止めることはできない。平らな地面を走るのと変わらないように、あらゆる障害を無視して疾走してくる。
その伝説を、吉暉は思い出す。
「『壇ノ浦の八艘飛び』!」
「ははっ、こちらのオレは随分と芸達者らしい。これほどまで軽快であれば、もっと容易かったが」
冗談めかして言うが、吉暉からすれば脅威そのものだった。
続けざまに、義経は火炎弾を投射する。六発の火炎は、吉暉の足元を駆けていく。
それは目眩しだった。暗闇に突然として現れた光は吉暉の視界を奪うに事足りた。
義経の刀が吉暉の肩を掠める。避けることができたのはまったくの偶然だ。弄ぶように義経の刃が吉暉の四肢を擦っていく。
UFOの上ではなく、地上であれば。
龍脈へ接続し地の利をわずかでも奪えば。
用意周到に進め、どうにか先手を取ったと思いきや、微塵も拳は届く気配はない。むしろこの地に降り立ってから本領を発揮している。
ただ左腕が、心臓が言うことを聞いてくれないだけではない。万全の状態であっても状況は変わらなかっただろう。
「お前は、なにが欲しいんだ」
吉暉は声を絞り出す。右腕が刀をつかんだ。だが、それは義経があえて掴ませたに過ぎない。力任せに押し出そうとするのを、必死に堪える。
「生き返ってまで……何がしたいんだ」
「理想郷を作る」
短く義経は答える。刀を振り抜き、吉暉をはじき飛ばせば、その手を悠然と下げて言葉を続けた。
「人々をまとめあげる。争いのない世界だ。穏やかになった世界で人間は革新し、やがて宇宙へと旅立つだろう」
吉暉は義経の言いように、目を細める。
「これだけ人類は増えたというのに、未だこの星に留まっていては限界があるだろう。限られた資源をめぐり争いがいまなお続いている。信ずるべきものの違いが接し、己が国の言葉をぶつけ合うから救われん」
「だからまとめるっていうのか、世界を」
「最善であると知っているはずだ。そしてオレはかつて、それを目指した。誰も傷つかない世界を」
義経はそう言った。おそらく彼は気づいていない。いま、どんな表情を浮かべているのか。
本心から物を言っているに違いない。
だが、それが誰の言葉であるか、わかっていないのだ。
(もう少し、あと少しだ)
吉暉は心のうちでそう言う。いまは堪え時だと。
もう少し、自分に引きつけるべきである。
「雲の上に都はないぞ」
「……獣風情が、黙るがいい。もはや語ることなどない。理解などされなくていい。オレの歩みを共にする者はもういないのだから」
義経の殺気を感じ、吉暉は後ろに後ずさりをしようとした。
だが、背にあったのは木だった。幻術を仕掛けられていたのだ、と気づいたのはそのときだった。
視界が歪み、本来の景色を取り戻す。森であることには変わりない。違っていたのは、すでに追い詰められている状況であるということだ。
義経がゆっくり迫る。吉暉は歯噛みして、その姿を見る。
「ぱいせん!」
声とともに、義経の背後に現れた影があった。
雪花が義経に追いついたのだ。手に握られた擬神器《雷魔斬》から雷光が走る。
駆けつけてきた雪花は、吉暉が薄々と感じていた気配と、逆転の目でもあった。
背中からの一撃に、義経は容易く対応してみせる。吉暉以上にこの土地を掌握している彼は、雪花が迫り来ることも把握していたのだろう。刀を振るえば、雪花の刃を弾いた。
吉暉は思い切って距離を詰める。雪花に気を取られているこのときを逃す手はない。
刃を受けられ宙に浮いている雪花も、強引に二撃目を加える。上下からの挟み撃ちによって、今度は逆に義経を追い詰めた。
「なっ……!」
「そんなっ!」
吉暉と雪花が声をあげる。
義経は動じることはない。刀で雪花を受け止め、空いている手で吉暉の手首をつかんで拳を止めたのだ。
両腕が振るわれる。先に投げ飛ばされた吉暉に、雪花を投げつけた。
絡み合って、地面を転がった二人であったが、吉暉は雪花を逃すように転がした。
両手両足で踏ん張った雪花が、吉暉を見る。
途端、雷が走った。巨大な光が目の前を過ぎる。カムイシンタの光線にも匹敵する火力があった。
帯電する空気に、焦げた臭いがあたりを満たす。
光の晴れた先に吉暉が転がっていた。




