回想ノ四 起請文
「上は梵天帝釈、四大天王閻魔法王五道の冥官泰山府君。下は伊勢天照大神を始め奉り伊豆箱根、富士浅間……」
義経の前で起請文を読み上げるのは土佐坊昌俊という、関東よりやってきた僧であった。
滔々と読み上げる姿を、義経は眺めている。
これは見世物だ、とわかっていた。
源氏の兄弟が不仲となっているのは衆知の事実であった。一方で、義経の勇名もまた天下に馳せるものでもある。
兄である頼朝配下の武士たちは、誰もが関東の自領を離れるが惜しいか、離れて討ちに来たところで実りはなく、さりとて義経を討てる勝算はない。
それらを踏まえれば、坊主という身分はさぞ軽かろうと自嘲する。
「……もし偽りあらば、この身は阿鼻の地獄へ落ちようと……」
天におわす仏天の次は、地に座す神々に誓い、契りが破られた折には地獄まで行く覚悟であると昌俊は読み上げた。
仰々しい言葉の数々は、それでも虚偽であるから、聞いている者たちの想いはあまりに虚しい。
何よりも虚しく感じていたのは、昌俊自身だった。
武士の子同士は、決して違えぬ味方であるなどとは口が裂けても言えぬ。仏の前での誓いなど、刃の下ではまったくの無意味なのだから。
だから平然と、不仲を好い仲と言い、懐の刀をないことにし、手には文を握る。
冷や汗が流れる。いまの自分をどのように手打ちしようが、義経の自由である。関東から連れてきた手勢も少し離れた宿に置いてきている。ここで首を刎ねられれば、はるばるやってきたことがすべて水泡と化す。
読み終え、顔をあげれば義経は穏やかな顔だった。しかしそれは、老齢の者が、死期を悟ったような笑みであると昌俊は思った。
「……兄は、この義経と事を構えるつもりはないと?」
「は、ははっ、そのように」
確かめる義経の言葉に、昌俊は平伏した。そうか、と呟いた義経は遠い目をする。
そしてぼそりと小さな声で言った。それを聞き届けたのは、側に仕えていた弁慶と静御前のみであろう。
「それがまことであればよいと、信じたくなるほどに立派であったぞ」
昌俊の顔から表情が抜け落ちる。すでにして、昌俊の首には白刃が当てられていたのだと気付いたのはいまさらだった。




