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第一話 モエレ沼公園

 札幌にあるモエレ沼公園といえば、幾何学と自然とが融合した公園として名を知られている。広大な敷地に整然と配置された芸術作品のような遊具、噴水に積まれた山までもが、美しい景観を生み出している。

 平成二十八年夏も真っ盛り、昼には涼しさを求めて家族づれで水場に遊びに来ていたり、カップルなどが散歩をして楽しむ場所である。

 だが、このときは夜である。人が歩くには、昇っている月はあまりに頼りない。

 八月六日、この日は三日月であり、月はすでに沈んでいた。

 モエレ山という公園内に構えられた小さな山の頂上に男女が三人、しゃがみこんでいる。


「それで、ここで何があったの?」


 夜も更けての仕事で不機嫌なのか、千代田怜はそう言った。

 スマホを懐中電灯の代わりにして、地面を照らす。

 モエレ山の頂上は、石がいくつも埋められて床となっている。ばらけている石には。踏み荒らされてしまっているものの、チョークの跡が残っていた。それは円の形をとり、内側には六芒星を描いている。

 怜にとって、つい数ヶ月前まで眉唾だと思っていた呪術の儀式であったが、いくつも仕事をしていれば嫌でも現実として行われたものであると理解もできるようになった。

 声をかけられたのは高校生の少年、葉沼吉暉だった。


「俺にもわからないです。そんな知識があるわけでもないですし」


 もしもというときの護衛、として吉暉は同行していた。一方で捜査員としても、彼の腕を信用している支局長の采配でもあった。

 千代田怜は大学生として勉学に励む傍らでアルバイトをしていた。公には日本民俗を研究するNPO法人での事務仕事と称していたが、その実態は異なる。

 幽霊、妖怪……神。オカルトとしてそれらの言葉を好んでいた怜であったが、大真面目な顔でそんなことを言われてしまえば笑う自信があった。

 そう、一年前までは。

 テレビの向こうで、新宿の街を破壊する怪獣たちの姿が映る。そしてスマートフォンに届く、従姉妹からの簡素な伝達に、恐ろしささえ覚えた。

 そして一月、札幌に現れたのは巨大な白い竜だった。偶然にもその場に居合わせることがなかった怜だったが、サークルの友人ともども、あと少し移動の時間がずれていたらどうなっていたかと語り合ったものだった。

