回想ノ三 五条の橋
五条の橋で向き合う二人の影があった。
頭巾をかぶった男、武蔵坊弁慶は薙刀を握りしめ、相対する者の実力に舌を巻いた。
夜な夜な、この橋を通って歩く貴族かぶれの武士たちを相手に大立ち回りを繰り広げてきた弁慶にとって、これほど手応えのある相手は初めてであり、高揚すらしていた。
しかし、欄干に立つその人物は違った。女のような格好をし、顔を隠している。背格好も小さい事から、最初こそ女と見間違えたが、振り向きざまに見せた鋭い瞳は少年のものであった。
腰にある業物であろう短刀も抜かず、ただ笛の音を響かせるのみ。
「私を平氏の者と言ったな」
欄干の上で少年は言った。
「いかにも。いまの時世、夜な夜な遊びに回るような、貴族かぶれの阿呆は平氏の公達を除いておるまい」
弁慶は言った。そして、ろくな武勇も持たず、酒と女に酔っている者は、弁慶にとって格好の的であった。
「千本の刀が欲しいそうだな」
「ほう、知っていたか。いいや、知っているだろうな。いまとなっては我が武勇を知らぬ者はおらず、五条に寄り付く者はよほどの命知らずばかり。あるいは、恐れをなし、女の形をして歩くかだ」
にやりと笑い、弁慶は薙刀を構えた。相手の少年は、再び笛を構える。
足元の欄干ごと横薙ぎにする弁慶の攻撃を、少年はひゅるりと避けてしまう。続けざまに薙刀を振るう弁慶であったが、いずれも空を切るばかり。
握られた薙刀は、岩をも融おすと言われた業物であったが、相手が風であればその冴えも意味がない。
やがて、大ぶりの一撃を避けられ、懐に潜られた弁慶の手首に鋭い痛打が走った。少年が笛で打ち付けたのだと気付いたのは、すでに薙刀を落としてからだった。
よもや、自分が刀を抜かせることなく負けるとは。もはやこれまでと弁慶はうなだれるが、少年はその眼前に立つと言った。
「平氏の者と呼んだのは癪に障るが、その大口は気に入った。お前の千本刀、この私が貰いうけよう」
月光に照らされたその少年の顔はあまりに美しく、凄絶であった。
ああ、と弁慶は頷く。これもまた、天命であると。




