第十三話 獣よ
「なんか不穏な会話してませんかね」
「気のせいよ」
吉暉が聞けば、響子は素っ気なく応える。
響子の視線を追って、吉暉は上を見た。
PIROに手配されている車両は、天井にハッチが備え付けられている。そこから車両の上へと上がることができる。
「先にどうぞ」
響子がそう言う。譲ったかのように言っているが、表情から圧力を感じた吉暉は屈し、車両の上にあがった。
速度が相当に出ているからか、風が顔に吹き付けられる。髪を押さえるもすぐに顔に張り付いた。
「響子さん、手を」
「自分であがれるわよ」
吉暉が車両内に手を伸ばすも、響子は身軽な動きで上がってくる。
上空を見るが、やはりUFOを視認することはできない。雲の上にいるのか、山の影に隠れているかも不明だ。
「これからあなたを打ち上げるわ」
「一足早い花火大会ですね」
「そのまま散るのがお好みならそうするけれど」
「冗談です」
「私は本気よ」
至って真剣に言う響子に恐怖を覚えつつも、吉暉は笑ってその言葉を流した。
「私が数えるわ。それに合わせて、上空で菜々実がワームホールを開ける。あなたは飛び込む。簡単ね」
「……ワームホール、なんて得体が知れませんね」
「恐い?」
「むしろワクワクしてきました」
吉暉が笑うと、響子はつまらなさそうな顔をする。何を期待されていたかはわからないが、彼女の気は逸れたようだった。
すると、響子は吉暉の首を掴むと引き寄せる。急に近くにやってきた響子の顔にどぎまぎしつつも、その声音は吉暉の頭を冷やした。
「ねえ、あんたからはあの大学生がどう見えるの」
その意味が、言葉通りのものかを吉暉は図りかねる。
「ふつーの人ですよ」
「どんな気分なの。本当はあんただって、日常にいたはずでしょう」
それは皮肉ではなかった。響子は知りたがっているのだと吉暉は思った。何を知りたかったかは理解ができないながらも、答えをひねりだす。
あの大学生、と言うのは磯野のことだ。彼はいま、岐路に立っている。すなわち日常にいられるか、非日常へ足を突っ込むか。
そしてそれは、吉暉がかつて手にしていた平穏と、いま置かれている戦いの日々のことであった。
「よくわからないです。気づけばいまの場所にいたし、猿神に憑かれる前のことは、遠い過去とすらも思えなくなってます。映画が流れてるけど、まったく感情移入ができないような、そんな気持ちですね」
「そういうものなのね」
「でも、俺のいまいるのはここなんだ、って思いはあります」
響子が視線を向けてくるのを吉暉は感じる。
それはここ数ヶ月、ずっと考えて出した答えだった。
選ぶことなんてできなかった。いなくなってしまった方がずっとよかったのだと思っていた。
だが、ここにいるのならば、せめて生きてやろうと決めたのだった。
そう気づかせてくれた人がいて、彼女が懸命に生きている限り。
「響子さんはどうなんですか」
「私は……」
響子が何かを答えようとするが、すぐに耳を抑えた。空を飛んでいるヘラから何か言われたのだろう。
答えは中断されたが、吉暉にはそれでよかった。自分がきちんと答えを告げられないように、彼女もまた迷う者であると知ることができた。
「時間ね。準備はいい?」
「聞かなくたってやりますよね」
「当然」
膝と手をつき、クラウチングスタートの姿勢をとった。かつて陸上部であった吉暉は長距離走の専門であったが、短距離が不得手だったわけではない。その身には、習ったことが染み付いている。
背に響子の手が触れる。
「数えるわ。十、九、八……」
響子によるカウントダウンとともに、吉暉は自分の霊力を高めていく。集中し、自分の目の前に一点を中心とした渦を思い描いた。
「……三、二、一、今!」
