第九話 目標A
「件の未確認飛行物体……本作戦では目標Aと呼称する」
PIRO北海道支局の支局長、橘は言った。
暗い会議室にプロジェクターに映されているのは日本地図である。青森は八戸から伸びた赤い直線は、米軍の三沢基地を経由し、札幌を掠めた後に日高地方の方面へと向かっている。
「目標Aの詳細は不明だ。米軍基地のエシュロンから情報を奪われた形跡が見つかっているが、こちらからのアクション、すなわちハッキングは行えなかった。米軍と、自衛隊による対空砲撃すらろくにできず、相手の能力は未知数だ。やつの正体を知るよりも前に、自分たちはこれを討伐しなければならない」
「……にわかには信じがたいですが」
札幌の上空に現れたUFOは、光の柱を用いて地元市民を攫っていったのだ。
「このアブダクションによって攫われた人数は不明だが、数十人は下らない。他の市を含めれば三桁で済んでいるかどうか」
「被害状況については承知したけれど、それよりも私たちがどうするか、の方がいまは火急のことでしょう」
橘の言葉を遮って、響子は言った。女性陣は浴衣から着替えてそれぞれが私服になっているが、響子は制服姿であった。
「そうだな。これから北海道支局はこの目標Aを追うことになる」
そうは言うが、敵の目的、戦力はともに不明であり、どのような謂れのあるものであるかは一切がわかっていない。
UFOに然るべき謂れ、すなわち伝説や伝承というものが通じるかどうかは、今後の調査次第だ。
「天磐船のように、わかりやすい話であるならばもっと簡単だったのだけれど」
「……サナトクマラ」
吉暉が口にする。響子はその言葉に反応した。
「護法魔王尊? その名前がどうして出てくるの?」
「昨日の夜、千代田さんと菜々実と調査したときに出てきた名前です」
「なら話は早いじゃない」
響子は言うと、橘も頷いた。
「その報告を聞いて俺も調べた。『ベントラ、ベントラ、サナトクマラ』。ベントラ、というのは、UFO信者の一派の言葉を借りるならば、宇宙人の使う宇宙船のことらしい」
「つまりUFO、目標Aはその呪文に応じてやってきた?」
雪花が首を傾げて言う。そう考えるのは自然である。しかし、吉暉には解せないところがある。
「違うんじゃないかな。アブダクション、人を攫ったってことは、UFOに何か目的があるわけじゃなくて、目的を持ってあいつを呼び出した何者かがいるってことか」
「そう考えるのが道理ね。鞍馬天狗たちの画策と想定はできるわ。でも、どうして北海道でそれをやらせたの?」
「北海道だけなんですかね、この儀式が行われたのは。いまどき、ネットを使えばどこにだって指示を出せるし、タイミングだって合わせられる。……いたずら半分でやる人を捕まえればすぐに儀式が発動できますよ」
「…………」
響子の目が細くなる。古典的な術者でもある彼女は、こうした話題を毛嫌いする。尤も、知識面で優れる響子と、柔軟な発想をする吉暉は、捜査をする上での相性は良いと橘は思っている。
「インターネットを洗う必要があるか。いくらなんでも、モエレ沼公園で捕まった学生の閲覧履歴を調査させることは難しいだろうな」
苦々しく橘は言う。吉暉もそれには同意せざるを得なかった。警察に働きかけたところで、こんなことで個人の私物を捜査してくれるほど彼らに暇ではない。
それに、時間もない。響子の言うように、いまやるべきことはUFOを追いかけることであり、そのために知らなければいけないのはいかにして現れたかではなく、どこへ向かっていくかだ。
地図を眺めている雪花が口を開く。
「日高方面ということは、太平洋を抜ける算段ですか」
「その可能性はある。やはりいますぐ追うべきだろうが……千代田はどうしてる?」
橘の視線が吉暉へと向いた。吉暉は首を横に振る。確かに夕方前までは一緒だったが、その後は大通公園に行くということしか知らなかった。
と、そのとき、扉が開いた。会議室に設けられた、直接エントランスへとつながる客人用の扉だった。
そこから姿を見せたのは、見るからに酔いつぶれている女性と、その人に肩を貸す男性だった。
「えっと、ぱいろ? ってここで合ってますか?」
「千代田さんに、磯野さん?」
彼らにいちはやく声をかけたのは、磯野とも面識がある吉暉だった。
「千代田、お前、そんなになってまで来る必要はないんだぞ」
呆れた橘が怜にそう言った。彼女の方はかすかに反応を見せて、死人のような顔を見せる。
「いや、ちーがこっちに来てるはず……」
「ちー?」
「麻雀の?」
雪花のおうむ返しに吉暉が反射的に口を開く。
「ぱいせん、麻雀してるんですか?」
「してねえって。怖いから睨むな」
吉暉がそう言えば、雪花は頬をふくらませる。
すると、磯野と怜の背後で、一房の髪が揺れる。茶色に染められたそれは、肩で息をしているからか、上下に揺れていた。
「……ここが、PIROの北海道支局?」
ぜえぜえと、息も絶え絶えに少女が言った。丁寧語を使おうとしたが、息切れのせいで不躾に言っているように聞こえる。
誰か、と問うよりも前に、その少女は怜の存在に気づいて声をあげる。
「怜姉!? って、くっさ、酒くっさ! え、そんなんであたしらを出迎えるつもりだったの!? 信じらんない」
その言葉に、緊張感がさらに解けていった。切迫した状況であるにも関わらず、日常の調子が会議室を満たす。
こほん、と咳払いをして橘は問うた。
「それで、君は?」
「あ、すみません、関東支局の住吉千歳です! その、身内の恥で申し訳ないんですが……」
本当に恥ずかしいのか視線を逸らしながらも、しかし必死な形相を浮かべて言った。
「同じ支局の高砂衛介がUFOに攫われたんです!」
……のちに、磯野はこの時を振り返って「どんな顔をすればいいかわからなかった」と述べたのだった。




