回想ノ一 衣川
館を包む炎が爆ぜる音は、外にいる兵たちがあげる鬨の声をかき消した。
衣川館の最奥で、男はひとり胡座をかいている。。
刀は血に濡れている。それは自らを襲った者ではなく、最後のときに駆けつけた妻と娘のものであった。
もはやこれまで、と呟いた。諦めてなお兜の尾を締めているのは、最期まで武士たらんとする心がけか、解く気力すらないからか。
口から唱えられるのは、幼少より習わされた法華経である。その声音を聞届ける者はもはや、天にすらいない。
オレは、いったいどこで間違えたのか。
先ほどから浮かぶ悔いはそればかりである。父に、源氏に恥じぬ者たらんと、鞍馬寺での修行に耐え、いくつもの首級をあげ、同族すら斬って捨てた。
誇りは、名誉は。すべては諸行無常と知っていながら、しかしそれらを手にして救えるものがあることも知っていた。
その果てがこの様か。もはや笑みが溢れる。
何もかもを間違えていたのだ。それを糾す者はなく、従っていた臣下たちは、いま手に握っている刀と同じく、我が意を写す刃であった。
兄のようにはなれぬが、父のようにならばなれると、己の限界を定めたがゆえに、より大きな願いに押しつぶされた。
見苦しくともそれが人ならば、もう少し欲張ってしまえばよかっただろうか。
念仏を唱える口は止まらない。一方で、口角は釣り上がる。
刃を抱くようにして、首に当てた。
ああ、叶うことならば。
六道輪廻の先に、三千世界を巡ろうとも。
いずれ我が世を築いてみせよう。
京の都よりも、鎌倉よりも栄えある理想郷を。
護り刀として幾つもの戦いを共にした冷たい刃が、燃え盛る炎を写した。
文治五年、閏四月三十日。
源九郎判官義経、奥州衣川に自刃にて没す。