吉暉が地面を蹴る。途端、空間が捩れた。視界から一瞬だけ色が失われ、二歩目を踏み出した瞬間には空の上にいた。
雲の上、星空の下に放り出された吉暉は、呼吸を忘れた。息を飲む。気圧や酸素の濃度のことなどどこかへ飛んで行ってしまった。
そして目の前には、銀色の機体がある。
これが目標A、UFOだ。速度が足りず、このままでは引き離され一万メートルの高さから地上に落下する。
そう思うも束の間、響子の術が発動する。
背中に熱が灯った感覚がする。炎が翼のように吹き上がり、足りない速度を補って吉暉を押し出した。
右の拳を握り、銀色の機体に叩きつける。
鈍い音がする。UFOはあまりに硬く、猿神の力をもってしても、目に見える損傷は見られない。だが、確かな手応えがあった。
響子の術が失われる。もとより、加速を失った吉暉は一気にUFOから引き離される。
代わりの翼はすぐにやってきた。後方で待機していたヘラが吉暉を受け止めたのである。
「た、助かった」
「ふふん、すぐ次に行くわよ」
真っ白な翼を広げ、ヘラはUFOへと接近する。吉暉の拳が効いているのか、反撃はなく、取り付くことに成功する。
機体の上に着地をする。甲高い音とともに足をつけ、重心を低く置いた。
UFOの速度は優に時速一○○キロを超えている。吹き付ける風は強烈で、まともに立つこともできない。
「くそ、入れそうな場所なんてどこにもないぞ!」
「そもそも貴方たち現存人類の技術では到達不可能な代物よ、これは」
ヘラがそう言う。彼女は何らかの異能を行使しているのか、UFOの上でも平然と立っていた。
彼女の言うことは、吉暉も理解しているところだ。このUFOは飛行機のようにジェット噴射で飛んでいるわけではない。かと言ってプロペラがあるわけでもないのだ。
ならば、考えられる可能性は反重力などの重力操作などであるが、それは吉暉からしてオカルトと変わらない理屈である。
まさにオカルトの世界の只中にいる吉暉であるが、SFを嗜んでも信じてはいない。
ヘラの腕を伝って、吉暉の肩に響子の式神が渡ってくる。それを見届けたヘラは満足げな顔を浮かべて、吉暉に背を向けた。
「どこ行くんだよ」
「私の勝手でしょう? 都合が良かったから貴方たちの手伝いをしただけ。最初から目的は同じじゃないの」
そういうやつだったな、と吉暉は納得しつつ、その背を見つめる。
ヘラはUFOの縁に立つと、両手と翼を大きく広げる。
「ああ、あと。前方注意よ」
ヘラの姿が消える。飛び降りたのだと気づくが、同時に視界が真っ白に染まった。
雲の中に入ったのだ。手を顔の前にかざした。ばちばち、と氷の欠片とぶつかる。目を開けていることができない。うつ伏せになって、雲が抜けるまでやり過ごした。
視界が晴れる。顔を上げれば、そこには満天の星空が戻ってくるはずだった。
黒い瘴気がそこにあった。巨大な霊力の塊のようにも吉暉には感じられる。
そして、その独特の気配は、どこか雪花にも似ていた。
「お前は……」
ゆらり、と体を屈めながらも立ち上がった。
それは鎧武者である。大鎧を纏う姿は、よく知る武士のもの。その衣服や鎧の端々にはアイヌ文様が見えているのが一層奇妙であったが、その正体を察した吉暉は、むしろ納得すらした。
鎧武者は腰の鞘から刀を抜いた。流麗な抜刀から、油断のない構えを見るだけで、この者がどれほど刀の扱いに長けた武人であるかを思わせた。
腕を引く。いつでも戦える、という構えをとる。
武術の心得はなく、雪花から習った付け焼き刃の戦闘術は、その者の前ではむしろ滑稽だっただろう。鎧武者は、にやりと笑った。
そして、その口に笑みをたたえたまま、名乗りをあげた。
「我が名は、源九郎判官義経。獣よ、翼なきお前にこの空は不相応であると自覚して、上がってきたか?」