 その渦中にいた人物こそが、目の前でしゃがみこんでいる高校生だった。その当時は中学生である。吉暉はその手を握り戦ったのだ、と聞いた。

 信じられない、と口にしても、ゴールデンウィーク明けから始めた仕事の内容は恐ろしいまでに現実を伝えてくる。

 彼らは実在する。

 そして、彼らと戦う者たちは隣人だった。

 だが、そんな意識も一ヶ月もすれば慣れていくものだった。驚きこそすれ、怜は受け入れるだけの精神的余裕を手に入れた。


「儀式の跡みたいですけど、六芒星?」

「なにか問題あるの? こういう分野だと、六芒星って外せないと思うけど」


 怜がそう問いかければ、吉暉は首を横に振る。


「それはもちろんそうですけど、確か、六芒星って日本だと魔除けの意味が強いんです。籠目、って知ってますか?」

「そういえば竹籠ってこういう文様だったかな。でも、ヨーロッパだと違うんでしょ」

「それは、そうです」


 歯切れ悪く吉暉がいうと、視線をもうひとりの人物に向ける。

 招かれざる客、などとかっこつけて言うつもりはないが、そこにいるのはまさに、呼んでもいないのにやってきた人物だった。


「菜々実はどう思う?」


 その少女をどう言えばいいか、怜にはよくわからない。中学生くらいの女の子ではあるが、外見からは出身がうかがえない。どこの誰か、を当てはめることができない。

 あえて言うなら、まるで天から堕ちてきたかのように可憐である、というのが特徴か。

 戸来菜々実と名乗る彼女は、本名をヘラ=ナニアドヤーラと言う。しかし本人が菜々実であると名乗るから、本名で呼ぶ者は一人としていなかった。


「六芒星というだけで何かを特定できるわけないでしょう」


 言外に、もっと情報を出せ、とヘラは言った。


「ここで騒いでいた大学生が唱えてたのは、『ベントラ、ベントラ、サナトクマラ』……」

「べんとら?」


 どこかで聞いたことがあるような、と怜は引っかかるが、頭の中を検索しても具体的な情報が出てこない。

 一方のヘラは、うんうんと頷く。


「悪いけれど、これは私の口から言ったところで、貴方たちを混乱させるだけね」


 頼みの綱であったヘラにそのように言われ、吉暉は眉をひそめた。


「というと?」

「そのままの意味よ。私は異世界からやってきた天使。私の世界における真実は、この世界の真実ではないわ」


 などと言ってのける。この少女の荒唐無稽な発言はいまに始まったことではないが、天使などと自称されてしまえば怜は閉口するしかない。

 かえって、吉暉は冷静にヘラの言葉を聞いていた。


「なるほど、つまりこの呪文だか儀式だかに関わる存在について、菜々実は自分の世界でそれが何を指すのかわかっていても、こっちではわからない……か」

「ご名答。察しがよくて助かるわ。あ、いまのは皮肉だから」


 などという応酬を繰り広げられては、怜もヒヤヒヤとする。

 が、二人はあっけからんとして、すぐに立ち直った。


「ということは、調査は自分の足でするしかない」


 地面に描かれた模様は明日の朝になれば、公園の係員が消してしまうということで、怜は慌てて車を飛ばして、吉暉とともに写し取っていたのだった。

 いざ来てみれば、吉暉と怜の少ない知識ではお手上げの案件であり、さらに菜々実を呼ぶ必要があった。


「ヒント、というわけではないけれど。サナトクマラというのは無視できない存在ね」


 ヘラが勿体つけて言う。その様は、致命的なものを零さないようにしているようだった。


「それは何者なんだ?」

「貴方たちの言葉を借りるなら、ヒンドゥー教の賢者のことよ」

「本当のところは違うんだな。わかった」


 吉暉はそう言うと、服についた草を払った。

 怜の目から見て、吉暉は特別に知識が豊富というわけではない。一部のオカルト分野であれば怜の方が詳しいほどだ。

 しかし、この判断の早さは目を見張るものがある。


「これ以上の収穫はないかなと思います。引き上げましょう」

「そうしよっか。あまり長居してもしょうがないし」


 夏ではあるが、少し冷え込んでいる。公園の小山とは言え、風に吹き晒されている場所だ。

 三人は石の階段を降りていく。星々のか細い光を頼りに下っていくのは少し危ないかと思ったが、疲労感が勝りすぐにでも山を降りたかった。


「札幌にこんな公園があるなんて知らなかったなあ」


 怜がそう言った。

 吉暉は少し意外そうな顔をする。


「そうなんですか? こういうところ、大学生なら来そうな気がしますけど」


 とはいうが、モエレ沼公園は名前こそ聞いてもなかなか訪れる機会のない場所なのかもしれない。

それこそ、家族で遊びに来たり、カップルでないといけない空気があったり、芸術に興味がなければ奇妙な建築物だ、という程度の感想で終わってしまうかもしれない。


「大学に進学するまでは、苫小牧住みでね。ドライブもするけど札幌市内は走りにくいから。そういえば、葉沼くんにはこういう話はしたことないんだっけ」

「大学の話は聞かせてもらいますけど」


 吉暉は微笑む。彼は時折、こういう笑顔を見せる。人のことを知ったときの少し嬉しそうな顔だ。

 これは堪らないね、と他人事のように怜は思った。


「そうか、大学!」


 何かに気づいたように、怜は言った。驚いた吉暉であったが、その言葉でひとつ思い出したことがある。


「あ、はい。明日、オープンキャンパスで千代田さんの学校に伺おうかと」

「それそれ。ウチの大学にさ、こういう分野に詳しい人に心当たりがあるんだけど、聞きにいかない?」


 それは渡りに船だった。この夜更けでは、北海道支局はほとんど活動もできないし、調べ物をするにしても限界がある。

 それよりかは詳しい人から少しでも情報を得て持ち帰り、より調査の精度をあげた方がいいだろう。


「それじゃ、落ち着いたら連絡してね」

「ええ、わかりました」


 と、簡単に約束を済ませる。怜は話が途切れたついでに、会話を少し戻した。


「こういうところ、デートとかで来るんじゃない? 葉沼くんはそういう相手、いないの?」

「えっ……」


 女子大生が男子高校生にふる話題としては、いささか大人げなかったか。女子同士ならともかくとして、異性間では難しいかもしれない。

 下手打ったなあ、と怜がひとり思っていたが、吉暉の方はさほど動じることなく答える。


「いないです。いや、女の子と遊ぶ、とかはありますけど」

「なんか……いやらしくない? その言い方」

「鶴喰とです、鶴喰と!」


 慌てて訂正する吉暉に、怜はジト目を向ける。

 鶴喰雪花という、吉暉の監視役を務めていた少女の名を出す。怜はそれに納得しながらも、吉暉の普段の生活や、雪花からの言葉を思い出しながら答える。


「まあ、そうだね。仕事もあるわけだし。でも男の子なんだしさ、彼女欲しいとか思うんじゃない?」

「そりゃあ……でも、俺はたぶん、ダメなんですよ」

「ダメって、何が?」

「傷つけてしまう気がします、相手を」


 ふうん、と怜は唸った。

 恋愛観は人それぞれとは言うが、吉暉の恋愛観は少し重い。あるいは、吉暉自身の事情……その身に猿神の霊を宿していることを考えると、もしかしたらおいそれと恋人を作れるような状況でもないかもしれない。


「でも女の子には、きちんと傷つけてほしいときもあると思うんだよね」


 と、怜は言った。少し大人びた表情で、憂うように言う彼女に吉暉は思わず見惚れる。

 図星か、どうか。怜にはわからない。吉暉という少年は、彼と親しくしている者たちの口からも、よく理解のできない存在として映る。

 だがこのときの、星々を映した目を、怜はきっと忘れないだろうと思った。

 自分だけのものにするには、少しもったいないと思うほどに。


「なあ、レイ。それはこのあいだ出た少女漫画のセリフでは?」


 それまで最後尾で黙っていたヘラが言った。

 何を隠そう、二人は事務室に置かれている漫画の類を愛読している仲である。

 置かれたばかりの最新刊であっても、当然チェックしているのであった。

 顔を真っ赤にし、しゃがみこむ怜。吉暉とヘラはそれを見下ろす。


「めっちゃ恥ずいんだけど」

「い、いや、あの、俺には響きましたよ?」

「それも主人公の背中を押すサブヒロインが言っていた……」

「あー! それ以上はダメ、ダメなんだから! 言っちゃダメ!」


 そう夜中の公園で叫ぶ彼女と、くすくすと笑う吉暉とヘラは、どちらが年上かわからなかった。

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