第十話 圏外
北海道の上空一万メートルに、目標Aと呼ばれる未確認飛行物体は日高方面を目指していた。
全長三○メートルにも及ぶ巨体の内部には、アブダクションによって攫われた人が詰め込まれている。その数は百をゆうに超えている。
不安げに、隣人に声を囁く人々。何者が自分たちを誘拐したのかはわからない。下手に刺激するのは得策ではないと誰もが思っていた。
「やい、出しやがれ!」
そんな中、ただ一人だけ騒ぎ立てる人物がいた。
「こりゃいったいどういう了見でい。船だってんなら、船長にでも面通り願おうか!」
住吉千歳が探しているという、高砂衛介その人である。
あたり一帯、柱もなければ扉も見えない。そんな空間であるから、その中心に立ち天井に向けて声をかけている次第であった。
「ったく、どうしてこんなことに。美人の従姉がいる、ってもんだからついてきてみればこのザマよ」
独り言のひとつやふたつ漏らしたくなるものであった。住吉千歳が北海道へと旅行へ行く、というから、どうにか同行するように取り付けたはいいものを、やってきてみれば初日からUFO騒動である。
日頃よりPIROの関東支局での捜査員として怪異と戦っていた衛介であるが、自分がこのように囚われの身になるのは初めてのことであった。恥ずかしいばかり、と口にはしないが、このような痴態をただ晒しているばかりではいけないと、脱出の手段を考えたのだった。
が、どこにも出口はなく、そもそもどのように入ってきたかもわからない。
だからこそこうして声をかけているが、反応する気配もなかった。
周りの者たちは衛介にやめてくれ、と視線を向ける。
「チッ、やってられっか」
古びたガラパゴス携帯をひらけば、時間の隣に表示されてるのは「圏外」の二文字。現在地もわからないのであれば、助けを求めることもできない。
ため息をついてポケットに電話を戻せば、思い浮かぶのは千歳の怒る顔ばかりであった。
「あー、くそ、出しやがれってんだ!」
そう言って衛介が手に持ったのは日本刀であった。むやみに出すな、と厳命されているが、このときばかりは非常時だと判断した。
その手に握られたのはただの刀ではない。PIROに所属する怪異ハンターの携行武器である擬神器の愛刀《紅世景宗》だ。
妖との戦闘において、強靭な生命力を有する彼らの回復能力を阻害する汎用的な能力とは別に、《紅世景宗》は炎熱を纏う力を持っている。いかに硬い装甲であっても、熱を加えることで対象を焼き斬ることもできる。
果たして、UFOの装甲に通じるかはわからないが、まずは試すのが衛介であった。
刀身に霊気がみなぎり、稼働状態に入る。赤く輝いた刃が振り上げられた。
「さすがにそれは看過できんな、小僧」
衛介が気付いたときには、その男はいた。
視線をくれてやるのと同時、銀光がひらめいた。二本の刀が交錯する。鍔迫り合いになったが、押されているのは衛介である。
「ただの刀ではないが、神剣の類ではない。だが、玩具と呼ぶにはよくできている。よい刀工のものだろう」
「ごちゃごちゃと!」
衛介が力任せにおしだそうとするも、相手はびくりともしない。
みれば、その者は鎧武者であったが、瘴気をまとっている。ただの武士ではない、神気を帯びていた。そして鎧にも刀にも、衛介の見覚えのない、アイヌ文様が刻まれていた。
鎧武者が片手で刀を振り抜く。吹き飛ばされる衛介は壁に激突するより前に体勢を整え、壁面に着地し、床に降り立つ。
「坂東の者だな。臭うぞ」
「そりゃ……ずいぶん大雑把な」
衛介が面食らっていると、鎧武者は刀を収める。興味をなくしたようにする鎧武者の様子に、衛介はカチンときた。
「やい! おめえがこの船の船長ってんなら、せいぜいどこに行くかくらいは教えてくれたっていいんじゃねえか」
そう言って、衛介は再び斬りかかる。発揮された神通力により向上した身体能力は常人を遥かに凌ぐ。目のも止まらぬ速さとはこのことだ。
「この我が、船頭だと?」
だが、鎧武者は容易に反応してみせる。迫り来る刃を指で挟み取った。
目を見張るのは衛介だった。渾身の一撃を刀で受け止められることはあっても、まさか武器も使わずに阻まれてしまうとは、思いもしなかった。
「現代の刀持ちがいかなる者かと思えば、相手の器を見定めることもできぬ素人とは情けない。どころか、刀の理のなんたるかも理解できておらぬ」
鎧武者は吐き捨てるように言った。衛介の未熟を嘆く。術理を理解していない者が、優れた武具を振るうことを指し「宝の持ち腐れだ」とつぶやいた。
そうして刀ごと、衛介を投げ捨てる。その体を受け止めたのは宙から降りてきた配線だった。それは衛介を絡め取り、四肢を押さえつける。
「あっ、このやろ、離しやがれ!」
「そこで見ているがいい」
その言葉は衛介にのみかけられたものではない。その場で固唾を飲んで見ていた者全員にだった。
「お前たちは滅びる。我が理想郷、蝦夷幕府の礎となるがいい」




