第十九話 回天
動き出したカムイシンタの内部で、衛介はおぼつかない足取りで歩いていた。
端的に言えば、逃げる機会を逸したまま、カムイシンタが起動してしまったのである。
六本の足で不可思議な動きを繰り返すカムイシンタであるが、外の様子はおろかいま自分が乗っているUFOの状態を知る由もない。
ただ、どうやら歩いているらしいことは理解をする。いつか背に乗った式神のことを思い出しながら、衛介は壁沿いに進んだ。
「あー、くそ。どこなんだここはよ」
悪態をついたところで、カムイシンタには通用しない。すでに腹に入れたものを気遣う者がいないように、衛介のことなど意に介していない。
だが、それは彼が、おとなしくしていれば、である。
義経から受けた仕打ちに体のあちこちを痛めながらも、動くのには支障がなかった。擬神器による支えもあり、体の傷は瞬時に癒えている。
数度、打ち合ってみて、歯が立たない敵であることは明らかだった。一刻も早くこの場から逃れなければならないが、この円盤に一撃を喰らわせねば気がすまないでいた。
「さっきも揺れてたが、誰かが戦ってんのか……」
霊的なことにおいて、さほど器用ではない衛介では周囲のことを感知するような芸当は行えない。
そうでなくとも、カムイシンタの内部は霊気濃度が高く、まともな感知能力は主人である義経以外に有することができない。
知覚的には、そこかしこに「在る」という状態である。
擬神器を使わずとも霊力を感知できる者からすれば、霧がかって見えてしまうほどだ。
出口の見えない迷路を歩いているかのような感覚に襲われる。UFOの内部は明らかに外観以上の広さがある。
だが衛介とて無策ではない。脱出するのに打つ手なし、と諦めてはいないのだ。
先ほどの鎧武者との戦闘において、彼は擬神器による攻撃を恐れていた。あるいは擬神器に封じられている神の分霊か、それとも《紅世景宗》や衛介の内側にあるヤタガラスの炎をか。
いずれにせよ、自分の攻撃は通用する。
そうとわかれば、小さな労力で最大の効果を狙おうと思うのは当然だった。
「だからって、弱点なんかわかるかい!」
そもそも、このUFOの全容も理解できていないのだ。衛介だけではできることも限られる。
すると、突然熱風が吹いた。いくら夏とはいえ、外気ではありえないほどの温度である。
衛介が見ると、そこには大きな機械の球があった。内部から光を漏らしているその球は、回転を続けている。
一目見て抱いた印象は、エンジンだった。事実として内部のエネルギーは球の上部から機体のあちこちへと伝っているようだ。衛介の見立ては間違っていないだろう。
果たして、こんな場所へと続く扉があっただろうか。周りを見れば、そこは変哲もない通路であり、やはり突如として空間に穴が空いているようだった。
「誰がやったかは知らねえが……こりゃ、天の巡りってやつかね」
狙いすましたかのように露出された弱点に、笑みをこぼしながら展開された擬神器を向けた。
幾度となく繰り返し、手に馴染んできた術をここでしかと放つ。
「オンっ! サンネイ・サンネイ・キレイギャレイ、ソワカ!」
振りかぶった刀《紅世景宗》に宿る火気が膨れあがる。
衛介の身から刃を伝って溢れるのは灼熱地獄から漏れ出たかのごとき神威の炎である。あるいは、それは猛る太陽が吹き上げた紅炎か。
「仕返しだ……急々如律令!」
振り下ろされた刀から轟音とともに放たれるのは、炎柱である。まばゆい光が空間内を包んだ。
エンジンから漏れる熱量すらも超えて、炎があたりを焼き尽くす。
ありったけの霊力を込めて発した衛介は、手にしびれを感じつつも、確かな手応えをつかんだ。
炎が止んで、見えた光景は傷一つつかないエンジンである。だが、目に見えぬ損傷は与えたようで、過熱によりその動きは鈍っているように見えた。
「へっ、ざまあみやがれってんだ」
そう声をあげるのもつかの間、異変に気付く。オーバーヒートを起こしたエンジンが、先ほどよりも巨大な熱量を発したのだ。
もしかすると、何らかの防衛機構が働き、熱による制圧をかけたのかもしれない。いずれにせよ衛介を焼かんと、今度は炎を発して追い立てたのだ。
「あち、あちぃ」
炎使いが炎に焼かれるなど、冗談ではないと衛介は背を向けて走る。
背後から迫るのは目にも見える霊力の熱波だった。半透明な壁となって、衛介を追い立てる。
擬神器の力を用いて全力疾走をする衛介は、平坦な廊下にいたはずなのにどうしてか足を踏み外す。
「う、おああああああああっ!」
この日何度目かの、情けない悲鳴をあげて、衛介は宙へと舞った。




